鷹と鷹仕
翌日、惣右介は五作たちを伴い、いつぞやの約束を果たすため、鷹仕の鷹小屋を目指して、鶴賀谷から山の中の黒川街道を北に向かって歩いていた。これは山のふもとに沿って歩く山道であり、獣道よりはマシというぐらいの道だ。もちろん、おねずも一緒である。惣右介は何度も、
「鷹がいるのに、大丈夫なのか?」
おねずに問いただしたが、おねずは頑として
「だいぢょうぶだ、ちょうちゅけどんがいっちょだから…みんなもいる」
と言ってきかなかった。そして、惣右介と自分の弁当を作り、出かけてきたのだ。
草いきれの中、おねずとさちは手を繋いで、
「そうすけどんどん、あんどんどん!」
と、歌をうたって歩いている。ふたりはこねずみ救出の時以来、すっかり仲良くなり、歌をうたったり、踊ったり、花を摘んだり…とますます、仲の良さを深めていた。五作、太郎、次郎、寅吉は惣右介を取り囲むように、前になり、後ろになり、しながら歩く。
惣右介の士分が戻り、お城勤めになって変わったことと言えば、月代を作り、刀を差し、検分の時に裁付袴を履くようになり、いかにも「侍」然となったことだった。
とはいっても、刀の下緒は大名結びとして、抜く気は全く無く、惣右介自身は
(以前の方が気楽でよかった…)
と思うばかりだった。また、惣右介の月代姿に見慣れない子供たちは、最初はもじもじしていたが、慣れてしまえば、いつもどおりの「そうすけどん」に戻ってしまった。
というわけで、結局何も変わっていない。
惣右介はこねずみを助けた翌日…鶴賀谷の五作の家に行き、ねずみ返しのある倉を作ってやった。五作たちも手伝い、無事に倉は出来上がり、その後、被害は出ていない。肝心のライが天に帰ってしまったのだから、当たり前と言えば、当たり前のことだった。
鷹仕の鷹小屋のある鷹場は込谷の牧のむこう、黒川街道を北に行った大塒にある。
大塒の地は四方を山に囲まれ、小さな盆地になっている。そこで鷹仕は鷹を育て、仕込んでいた。蓮臺藩の鷹数寄者である矢作家の家はご城下にもあったが、自らを「いんぴん」と語る鷹仕は、日々のほとんどをこの鷹場で過ごしていた。
鷹は蓮臺藩の名産品として全国でも有名である。歴代将軍にも献上しており、諸国大名からも引き合いが多かった。その蓮臺藩の御鷹師の家のひとつが矢作家であり、鷹仕が生れた家だった。蓮臺藩はご領地の他に江戸に近い九季の地に鷹場を所持しており、九季鷹場の御鷹師・矢萩家の三代目は鷹仕の兄である。本来であれば九季にいるべきところでもあるが、すっかりそれは兄に任せてしまい、自分は専ら蓮臺のこの鷹場にこもっていた。
東北の夏とはいえ、やはり昼が近づいてくると日差しが強い。皆でふうふう言いながら、大塒の鷹場に辿り着いた。鶴賀谷から歩いて半刻ぐらいの道のりだった。
鷹場の入り口に、鷹仕の小屋はある。鷹仕が寝泊まりする小屋と、それと並んで鷹が飼われている小屋があった。
「鷹仕、いるか?惣右介だ」
惣右介は鷹仕の答えを待たずに、戸を開ける。
案の定、小屋の中には所狭しと鷹がたくさんいた。おねずが、さちとは繋いでいない方の手で惣右介の袖をギュッとつかんだのがわかった。惣右介はおねずの手を改めて繋いでやりながら、
「大丈夫だ、おねず。この中にいるのはみんな細工物の鷹だ」
それを聞いて、今度は子供たちが一斉に声を上げた。
「すげー!」
「ほんもんだと思った!」
ばらばらと五作たちは中に入り込み、たくさんの鷹の細工物に感嘆した。
「ここにあるのは、鷹仕が清瀬川の埋木で細工した鷹たちだ」
惣右介が五作たちに向かって説明した。
「なんだ、惣右介来てたのか」
入り口から鷹仕が入ってきた。
「ああ、鷹仕、邪魔している。皆に鷹の細工物や、本物の鷹を見せてやると約束したんだ。鷹仕にこの前話した約束だ」
鷹仕は細工物の鷹に魅入っている五作たちを一瞥すると、
「ああ。こねずみと鼬の件か。まあ、勝手に見ろ。ここは何のもてなしもしないぞ」
そう言いながら、まるで子供たちがいないかの如く、小屋の奥に入って行った。
「あははは、大丈夫だ、鷹仕。それは皆、承知している」
