第005話 フランス入り初日
【フランス ストラスブール】
アルザスの平原を一日ほど進んだ街で、マリー・アントワネットは熱烈な歓迎を受ける。
ライン川の豊かな恵みを受けたアルザスの平野は、どこまでも青々と広がるブドウ畑と黄金色の麦畑が織りなす極上のパッチワークであった。
フランスとドイツの文化が交差し、木組みの家々と赤い屋根がひしめくストラスブールに入ると、街のどこからでも見上げるようなゴシック様式の大聖堂が、夕日に赤く染まりながら一行を圧倒的な荘厳さで出迎える。
(ふ〜〜ん、ここがあのストラスブール.....で、ロアンって奴はどいつだ?)
ロアン——のちにフランス宮廷司祭長となり、枢機卿に上り詰める男だ。
この男がフランスからの王太子妃の受け入れを任されていた。
ここでエツコことマリー・アントワネットは史実通り大歓待を受ける。
中身がエツコであるマリー・アントワネットは、いい加減このやたらと仰々しいフランス式の花嫁行列や、側近たちの気取った態度にも慣れてきた。
一日中馬車に揺られているとあくびが出そうになるのを抑えるのには苦労したが、ともかく暇なのだ。
幸い、すぐに馴染みの深い仮想コンソールパネルが目の前に開き、それが自分以外からは見えていないことも分かった。
最初は暇つぶしのつもりで眺めていたロンドンの株式市場の相場推移。
それをローソク足チャートに変換して見ていると、なんとなく法則性が未来のものより単純であることが分かってきた。
(これは行ける!)
直感した。
なんせ、自分にはギロチンが待っている運命のはずだ。
だが、金さえあれば回避する方法など100万通りでも思いついてみせる自信があった。
(だが、相場で儲けるにしても、資金がないとなあ……ここにはATMもないしな……)
ストラスブールの街はお祭り騒ぎであった。
その中心にいるのは、まさにマリー・アントワネットである。
(ちぇ……まるで見世物じゃねえか。ちんどん屋じゃねえぞ)
思わず舌打ちをしそうになって、慌てて押し止める。
側近の侍女の顔を盗み見たが、気がついた様子がなかったのでホッと胸を撫でおろした。
このフランス女はやたらと儀礼にこだわる。
やがて、街の中心にある豪華な宮殿に一行は到着する。
「王太子妃殿下、こちらが今宵の宿泊所にございます。ロアン殿下がお待ちでございます」
馬車の外には、にこやかな顔で笑う中年のおじさんが待っていた。
豪華な衣装に身を包み、顔色も恰幅もいい人物であった。
(ロアンってどんなやつだったっけ?)
自動的にコンソールパネルが開いて情報が表示された。
この男、ウィーンの大使館に派遣されていた時のこと、酒や女に溺れる生活態度がマリア・テレジアの怒りを買い、激しく疎まれていたのだ。
その娘であり、未来の王妃となるマリー・アントワネットにもいい印象を持たれていないはずだった。
そのため、ロアンはこの時、マリーに気に入ってもらおうと必死であったというのが史実である。
ストラスブールを中心とするアルザス平原は豊かな穀倉地帯だ。
フランス国庫が赤字で火の車であったにもかかわらず、この領地からは莫大な収益が上がっていた。
この男の資産総額が莫大なものであることも史実通りであるようだ。
(なるほど.....)
内心で頷いてエツコはゆっくりと馬車を降りた。
差し出されたロアンの手にそっと自分の手を重ね、軽く小首を傾げてニッコリと笑う。
自分でもちょっとあざといかとは思ったが、その効果は巡航ミサイル並みの破壊力を発揮した。
年甲斐もなくロアンは顔を真っ赤にして、恭しく臣下の礼を取った。
(すげ〜、私の笑顔……やばいくらい使えるじゃん)
「このロアン、王太子妃殿下のためならば命を投じる所存でございます!」
(いいねぇ……ATM見っけ)
幸先の良いスタートに、エツコの肝がだんだんと座ってきた。
その夜の歓迎パーティでは、豪華な食事をそれなりに楽しませてもらったが、味の方はまあまあというところだろうか。
(アキコさんのネバネバ蕎麦、もう一度食いたかったな……)
そんなことを考えながら、健康な若い体は栄養素を求めて超一流のフランス料理を胃袋に収めていく。
隣ではロアンが盛んに様々なことを話しかけてくるが、それに「まぁ」、「素敵ですこと」の二つで全てOKなのだから簡単なものである。
美人は得だ……率直にそう感じていた。
「ロアン様、このような温かい歓迎、大変感謝いたします。母にもこのことは手紙で伝えておきますことよ」
ほほほ……と口を押さえて上品に笑うだけで、ロアンの顔は天にも昇る心地になる。
鼻の下を伸ばしきったその表情を、エツコは満足げに見つめていた。




