お伽様
日陰の部屋の中は、お伽様と娘ねずみだけになった。
「まあ、こちらにおいで」
お伽様に手招きされて、娘ねずみは部屋の真ん中まで進んだ。
「眩しくて、かなわん」
積んであった白菜の中から、色の濃い葉を一枚、ぺろりと剥がし、それを仮面のように目に当てている。その様子が見たことも無い様だったので、娘ねずみは可笑しくなり、気持ちが軽くなった。
「さて。お前、いったい、何を腹の中に持っている?」
お伽様は聞いた。先ほどまでとは打って変わって、真面目な口調だった。
「なにももってないです」
娘ねずみも自然と口調が改まった。可笑しかったのもつかの間、気を引き締めた。
「じゃあ、この腹の中の光るものはなんだい?」
お伽様は娘ねずみのお腹を遠慮なく突いた。腹の中の光るもの?全く、心あたりが無い。それどころか、お腹は光ってなどいない。お伽様は何を言っているんだろう?
「何か変なものを食べたかい?」
「へんなものはたべてません」
そして、思い出した。
「あ、あの。さかのでぐちになってたみをたべました、のどがかわいたから」
「なんだって⁉️坂の出口…ってまさか、ねずみ浄土からの坂道かい?」
お伽様が葉を投げ捨てて、目を剥いた。
今まで目をつぶっているとばかり思っていたので、娘ねずみはこれにもびっくりした。
「うん」
お伽様の剣幕に、口調も崩れてしまった。
「おまえ、そりゃ、バントウの実だよ!食べた?全くなんて事だ…こりゃ」
お伽様は娘ねずみを前に大きなため息をついた。
「まさか、種も飲み込んだのかい?」
「うん」
「こりゃ、やっかいだ!」
お伽様は後ろに積んである大根や白菜の山の方に向き合い、ひとりでぶつぶつと何か言い始めた。背中を丸くして、手を合わせているようだ。
(でも、あのかげのうすい にょにんがたべていいって、いったもん!)
口には出さないが、娘ねずみは心の中で主張していた。
(それにしても)
娘ねずみは思う。
(だんべえさんとあのかげのうすいにょにんはおなじことをいった)
(じゃ、あのかげのうすいにょにんもオウライモノだったのかな)
突然現れて、突然消えて、ねずみの言葉もわかるなんて。きっとそうなんだ。
お伽様が背中を向けている間、娘ねずみはいろいろと今までのことを思い出していた。
(でも、きのみ、おいしかった。バントウのみっていうんだ。また、たべたいなぁ)
娘ねずみがバントウの実の甘さを思い出してうっとりとしていると、くるりとお伽様がこちらを向いて座りなおした。
「よし、こねずみよ。ワシはお前と取引しよう」
「とりひき?」
「そうじゃ、取引じゃ。お前の望みを叶えよう。良いか?その代わり、お前の腹の中にあるバントウの種を頂くぞ。そりゃ、望みを言え」
「のぞみ?」
「そうだ、お前はどうしたい?」
「…ねずみぢょうどにかえりたい。もう、かえれないけど」
悲しい気持ちで娘ねずみは言った。バントウの実の種は惜しくないが、自分の願いは叶うはずもない。また、涙が出てきそうになる。
「いや、帰る方法はある。簡単では無いがな」
お伽様は重々しく言った。
「お伽様、バントウのみのたねならさしあげます。でも、あたしには、つよいにんげんのきが まとわりついていて、それがほかのねずみをころしてしまうって。それにおきてをやぶっているし、ひとにしゅまでかけられています」
「ああ、そうだな。その通りだ。本当に面倒なことだよ」
お伽様は娘ねずみの鼻先を指さした。
「だがな、なんでもモノにはいつだって、いくつか、やりようがある。簡単に諦めてはいけないぞ」
