爆モテ公女アルテア
前世の記憶がいつ戻ったのか、私は正確には覚えていない。
物心がついた頃には、すでに「自分は別の世界から来た」という確信があった。前の人生では男だった。名前も顔も今となっては霞んでいるが、大学に通っていたこと、友人が少なかったこと、そして生涯を通じて女性に縁がなかったことだけは妙にはっきりと覚えている。
モテたかった。それだけだった。
次の人生があるなら、と漠然と思っていた。もう少しうまくやりたい、と。
その願いが届いたのかどうかは知らないが、気がつけば私は異世界の貴族の娘として第二の生を受けていた。
肩甲骨まで届く煌めく銀髪に、薄紫の瞳。華奢な体つきながら背は同年代より頭一つ高く、自分で言うのもなんだが、どこにいても目を引く外見だ。
おまけに『ファム・ファタール』とかいうスキルまでついてきた。
ファム・ファタール。その効果は、女にモテる。
女に、だ。
どこで間違えたのか。
十六年経った今でも、たまにそう思う。朝日が差し込む食堂で紅茶を一口含みながら、私は遠い目をした。
カップの中身が少なくなったことに気が付いた給仕の侍女が、そっとカップに茶を足す。その手が、わずかに震えていた。顔を上げると、侍女は慌てて視線を逸らした。耳まで赤い。
気が付かなかったふりをしながら、何事もなかったように窓の外へ目をやった。
朝は特にそうだ。意図せずとも、こうなる。十六年経っても、十分には制御できていない。
「お姉様」
声と同時に、腕に重みがかかった。
コルネリアだった。十三歳の妹は栗色の髪をきちんと結い上げながらも、目だけをきらきらさせて私の腕にしがみついている。朝からこれだ。生まれた頃からずっとこれだ。
毎日私のスキルを浴び続ける、身内への影響は甚大である。
「今日もお綺麗ですわ、お姉様。朝日の中のお姉様は本当に芸術品のようで——」
「コルネリア。食事の時間です。お行儀が悪いですよ」
「……はい」
しぶしぶといった感じで、しがみつくのはやめた。しかし、腕は離さない。私も今更何も言わなかった。長年かけて学んだ。この妹には何を言っても無駄だということを。
「アルテア。少し顔色が悪いな」
正面からレオンハルトが言った。整った顔に静かな眼差し、帝国最強の精鋭部隊を率いる男がわずかに眉根を寄せてこちらを見ている。
「問題ありません。少し夜更かしをしただけです」
「また本か」
「…………」
図星だった。レオンハルトはそれ以上何も言わず、静かに視線を皿に戻した。
普段の日常生活からは想像できないが、この男の異名は『オルドシュタインの狂気』。帝国中の猛者が束になっても敵わないと言われ、剣を握るとぞっとするような笑みを浮かべると噂されている。そういう兄が、妹の夜更かし程度で眉根を寄せているのだから、人間というのはわからない。
他人に対して、深くは追及しないのが兄の流儀だ。ただし今夜あたり侍女に何か言い含めるだろうということはわかっている。妹の就寝時間なんて些事を気にしないでほしい。
そのとき扉が開き、場の空気が変わった。
侍女の背筋が伸び、執事が深く頭を垂れる。テオドール・オルドシュタイン公爵。五十に差し掛かりながら翳りのない偉丈夫が、風格を滲ませながら足音と共に入ってきた。
「アルテア」
しかし口を開いた瞬間、その威厳がすとんと消えた。
「今日も美しいな。昨日より美しさが増しているんじゃないか。いや、絶対にそうだ」
お父様、昨日から何一つ変わっていませんよ。
毎朝、顔を合わせるたびに、この父はあらゆる言葉を使って私を褒めるのだ。
「おはようございます、お父様」
テオドールは満足そうに頷いて上座に腰を下ろし、すぐさまレオンハルトへ視線を向けた。
「レオンハルト。また公務を押し付けて、アルテアに無理をさせていないだろうな」
「私は押し付けてはいません、父上。お仕事自体は、アルテアが優秀なので、問題なく終わりました」
「そうか。まあ、よろしい」
アルテアをほめる言動に少し気をよくしたテオドールは、今度はこちらへ視線を向けた。
「そういえばアルテア。昨年描いてもらった書斎の肖像画だが、近々もう一枚描かせたいと思っている。前回より大きいサイズで」
私は紅茶を一口含んで、静かに答えた。
「……考えておきます」
考えない。絶対に考えない。
前回は五時間、笑顔で椅子に座り続けた。著名な画家が「もう少し、もう少しです」と言いながら結局一日がかりになり、翌日は表情筋が筋肉痛になった。
「前向きに頼むぞ」とテオドールが満足そうに言った。
レオンハルトが静かに視線を逸らした。
こんな騒がしいのが、オルドシュタイン家の、至っていつも通りの朝だった。
朝食を終えて自室へ戻ろうとしたとき、廊下にマルタが立っていた。五十歳ほどの、この屋敷で最も肝の据わった、動じない女性だ。
「お嬢様。本日分でございます」
差し出された小箱を受け取った瞬間、留め金が外れた。封筒が廊下一面に散らばった。
「……」
「本日は十二通でございます」
マルタが慣れた手つきで拾い集めようとしたとき、廊下の向こうから足音がした。
朝食を終えて先に席を立ったレオンハルトだった。
足が止まった。廊下一面の封筒を一瞥した。私を見た。また封筒を見た。
「……増えたな」
「……そうですね」
それだけ言って、通り過ぎた。
私とマルタは廊下に残された。
マルタが再び封筒を拾い集める。私は一枚手に取った。先日公務で会った貴族の令嬢からだった。文章が誠実で読み応えがある。笑顔が可愛らしい子だ。
もう一枚。屋敷の侍女からだった。便箋が二枚、押し花つきの力作で、文字の端々に一生懸命さが滲んでいた。思わず読み込んでしまった。
もし自分が男だったら、今頃この廊下に机を持ち込んで返事を書き始めていただろう。全員に。一通残らず。
「……いつも通りに」
「かしこまりました」
自室の扉を開ける。机の上には昨夜読みかけの本が置いてある。しおりが挟まれたまま、続きを待っていた。
前世でモテたかった。その願いは叶った。
叶い方が、想定と全然違うだけで。
次回、第二話『百合皇女、襲来。』




