娘ねずみの冥界上がり
「ねずみ裁きをはじめん!」
ねずみ浄土のほの暗い広場の中心に「着座ねずみ」が揃ったのを見て、一番大きなねずみが言った。全部で六匹。皆、体格が良い。後ろ足の脛が茶色いねずみが五匹。そして一匹はひときわ大きく、後ろ足が黒かった。六匹とも上体を起こして、人のように座っていた。
「さて、長の黒脛巾よ。いくら、あれが長の娘とて掟破りは掟破りじゃ。可哀想だが、ねずみ浄土には置いておけん。知らなかったでは済まされぬ。大黒ねずみが大黒ねずみとして人の世界に出るときには、修行し、許されたものしか外界に一緒に行くことは出来ぬ。
長の娘はその選択の年齢にもまだ達していない。だが掟は掟じゃ」
一匹目の茶色のねずみが言った。それを受けて、二匹目の茶色のねずみが言った。
「あれが身に纏っている気は強い。現に弱いものから、倒れ始めておる。手を打たねばなるまい」
(ああ、わしが甘やかしてしまったからのう)
長は父の心に戻り、後悔の念で一杯になった。
三匹目の茶色のねずみが言った。
「あれは大黒ねずみの血筋ゆえ、あれそのものは参らぬが、他の弱きものはたまらん。
我ら大黒ねずみは、弱きものを守る為におる。これでは本末転倒じゃ」
四匹目の茶色のねずみが言った。
「ねずみ浄土からは追放が妥当じゃろう。昔なら、舟に乗せて海に流してしまうところじゃが、それはあまりにも当世風では無い。まずはねずみ浄土から出してしまいなされ。他の者に示しがつかん」
「いや、あれはあまりに幼すぎる。何か方策は無いのか」
五匹目の着座ねずみが言った。
長ねずみの黒脛巾は、五匹の言い分をじっと聞いていたが、ずっと考えてきたことを口にするべく、腹を括った。
「全てはわしの不徳の致すところ。皆様のお言葉に甘えて、娘をねずみ浄土から今すぐ追放と言うことで、足打ちとしていただきたい。ほんに申し訳ない。この通りじゃ」
長ねずみは前足をついて、頭を下げた。
「そうじゃのう」
「そうじゃのう」
「そうじゃのう」
「そうじゃのう」
「そうじゃのう」
ねずみ達は口々に言った。
長ねずみが「確かに五つの諾を頂いた」といって、前足を胸の前で合わせ、ぺこりと頭を下げた。
一匹目のねずみが
「よしよし、それでは皆様、それ、足打ちじゃ」
「せーの」ぱん!
ねずみたちは、胸の前で前足を叩き合わせ、うなずいた。
「仇も恨みもこれまで、これまで」
大黒ねずみの長は言った。ねずみ裁きのお開きの決まり文句だった。
これで、長の娘・あの白い小さなねずみの処遇は決まった。
大黒ねずみの長・黒脛巾は心の中で思った。
(あの娘の運は大黒様がご存じだ。大黒様がどのお顔を見せてくださるのか。わしは祈るのみじゃ)
ねずみ浄土には空がない。太陽も無ければ月もない。季節もなく、ただただほの暗く、ほんのりとあたたかい。そんな中に大黒ねずみの住む村がある。
ねずみ浄土の村の入り口には、道の両脇に竹が刺さっており、注連縄が渡してあった。
これは「この村は竹の村である」と言う意味だと、あの白い小さなねずみ「娘ねずみ」は姉妹たちから聞いていた。この中にいる限り,ねずみたちは守られる、という。
その意味は良くわからなかったが、今、この際で改めて見て、そんなことを思い出した。
ここから飛び出したあの日。人という生き物に捕まった日。今はただただ後悔するばかりだ。どうしてこんな事になってしまったんだろう…。つい、いつも父たちが飛び出していく、その先を見てみたい…と思った。それだけだったのに、大変なことになってしまったのだ。自分には「人の気」が強くまとわりついており、この強い「人の気」に、ねずみ浄土の多くのねずみたちは耐えられない。耐えられないどころか、次々と倒れているのだ。
その上、自分もあの「人の男」に呪をかけられてしまった。
掟破りに、疫病に、自分には呪い。どうしようもない事態だった。
娘ねずみの目にみるみる涙がにじんできた。
「さあ、おまえはこれから、この坂を身ひとつで登って行くのだ」
長ねずみは厳しい声で言った。道は緩やかに登り坂になっており、その先は真っ暗だ。
娘ねずみは心細さに,胸が押しつぶされそうだった。
「これはねずみ裁きで決まったことである。異は唱えられん」
