打ち上げ花火
最初にそれに気づいたのは、小滝だった。
小滝はおねずをしげしげと見て言った。
「おねずは、大きくなるのが早いのう。着物を仕立て直してやらねば」
おねず自身も気づいていなかったが、確かにおねずの手足が以前より、袖や裾からはみ出している。小滝は目敏くそれを認め、
「うちに来てから半年ぐらいだが…やはり、そういうことかの」
と言って、葛籠からおねずの着物を出してくる。おねずを前に立たせて、大きさを確かめる。小滝のなすがままにされながら、おねずは星見屋の爺様の問を思い出していた。
半年。
三年の内の半年が経ったのだ。
星見屋の爺様の『問』に、おねずはまだ答えが出せないままでいた。
(あっちは、どうちたいんだろう?むねにきいてもわからない…)
おねずは今更の『問』に胸に手を当て、悩ましい思いをしていた。
「これ、おねず、腕を伸ばしてみなさい」
小滝の声におねずは我に返った。
「どうした、おねず?」
おねずの様子に小滝が気が付いて、声を掛けた。
「今日は若君御誕生祝いと先代様の一周忌ご供養の花火がある。若様が、お帰りになったら、見に連れて行ってくださると仰っていましたよ」
小滝の声は明るかった。
今日、惣右介は登城の番の日である。
またおねずと「今日は死なない」という固い約束をして、惣右介は出勤していった。
「こたきちゃま、はなびって、なんでごぢゃる?」
「ああ、おねずは初めてなのですね。花火とは、夜空に火の花が咲くのですよ」
「よぢょらに、ひのはな?」
「そうです、蓮臺は初代お館様の昔から花火が盛んなのです。蓮臺のご城下に初代お館様がお入りになった時に、花火職人もお連れになられたそうだ。それくらい、お好きだったそうなのですよ」
「ちょうなんだ…こたきちゃまは、はなびがちゅきでごぢゃるか?」
小滝はおねずの物言いに吹き出しそうになりながらも、
「ええ、ええ、好きですよ。儚く、美しいものですから」
「ちょうか。ちょれぢゃ、あっちもたのちみでごぢゃる」
おねずは、さっきまでの悩ましい思いもすっかり忘れ、花火を見るのが楽しみになった。
八月五日、打ち上げ花火は今晩行われる。今は酉の刻であり、日が暮れ始めていた。あと半刻ほどで花火が始まる。
七月二十四日の千寿丸の誕生の高札に続いて、その祝いと先代様の一周忌のための花火打ち上げの高札も蓮華の辻にかかったため、今日は蓮台ご城下の人がみな来ているのではないかと思うような人出だ。おそらくご城下だけでなく、近隣の村や奥州道中沿いの宿場からも来ているようだった。町人達は河原に思い思いに陣取り、持参した酒や弁当を楽しみながら、花火があがるのを今や遅しと待ち構えている。
評定橋の袂には桟敷が作られ、蓮臺藩西の丸にお住いの皆様と共に、実之助は一番眺めの良い席に通されていた。とはいえ、実之助には側室はいない。だから、そこに並んでいらっしゃるのは、先代様の出家されたご側室や御姉妹、実之助の異母姉妹等である。そして、どの御方も実之助にとっては、名前を覚えるだけで精一杯な遠い存在の方々だった。
西の丸にまだ西の御方と呼ばれる先代様の一番上のお姉さまがご存命の頃だったら、まだ良かっただろう。西の御方は婚家からお戻りになられた一時期、江戸の藩邸にいらしたことがあり、その時、実之助は可愛がって頂いたのだ。その後は蓮臺に戻られ、西の丸で一生を過ごされた。実之助にとっては伯母上にあたる。実之助の父である先代様は、才色兼備の一番上の姉上・西の御方を頼りにされていて、とても大切に扱われていたのを実之助も幼心に感じていた。
そして、肝心の実之助は
(發子がここにいてくれたらいいのに!)
