江戸へ!
雪の季節の御狩場検分役は、相変わらず雪の野原を歩き回るだけだ。
それでも昨年は御野初があった為、幾分かの緊張を持って検分に臨んだ。その分、ご当主様不在の今年はのんびりとしたものである。
惣右介は菩提寺のある三杉から、おねずと二人で蓮臺に戻って来た。
あれから、それまで通りの暮らしをしている。惣右介が御狩場に行く時には、おねずはついていく。惣右介が御城に上がる時は、おねずは家で待つ。その繰り返しだ。
そんな二人での暮らしに慣れてきた頃、惣右介の元に御國詰奉行・花茂喜左衛門から書状が届いた。御國詰奉行とは、蓮臺藩にいる七人の奉行のうちの一人である。深山は筆頭奉行のため、ご当主・実之助について移動するが、他の六人は交代で蓮臺と江戸に詰めている。この時期の蓮臺藩・御國詰奉行は花茂と帯刀内蔵助の二人であり、その花茂から御城への呼び出しだった。
正装で登城するように…とのことまで、併せて指示があった。惣右介には嫌な予感しかなかったが、行かないわけにはいかない。熟考した末に、おねずを呼んだ。
「おねず、明日、俺は御城に呼ばれている」
「うん」
おねずは相変わらず、「うん」と返事をする。
「それも正装で来いと言ってきた。こういう時は、ロクな話ではない」
「ちょうか」
わかっているのかどうか、おねずの返事は怪しい。
「もし、俺が明日の夕方までに帰らなかったら、俺はもう戻ってこないと思え」
「え?」
初めて、おねずが反応した。
「そうちゅけどん、だめだ!」
「ふむ。俺とて、お前以外に俺の魂を持っていかれるのは不本意だ。だが、どうしたものか…皆目、見当がつかん」
「あっちが、おしろについていく」
「それは、無理だ」
惣右介が否定すると、おねずはすっと立ち上がり、土間に降りてごそごそと何かを取り出してきた。
「そうちゅけどん、これがあった」
おねずが持ってきたのは、折り畳まれた黒い皮のようだった。
「そうちゅけどん、いえのなかで、みつけた、これはねずみのたからだ」
「ねずみの宝?そういえば、それは御野初の時に、大黒ねずみから貰った…」
「そうだ、これはねずみのたから、ひねじゅみのかわごろも、だ」
「ああ…星見屋の爺様も言っていた…竹取の翁の話に出てくる…と」
「ひねじゅみのかわごろもは、このままかぶると ひをよける。そいで、はんたいにして、かぶると そとからみえないんだ。ほら!」
そう言って、おねずは頭から被って見せた。その傍から、おねずの姿は消えていき、惣右介には見えなくなった。惣右介は感心して、
「おねず、お前はそこに本当にいるのか?」
「そうちゅけどん、いるよー!あっちはここにいる。これをかぶって、おしろにいく!」
誰もいない中、声だけが聞こえるのは不思議なものだった。だが、これならおねずを連れていける。万が一のことがあっても、おねずに魂を渡せる…と惣右介は考えた。
「わかった。それでやってみよう」
惣右介もまだ半信半疑だったが、賛成した。
御城勤めの朝は早い。一月の辰の刻、この時間は朝と言っても、まだまだ夜の名残を残しており、夜明け前の一番寒さを引きずっている時間だった。
清瀬川沿いに御城への道を二人は歩く。いつも歩くお狩場への道とは違い、おねずには物珍しいものが多く、寒さをものともせず、霜柱を踏みつぶしながらご機嫌で歩いていた。
「そうちゅけどんどん、
あんどんどん
いかたこあげるぞ、
それ、どんどん」
おねずはすっかり、五作たちの戯れ歌を覚えてしまっていた。
(意味はわかっているのだろうか?)