「おとさま…」
娘ねずみは、涙が一粒こぼれた。
「可哀想だが仕方ないのだよ」
今度は父の声になって優しく言った。
「掟を破ってしまったのだからな」
長ねずみの声は悲しみに満ちていた。
「娘よ、この坂の先に何が待っているかは私にもわからぬ。お前のさだめが待っているだけだ。ただひとつ、父として言ってやれるのは、この先に行って辿り着いたのが人の世界であるならば、おとぎ様のところを訪ねよ」
「おとぎさま?ひと?」
「そうじゃのう…わしにもわからぬ」
「おとぎさまはどこにいるの?」
「自分で見つけるのだよ。さすれば、お前の道は拓けるだろう」
「おとさま…」
「身ひとつで行かなければならないお前に、父がせめて背守りをつけよう。
後ろを向いてみよ」
娘ねずみは,父に背を向けた。目の前には緩やかな坂。見るのも恐ろしかった。
父の長ねずみは娘ねずみの背中に前足を当て、「マ!」と唱え、同時に彼女の背中に印を強く押した。背中が一瞬、焼けるように熱くなり、そしてそれはスッとおさまった。
「これで良い。さあ、もう行くがよい。お前の生きる道はこの坂の先にある」
「おとさま…」
「可愛い娘よ、達者で過ごせよ」
と言ったかと思うと、長ねずみは娘ねずみを注連縄の外に向かって突き飛ばした。
娘ねずみは勢いよく、注連縄の向こうに転がって行き、そして消え、ぼんやりと照らされた坂道だけが残った。
(あの娘は娘達の中で一番幼く、まだまだねずみの世界のことすらよく知らぬ。心配じゃが、仕方がない。背守りがせめてもの餞じゃ。どうか大黒様のご加護があの娘にありますように)
長ねずみは長い間,そのままそこに立ち、注連縄の向こう、何もない暗闇を見続けていた。
さて、一方、突き飛ばされて、娘ねずみは注連縄の外に転がり出た。
ころころと坂のふもとまで転がり、止まった。
崩れた体勢を立て直して、立ち上がり、今、飛び出した注連縄の方を振り返った。
「おとさま!」
だが、もう注連縄は無く、父の姿も跡形も無かった。そこにはぼんやりと浮かび上がった坂道があるだけだ。腹の奥底から、深い溜息が出た。絶望と諦念の溜息。
もう行くしかない。
坂を登るのみ。
仕方なく、一歩踏み出した。
坂道を歩いていると思っていたが、いつの間にか道は宙に浮いており、足元の道の下には遥か彼方に広がる底なしの暗闇があった。それはただの暗闇ではなく、たくさんの小さな光が瞬いている。頭の上にも、周囲にも光が瞬く暗闇が広がっていた。娘ねずみはそんな光景にも全く気づかず、ひたすら足元のみを見つめ歩く。
歩いても、歩いても、坂の上、道の果てにはつかない。
(ああ、疲れた。ひとやすみしよう)
娘ねずみは歩みをとめた。止まって、改めて周りを見た。
自分の周囲に見たことの無いものが広がっていることに、初めて気がついた。
「なんだ、これ?」
娘ねずみは誰にともなく言った。
(これは、宇宙というものよ、ねずみさん)
突然、頭の中に声が響いた。娘ねずみはびっくりした。薄い影のような女人が道の向こうにいた。女人はゆっくりとゆらゆら揺れながら近づいてくる。
(あたしは…びびっ…かみの…びびっ)
女人の声はとぎれとぎれで、聞き取りにくい。
「ああ、合わせるのが難しい。やっとつながった」
「ひと、なの?」
「わたしはほろぐらむなの。いつ消えるかわからないけど」
「それって、なに?ひとじゃないの?」
「難しいことを聞くのね」
女人は笑った。
「一緒に歩いていい?ちょっとこの辺りは物騒だから」
「いいけど」
「わた…、滅多に話せ…ないの。嬉し…わ、ねず…さん」
声が切れ切れになる。
「多分、ねずみさんがこの坂を登りきるまでは持たないけど…」
その時、坂の上から地響きとともに叫び声が聞こえ始めた。
「ほら、来たわ!足を踏ん張って、やりすごしなさい!あいつらには私達は見えないから!」
「え?え!えーっ」
娘ねずみは混乱した。
きえーというたくさんの雄叫びとともに、無数の青黒い蠢く異形のものが、次から次へと坂の上から現れた。人の形のようでもあり、違うようにも見える。手足をバタバタさせてそれぞれが奇声を上げ、塊になって、こちらに向かって来るのだ。
娘ねずみはあまりのことに動けない
(こわい!)