「あたし、かえれるのですか?」
「そうさなあ」
お伽様は左上の宙を見た。
「まずはその”気”が問題じゃ。その”気”の元となる、人の魂を奪うのだ」
「え?たましいをうばう?」
「そうだ。そやつから魂を奪えば、そやつは死ぬ。そやつが死ねば、気の元が無くなるのだから、お前にまとわりついている気は消える。呪をかけた者が消えるのだから、お前の呪も当然解ける」
娘ねずみはお伽様の言葉に気持ちが明るくなった。
「それが一番確実じゃな」
「あの、ひとのおとこからたましいをうばえば?かえれる?」
「ああ」
「どうやって?」
「それはお前が考えなければならん」
娘ねずみは、ちょっと考えた。お伽様はいくつかやりようがある…と言ったっけ。
「…ほかにもある?」
娘ねずみは念のため聞いてみた。
「そうじゃなぁ」お伽様はまた。左上の宙を見ていった。
「穢れの無い美しい魂を人から奪い取り、大黒様のところに持って行き、我が身に移し替えてもらう。新しい魂と交換して、ねずみ浄土に帰るのじゃ」
「…お伽様、たましいってなんですか?」
そこからか…そもそもの質問だ。お伽様はため息をついた。
「魂とはなぁ…お前がいま、ここにいるということを感じている大元じゃ」
「ふうん」
「まだ、わかっておらんな。お前がお前である証じゃ」
わかったような、わからないような…
(坂の途中で会ったあの女人は、どうなのかな?)とチラリと娘ねずみは思った。
それに。
「きれいなたましいといれかえてもらったら、いまのたましいはどうなるの?」
「大黒様に差し上げるのだ」
「ひとのきがついて,きたなくてもいいの?」
「ねずみにとって汚いものでも、大黒様には関係ないのじゃ」
汚くてもいいなんて。恐れ多いことだ。
「ま、お願い事を叶えていただくのに、普通は自分の魂を差し出すところじゃが、ま、今回は特別じゃて。人の魂を差し出すか、諸悪の根源を元から断つか…ということじゃな。
もちろん、おまえの魂をそのまま指しだすという方法もある。だが、それではねずみ浄土には帰れまい。さて、どれが良いかのう?」
お伽様の口調は、まるで活きのいい魚を選んでいるかのような口調だ。
「…わかんない」
娘ねずみにとっては、どれも難しいことに思えた。
「まあ,一番確実なのは、お前に呪をかけた者の魂を奪うことじゃな。さすれば、呪は解けよう」
「だったら、それにする」
「そうかい?なかなか難儀かもしれないよ」
「やる!やるといったら、やる!」
娘ねずみは気合を入れて答えた。
(そうだ、あたしはやるんだ!)
先まで悲しい気持ちでいっぱいだったが、やる気を奮い起こした。
その時、白菜と大根の山の奥で何かが一瞬光った。
「そうかい。他ならぬ黒脛巾の頼みでもあるし、貴重なバントウの実の為じゃ、ワシも頑張ってみようかのう」
おとさまの頼み?娘ねずみはあたたかい気持ちになった。
「さて、この望みを成就させるには、お前をまず人と同じ舞台に立たせねばならぬな。
…ふむ、大仕事よの」
(え、どういうこと?)
「黒脛巾め、思っていたより、やっかいなことを言って来よった。仕方が無い、器を調達させる事としよう。ちょっと待っておれ」
そういうと、お伽様は向かって右側の瓢を手に取り、栓の口をあけ、
「團兵衛や、ちょいと願いを聞いておくれでないかい?」
といって、また栓をした。
と、その途端外でガタガタとやかましい音がして、次にばらりと障子戸が開き
「なんでぇ、お伽婆様?」
と、團兵衛がその長い手足をあちこちに引っ掛けながら立っていた。
(え、どういうこと?)