といつもと同様に思うのだった。だが、發子と生まれた我が子・千寿に見せてやりたい…とは思うが、まだ自分に子供が出来た実感は持てないでいた。全ては帳の外の出来事のように感じる。周囲の喧騒の中で、実之助の周囲だけはやはり静かだった。
「ご当主様、今井堂が挨拶に参りました」
深山がやってきて、実之助に告げた。
「おお!今井堂、待っていたぞ!」
実之助の心がパアッと明るくなった。深山の後ろに今井堂が平伏していた。
「ご当主様、この度はお世継ぎ様ご誕生、おめでとうございます」
今井堂は毛氈につくかと思うほど丁寧に頭を下げた。
「うむ、ありがとう。良い、頭を上げよ。今井堂、今宵はこのような席まで設けてくれて、御殿の者も皆、喜んでいる。蓮臺は初代お館様の昔から、花火が好きなお国柄であると聞いている。礼を申すぞ」
「ご当主様、身に余るお言葉、痛み入ります。今宵はお天気も良く、花火が夜空に良く映えましょう」
「そうであるな。私も楽しみだ…して、今井堂はいつ、蓮臺に入ったのだ?」
深山がささと前にいざり出て、
「ご当主様、まずは今井堂に一献差し上げては?」
「おおそうじゃな。すまぬ、今井堂。私が飲まないものだから、気が回らなかった。喉を潤してくれ」
「有難きお言葉にございます」
横に控えていた深山が今井堂に酒を勧め、今井堂は盃に受け、飲み干した。
「私は先月の二十三日でございます。それまでは、江戸から北関東、越後、羽州を巡り、羽奥山脈を越えてもどって参りました」
「そうか。相変わらず、遠くまで行っておったのじゃな…何か、面白い話などはないか?」
「さようでございますね…ああ、そう言えば、ご当主様は三線がお好きだったかと」
「ああ、三線は好きじゃ」
実之助の目が輝く。
「ただ今、江戸では三線で評判の者がおります」
「ほうお?そんなに上手いのか」
「上手いというだけではなく、切々と泣けてくる…と大評判でございます」
「そんなに!ぜひ、私も一度聞いてみたいものじゃ」
「では、次の参勤で江戸にいらっしゃいました時には、ご案内致しましょう」
「楽しみにしているぞ、今井堂」
実之助がそういった途端、どん!どん!どん!と、花火開始の太鼓が鳴った。
戌の刻も半刻ほど過ぎて、
「待たせてすまぬ」
と言って、深山が座敷に入って来た。
ここは栄生茶屋の奥座敷である。
「とんでもございませぬ。私も先程、参ったばかりでございます」
にこやかに微笑んで、今井堂は言った。
既に花火は終わり、人々も家路につき、ご城下は静かな夜を迎えつつある。
深山が席に着くと、今井堂は酒器を取り上げ、
「ささ、深山様、まずはご一献」
「うむ、今甚、今日はご苦労であった。そなたも飲め」
「頂戴いたします…本日、深山様にお勧め頂くのは二回目でございますな」
「時々、ご当主様は変に勘の良い時があるのでな。我ながら少し焦った。お前が蓮臺に入った日にちを確認するとは…」
「ははは…まさか、で、ございましたな」
「よもや、お前が江戸と蓮臺を日々往復して、一日千里を走っているとまでは、思われてはおられまいが…」
「それは、おおげさでございます」
今井堂は笑う。深山も少し表情を緩めると、
「はは、そうだな。まあ、お前が忙しい身体であるのは確かだ」
と、珍しく笑った。
「それにしても、今日の花火は盛況であったな。ご当主様もとても喜んでおられた。今甚、全てお前のおかげだ」
「とんでもございませぬ、喜んで頂けましたなら、ようございました。二十発程ではございましたが、昨年、私どもの江戸店と同じ町内に店を出した鉤屋に頼んでおいたものでございます。一瞬とはいえ、さすが鉤屋、華やかなものでございましたね」
「ああ、誠に見事であった。大方、お前が今回、入札で請け負った米子の硫黄をふんだんに使ったのであろう?」
今井堂は破顔して、
「滅相も無い…まあ、お江戸の皆様には一定のものをお納めすれば筋は通りますので。どちらの皆様も花火はお好きでございますから」
「とは言え、東北の一藩に多くを融通するのは危険な橋を渡ったのではないか。すまぬ」
「ご心配下さいましてありがとうございます。そのような下手は打ちませぬ、ご安心を」
「そうか。お前の事だ、うまくやるか」
深山と今井堂はお互いに顔を見て、静かに笑った。
「さて、深山様」
今井堂は声を改めた。
「此度のご恩赦にて、浩然事件に関係された皆様は、お許しが出たのでございますよね」
「さようだ…とは言っても、実質は惣右介だけみたいなものだがな」
それを聞くと今井堂は眉をひそめて
「星宮の宮司、九曜様は?」
「まだ、お前の耳に入っていなかったか?珍しいな。先月の半ばに星宮は火事になって、全焼した。そして、九曜殿は見つからぬ。私はてっきり、そなたの仕業かと思っていたぞ」
「まさか。そんなことは致しませぬ。自分の首を絞めるようなことでございます」