「大丈夫!しっかり、前だけを見てなさい!そら!」
影の薄い女人は娘ねずみの前に立つが、透けているので、異形たちが押し迫ってくるのは丸見えだ。影の薄い女人に捕まろうとしたが、娘ねずみの前足は宙を切った。
(あ,もうだめ!)
と、娘ねずみが目を瞑ろうとしたとき、
「目を瞑っちゃだめ!」
薄い影の女人が叫ぶ。
その瞬間、薄い影の女人と娘ねずみの身体にむかって異形のもの達が飛び込んできた。
変わらず奇声を上げながら、次々と通り過ぎて行く。耳元で叫び声がわんわんと鳴り響く。まるで、何も無いかのようにその集団は固まって通り過ぎて行った。そして、また辺りは静かになった
はあ…娘ねずみは大きく息を吐いた
「あれはなに?」
「なんだろうねぇ」
薄い影の女人も首を傾げた。
「今までにも見た事があるけれど、あれが何でどこから来て、どこへ行くのかは、私もわからないの。ただ、初めて見ると怖いよね」
「うん」
「前をしっかり見ていれば、大丈夫みたい。それに、ねずみさんは背守りに守られてるから、なおさら大丈夫。良かったね」
(あ、おとさま…)
娘ねずみは、また泣きそうになった。
薄い影の女人が遠くを見ている隙に、前足で目を拭う。
「今まで見た中では、目をあれから逸らすと、みんなあれに飲み込まれてた。私は実態が無いから,大丈夫だけど」
薄い影の女人はもう一度、言った。
「さあ、そろそろ坂の終わりまで来たみたい。あれが来ると出口が近いの。ほら、あそこに木が見えるでしょう?あれがこの世界の出口」
娘ねずみは坂の上を見上げた。
坂の上は眩しく、目を開けていられなかった。父の長ねずみを追いかけて、外の世界に飛び出して行った時の眩しさだ。
「私もここまで」
薄い影の女人は暗闇の中にとどまろうとしていたが、坂の上からの日の光が届く距離になると、ますます影が薄くなり、ゆらゆらと揺れ始めた。
「久しぶりに話せて楽しかったわ。ありがとう、ねずみさん」
娘ねずみも「ありがとう」と真似して言ってみた。そして、ぺこりと頭を下げた。
「このさかのうえは、ひとのせかい?」
「そうね、たぶん」
だったら…思い切って,娘ねずみは聞いてみた。
「おとぎさまはいる?」
「おとぎさま?」
「おとさまが,おとぎさまのところをたずねるように、といったんだ」
「そうか。私はわからないけど…。ごめんなさいね、役に立てなくて」
「ううん!」
娘ねずみは鼻先を左右に振った。この薄い影の髪の女人がいてくれなかったら、あの怖い異形の者たちに巻き込まれてしまっていただろう。
「ありがと、ここまで」
もう一度,娘ねずみは言った。
「ねずみさんはここまで無事に来た。だから、きっとそのおとぎ様に会えるわ」
薄い影の女人はにっこりと笑ったようだった。影が揺れたので、顔も揺れた。
「ねずみさん、あの木の実をひとつ持っていくと良いかも」
薄い影の女人は坂の上の木を指さした。
「そうなの?」
「ええ。どこに行っても、みんなあの木の実を欲しがってた。私はここにあるのを知ってたけど、知らない人は一生探してる人もいたわ」
「いっしょうって,どういうこと?」
娘ねずみは聞く。
「死ぬまで、ってこと。死んだらこの木を見つけられるから、わざわざ探す必要なんかないのに」
