第004話 皇女アナスタシア
【ロシア ウラル地方】
気がつくと、ボロボロの鎧をまとった少女が心配そうな顔でサワダの顔を覗き込んでいた。その姿は、くぐり抜けてきた戦闘の激しさを物語っている。
「……気がついた?」
安堵した少女の吐く息が、白い霧となって消えていく。
4月とはいえ、ウラルの春はまだ遠い。
見渡す限りの針葉樹林は厚い残雪に覆われ、鉛色の空からは凍てつく風が吹いていた。溶けかけた泥と雪が混ざり合う荒野の先で、雪解けの水が激しい濁流となって岩肌を削り落ちていく。
サワダの感覚ではとても春とは言い難い、厳しく冷たいウラルの春の光景が広がっていた。
はっとなって起き上がる。
「俺はどれくらいの時間、気を失っていた?」
「5分くらいかな?」
「そ、そうか……」
周囲を見渡しても、危険を感知するものはなかった。
「ねえ、あなた……私が誰だか知ってるわよね?」
「あ……えっと……」
少女はサワダのその反応を訝しげに見つめた。
この少女が何者であるかなど、知る由もなかった。
正直なところ、こちらが聞きたいくらいなのだ。
そう思った瞬間、シミュレーションゲームで使い慣れた仮想コンソールパネルが目の前に立ち上がった。
その透明なパネルを通して目の前の少女を見ると、情報が表示される。
『ロシア皇女アナスタシア』——。
「まあ、いいわ。あなたも私のことを、役立たずのお荷物くらいにしか思ってないんでしょ」
少女は小さく白いため息を吐き、目を逸らした。
コンソールパネルに彼女のステータスが表示される。
【ロシア皇女 アナスタシア・アウグステ・フリーデリケ(15歳)】
知性:78 / 100
直感:30 / 100
感覚:15 / 45
感情:25 / 75
健康:580 / 880
精神:480 / 1000
これも見慣れたステータス構成であった。
ゲーム内に存在するすべてのキャラクターには、このステータスが設定されているのだ。
理論上、数億ものキャラクターが存在したが、このデータの存在がゲームを複雑かつ魅力的なものにしていた。
人材が重要な要素だったからだ。
「知性・直感・感覚・感情」の4ステータスは成長要素である。
左の数値が現在の値、右がその人物の最大値を示す。
「健康・精神」の最大値は生まれつきのもので、左が現在値、右が最大値だ。
4ステータスの最大値は通常30程度である場合が多いので、彼女の数値は異常に高い。
注目すべきは、知性の現在値が異常なまでに高いことだった。
これは誰か優秀な人物から指導を受け、才能を継承したことを示していた。
だが、それもこれも「ゲームであれば」という前提での話だ。
じっと黙り込んでしまったサワダに、アナスタシアは鋭い視線を向ける。
「なによ。何か言いなさいよ。あなた、近衛騎士団員でしょ。失礼だと思わないの!」
サワダは我に返り、座り直した。
「皇女殿下、大変失礼いたしました。……あの、失礼ついでに伺ってもよろしいでしょうか?」
「ふん、言いたいことがあるなら好きに言いなさいよ。慣れてるから」
「慣れてる、ですか?」
「そうよ。あなただって知ってるでしょ。私が宮廷でなんと呼ばれているか」
「あの……それは……」
「いいわよ、わざわざ声に出さなくても。それで、何か聞きたいことがあるんでしょ?」
「はい。あなたはどこで、それほど高度な論理的思考を学ばれたのですか? 失礼ながら、殿下のご年齢では異常な高さです」
「はあ……? あなた……私をからかっているの?」
サワダは胸の奥に熱い衝動を感じていた。
この皇女を育てたい。
この状況で不謹慎ながらゲーマーとしてのキャラクターメーキング欲求が疼く。
知性は何者かが育て上げたようだ。
しかも、その能力をしっかりと継承している。
最大値まで持っていくのは難しくないかもしれない。
その他の能力にも、まだまだ伸びしろがある。
だが、サワダは自分の能力値を見て呆然となった。
【魔導戦士 ニコライ・ノヴィコフ(28歳)】
知性:10 / 200
直感:10 / 200
感覚:10 / 200
感情:10 / 200
健康:200 / 2000
精神:1800 / 5000
初期値があまりにも低すぎた。
しかし、それに比して潜在値(最大値)の異常な高さはどうだ。
精神が高いのは救いであった。
変な魔法のようなものが使えるのは、この精神をエネルギーとして消費しているからなのだろう。
だが、今の己のステータスでは、アナスタシアの「継承」を引き出すことができない。
(待てよ……! 逆にアナスタシアから継承を引き出すことができれば、俺の知性ステータスも78にできるはずだ)
だが、今はそんな場合ではなかった。この状況で生き残ることを優先して考えなければ。
サワダは真剣な表情になり、アナスタシアを真正面から見つめた。
「皇女殿下。私はどうやら近衛騎士団員だったようですが……恥ずかしながら、その記憶が途切れてしまっているのです」
(さあ、どう答える? 皇女殿下、あなたの智謀を見せてください。私たち二人が生き残るために)
アナスタシアの表情も真剣なものへと変わる。
「あなたが騎士団員であったかどうかは……この際、問題ではありません。ニコライといいましたね。私にはあなたが必要です。ですが、私を利用すれば、あなたの生き残る可能性も高まります」
その通りだ。
サワダとて生き残らなければ話にならない。
「どのようにでしょうか? 教えていただけますか?」
「カザフ平原を目指すのはどうでしょうか。あそこにはデミドフ家の鉱山と製鉄所があります。そして、彼らは莫大な資産を保有しています」
【あなたはアナスタシアの知性1を継承しました】
脳内に音声メッセージが響いた。
(皇女殿下、合格です)
内心でサワダは呟いた。
「皇女殿下、素晴らしいご見識です。どこでそれほどの知識を学ばれたのですか?」
「それは……フランスのヴェルサイユで……。あなた、本当に私のことを素晴らしいと……?」
「ヴェルサイユ……? お嫌でなければ、その方のお名前を教えていただけませんか?」
(一体、誰だ?)
デミドフ家を頼るのは悪い選択肢ではない。
なぜなら、彼らは今、首都機能の喪失によって窮地に陥っている可能性が高いからだ。
だが今はこの皇女にそれほどの智謀を与えた人物のほうが気になった。
「ポンパドゥール夫人です」
サワダの顔に驚きが走る。
ポンパドゥール夫人はフランス国王ルイ15世の愛妾の名前であった。
そして、フランス宮廷の政治と外交を裏で仕切っていたのも彼女のはずだ。
「ポンパドゥール夫人は……い、生きておられるのですか?」
驚いたのには理由があった。
この日は1770年の4月。
そして史実では、ポンパドゥール夫人は1764年に結核で亡くなっているはずだからだ。
「夫人をご存じなのですか?」
「あ……いいえ。ですが、私の尊敬する女性でしたので」
「まあ……」
アナスタシアの表情が和らぐ。
明らかにサワダに対する心証が好転した証拠だった。
「ニコライ・ノヴィコフ、皇女殿下を身を賭してお守りいたします」
「許します」
柄にもないと思いながらも、臣下の礼をとるサワダ。
アナスタシアは静かにそれを受け入れた。
まずは情報収集からだ。
ともかく、まずはサバイバルゲームを始めよう……この皇女様と共に。
(それにしても、魔法戦士ってなんだよ。)
内心でツッコミを入れながら.......