惣右介は苦笑いしながら、おねずと手をつなぎ、唄うのを聞いている。
おねずの唄に合わせて、白い息が夜明け前の空に消えていく。
「そうちゅけどんどん、
あんどんどん
おともはおねずだ、
そら、どんどん」
おねずはなおもご機嫌で続ける。惣右介はおや?と思い、
「おねず、いつの間にか二節目が出来たのか?」
「うん、ごさくたちがおともはねずみって、うたった。そうちゅけどんが、こねずみをたちゅけたからだって!でも、あっちはおねずにした」
おねずは満面の笑みだ。惣右介は物を言う気力も失せてしまった。
清瀬川にかかる殿橋のむこうに、御城が見えてくる。殿橋の向こう側からは御曲輪内、蓮臺城の場内になる。
「わあ!あれがおしろ!」
「ああ、おねずは、初めてだったな」
「うん!おしろ!おしろ!おしろ!」
おねずは節をつけて歌い出した。
「おねず、そろそろ、姿を消さねばならん。可哀そうだが、皮衣を被れ」
「うん!」
おねずは一向に可哀そうな様子も無く、かえって嬉しそうだった。
姿が見えない分、どこにいるのかわかるように、おねずは惣右介の袴を掴んで歩いた。
殿橋を渡ると、そこには殿橋西詰の番所がある。番役に呼出の書状の表を見せ、
「御狩場検分役、笹葉惣右介でござる。本日は、御國詰奉行・花茂様よりのお呼び出しにて参りました」
「聞き及んでおりまする。通られませい」
自分の姿が見えないとわかってはいたものの、おねずの胸はドキドキと鳴った。まるで火事場の半鐘のようだ。
二人は大手門へ続く緩やかな坂を歩き、二の丸の下を大きく回って、青嵐城本丸下に辿り着いた。大手門には番役がここにも左右に構えている。
「さあ、これからだ。おねず、はぐれるなよ」
「うん」
おねずの声は緊張していた。
大手門を抜けて、二の丸御殿へと向かって行く。ご当主様が不在の時には、本丸は使用せず、二の丸が政務の中心となっていた。二の丸御殿への入り口となる表門を通り抜ける時、おねずが袴を引っ張った。
「そうちゅけどん、やねのうえにさかながいる!」
言われて、惣右介は表門の上を見上げた。
「ああ、あれは鯱というのだ。火事になったら、鯱が口から水を吐いて、火を消してくれる…そうだ」
「ふうん」
おねずにはその鯱の目が「人ならぬ者は通ること、まかりならん」と、ぎろり、こちらを睨んでいるように見えた。
(あっちは、そうちゅけどんといるから、だいじょうぶ!)
おねずは自分にそう言い聞かせたが、惣右介の袴を握る手に我知らず力が入る。
表門から脇に抜けて、二の丸御殿の通用門である大所門についた。
惣右介が下駄を脱いだので、おねずも袴の陰に隠れて下駄を脱ぎ、着物の懐に入れる。ふたりは足袋を履き直して、御殿にあがった。そして指定されていた『虎の間』で、惣右介は座して待った。おねずも横にちょこんと座った。
『虎の間』は名前の通り、部屋の四方の襖に立派な虎が描かれている。本丸御殿のきらびやかな狩野派の虎とは違い、こちらは墨一色の虎だった。雪の中にいる虎のようにも見え、今にもその虎が動き出すのではないかと、おねずはここでも緊張していた。
襖の向こうに足音がした。
「ごめん」
襖をあけて入ってきたのは、御國目付の佐賀であった。
「惣右介殿、参ったな」
「佐賀様、おはようございまする」
佐賀が来るとは聞いていなかったので、惣右介は戸惑った。
「そなた、今日は花茂様よりのお呼び出しであろう…ふむ、正装じゃな、よしよし」
佐賀は惣右介の様子を確認して、安心した表情になった。
「花茂様からのお話が終わったら、『鷲の間』に参れ。少し、話したき儀がある」
「はあ」
惣右介は出来るだけ、長居はしたくなかったので、つい気の抜けた返事をしてしまった。
「何を間の抜けた返事をしておる…亡き左馬之助殿が嘆かれるぞ」
「失礼いたしました」
「では、待っておるぞ」
