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星見宮の爺様

 雪も解け始め、道がぬかるみ始めた。そろそろ、お狩場の検分に行く頃合いか。今月は御野初があったため、年末年始にかけて念入りに検分をした。

 だが野火があった。野火の後、現場検証で何度か藩の要職者たちが現地を訪れたが、手掛かりになるようなものは何もなかった…と鷹仕から聞いた。未だに野火の原因は不明、そして惣右介にとって一番の謎は「通信凧を揚げたのは誰なのか」という事である。もちろん、実之助があそこに倒れていたことも謎だ。それについては城中にて奉行たちが意識を取り戻した実之助に確認したところ、

「勢子たちを追いかけて皆と一緒に実之助も騎乗して移動していた。そばには筆頭奉行の深山がついていたが、深山に伝令が入り、少しの間、狩りの一団から離れていた。その時、実之助が騎乗していた馬が突然、暴走してあの辺りまで走り抜け、そして実之助は振り落とされた…」

 とのことだった。それは深山が目を離した一瞬の間に起った事だったらしい。

(では、その馬はどこに行ったんだ?)

 と、惣右介は思ったが、その馬は自ら、込谷の(こみやのまき)に戻っていたそうだ。蓮臺を北にずっと行った先、松野森のはずれに込谷の牧は広がっている。普段、馬たちはそこで放牧されているのだ。

 結局、何も解決されていなかったが、実之助は無事だったし、野火もお狩場内だけで済んだ。「無刑」の惣右介には、実之助を助けたことについて藩からの褒美はなかったが、深山からは米が一俵届いた。小滝は、また「てほ語り!」と叫んでいたが、おねずがきたことにより、この一俵のありがたみがでてきたのであろう。その後は何も言わない。

「明日、お狩場検分に行こうと思う」

 夕餉の膳の時に、惣右介は小滝に言った。おねずは一生懸命、二本の箸を指に挟んで奮闘している。見ている此方が疲れてしまいそうだ。おねずは昼間も、小滝に大豆を箸で掴む練習をさせられていた。意外だったのは、小滝に対して歯向かいもせず、大人しく言われるとおりに、おねずは練習していた。

「では、明日はお弁当を用意いたします」

 小滝は言った。そして、惣右介は意を決して、続けた。

「明日は、おねずをお狩場に連れて行ってみようと思う」

 おねずは自分のことが話題に出たので、びっくりしたのか箸を取り落とした。惣右介がおねずを呼ぶときに「殿」が消えていた。

 小滝は少し考えてから、

「承知いたしました。では、明日は若様とおねずの分と二人分、お弁当を用意しましょう。おねず、明日はお前も弁当を作る手伝いをするのだぞ、良いな」

 おねずは意味が分かっているのかわからないのか、目を丸くして、こくんと頷いた。

「そういう時は、はい、と申すのじゃ。言ってみなされ」

「あい」

「まだ、難しいかのう」

 と言いながら、小滝はにこにことしている。惣右介は不思議な気分だった。おねずは惣右介の魂を奪いに来ている。だが、それを知らない小滝は、おねずを気に入っているようなのだ。小滝にそれを言う必要もないし、よしんばその時が来ても、それは小滝がいなくなり惣右介とおねずだけになった時の話だ。だから、小滝の気持ちが和んでいるのなら、それで良いのだが、おねずはどう思っているのだろうか。

「おべんとう、とはなんだ?」

 小滝が席を立った時に、おねずが惣右介に聞いた。

「外で食べる飯のことだ」

「なんで、ちょとでたべるんだ?」

「なんで…かあ。家から離れて、遠くにいくから、昼飯を食べに帰って来れないからだ」

「ふうん」

 おねずは口を尖らせて言った。

「あっちもいくのか」

「そうだ、お前と初めて会ったお狩場に行く」

 すると、おねずの表情が曇った。

「たか、いる?」

「たか?…ああ、鷹か。鷹は居ないと思うぞ。狩りは終わったし、もっと山の方に行っていると思う」

 そうだ、鷹仕は今頃、もっと北の山の方に荒星を連れて籠ってしまっていることだろう。惣右介は少し残念だった。

「鷹は嫌か?」

「たかはこわい。どこまでも、あっちをおいかけてくる。あいつら、あっちをたべるちゅもりなんだ」

 おねずは必死の形相で言った。

 おねずが行くところに鷹は現れる。現に、ねずみ浄土の坂をあがって、この世界に出たところで鷹は待ち構えていた。あの時は團兵衛がいたから無事だったが、いなかったらどうなっていたことか。そう思うと心底ぞっとする。