「星宮の『扉』を閉ざすためにやったか…と思っておった」
「私の行き来の道を閉ざすことになりまする。私も今伺って、深山様がなされたかと…」
「反対だ。江戸から九曜殿宛に密使が来てな」
「ははあ、『贖捨の葉』でございますか」
「ああ。密使は刺客でもあったが…辛うじて、その局面は取り除いた」
今井堂は面白そうに
「おや、九曜様をお守りになったので?」
「反対だ。密使を刺客にしないようにした」
「…さようでございましたか。『命』についてはご確認されたので?」
「確認はしておらぬが…、おおよそ、見当はつく。お前は何か知っておるか?」
深山は今井堂を見た。
「ライが…地上に降りて参りましたが、帰ることが出来ず、苦労したようでございます」
「ライ?」
「はい。君子が地上に生まれた時に、天帝の命でライはその君子を確認に地上に降りて参ります。そして、通常は自らの力で雷に乗って天に帰りますが…偽りの君子である時にはその邪気の重さに雷に乗ることが出来ず、獣の姿になって地上に落ちてしまいます。天に帰るには…」
今井堂はそこまで言ってから、
「ああ、ライは星宮に行ったかもしれませんな。天に帰るには、日宮、月宮、星宮のいずれかの宮司の力を借りなければなりませんので」
それを聞くと、深山はため息をついた。
「全く、いつもお前には不思議な話を聞くばかりだ」
「さようでございましょう、まるで夢物語の如し、で」
今井堂はにっこりと笑った。
「では、今の話を合わせると、偽りの君子が誕生し、ライは天に帰れず、その『命』を確認した密使は刺客になるところだった…ということだな」
「そのようになりますかな」
「…偽りの君子、か」
「さようでございます、十中八九。ご当主様の危機に大黒ねずみは現れた…と、年の初めには伺っておりますので」
「そうだ、現れた。篁家の真のご当主の危機には、大黒ねずみが現れるという言い伝えに賭けた…お前に借りた栗毛の権多が良い仕事をしてくれた」
「それは、ようございました。ですが、そこには惣右介殿もいらした…」
「うむ。惣右介が駆けつけてしまったからな」
「さようでございますな」
今井堂は酒を一口飲んで、一息ついた。
「深山様はそれを狙って図られたのでは?」
「まさか」
深山は視線を落としたまま、酒を飲んでいる。
(喰えない御仁だ…銀狐の所以たるところであるな)
いつも深山と話すたびに、今井堂はそう感じていた。今井堂は生業柄、様々な人間と出会う。野心のあるもの、強欲なもの、癖のあるもの、うつけもの、上っ面だけのもの…と種々雑多であるが、深山の目指しているものは、いまだに良くわからない。初めて会った時から、十年近く経っているが、そして他人には言えない秘密も多々共有してきたが、深山という人間が何を大切にしているのかがわからなかった。
(まあ、だからこそ、飽きずに長い付き合いになったのか。存外、似た者同士なのかもしれん)
今井堂は思わず笑ってしまった。
「なんだ、今井堂、何かおかしいことがあるのか」
深山が耳聡く聞きつける。
「いえいえ、私たちの思惑以上に天の采配というものがあるようだな、と。…まあ火鼠の皮衣もまだ見つかっておりませぬし、もうしばらく様子を見てもよろしいのでは?」
「そうだな。そうするしかあるまい」
深山は嘆息した。
「先ほど、惣右介殿だけと仰いましたが、おそら様には…」
「早飛脚にてお沙汰を知らせておるが、何も言ってこない」
「さようでございますか。しっかりとしたお人柄でございますれば」
「うむ、あれは頑な(かたくな)女子だからな…簡単にはいかぬかもな」
「そうは見えませんのに…女子とは不思議なものでございますな」
おそらの話をして、今井堂はハッと思い出した。
「…そういえば、深山様、惣右介殿の許に幼き娘御がいるのをご存じですか?」
「ああ、お沙汰を申し渡しに訪った時に、チラと見た。お前も会ったのか」
「はい、お会いしました。あの娘…私はそれこそ吉原の美園屋にいた雛菊とよく似ていると、思いましたが…深山様はいかが思われましたか?」
「ああ!どこかで見たことがある娘だと思ったが、あの人形娘か」
はたと深山は膝を叩いた。
「千輪太夫の禿だった娘だな。…なるほど。だが、あの娘は今年の初めに流行り風邪で死んだはず」
「ええ、私も美園屋からそう聞いております。ですので、娘に姉妹はいるかと聞きましたが、いないようでございました」
「そうか。一体、惣右介のところに、なぜ、あのような娘がいるのか」
「遠い親類とは仰っていましたが、惣右介殿のお生まれでは、遠い親類と仰る方はいないはずかと…」
「さようである…さても不思議なことよ。そうか、雛菊に似ていたのか」
深山は参勤交代で蓮臺に発つ直前、吉原の美園屋を訪れていた。美園屋宗衛門は深山にとって数少ない友であり、囲碁仲間である。江戸にいる間は数回、美園屋に足を運ぶ。そして、見世に上がるといっても、深山は静かに酒を飲むくらいで、子の刻前には見世を出てしまうのが常であった。