佐賀はそういうと、退室した。
惣右介は一応、謝罪したが、腹の中では
(簡単に父上の名前を出してほしくない)
と思った。浩然事件の時から、深山以外は皆、笹葉の家については見えないものとして振る舞ってきたのである。いくら先代様の御沙汰とは言え、惣右介にしてみれば(今更…)という気持ちが拭えない。こうしてみると、深山は裏切り者かもしれぬが、反面、惣右介達を折々に気遣ってくれていた分、マシだったのではないか。表立っての裏切り者と、日和見の者と、どっちもどっちと言えようが…などと、佐賀が去った後、惣右介は思いを巡らしていた。
どすどすどすと廊下を踏みしめる音がした。惣右介は低頭する。襖がからりと開いて、
「笹葉、待たせた」
と、御國詰奉行の花茂が入ってきた。どっかりと惣右介の向かいに座り、
「良い、面を上げろ」
「ありがとうございます」
惣右介は身体を起こした。太り肉の花茂は、一月だというのに汗をかいているようだった。
「笹葉、今からご当主様からの御上意を申し渡す。そこへ直れ」
「ご上意?でございますか?」
「ふむ、そうじゃ。昨日、早飛脚で届いた」
花茂は懐から封書を取り出すと、はらりと開いて
「蓮臺藩御狩場検分役、笹葉惣右介、本日、この書状を以てその御役目を解く」
「え!それは」
惣右介は腰を浮かしかけた。やはり剣呑な話なのではないか?横でおねずも動いたような気がした。
「良いから、先まで聞け」
花茂が惣右介を制した。
「同日、新たに笹葉惣右介を筆頭奉行直下大番組・大番士に任じ、かつ江戸詰、上屋敷任務を命ず。仔細は江戸表にて筆頭奉行・深山伯山より申し渡す。かくなる上は、速やかに出府するべし、家族帯同も許す 篁実之助」
花茂は一息ついて、書状を惣右介に見せた。そして、手拭いで額の汗を拭い、
「ということだ、笹葉。そなたは只今より、御狩場検分役ではなく、御筆頭様のお手元の大番士である。御取立てにより、禄も家格も上がるの。元々の笹葉殿の家格から言えばまだまだだが、それでも、御狩場検分役よりはずっとよかろう…」
「江戸に行く…ので、ございますか?」
「さようじゃ。江戸にすぐ来い、と言われおる。すぐ行け、笹葉」
「まだ、奥州道中は雪が残っておりまする」
「ほでなす!ならば、江戸浜街道を参れ」
「すぐにとは…ご当主様に何かあったのでございましょうか」
「それは我らにもわからぬ、そなたのお召しの儀、のみだったのでな」
「さようでございましたか…家族帯同と?」
「うむ。そなた、妻子はおったかの?」
「いえ…」
おねずは息をのんだ。
「幼き妹がひとりおります」
「では、妹御もお連れになるがよかろう。ご当主様は帯同を許すと仰っておるのでな。だが、いくら浜街道とは言え、幼子に長道中は厳しいのではないか」
「いえ、つれて参ります。大丈夫でございます」
惣右介の答えに、おねずは嬉しくて声を上げそうになったが、慌てて口を押えた。
「では、早々に出立されるがよかろう。どうもお急ぎのようなのでな」
「かしこまりました。謹んでお受けいたします」
「うむ、次は、わしが江戸詰番の時にお会いできるな、それまで達者で過ごせよ」
「ありがとうございます」
惣右介が頭を下げると、花茂は部屋を出て行き、来た時と同じようにどすどすと足音を響かせて去っていった。足音が完全に遠のいたのを確認して、惣右介は立ち上がった。
「さあ、虎の穴の次は鷲の巣に参ろうか…いくぞ、おねず」
おねずは返事の代わりに、惣右介の袴を引っ張った。
『虎の間』は勘定所に近かったが、『鷲の間』は西の丸でも少し奥まったところにあった。あまり人が来ない辺りである。惣右介が何とか『鷲の間』を探して辿り着くと、御國目付の佐賀が待っていた。
「早く中に入って、そこを閉められよ、惣右介殿」
惣右介は中に入った。
(誰かに見咎められるのを心配しているのか?)