「食べる?」

 惣右介は鷹仕との会話を思い出した。

「荒星に褒美として、その懐のねずみをやってくれ」と鷹仕に言われた。

 あの時、おねずは気を失っていたはずだが、ねずみにとって、鷹というのはいつも怖いものなのだろう。

「大丈夫だ。鷹はいない。安心しろ。それに」

 と、惣右介は言った。

「今のお前の様子は、人の子だ。どうみても、ねずみじゃない」

 そう言われても、おねずにとって鷹が怖いことには変わらなかった。


 翌日の夜明け前に惣右介とおねずは出発した。今朝はおねずも冬の外歩き用の身支度である。小さい藁沓に小さい綿入れ、襟巻、そして亡くなった惣右介の母・志津の着物を小滝が仕立て直したものを着ている。小滝がこまこまと用意してくれたものばかりだ。

 大柄な惣右介と幼女のおねずでは歩幅が違いすぎる。惣右介が負ぶっていくと言っても、おねずは頑固に首を縦に振らず、鼻の穴を膨らませ、口を尖らせて、生真面目に歩いている。残雪や泥道に足をとられない様に緊張して歩いているのが、まるで昔、蓮臺藩の江戸屋敷で見たからくり人形のようである。その様子があまりにも可笑しくて、惣右介はつい笑いそうになるが、おねず本人はいたって大真面目なので、本人の前で笑うわけにはいかない。笑いをこらえながら、おねずが降参するまで待って、自分はぶらぶらとゆっくりと歩くことにした。いつもはひとりの為、急ぎもせず、のんびりともせず…と思っていたのだが、こうしておねずと歩いてみると、今まで自分はかなり早い速度で歩いていたのだ…とわかる。今日はいったいどこまでいけることやら…まあ、行けるところまで行って、後は帰ってくればよい。その時はおねずを負ぶってさっさと帰って来よう…なんて惣右介は考えていた。

 いつもの通り、八幡様を抜けて国見にあがったころ、夜が明けてきた。常には青嵐神社のあたりで夜明けを迎えるのだが、今日はやはりゆっくりだ。

 だが、国見の丘の上から見る朝日の中の城下町は美しい景色だった。

 おねずが何も言わず、切通になった丘の上から、刻々と変わる城下町の様子をじっと見ていたので、図らずも惣右介も一緒にしばらく立ち止まって、その景色をみた。

 ゆっくりと朝日が昇り、その明るさが増す毎に、徐々に蓮臺の町に鴇色の日の光は広がる。そして、それとともに少しずつ暖かくなっていく。

 お日様の力を身に染みて感じる時間だ。

「お天道様ってのは、ありがたいもんだな」

「おてんとちゃま?」

 ずっと黙って朝日が昇るのを見ていたおねずが、惣右介に聞いた。

「あれが、おてんとちゃま?」

「そうだ、お天道様だ。俺たちみんなを守ってくださる。お天道様はみんなに平等だ」

「…ねじゅみにも?」

「ああ、ねずみにも、だ」

 惣右介は請け負った。

 この世の中にいる限り、全てのものはお天道様の前では平等だ。それぐらい素晴らしいことがあるだろうか。口では何とでもいえるが、実際に「平等」という事はとても難しい。

 そう考えるだけでも、惣右介はお天道様のありがたさが殊更感じられる。

「お天道様を見たのは初めてか?」

「はぢめてだ」

 おねずは言った。おねずは飽きもせず、じっと朝日が昇ってくるのを観ていた。朝日が昇るのとともに、おねずの顔にも鴇色の影がさす。世界が一面、鴇色に染まる時間だ。夕暮とはまた違う、生まれたての朝の色。