娘ねずみが今度は目を丸くする番だった。
「ちょっとばかり、活きの良い仏さんを調達しておくれでないかい?まあ、見映えについちゃ、良いに越したことは無いけど贅沢は言わないよ。出来るだけ、傷のない活きがいい奴を。そのまんま使うからね」
「女ですか、男ですか?歳の頃は?」
「あ、そうそう、女の、だ。歳の頃は…」
お伽様は娘ねずみを吟味して、
「まあ、若いに越したことは無い。もちろん,自分で歩けて飲み食いできるぐらいだよ」
「へえ,承知しやした。が、相変わらず,難しいご注文で」
「だから、あんたにしか頼めないんだよ、よろしく頼むよ」
「かしこまり!」
と叫んで、團兵衛は長い手足で宙を掻くように出て行った。
「さあて、次はお前だ」
お伽様は娘ねずみに向き合った。
「お前をこれから、人の形に移す」
「ひとになるの?」
「そうだが、そうではない」
娘ねずみは、理解が出来ない。
「團兵衛が調達してくる器次第だな。あやつはいつも良い仕事をする。今回も外しはしないと思うが、こればかりは憶測も出来ん。良い器が来ることを信じよう」
お伽様の言っていることをわかろうとして、でも、わからない娘ねずみは頭の中がひっくり返ったようだ。そんな娘ねずみを無視して、お伽様はまた立ち上がり、後ろに山のように供えられていた大根や白菜の間から箱をまさぐりだした。
それは小さな黒い箱で、お伽様はその箱の蓋を開けた。
「うん、まだあった、まだあった!」
お伽様は一本の藁を掴んでいた。
「何せ久しぶりの秘儀じゃからなぁ」
「ヒギ?」
「ああ、そりゃあ、滅多にはやらない。此度は黒脛巾からの頼みと、お前さんの中にあるバントウの種の為じゃ、やらぬ訳にはいかない。ワシにとっても千載一遇の機会だからの」
娘ねずみは黙って、お伽様の手の藁を見ていた。
「ん?これは管じゃ。管は九蛇に通じ、魂を還流させるのさ」
お伽様の言っていることは、さっぱりわからない。娘ねずみは不安になった。
お父様はお伽様を尋ねよと言ったけど、このおばば様の言うことはわからないことばかりだ。それほど労せずして、お伽様の所にはたどり着いた。影の薄い女人が言っていた通りだ。もっと時間がかかるかと思っていたし、探し出せるんだろうか…と心細くも思っていた。これが別れ際に父の長ねずみが言っていた「大黒様」のご加護なんだろうか。
それだったら、自分はたくさん感謝して、大黒様が喜ぶ魂を差し上げたい。
(たましいっておいしいのかな…バントウの み、よりもかな)
娘ねずみは考える。何せ娘ねずみの世界は狭いので、「魂を差し上げる」ということは、「召し上がる」と同義語だと勝手に思ってしまっている。
「おまえ、ロクでもないことを考えるでないぞ。大黒様は魂など召し上がらん」
突然、心の中で考えていたことを見透かされて、娘ねずみは縮みあがった。
その後は一生懸命、何も考えないようにしていた。
お伽様は何やら、娘ねずみの頭から足の先の長さやしっぽの長さ、お腹周りの寸法を測っている。この間、娘ねずみは大人しく、じっとして、されるがままになっていた。
一刻ほどして、長屋の外をガタガタと歩いてくる音がした。
あまりに賑やかなので、娘ねずみの気持ちはそちらに引き寄せられる。
「あれは長屋のドブに渡した板を渡ってくる音だ。團兵衛が来たのさ。あの足音なら、それなりの土産があったという事だ。喜べ、こねずみ」
また、お伽様は娘ねずみがモノ言う前に言った。