「なんで、みんなほしがるの?」
「なんでかしらねぇ?人の考えることはよくわからないわ。人って可笑しいよね」
「そうなの?」
「私はいつもそう思う」
女人は笑っているのか、泣いているのか、不思議な表情をした。
「ねずみさん、実、取れる?私は実態が無いから、とってあげられないの」
娘ねずみは立ち上がって,前足を伸ばし、実をひとつもぎった。もぎ取った切り口から、とても甘く良い匂いがした。娘ねずみはその時初めて、喉が渇いていることに気が付いた。
「これってたべていいの?」
「木の実だもの。大丈夫だと思うわ」
薄い影の女人がそう言ったので、娘ねずみは貪るようにその実をたべた。甘くみずみずしく、ひんやりとしていた。乾いた喉にしみこんでいくようだ。こんなに美味しいなら、みんなが探すはずだ…と娘ねずみは納得した。あんまり美味しくて、最後に種の部分についている果肉をしゃぶっていて、はずみで飲み込んでしまった。
それで、美味しい実は終わった。
「ぜんぶ、たべちゃった」
「うん、それで良し。ねずみさんに良いことがいっぱいありますように!」
薄い影の女人は笑顔で言う。
「いいこと?いっぱい?」
娘ねずみは繰り返した。
「そう、いいこと,いっぱい!」
そう言うと、薄い影の女人の姿はゆらゆらと揺れて、ふわりと散った。娘ねずみは呆気に取られた。さよならも言えなかったが、お礼は言えてよかったと思った。
坂の頂上は岩穴がぽっかり空いており、眩しい光はそこから差し込んでいた。
その出口を木立と叢が覆っている。その隙間からさす光であっても、ねずみ浄土から来た娘ねずみには眩し過ぎるくらいだ。あそこからは外。あたしは外に行かなければならない。娘ねずみは躊躇った。娘ねずみはその出口のまぎわに立ち、今きた道を振り返った。
もうねずみ浄土はもちろん、実がなっていた木も、坂道も見えなくなりつつある。じっと目を凝らしてみたが、しばらくすると、全ては暗闇に沈んだ。もう道は無かった。
そっかー
娘ねずみは独りごちて、今度はくるりと外の世界に向き合った。
しかたがない。
ふん!と鼻を鳴らして気合いを入れ、光の中に一歩を踏み出す。
途端に周囲はばたばたと音を立てて拓け、世界は娘ねずみにのしかかる様に鮮やかに、圧迫してきた。世界の中で娘ねずみは小さい存在になった。全てのものはとてつもなく大きく,いろいろな音が混じり合って聞こえる。眩しい光、そそり立つ大きなものたち、音の錯綜、むせかえるような匂いの襲撃。娘ねずみは気を失った。
「もうし、もうし」
(…あ、おとさま!)
大黒ねずみの訪う声を聞いた…と、娘ねずみは思った。父が助けに来てくれたのだ…と。嬉しくなって、目を開けた。そこには父ではなく、巨大な人がいた。人の男だ。
「こんなところで往生しちまうと、干からびちまいますぜ、ねずみ様」
あの時の男かと一瞬身構えたが、声が違った。あの時の人の男の声は、かまどの中の熾火のようなあたたかい声だ。鼻先の人の男の声は、深い、深い暗闇の声だと思った。だが悪い声ではなかった。
(また、ひとだ)
娘ねずみは緊張した。
「ほら、御覧なせぇ、さっきから、あそこで鷹がねずみ様を狙ってますぜ」
見れば、本当に額に星のある大きな鷹がこちらを見ていた。
(たか!たか!こわい!)