「美しいものだな」

 思わず、惣右介は言った。

「うちゅくちい?」

 おねずは、こちらを向いて繰り返した。

「ああ、美しく、凄い光景だ」

「ちゅごい?」

「そうだ。さすがの俺でもそう思う」

(さすがの俺)は、多分に惣右介の自虐的な物言いではあるが、嘘偽りの無い心情でもある。

「ちょれはいいこと?」

「ああ、いいことだ」

「ぢゃあ、あっちはきょう いいことがあった」

「そういうことかもな」

 おねずは微笑みこそしなかったが、満足げな顔をしていた。

「いいことがあると、嬉しいか」

 興が乗って、惣右介はおねずに聞いた。

「…わかんない」

「わからないのか?」

「ちゃかみちで あった おんなのひとが、あっちに たくちゃん いいことが ありまちゅように!って いった」

「ふむ」

「だから、たくちゃん、いいことがある」

「そうか、そりゃ、よかったな」

 今ひとつ要領を得ないが、(まあ、ねずみ殿だからな)と惣右介は勝手に納得した。

「そろそろ、行くぞ。良いか?」

「ん」

 と、おねずは頷いた。小滝には「あい(はい)」と返すが、惣右介にはいまだに「ん」だ。

 また、おねずの歩みを計りながら、木太山を周りこむ。ようやく木太山を抜ける頃、おねずの歩みも休み休みになってきた。この距離は幼女の足には過酷である。

「おねず、相談がある。俺はもう少し早く向こうに着きたい。このままだとお昼過ぎだ。俺におぶって行ってはくれまいか」

「いやだ」

 おねずはきっぱりと言った。

(ああ、やっぱり)

 惣右介は心の中で苦笑いしながら、

「お前を背中に乗せて、俺は歩きたい。その方が早い。お前も疲れないし、たくさんのものを見ることが出来る…そして、俺の背中なら鷹も来ないぞ」

 おねずはじっと考えていた。惣右介を凝視しながら、何かを推し量っているのか…

 しばし考えたのち、少し表情が緩んで

「わかった。きょうは いいことが あったから、そうちても いい」

 と言った。さすがにおねずも疲れてきたのだろう。

「そら、おぶれ」

 惣右介はおねずの前でしゃがみこみ、背中を差し出した。

 おねずはどうしたら良いのかわからず、じっとしていた。

「ああ、そうだな。お前は初めてだよな」

 惣右介は笑いながら、改めておねずがねずみであることを思った。

「俺の肩に手を置け」

  おねずは恐る恐る惣右介に近づき、両方の手を惣右介の肩に置いた。惣右介はすかさず、おねずをお尻から持ち上げておぶり、そのまま勢いをつけて立ち上がった。

「うわあ!」とおねずが声を上げる。

 一気におねずの視線は高くなり、遠くまで見通せるようになった。

「どうだ、眺めがいいだろう」

 惣右介は少し得意げに言った。

「うん。いい」

 おねずの声に、少し嬉しそうな響きがあった。

(やっぱり子どもだ。お田鶴もおんぶしてやると喜んだもんな)

 おねずを負ぶって重くなったものの、気分が良くなったせいか惣右介の足取りは軽かった。

 木汰山を後にして、青嵐神社を過ぎ、洞巻(ほらまき)に抜ける。道中、おねずが次々に「あれは何だ」と問う。惣右介はそれに答えながら歩く。だが、おねずの質問はあまりに惣右介にとって当然のことばかりで、改めて質問されると惣右介もどう説明して良いのかわからないものが多い。

 どうして、朝と昼と夜はお日様がかわるのか、空に浮かんでいるのは何だ?

 まるで、目についたものすべてを質問しているようだ。

(ああ、おれは知らないことばかりだ。今は()()()()…じゃなくて、昔から()()()()だったんだなぁ)

 おねずをおぶって惣右介は洞巻から北蓮台に向かって歩く。

 遠くに人影が見えた。老人のようだった。

 正面から、星見屋の爺様がゆっくりと杖をつきながらやってきた。惣右介はめんどくさいのが来た…と思う。星見屋は昔、洞巻と北蓮臺の間にあったが、今はもうない。

 星見屋と呼ばれるのは、その爺様が以前は人の生まれた日の星の並びで、人の運命を読むことを生業としていたからだ。星見屋があった頃はたくさんの人が訪れ、子供が生まれた家は勿論、遠くから国境を越えて評判を聞いた者たちが訪れていたそうだ。その中にはお忍びでやんごとない方々もいらしていたと聞く。だが、あの事件以来、星見屋は星を見ることを禁じられてしまい、星見屋の屋敷も火事で燃えてしまったと聞いている。だから、今はただの物乞い同然の爺様だ。