果たして、足音はお伽様の住まいの前で止まり、障子戸が開いた。
「そら、おばばさま、ご所望のイキの良いのがありましたぜ」
暗い部屋の中に居続けたせいか、日陰の長屋とは言え、外の光は眩しく、思わず目を瞑った。團兵衛は両手に大きな簀巻きを抱えて中に入り、それをそっと静かに土間に置こうとした。
「ああ、團兵衛、下に置かず、上に置いてくれ。そっと、静かにな」
暗い部屋の白菜と大根の山の前に座ったお伽様が注意する。娘ねずみはお伽様の前にある長火鉢のちょうど猫坂のところから、その様子を見ていた。團兵衛は言われた通り、その簀巻きを畳の中央に置いた。そして、筵を包んでいる縄の結び目を解きながら、
「禿の上物ですぜ。ちょうど死にたてホヤホヤだ。一流の店の奥で大切にされてたから、折檻も受けてねぇ。綺麗なもんだ」
筵の中から出てきたのは、ふかふかの真綿の布団だった。
「さすが、羽振りのいい店は贅沢だねえ。こんなものまで、一緒につけてくれたのかい」
「そりゃあ、傷つけちゃいけませんからね」
きれいな縮緬のひもを解いて布団を開くと、少女がいた。まるでまだ眠っているかのようだった。年のころは五~六歳、黒髪は艶々と色濃く、ふっつりと切った前髪に白い額を覗かせて、ひときわ白と黒を引き立たせる。肌は透けるように白く、これで頬や唇に赤みが差していたら、さぞ、美しく、愛らしいことだろうと思わせた。
「ほうお。確かに別嬪で良く手入れされている」
お伽様は感嘆の声を上げた。
「そうでござんしょう?良いとこのコだから、糠で毎日磨かれて、鶯の糞で洗われてる。
ピカピカのしっとりでさあ」
(なんなら、アタシが手元に置いておきてぇくらいだ)
團兵衛は心の内で思った。お伽様に読まれてもそんなことは何ともない。
「そうだねえ、ワシだって欲しいところだが、昔のよしみで仕方が無いのう」
お伽様は心の底から残念そうだった。そして、厳しい目をして
「團兵衛、見えないところに傷なんか無いだろうね」
團兵衛は「うーん」と唸り、
「流行り風邪で死んだ子だ。ちょっと肺の臓がこわれちまってるかもしれねえから、
それだけなんとかしてやってくれとのことだ」
「そうかい。そういうのは何とかなるが、魂に傷がついちまうような、厄介なところに傷は無いだろうねぇ」
「そこんとこは請け負いますぜ。滅多な事じゃ、触らせねぇ上店の子だ。こちらも特別なツテで譲り受けてきたもんですぜ」
「そうかい、そうかい。團兵衛どん、恩に着るよ!何せ、昔のなじみからの頼みとあっては、わしも聞かないわけにはいかん」
(ま、請願成就した暁には、この身体は不要になるだろうから、わしが貰うことにしよう)
お伽様は心の中でこっそりと思った。お伽様が考えていることをわかるものは、ここにはいない。
「お婆様、これで何をなさるんです?」
「そりゃあ…言えないことだよ」
お伽様はニヤリと笑った。老婆にしては美しい歯が、障子越しに差す微かな陽に光った。
「さあ團兵衛、ここから先はお前といえども見せるわけにはいかん。さあ、行った、行った!」
「はあ、それじゃあ、また、ご贔屓に」
團兵衛は来た時と同じように、ガタガタとドブ板の音を立てて帰って行った。さっきよりは軽い音だった。
お伽様と娘ねずみと死んだ少女だけになった。
「良かったな、こねずみ。さすが羽振りの良い店の禿だけに、見てくれもよいものじゃ。お前の運の強さじゃのう。くれぐれも大切に扱えよ」
(大切に扱え?どういうこと?)