娘ねずみは、またあの忌まわしい日を思い出す。
父の長ねずみを追いかけて、明るい世界に飛び出してきた娘ねずみは、あまりのねずみ浄土との明るさの違いにめまいを起こし、ふらふらになった。そこに鷹が急降下してきて、難なく娘ねずみは捕まってしまったのだ。鷹はすぐには娘ねずみを食べようとはせず、取った獲物をねぐらに持って帰ろうと、娘ねずみを咥えたままで空高く飛んだ。そして野火の煙に巻かれて、娘ねずみを落としてしまったのである。鷹に咥えられた時には(もうおしまいだ!)と思ったが、これで助かった…と思ったのもつかの間、その後の方がもっと酷かった…というわけだ。
男は不意に手を出し、娘ねずみを掌に載せようとした。
「さわるな」
娘ねずみは歯を剥いた。
「おやおや、こりゃ元気だ!よかった」
男はにっこりと笑った。不思議な男だった。
「…どうして,ねずみのことばがわかるの?」
あの野火の中の男は、全くねずみの言葉を解さなかったのに。
「そりゃあ、アタシは往来者ですからね、わかりまさぁ」
男は明るく、さも当然という風で答えた。
「おうらいものって、なに?」
娘ねずみにとって、初めて聞く言葉だ。
「どこにでも行っちまうもの、どこにでも現れるもの…って感じでしょうかねぇ」
「どこにでも?」
じゃあ、ねずみ浄土にも行けるのか…
「まあ、生きている世界に限りってことですよ、ねずみ様。お前様がもといらしたところには、アタシなんぞは到底いけませんのさ」
その人の男は、娘ねずみの考えたことがまるでわかったかのように言った。
娘ねずみはがっかりした。
そんな娘ねずみの様子に頓着することも無く、人の男は続けて言った。
「お前様は背中に神様を背負ってらっしゃる。よほど大切にされてるんでしょうなぁ。
よござんすね」
人の男は優しい声で言った。そのニッコリと笑った顔は,懐かしい感じがした。
(おとさま…)
娘ねずみはまた、悲しくなり、涙がにじんできたが、こぼれない様に頑張った。
娘ねずみの様子に気付いたのか、男は
「ねずみ様、悲しい時はお泣きになるのが良いんですよ」
そんなことを言われたものだから、娘ねずみの双眸からは涙が溢れ出してしまった。娘ねずみは,姉妹達からは(泣き虫)とあだ名されていた。また「ばっち娘の涙は三文安」とも言われていた。娘ねずみには何のことか良くわからなかったが、どうも人の世界での言葉で、やはり良い意味ではないらしかった。すぐ泣いてしまう性分は自分でも嫌だったが、自分の気持ちとは関係なく涙が出てくるのだから、仕方がない。
「アタシは團兵衛と申しやす。お前様は神様のお使いでらっしゃるからには、お役目があるんでござんしょう?さあ、この團兵衛がお送りしましょう。鷹がさっきから動きませんからね。…どこまで行かれるんで?」
娘ねずみは困った。どこに行ったらいいんだろう。
「おとぎさまのところにいかないと…おとぎさまって知ってる?」
「おとぎさま…ああ、お伽婆様のこってすね。道理で。なるほど。それでこんなところにまで、アタシを使いに出した…というわけか。最初から言って下さればいいのに。食えない婆様だ」
團兵衛はひとりで勝手に納得している。
「ねずみ様。よござんす、ご安心くだせえ。アタシがお伽婆様のところまでお連れしやす」
そう言って、もう一度、娘ねずみに掌を差し出した。
「…人のにおい、つく?」
恐る恐る娘ねずみは聞いた。野火の時の失敗は一度で沢山だ。
「ああ、それを心配なすってたんですね。大丈夫ですよ、アタシは生気がありませんのさ。だから匂いどころか、気も無いんで」
そうなんだ。ひとっていろいろあるんだな、と思い、
(あの時の人の男も、そうだったらよかったのに!)