 そして、惣右介はこの星見屋が苦手だ。

 幼い頃から苦手だったが、あの事件の引き金になったらしい…と風の噂で聞いてから、ますます苦手になった。

 星見屋の爺様が「笹葉の惣領が藩の為に名を残す」と言ったとか言わなかったとか…から始まって、すわ「惣右介が三代目として跡を取る」と一部の者どもが騒ぎ出したらしい。本当に迷惑だった。確かに惣右介が幼い頃から、「藩の為に名を残す」と、会うたびに星見屋の爺様は惣右介に言った。父や母は笑いながら、その度に心づけを渡していたが、最後は笑い事では済まなくなってしまった。そのせいで笹葉の家は崩壊したのだ。

 顔を合わさない様に、いつもなら、もっと早い時間に足早に過ぎてしまうのだが、今日は油断してしまった。

 惣右介は視線を合わせないようにして歩く。

 だが、星見屋の爺様はまっすぐに惣右介に向かってきた。

「今日は珍しいものをおぶっているな」

 星見屋はおねずに視線を合わせながら言った。

 惣右介が口を開こうとした時、

「あっちはおねじゅだ」

 おねずが肩越しに言った。

(あ、こら、勝手なことを言うな)

 惣右介は内心、焦った。

「ほうぉ。おねずというのか。誰に名をつけられた?」

「そうちゅけだ」

(おねずめ、呼び捨てか)

 惣右介は今度は心の中で苦笑する。

「惣右介が名付けたか。そりゃ、いい」

 星見屋の爺様はからからと笑った。

(何がいいんだか…適当な事を言いやがる)

 惣右介は口を出さずに黙っている。

「ちょれは、いいこと?」

 おねずが、すかさず聞いた。

「そうだ、それは良い事だ。おまえは幸せだな」

「ちあわちぇ?」

「おお、そうだ幸せだ。こやつは、今はこんなだが名を残す奴だ。名付け親としては良い格を持っている」

「爺様、勘弁してくれ、その話は」

 惣右介は初めて口を開いた。本当に勘弁してほしかった。

「ちょうか。きょうはいいことが たくちゃんだ」

 おねずは頓着せずに言う。

「良いか、ねずみ。言って聞かせるが」

(え、いま、この爺様、ねずみと言わなかったか?)

 惣右介は焦った。星見屋の爺様には、おねずがねずみに見えているのか?

「おまえはせっかく生まれたからには、まことのものを見つけるのじゃぞ」

「まことのもの?」

「そうだ」

「ちょれは、いいもの?」

 星見屋の爺様は、おねずの顔をまじまじと見てから、

「そうだのう…時と場合によるな。またおまえにとって良きものとは限らん」

「…わかんない」おねずは不愛想に言った。

「ほーほっほ、そうかわからないか、それでも良いな」

 惣右介はそこから早く立ち去りたい一心で

「先を急ぐので、これで」と言い、そこそこに頭を下げると足早に歩きだした。

「こりゃ、惣右介。逃げるでない…いや、儂からではない。お前の運命(さだめ)からじゃ。

 逃げるから、追いかけてくるのだ」

 惣右介の後ろ姿に向かって、星見屋の爺様が叫んでいるのが聞こえた。おねずが後ろを振り返って、惣右介の背中から星見屋の爺様に手を振った。

「おまえ、何をしている?」

「ちょでを ふった」

「袖を振った?変なことをするな」

「あれはかみちゃまだ」

「神様?あれは物乞いの爺様だぞ」

「あっちも、ひとがた だけど ねじゅみだ。かみちゃまも、ちょうだ。そうちゅけだって、ちょうだ。みんな、そととほんとは ちがう」

「おまえ、小さいのに難しいこと言うな」

 惣右介は感心した。

「じゃあ、星見屋の爺様は、おまえがねずみだってわかったということか?」

「わかんない」

 難しいことを言う…と感心したそばから、これだ。なかなかおねずとの会話には苦労する。

(いや、苦労しているのは俺だけか?小滝はそうでもなさそうだ)

 小滝とおねずはそれほど、言葉を交わしているようには見えないが、何だか仲良くやっている。これは惣右介には意外だった。もっと、小滝にお小言を言われるかと思っていたからだ。