娘ねずみはますますわからなくなった。
「ふむ、それでは始めるか」
お伽様はそう言った。
「先にお前にひとつ言っておく。お前の魂をこの禿の身体に移す」
娘ねずみはびっくりした。
「お伽様、あたしのたましいがこのおおきいひとのなかにはいるっていうこと?」
「そうじゃ、それにはいろいろと約束があるが、それは後からとして」
お伽様は一息つき、娘ねずみをしっかりと見て言った。
「よいか、先にひとつだけ言っておく。今、お前のその背中には大黒様の背守りが納められている。身体が変わるという事は、その背守りからの守護も無くなるという事だ」
娘ねずみは再び、びっくりした。せっかく、父ねずみが持たせてくれた唯一のねずみ浄土のよすがを失うなんて。あまりのことにまた気絶してしまった。
「あまりのことに受け止めきれんか。小さいからの、仕方あるまい」
それを見たお伽様は憐れみを含んだ声で優しく言った。
「否と言っても、もう遅いのだがな。お前は大黒様の前で、やる!と宣言してしまった」
お伽様は白菜と大根の山の後ろにある棚を見やる。
「自分の言葉の責任は取らねばならぬ。これはワシにもどうにもしてやれぬのじゃ」
お伽様は気絶した娘ねずみを掌に載せ、
「まあ、気絶したならちょうどよい。眠らせる手間が省けたというものだ」
と、娘ねずみの鼻の孔にあの藁をさしいれた。そして、その藁の反対側の端を禿の少女の鼻の孔に差し入れる。右手に娘ねずみを、左手で少女のおかっぱ頭の上の中に手を突っ込み、てっぺんのあたりをまさぐると、
「よしよし。ここだな」
と言って、そのまま少女の枕元で正座に座りなおした。背を伸ばし、目をつぶり、息を吐いて吸う。何回か、それを繰り返したのち、息が整うとお伽様は言った。
「では、始めるとしよう」
「はあ、それじゃあ、また、ご贔屓に」
團兵衛は後ろ髪を引かれる思いで、長屋の障子戸を閉めた。
薄暗い部屋から出ると、外の光は目がつぶれるかと思うくらい明るく感じた。
(あんな上玉、滅多に出るモンじゃねぇ。ちいと、勿体なかったか…まあ、お婆様には折々に世話になってるからな…仕方ねえか。)
気を散らすために、行きと同じようにドブ板をガタガタと言わせながら、歩き出す。まだ日の高いこの時間なら、この長屋の者は誰も文句を言わない。
(お婆様もこんなに日の高いうちから何をなさろうっていうんだか)
と、思ってはみるものの、
(まあ、お婆様は境目にいる方だ。アタシが何か言えるもんでもねえ)とも思い、その薄暗い長屋から離れ、世間に出ていった。
目が覚めた時、薄暗い中に一面の木の板が見えた。
そして、自分がお腹を上にして寝ていることに娘ねずみは気付いた。いつも見えている自分の鼻先も見えない。何かが変だ。
「こねずみ、気がついたか」
お伽様の声だ。娘ねずみはごろんと横に転がり、腹ばいになって、頭だけを首から持ち上げた。ところが、これが苦しい。いつもなら普通のことなのに、この姿勢がとても辛い。
「おまえ、その姿勢は辛かろう」
お伽様が笑いながら言った。
「人の姿勢では少し無理があるぞ。特にお前の元の身体の持ち主は躾けられているしな」
そういえば、確か自分は、人間になるのだ…と言われ、その代わり父からもらった背守りを失う…とも言われて、あまりの悲しさに気を失ったのだった。
「あっち、ひとになったの?」
娘ねずみは自分の発した声に驚いた。それは今まで慣れ親しんだねずみの声ではなく、別の声だった。その上、口がうまく回らない。ねずみの口と人の口では作りが違うからなのか、思うように言葉を発することが出来ない。「あたし」と言ったつもりが、「あっち」になってしまっている。
「ははあ、声は大丈夫なようだ。肺の腑をやられていたが、喉は無事だったようだな」
お婆様は娘ねずみのあちこちを触りながら調べ、最後に喉を触って満足げに頷いた。
「と言っても、しっかりと話せるようには少し時間がかかりそうだがな。これが、人ではないものを人に入れたときの問題よのう」
お婆様は湯呑を取り、茶を飲んだ。別の湯飲みを指さし、