と、腹立たしい気分になった。
「さあ、どうぞ、ここにお乗りなすって」
今度こそ、娘ねずみは差し出された掌に乗った。
鷹はあきらめたのか、羽ばたいて去っていった。
團兵衛は白い小さななずみを潰さないように、そっと両手の手のひらに包んで、足早に風を切って歩く。まるで飛んでいるかのようだ。ねずみの足だったら何十歩も必要なところをさくっと一跨ぎしていく。次々と変わっていく景色に、白い小さなねずみはただただ見とれるばかりだ。山の景色がやがて拓け、草がきれいに生えている平坦な土地になった。それをまた進んでいくと、徐々に人が増えてきた。どんどんと人の数は増えるばかりで、それにつれて聞こえてくる音やにおいが様々なものになってくる。どれもこれも娘ねずみには初めてのものばかりだ。人がぶつかりそうなくらいたくさんいるところを團兵衛は速足で飛ぶように歩いていく。音と匂いで娘ねずみはクラクラしてくる。音と匂いはどんどんと濃くなり、指の間から見える景色は小さな家がぎゅうぎゅうと押し合って立つ場所になってきた。そこは日陰になっていて、昼なのに暗い。人ひとりがやっと通れるような狭い路地を團兵衛はガタガタとけたたましい音を立てて歩き、そして止まった。團兵衛が両手のうち右手を離すと、娘ねずみの前に新しい空気がふわっと入り込んできた。
「ごめんくだせい」
團兵衛は大声で言いながら、ガラリと長屋の障子戸を開け、
「お伽婆様、お待ちかねの、お客さんでござんすよ」
(おまちかね?)
娘ねずみは不思議に思った。陽が差さない部屋は影ばかりだった。その陰の中から、ごそごそと動いて出てくるものがあった。
「うわ!なんじゃ、この眩しさは!」
ごそごそと出てきたのは、老婆のようだ。
「眩しい?お伽婆様、どっこも眩しくなんてありゃしやせんぜ!」
團兵衛は娘ねずみを乗せた掌を老婆の前に突き出し、
「はい、お伽婆様お探しのねずみ様でござんすよ。ねずみ様、こちらがお尋ねのお伽様でらっしゃいますよ」
お伽様という老婆は娘ねずみに不躾なまでに顔を寄せた。身体が大きく、いろいろなものを着こんでいるのか襤褸切れの塊のようだった。皺くちゃなお伽様顔の中で、目は固く瞑られている。そして、吟味するように鼻で言った。
「ふん、お前が今黒脛巾の娘かい?」
「おと様を知ってるの?」
「ああ、よく知ってるよ」
「おと様にお伽様をたずねるようにと言われました」
「ああそうだね。それも聞いてるよ」
娘ねずみにとって、お伽様の放つ言葉の一つ一つがとても不思議だった。
「お伽様もオウライモノなの?ねずみのことばがわかるの?」
「オウライモノじゃないさ。だが、わかる」
暗い日陰の部屋に目が慣れてくると、いろいろと見えてくる。部屋の奥にはたくさんの白菜や大根が山の形にきれいに積んであった。その両脇に瓢が置いてある。その向こうには棚があり、注連縄が渡してある。部屋の気はねっとりとまとわりつくようで重たかった。暑いわけでも寒いわけでもなく、ただ重いのだ。
「じゃ、お伽婆様、アタシはこれで。ねずみ様、よござんしたね!」
團兵衛は、娘ねずみを丁寧に上がり框に降ろすと、にっこりと笑った。その笑顔は冷たい氷が溶けてしまうようだった。
「だんべえさん、ありがとう」
娘ねずみは頭をぴょこんと下げた。
「どういたしまして。ねずみ様にいいことがいっぱいありますように!」
そう言って、團兵衛は戸口から出ていった。あれ?それって!娘ねずみは慌てた。
「あ、だんべえさん!」
風のような速足で、既に團兵衛の姿は消えていた。