 小滝は今朝も早くから、おねずに握り飯を作ってやっていた。

「そら、握り飯はこうやって握るものだ」

 と、小滝はやってみせる。おねずはじっとそれをそばで見ていた。

「おねずもやってみるか」

「あい」

「よしよし」

 小滝は近頃では見せることが少なくなっていた満面の笑みを見せて、おねずに握り飯を握らせた。おねずの手は小滝に輪をかけて小さい。おねずの握った握り飯は、(うずら)の卵かと思うほどの小さなものだった。

「これはおまえが自分で食べる分じゃ、良いな」

「あい」

 おねずは殊勝な返事をする。こうして、小滝とおねずは今日の弁当を用意したのだった。

 北蓮臺から臺原、そしてやっと鶴賀谷までやってきた。

「この丘の上にあがったら、弁当を食おう」

「くおう」

 おねずが惣右介の背中で言った。さすがに惣右介も、幼女とは言え、おねずを背負って木汰山の端から歩いてきて疲れた。最初のだらだら歩きが思いのほか響いている。

 やっとの思いで丘の上のいつもの見晴らしの場所に辿り着き、腰を下ろす。

 弁当の包みを開き、おねずの竹筒に水を分ける。おねずはそれもじっと見ていた。惣右介が水を飲み、握り飯をかじると、おねずは真似をして水を飲み、握り飯をかじった。

「うまいか」

 惣右介は聞いてみた。

「うまい」

 おねずは言った。おねずの表情は嬉しそうだ。

「そうか、良かったな」

「うん。これもいいこと、だ」

 おねずはままごとのような握り飯を頬張っていた。惣右介も自分の握り飯を続けて食べた。

 前にここで蓮臺の街を眺めたのは去年の暮れも押し迫った時だ。あの時はまさか火事で実之助を助けることになったり、ねずみに魂を狙われたりするようになるとは夢にも思っていなかった。

(今年は新年から、おかしなことばかりだ)

 始まってひと月にもならないのに、常とは違う事ばかり続く。

(まあ、お城に呼ばれたことから、おかしいことだが)

 あれは何だったのだろうか…と惣右介は思い返す。一体、誰の意図で、惣右介は呼ばれたのか。実之助が望んだのか。いや、あの様子では実之助が望んだのではないだろう。では、深山か。帰りの土産の多さを考えると、深山かもしれぬ。

 そして、通信凧を揚げたのは誰なのか。実之助があそこに倒れているのは、暴走馬のせいだとして、ではその実之助を助けよというねずみ達の集団は何だ?…

「なあ、おねずよ」

「なんだ」

「おまえはあの火事の日、あのたくさんのねずみ達の中にいたのか」

 おねずは、しばらく黙って惣右介を見てから

「あっちはいない」

 と言った。

「あっちは、まだ ただの だいこくねじゅみ だったから」

「ただの大黒ねずみだったから?」

「ちょうだ。まだ、ちぢょうにはでられなかった、ほんとは」

「ほんとは?」

「まだ、ちぇんたくのねんれいぢゃ なかった」

「せんたくのねんれい?ってなんだ」

「だいこくねずみの きまり」

「そうか、そんな決まりがあるのか」

「ちょうだ」

 おねずは心もち鼻を膨らませて言った。

 ところで。

「おねずは、魂の奪い方を知っているのか?」

 おねすはびっくりして目を見開いた。ついでに口も開いた。

(あ、これは知らなかったのかもしれん)

 惣右介は可笑しくなった。だが、ここで笑ってはならない。何せ、おねずは大真面目なのだ。大真面目な相手を茶化すのは下である。そんな風に思って、惣右介が笑いを堪えていると、おねずはふいっと横を向いて

「おちえない」

 ときっぱりと言った。

(なるほど、そんな風に来たか)

 更に可笑しくなり、惣右介は笑いだしそうになった。おねずが来るまでは、惣右介の生活の中で、こんな風に可笑しく思えることは無かった。大きな声で笑ってしまいたくなったが、それは駄目だ。伸びをして笑いを消そうと思って、惣右介は立ち上がった。とその時、近くの叢がぱしぱしと枯れた音を立てた。