「ほれ、水じゃ。お前も飲んでみよ」
娘ねずみは恐る恐る自分の人の両手を差し出した。
「この湯呑を持って、この湯呑から飲むのじゃ。下にこぼして、それを飲んではいかん。よいな?」
伸ばした両手は、思っているよりも長い。両掌で挟むように湯呑を挟み、口をそれに近づける。遠くに捧げ持った湯呑に顔を近づけ、何とか水を飲んだ。
(水を飲むにも、こんなに大変なんだ)と暗い気持ちになった。
「ふーむ。不格好、無作法だが、今日は人になったばかりじゃから仕方あるまい」
お婆様は娘ねずみから湯呑を取り上げた。
「さて、こねずみよ、おまえは人の身体に入った。
しばらくはその身体に慣れるための時間が必要じゃ。今のままでは、お前の望みを果たそうにも、指ひとつ、舌先ひとつ思うようには動いてくれんだろうからな」
確かに娘ねずみは自分の身体の大きさすら、自分で実感をまだ持てていない。
「付け焼刃ではあるが、最初は人の身体に慣れることからじゃ」
「あっちは はやく、あの ひとのおとこの たまちいを うばいに いきたいでちゅ」
「まあ待て、まずは落ち着け。ものの試しに、立ってみよ」
「え?」
「今までのように四つん這いで外を歩くわけにはいかん。人のように立ちあがってみよ」
そう言われて、二本足に力を入れようとしたが、すぐへなへなとして座り込んでしまう。
「この長火鉢につかまって、立ってみよ」
娘ねずみは言われた通り、手を長火鉢にかけて二本足で立ち上がり、身体を起こそうとしたが、次の瞬間、ごろんと倒れこんでしまった。
「いちちちち」
娘ねずみはおでこを畳にぶつけた。
「これ、傷をつけるでないぞ!大切に扱え!」
お伽様は本気で怒っている。自分だって、転びたくて転んでいるんじゃないのに…娘ねずみは恨めしく思った。なんて言っても足に力が入らない。確かにお伽様のいう通り、これでは動く事すらままならにない。
「では、まずは立つところから始めるぞ」
「そろそろ良いかのう」
三日目の朝、お伽様が言った。あれから二日というもの、娘ねずみは立ったり座ったり、歩いたり…の繰り返しだった。
「おまえに残されている時間も限られているからな」
「のこちゃれている ぢかん?」
お伽様のおかげで、身体は何とか使えるようにはなったが、口の回りはまだまだだった。とりあえず、見かけは五歳~六歳なので、少し口の遅い娘…と言う感じか。
「良いか、言って聞かせることがある。そこに座れ」
娘ねずみはお伽様の特訓の甲斐あって、正座は出来るようになっていた。
「さて、お前は人になった。これからはお前の望みを叶えるために、ここから旅立たねばならぬ。なので、旅立つ前にもう一度、話しておくぞ」
お伽様は茶を湯呑から一口飲んだ。
「良いか、こねずみよ。此度、お前には人間の気がついてしまった。その気がある限り、お前はねずみ浄土には戻れない。その気を消す為には、気の元のその人間の魂を奪い亡き者にするか、または、他のきれいな魂を手に入れ、大黒様にお願いして魂を入れ替えてもらうか…どちらかを選べとワシは言った。そして、お前は気の元の人間の魂を奪う…ことを選んだ。そうだな?」
お伽様は娘ねずみに確認する。
「うん、ちょうだ」
娘ねずみも力強く頷く。
「よし。元の男の魂を奪えれば、お前は再びねずみ浄土に帰ることができる。ここからが肝心だ。今のままでは、人であって人にあらず。もちろん、ねずみでもない。まあ言うなれば、理の他に生きる妖じゃ。妖とは言っても寿命はある。何もしなければ、人でもなく、ねずみの寿命を生きて、死ぬ。そしてお前自身は宙ぶらりんのまま、一人、いや一匹で空を彷徨うことになる。死んで、ねずみ浄土に帰ることも出来ぬのだ」
娘ねずみはぞっとした。そんなことを考えるだけでも恐ろしい。
「おまえがねずみとして生き、ねずみとしてねずみ浄土に戻りたいと願うなら、しっかりと気の元の男の魂を奪わねばならない。それがお前が大黒様と交わした約束じゃ」
「やくちょく?」