そんな深山でも、美園屋の人形娘のことは知っていた。美園屋に『奉公』に上がった時にはかなりの評判になり、深山ですら物見高く雛菊の姿を見にいったことがある。
(確かに世にも稀な美しい娘だったかと思う。だが、惣右介のところにいた娘は、美しくはあったが、日に焼けたただの幼女であったかと思ったが…)
美園屋で見かけた雛菊の幼いながらも、神々しい冴えた美貌を思い起こすと
(まあ、やはり別人であろうな…というか、あの娘は死んだのだし。だが…)
「少し、お調べしてみましょうか」
深山の胸中を察して、今井堂が言った。
「ふむ。そうだな、時が来たら頼もう。幼女ひとりのことだ。何、そんなに大事には及ぶまい」
「さようでございますか」
と、今井堂は受けた。
この後、半時ほど今井堂がたわいもない諸国の話をして、この会合はおひらきになった。
東北の涼しい夏も終わり、秋の風が吹く季節になった。
収穫の季節も恙なく終わりつつあった。
七月に大雨が続いた為、不作が心配されていたが、その後、天候が持ち直したため、心配していた割に収穫は例年並みとなった。
深山が今年の取れ高の報告をし、例年並みだと伝えると
「それは皆がホッとしたことだろう。良かった」
実之助も安堵の息をついた。
「今年は千寿の誕生に伴う祝いと、江戸での先代様の一周忌と物入りが続いた。そして、これから参勤である。勘定方には苦労を掛ける…と伝えよ」
「かしこまりました」
と、深山は頭を下げる。
(どんどん、ご当主様らしくなっていくものだ。立場は人を育てるというが…)
「のう、深山。今回の参勤に惣右介を連れていく事はできないか」
(感心した途端、これだ)
深山は苦笑いを隠しながら、
「できませぬな。惣右介は御狩場検分役でございます。例え連れて行ったとしても、御側におくことはできませぬ。せいぜいが北武蔵の九季鷹場どまりでございましょう。もう少し、お役を積んでからでないと、惣右介の立場が危ぶまれます」
「お前は本当に惣右介の話になると、できぬ出来ぬばかりだ…できぬなら、どうすればできるようになるかを考えてくれても良いのではないか」
実之助の言い分に深山は半ばうんざりしながら、
「ご当主様、そうは言いましても良くお考えくださいませ。今、惣右介のところには、年老いた乳母と幼い娘だけがおりまする。惣右介を江戸につれて行ってしまったら、この者達はいかがなりますでしょうか」
「う」
実之助は黙ってしまった。実之助自身は、いくらでも、どうとでもしてやりたい…と思うが、いくら何でもそれが出来ないことはわかっていた。
「おいおい惣右介を引き立て、ご当主様の傍に召す機会も出て参りましょう。それまではじっと堪えて下さいますよう、改めてお願い致しまする」
「わかった…だが、お前はいつも惣右介が誹られると言うが、それは一体誰がそんなことを言うのだ。城中の者達が言うというのか?」
「さようでございます。口さがない連中はいつの時代にもいるものでございます」
深山は我が身の来し方を思い出し、苦いものがこみ上げてくるのを押し殺した。
「恩赦を受け、その上すぐに引き立てられ…となれば、人の妬み誹りを受けましょう。惣右介という人物を知らなければ尚更でございます。そして、惣右介が秀でていればいるほど、今度は引き立てられないうちに潰そうとする者さえおるやもしれませぬ」
深山の言い分を聞いて、実之助は暗澹たる気持ちになった。
「深山…そなたの話を聞いていると、世の中の人というものは、悪しきものとしか思えなくなってくる」
深山は大真面目な顔をして続けた。
「ご当主様。ご当主様は身をもって、お分かりのはず。今ここにご無事でいられるのも、皆が身を挺して、ご当主様をお守りしてきたからでございます」
「そうだ、本当にそれには感謝している」
「では、誰が、どこが『その』指示を出されていたのか…ということでございます。ご当主様がいらっしゃらなくなって利する方々がいらっしゃいますのはおわかりですな」
「北や南であるか」
「さようでございます。また他にもいらっしゃいます」
「他にもか…そうであろうな。そう聞くと、今、無事に私が生きているのも不思議なくらいだ。だがそれと惣右介の件と、どうつながるのだ?惣右介ではなく、惣右介を取り立てた私を責めればよいだけではないか」
「惣右介がそれを良しとすると思われますか?ご当主様に害が及ぶくらいなら、あの男は脱藩して、今度こそ手の届かない遠方に行ってしまいますぞ。惣右介は今、前と違って人別長に載っております。つまり、道中手形を手に入れることができますので」
「ああ…」
実之助は深くため息をついて、
「わかった、もう良い。お前の言う通りにしよう」
(いつだって、そうしてきたのだから)
と、心の中で独り言ちた。




