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巡る季節と共に1

※アリサ視点に戻ります

 婚約を受け入れてから数日後、アリサは相手との顔合わせのため男爵家の庭にある四阿にいた。


 両親が亡くなった時には崩れていた四阿は、最近になって叔父が建て替えてくれたため、まだ真新しい木の香が残っており、漂う香りも雰囲気も本来なら緊張を和らげてくれるはずのものであったが、アリサの胸の奥は乾いた傷口のようにひりついて落ち着かなかった。


「アリサさん、ですよね」


 控えめな声に顔を上げると、ブルーグレーの髪色をした青年が四阿の入り口に立っていた。

 ルカと名乗った彼にアリサは立ち上がり礼儀として微笑みを返したが、ミランを忘れようと自分で婚約を受けたくせに心はまだ遠くにあった。


 そんなアリサにルカは深く頭を下げると、促されるまま静かに席に着く。


「今日は時間をとってくださって、ありがとうございます」

「いえ……こちらこそ」


 会話が途切れる。

 自分で言い出したことなのに、まだ気持ちの整理がついてないことにアリサは我ながら情けなくなる。


 何か話さなければ……でも一体何を? そう焦ったアリサはルカを見る。

 けれどルカは泰然と落ち着き払った様子で、ニコニコと笑ってこちらを眺めているだけであった。


 こんな時、普通なら気を遣って話題を探すか、アリサが話をしないことに仏頂面になるかだろう。

 現にミランはアリサが気を遣わないと、すぐに機嫌が悪くなった。


 けれどルカは無理に会話を紡ごうとはせず、にこやかに佇んでいるだけである。

 そうかといってアリサを無視しているわけではなく、こちらの存在は気にかけているものの、踏み込んでこない優しさがあり、アリサは戸惑ってしまう。


「……あの、すみません。私、上手く話せなくて」


 アリサが思わず漏らすと、ルカはゆっくりと首を振った。


「私もあまり話すのが得意ではなく申し訳ありません。でも無理に話さずとも、アリサさんとこうして庭を眺めていられるだけでもいいものです」


 ニコリと微笑んだルカの声音は、押しつけがましさとは無縁だった。

 ただ、相手を気遣い尊重するための静かな優しさだけがあった。


 アリサの胸の奥で、きゅっと固まっていた何かが少しだけ緩む。


「……そんなふうに言ってもらえるとは思いませんでした」


 作った笑顔ではなく、ぎこちないながらも少しだけ微笑むと、ルカも眉尻を下げる。


「焦る必要はありません。こうして会っていただけただけでも私は嬉しいのですから。アリサさんの心が追い付くまで、ゆっくり知り合っていきましょう」


 ルカはそう言うと静かに庭を眺めた。


 アリサの事情は叔父から聞いたはずだ。

 結婚を決めた相手とご破算になり、都合よく次の相手に乗り換えた相手だというのに、責めもせず、詳細を聞いたりもしない。


 こんな方もいるんだ、というのがアリサの率直な感想だった。


 ルカの距離感がありがたいと思いつつ、アリサは今までいかにミランしか見えていなかったのかと過去の自分を呆れる。

 四阿の外では、まだ少し寒さの残る風が木々たちを揺らし、その音に紛れるようにアリサは小さく息を吐いた。


 ◇◇◇


 花の香と共に春の風が吹き抜け、露店の布がパタパタと揺れる。


 ルカとのお見合いから、また数日が経ったある日、アリサは気分転換も兼ねて街へとやってきていた。

 しかし人の声が飛び交う賑やかな場所なのに、アリサの心はまだどこか沈んでいた。


 気分転換に街へ出たはずなのに、足は今までの習慣からミランに作る食事の材料を買いに来ていた市場へ、自然と向かってしまっていたからだ。


 彼と別れたことを後悔はしていない。

 そう思っているはずなのに、無意識な未練がましさと、未だに残る胸の痛みにより、乾いた笑みが浮かぶ。


 そのせいか後ろ向きな思考になりそうになり、アリサは頭を振って気持ちを切り替えた。


「そうよ、せっかくここまで来たのだから、今日は迷惑をかけた叔父様に夕食を作ってあげましょう」