「そうだ。おまえはこたび、その人の男の魂を奪い、それを大黒様に献上する…という事でねずみ浄土に無事に返してもらうことが出来るのだ」
そうか、そういうことなのか。娘ねずみは得心した。
「戦国の世は死人がたくさんいたから、大黒様に献上する魂に事欠かなかった。人の魂は重宝なのじゃ。人の魂を糧にして、妖が生きる世がある。だが戦は終わり、この世は型通りとなっていき、不思議はどんどんとなくなっていく。明るくなるばかりで、闇の宿る場所が減る。余白も幅も無くなり、現世の中に真っ当な闇が生息することも無くなるだろうて。代わりにひとの心の中に、闇は居場所を見つけるのだ。このままだと、早晩、ねずみ浄土と人の世の間の扉は無くなって閉じてしまうだろう。おまえが歩き抜けてきた坂道がそれじゃ」
あれは扉だったのか。確かに外に出たときに、いろいろなものが入り込んできた。
「こねずみよ、急げ。もともとねずみの寿命は三年ぐらいじゃ。お前の兄や姉たちもそうであったろう?お前の父のように修行を積んだ大黒ねずみであれば話はべつじゃが、お前は選択の年齢の前に罰を受けることになってしまった。それ故、普通のねずみと変わらぬ三年の命、という事じゃ。三年はねずみには長いが、人にとっては短い。今のお前は、身体は人ゆえ、あっという間じゃろう。そして時が過ぎれば過ぎるほど、ねずみに戻った時の時間も短くなる。気をつけよ」
(そうか。ではすぐにでも、あの人の男の元に行き、魂を奪わねば!)
娘ねずみは改めて、心に誓った。
「おとぎちゃま、たまちいは どうやって うばえば よいのでちゅか?」
娘ねずみの問いに、お伽様は首を振った。
「良いか、ワシは助けることは出来るが、ここからは全てはお前自身がやらなければならない。魂を奪う方法も、手に入れることも、お前自身が考え、おまえの手でやらなければならぬのだ。そうでなければ、お前の願いは叶わぬ。お前自身がやることを、大黒様はお認めになるのだ」
娘ねずみは不安になった。
「幸い、幼いとはいえ、今のお前は人の身体を持つ。お前の頭も人のものだ。そして、成長はねずみの速さとなろう。お前が望めば、方法はいくらでも見つけることは出来よう。
心から望むのじゃよ」
「わかりまちた」
娘ねずみは真剣な顔で返事をした。
「よしよし。一途なものの願いじゃ。大黒様がきっと導いてくれよう」
お伽様はにっこりとわらった。皺くちゃな顔が優しい皺でいっぱいになる。
「もういちど言う。よいか、心せよ。三年の月日の約定の日が近くなると、ワシのこの術も弱くなってくる。気を付けるのだぞ。よいな」
「はい」
すっかり、娘ねずみは人の娘の顔になっている。
お伽様はその姿を満足げに見て、
「さて、それではお前をその大元の人の男のところに送り出そう」
と立ち上がった。娘ねずみは(あれ?お伽様、小さくなった…)と思った。
「お前に名という呪をかけたもののところに、お前の身体はこれから飛んで行く。
お前は何と名付けられたのだ?」
「おねじゅ」
口が思うように動かず、「おねず」と言えない。自分でもまどろっこしい。
「おねじゅ?ああ、おねずか。まあ、そのまんまだな」
呆れたようにお伽様は言った。
「では、おねずの名よ、その名付けの主の元へ、お前の身体を連れていけ!」
その瞬間、その部屋の気がものすごい勢いで中心に向かって捻じれこみ、娘ねずみの身体を巻き込んだ。娘ねずみを巻き込んだ気はぐるぐると渦を巻きながら、天井を突き抜けて宙を駆け上り、そのまままっすぐに空の高みに消えていった。
お伽様の部屋は何事もなかったかのように静まりかえっていた。
「はあ」
と、お伽様は大きく息を吐く。まるでこの二日間というもの、息をしてこなかったかのようだ。そして、長火鉢の引き出しを開け、中から小箱を取り出した。その小箱は白く美しい。薄暗い部屋にあっても、自ら光を発しているかのようだった。
その美しい小箱を白菜と大根の山の奥に丁寧に、そして隠すようにお伽様はしまい込んだ。
「お前の身体の持ち主が、早く事を成就することを祈るのみじゃ」
と、白菜と大根の山に手を合わせて言った。