惣右介は胸騒ぎがした。
「惣右介殿、座られよ」
「ありがとうございます…お話とはなんでございますか」
「そなた、江戸に行くそうだな」
「佐賀様、既にお聞き及びでしたか。ただ今、花茂様から御上意を賜りました」
ご上意の内容を既にご存じとは…ますます、不穏な感じであった。
「そなたに頼みがある」
(きた!気を付けなければ…)
惣右介は姿勢を立て直した。
「何でしょうか?」
「江戸に入ったら、この手紙を江戸上屋敷の大番士の佐藤克之介にお渡し頂きたい。わしの娘婿じゃ。こちらに残っておる娘からの手紙や、孫の様子を知らせてやろうと思ってな」
惣右介の気が抜けた。なんだ、ただの好々爺ではないか。
「お渡しするだけよろしいのですね」
「さようじゃ、お手数をおかけするが、よろしく頼む」
「承知いたしました」
惣右介は佐賀から書状を受け取り、懐にしまった。
「ところでのう、惣右介殿。今、江戸ではこんな噂があるそうじゃ」
「噂…でございますか?」
「ああ。そなたの耳に一応、入れておく」
「はあ」
「われらがご当主様が、吉原の太夫に入れあげているそうじゃ」
「え?」
惣右介は一瞬、言われた意味が分からなかった。
「今、なんと仰いましたか?」
「蓮臺藩のご当主様、実之助様の吉原通いが江戸の人々の口の端に上がっているそうじゃ。それも、どうも面白可笑しくな…」
「まさか…ご当主様に限って」
「ふうむ。わしも、まさかとは思うが。案外、まさかの坂はあるかもしれん。惣右介殿、そなたは江戸にあがって、その目でお確かめなさるがよかろう」
「いや、ご当主様には、發子様もいらっしゃいます」
「そうだが、ふむ、わからぬ。ご当主様も所詮、男であったということか。だが、それであれば、かえってわが蓮臺藩は一息つくところでもある。そういうお気持ちがあるということであれば、まだまだお世継ぎ誕生の可能性もあるということじゃ」
「何を仰いますか。千寿さまが昨年ご誕生されたばかりです」
「おひとりではまだまだ、藩として安心は出来ぬ。千寿様に何かあった際には、即刻お取り潰しじゃ」
「それは大げさでございましょう」
「まさかの坂はあちらこちらにあるのだ、惣右介殿。そなたもくれぐれも道案内をお間違えなさらない様にお気をつけよ」
「ありがとうございます。此度は江戸浜街道を参りますので」
佐賀は一瞬、目を見開いて惣右介を見つめ、
「さようか。…江戸浜街道であれば、奥州道中よりはこの時期、難儀は少なかろう。では、私事で恐縮だが、佐藤への手紙をよろしく頼み申す」
そう言って、佐賀は『鷹の間』からそっと出て行った。
取り残された惣右介は、
(実之助に何か異変が起こったのかもしれない…)
と考えこんでいた。
どう考えても、実之助と吉原は結びつきにくい。それも江戸の人々の口の端に上る程なんて、おかしすぎる。この噂は今回の急なお召しと何か関係があるのだろうか。
「ここで考えていても、何もわからぬ。まずは江戸へ行ってみねば。な、おねず」
そう言われたおねずは、四方からこちらに向かって飛びかかろうとしている『鷲』に震え上がっており、惣右介の袴を何度も強く引っ張った。早くこの部屋から出たくてしょうがなかった。
その時初めて、惣右介はこの部屋の鷲の絵に気付き、
「ああ、ごめんな、おねず。怖かったな。これは鷹ではなく鷲だが、怖いのには変わらないな。さあ、帰ろう」
ふたりは足早に二の丸御殿から下がり、殿橋を渡った。朝来た時から時間が経ち、外は充分に明るくなっていた。
橋を渡り切って、詰所の番役から見えなくなった辺りで、やっと惣右介は、
「もう皮衣を脱いでいいぞ、おねず。よく頑張ったな」
惣右介のその言葉を聞いて、おねずは被っていた皮衣を脱ぎ、ふうーと大きく息を吐いた。朝と同じように、おねずの吐いた息は白く、消えていく。大変ではあったが、惣右介に褒められておねずはご機嫌だった。
「そうちゅけどん、あっちもえどにいくのか?」
「そうだ、おねず、俺たちは江戸に行く」
「そうか」
おねずは、自分が江戸にいたことに気づいていない。
「江戸は大きい街だ。いろいろな人や、いろいろなものがある」
「そうか。かみちゃまもいる?」
「それはわからんな。だが、江戸に行ったら、今井堂がある。今井堂には諸国の話が集まってくるというから、星見屋の爺様のことも、何かわかるかもしれぬ。尋ねてみよう」
「うん!」
おねずは期待に満ちた声で
「えぇど!えぇど!えぇど!」
と唄い出した。唄い続けるおねずと手をつなぎながら、惣右介は「自分が誰かと手をつないで歩いていること」を発見した。それは一年前の惣右介には想像だにできなかったことだった。
そうすけどんしまつ 第一部 蓮臺編(御伽草子)