 ミランと同棲するために貯めていたお金は粗方使い果たしてしまったが、ケチがついたお金など、どうせなら全て使い切ってしまった方がいいのかもしれない。


 そう決めてアリサは食材を買い集め、たくさんの紙袋を抱えた時だった。


「アリサさん?」


 ふいに掛けられた声に振り返ると、見覚えのあるブルーグレーの髪をしたルカが立っていた。


「偶然ですね。買い物ですか?」

「ええ、ルカ様も?」

「はい、仕事のついでに。ここの市場にあるパン屋が好きでして」


 そう言ってルカは手にしていた紙袋を軽く持ち上げる。


「よかったら少しだけでも一緒に歩きませんか? 荷物、持ちますよ」

「いえ、荷物は……」


 断ろうとした瞬間、アリサの手に持っていた袋が破れ、じゃがいもが転がった。


「! あっ……」


 慌てて拾おうとしたアリサより先にルカが素早く手を伸ばす。

 転がったじゃがいもを丁寧に拾うと、近くの露店の店主に小銭を渡して袋を二重にしてくれた。


「こういうの、よくありますよね。市場の紙袋は薄いですから。それにしても結構買いましたね。重そうですので、やっぱり私に持たせてくださいませんか」


 どうしようかと思ったが、親切を無碍に断るのも悪いし、何よりルカの自然な気遣いに心が揺れた。

 それにちょっと自棄気味になって買いすぎてしまい、実は結構重いと思っていたのも事実なので、アリサは甘えることにする。


「……ありがとうございます」


 ルカは笑って荷物を受け取ると、アリサと二人、市場の喧騒の中をゆっくりと歩き出す。

 背の高いルカだが、歩幅はアリサに合わせてくれているようで、そんな気遣いにも心が温かくなる。

 ふと視界の端に露店に下げられた琥珀色の旗が見えて、そういえばミランは買い物に付き合ってくれるのは稀だったな、なんてうっかり余計なことを思い出し、アリサの胸がまたツキリとする。

 その痛みを誤魔化すように口を開いた。


「……あの、叔父に聞いたのですけど、ルカ様は私のことを前からご存じだったというのは本当ですか?」


 アリサの問いかけにルカは少し驚いたように目を瞬かせたが、照れたようにはにかんだ笑顔を見せた。


「ええ。実は……貴女が働いていた商会で何度かお見掛けしておりまして……」

「商会で?」

「はい。私の立ち上げた店と取引があったものですから。商会毎の煩雑な書類の中で、貴女が作った書類は丁寧で見やすく字も綺麗でしたし、多少無理を言っても融通を利かせてくれました。商会でアリサさんを見掛けるたびに、ああ、この人は誠実なんだな、ってずっと思っていたのです」


 ルカの言葉にアリサは思わず立ち止まる。


 アリサが働いていた商会と取引がある店は多岐に渡る。

 取引先の相手をするのは商会長なので、アリサはルカの存在を知らなかったわけだが、自分の仕事を、そんなふうに見てくれた人がいたなんて思いもしなかった。


 冒険者であるミランとエリカにはアリサの仕事を地味だと笑われたことがある。

 けれどアリサは事務員の仕事が好きだったし誇りも持っていた。

 だからこそ、ルカの言葉は胸に染みた。


「……そんなふうに思ってくれていた方がいたなんて知りませんでした。私の仕事なんて地味で取るに足らないものだとばかり思っていたので」

「事務がいなければどんな仕事も回りませんよ。それにアリサさんの誠実さと勤勉さはちゃんと伝わっていました。私だけでなく他店からも評判でしたから」

「……ありがとうございます。なんだか救われた気がします」


 たとえルカの言葉が婚約者に対するおべっかだったとしても、アリサは嬉しかった。

 少し上気した頬を上げ微笑めば、ニコリと返される。

 その笑顔には嘘がないように思えて、アリサの胸がじんわりと温かくなった。


 ルカはそれ以上は何も言わず、ただアリサが歩き出すのを持って隣に並ぶ。

 市場の喧騒が遠く感じる程、二人に間には穏やかな空気が流れていた。


 ルカといると削れてしまった心が修復されるような気持ちがして、アリサはそっと隣を歩く婚約者の横顔を盗み見たのであった。


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