「それならいい」
鷹仕が脇を通る時に、五作、太郎、次郎、寅吉はみな頭を下げたが、鷹仕は一顧だにしなかった。鷹仕が奥にいってしまうと、五作たちは助けを求めるように惣右介を見た。
「まあ、気にするな。あいつは愛想のない奴だが、怒ってはいない。好きなだけ、ゆっくり見てもいいとさ」
五作たちは安心した顔になり、また、細工物の鷹を見始めた。
「おねずちゃんは見ないの?」
「あっちは、たか、こわいから、いい」
おねずが緊張の解けない声で言う。
「そうなんだ。じゃ、あたしはちょっと見てくるね」
さちはおねずと結んでいた手を解いて、兄たちの方に行った。
「大丈夫なのか、おねず?」
惣右介は、再度、おねずに聞いた。
「だいぢょうぶだ」
「おんぶしてやるか?」
「ちゃっちゃんがいるから、いまはちない」
おねずなりに義理立てがあるらしく、さちにたいして抜け駆けの様な事はしないと決めているようだった。
「そうか、じゃあ、離れるなよ」
「うん」
おねずの結んだ手がさらに強くなった。
「おい、惣右介」
奥から鷹仕が、左手に鞢をしながら現れた。鷹を据えるための燻し鹿革で作られた手袋だ。また、腰には鳩袋を携えている。
「生きた鷹を見たいんだろ?本当は見せもんじゃないが、特別だ」
「え、ほんとう!」
わーと五作たちが一斉に歓喜の声を上げた。
「大声を上げるな」
表情を変えずに、鷹仕は静かに言った。
「鷹は人と違って、お前さんたちの言葉で言うと『すんけたがり』な生き物だ。いいか、驚かさない様に静かにしてろよ」
五作たちが息をのむ音が聞こえた。
「あと、惣右介」
「ああ?」
「おまえはその娘をおぶうか、しっかりと抱いてろ。万が一の時があるからな」
それを聞いて今度はおねずが縮みあがった。
「わかった。ほれ、おねず、おぶされ」
惣右介はしゃがんで、おねずに背を向ける。
「ちゃっちゃん、ごめんね」
「いいって、おねずちゃん、鷹、怖いんだろ?それは仕方ないよ」
さちは大きく頷いて懐の広いところを見せた。こうして六人は、鷹仕の後について小屋を出た。
小屋の外に出ると、広い空き地になっている。盆地の真ん中に広場が作られているのだ。
その中央で待っているように惣右介達に言うと、鷹仕はゆっくりと鷹たちのいる小屋の方へと歩いて行った。そして、また左手に鷹を乗せて、ゆっくりとこちらに戻ってくる。
「あれが鷹狩に使う本物の鷹…」
五作が言った。四人からため息がもれた。
「そうだ。あれは今年の御野初でも、当代様のお役目を果たして活躍した鷹・荒星だ」
惣右介は言った。おねずはぞっとして、惣右介の首に噛り付く。
鷹仕は六人と少し距離を置いて、立ち止まった。
「では、今から忍縄を使って飛ばして見せる」
忍縄とは鷹と左腕とを繋いでいる紐のことだ。鷹の調教の時に使うもので、一定の距離を保っての訓練に使う。鷹仕は半眼になって、静かに深呼吸をした。その次に
「荒星、いくぞ」
と荒星に静かに声をかけ
「ほう!」
と左手を勢いよく、空に挙げた。荒星はその勢いに乗って、忍縄が届く限りの高さまで舞い上がり、風に乗って悠々と優雅に飛ぶ。その姿を見ていた五作達は口に手を当てて、声が出ない様にしつつ感嘆の表情になった。惣右介も、いつ見ても美しいものだと思った。
荒星は羽ばたきもせず、悠々と旋回飛行していた。
今度は、鷹仕は舌打ちを小さく「ちっ!ちっ!」としたと思うと、
「ほう!ほう!」
と大きな掛け声を出した。すると目にも止まらぬ速さで荒星は空中を滑降し、鞢を付けた鷹仕の左手の上に舞い降りた。また五作たちのため息が漏れた。本当なら、声を上げて歓声を上げたいところだが、頑なに声を上げない様に頑張っていた。おねずはと言えば、目をつぶってがむしゃらに惣右介に噛り付いている。
「一番、年かさは誰だ?」
鷹仕が聞いた。
「俺だ、五作だ」
「そうか。では五作、俺の腰にある鳩袋から肉を出してくれ」
五作は恐る恐る鷹仕に近づき、荒星に触れないように気をつけた。
荒星はじっと惣右介を見ている。
(荒星はおねずがあの時のねずみだとわかっているのか?)