 惣右介は音がした方を振り向く。おねずはさっと立ち上がって、惣右介の陰に隠れた。

「そうすけどーん!」

 五作たちだった。わらわらと子供たちが現れる。

「これ、かあちゃんが、そうすけどんにって」

 立派な大根だった。

「おお、五作、ありがたい。こんなに立派な大根を貰ってよいのか」

「うん、この間、芹堀りを手伝ってくれたお礼だって」

「おっかさんに、お礼を言うのはこっちだ。いつもありがたい。礼を言っといてくれ」

「おっかさんが、大の大人の男が手伝ってくれるのは、本当にありがたいって言ってたよ、俺も早くそうすけどんみたいに大きくならねえと」

 五作の真面目な顔を見て、そうすけは感心する。

「五作は今でも、十分立派なもんだ。俺に比べたら、お前は偉いぞ」

 五作はえへへへ…と照れ臭そうに笑った。

「そうすけどん、このこ、だれ?」

 五作の妹・みのとさちが、惣右介の後ろにいるおねずを指さした。

 五作、太郎、寅吉、次郎はその時初めて、おねずに気づいたようで、びっくりしている。

「わあ、なんだ、このこ?」

「はじめてみるぞ」

「そうすけどん、お城の子か?」

 特に年かさの五作はおねずをまじまじ見ていた。このあたりでは見かけることが無い様子をしているからだ。

「ああ、俺の遠い親類の子で、おねずだ」

 惣右介に特に懐いているさちは、おねずに対抗するように惣右介の腕につかまり、

「そうすけどん、あたしたちと遊ぼうよ」

 と、おねずを見ながら言う。みのは、そんなさちを窘めるように

「さち、駄目だよ。このこはそうすけどんの親類の子だって」

「ふうん。そうすけどん、そのこ、いつ帰るの」

 また、おねずが目を大きく見開いた。

(帰る…か。俺の魂を奪ったら、帰ることが出来るらしいんだが…)

 惣右介は、黙って惣右介や子供たちを見ているおねずの心中を慮った。

(可哀そうな話になってしまったな…)

 惣右介の思いとは裏腹に、おねずがキっとした表情で

「あっちは、まだかえらない」

「あ、あかんぼだ!」

 自分より小さいと思ったさちが、嬉しそうに言う。

「あかんぼぢゃない!」

 おねずはムキになっていた。慌てた五作がこの場を収めるかのように

「みの、さち、帰るぞ。かあちゃんからの大根は、そうすけどんに渡した!。早く帰って、また、草鞋づくりだ」

 はーいと子供たちは口々に言って、

「じゃあねえ、そうすけどん!」

「またねえ、そうすけどん!」

「次はいか凧あげようねえ」

 と、騒ぎながら草むらの中に去って行った。

 そして、子供たちは帰り道、丘を下りながら歌い始めた。

 〽そうすけどんどん、

 あんどんどん

 いかたこあげるぞ

 そら どんどん!

 と、繰り返し歌いながら去っていく。

 その歌声は子供たちの気配が遠くなるにつれて、小さくなっていった。

「なんだ、ちょっと失礼な歌だな」

 と惣右介は苦笑いをした。

「ちょうちゅけどん」

 おねずが初めて惣右介のことを呼んだ。

(お、呼び捨てじゃなくなった)惣右介は嬉しくなった。

「おお、なんだ、おねず」

「あっちはちんるいのこ、か」

「違うが…まあ、ねずみだとは言えん。そういうことにしておこう?」

「あっちは ちょうちゅけどんのたまちいをうばったら かえる。ちょれまでは、いる」

「ああ、そうだな。そうしたらいい。おねずの気が済むまで居たらよい」

 微かに、おねずが笑ったような気がした。

 惣右介は大きく伸びをして、

「思ったよりも、時間が経ってしまった。今日はこのまま、帰ろう。小滝に大根を煮てもらおうな。すこぶるうまいぞ」

 そして、

「…帰りもおんぶするか?」

「ちゅる」

 素直におねずは返事をした。そして、惣右介に負ぶわれた。

「大根を落とすなよ、おねず」

 惣右介は背中におねずの重さと暖かさを感じながら、

(いつか、おねずに魂を奪われるときが来るとして…それまでは、まだいいさ)

 と思った。だが、何を「まだいい」と思ったのかは、当の惣右介ですらわからなかった。


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