さすがの惣右介も、荒星の視線に嫌なものを感じていた。これでは、おねずが怖がるはずである。惣右介も自然と身を固くした。
五作は鷹仕の腰の鳩袋から経木の包みを取り出した。
「よし、うまく取り出したな。では、それを荒星が空中で仕留める様を見せよう。見事に仕留めれば、その肉は荒星の昼飯になる」
五作の目が輝いた。
「俺がまた、掛け声をかけて荒星を宙に放つ。その時、同時にお前はあの山の方向に、高く遠くその肉を投げるのだ。できるか?」
「できる!」
五作は前のめりになって答えた。本物の鷹に餌をやる機会など、滅多に無い。いや、全くないと言っても良いだろう。五作は経木の包みを解き、生肉をつかんだ。
「今度は荒星の忍縄を解く」
そう言うと鷹仕は右手で器用に荒星の縄を解いた。
「では行くぞ」
再び、鷹仕は「ほう!」と大きな掛け声を出し、左手を宙に掲げた。バサバサッと羽音を立てて荒星は飛び出していく。
「それ!」
五作も勢いをつけて、肉を遠く高くに放り投げた。いったん高みに上がった肉が、今度は弧を描いて落ちていく。そして荒星が肉に向かってまっしぐらに飛ぶ。あわや地面におちるか、というところで見事に捕まえ、荒星は再び舞い上がる。
「おおお!」
静かに、と言われていたことも忘れ、子ども達はどよめいた。
荒星が肉を加えたことを確認して、鷹仕はまた小さな舌打ちとともに「ほう!ほう!」と大声で荒星を呼んだ。荒星は肉を加えたまま、鷹仕の左手にもどってく…るかと思いきや、惣右介にむかって素早く舞い降りてきた。咄嗟に惣右介はおねずを地面に降ろして、全身でかばう様に抱え込んだ。そして、荒星は惣右介の背中を掠めて、再び舞い上がったかと思うと鷹仕の左手へと戻った。全ては一瞬のことだった。
「惣右介、待ってろ!」
鷹仕が荒星をしっかりと捕まえたまま、鷹小屋の方に戻っていく。
「そうすけどん!」
五作たちは惣右介に駆け寄る。さちは泣いている。おねずも惣右介の腕の中で泣いていた。
「大丈夫だ、大丈夫だ。なんでもないぞ、泣くな、泣くな」
「そうすけどん、血が出てる!」
「大丈夫だ、かすり傷だ。大したことは無い、安心しろ」
惣右介はおねずを守ったことに安堵するとともに
(また、小滝に怒られる…)
とうんざりした気持ちになっていた。つくづく、今年は着物を台無しにする年のようだ。荒星を鷹小屋に戻した鷹仕が急ぎ足で戻ってきた。
「大丈夫か、惣右介。そら、背中を見せて見ろ」
そう言って、鷹仕は惣右介の着物をはだけさせて、背中を見る。
「深い傷ではないな。軟膏を塗ってやるから、じっとしていろ」
懐から出した蛤の貝殻から軟膏を手に取ると、鷹仕は惣右介の背中に塗った。
「すまん。惣右介、あいつは普段ならこんなことはしない」
「いや、俺たちが大声を出したから、びっくりしたんだろう。こっちこそ、すまん」
惣右介は全く頓着せずに、明るく鷹仕に謝る。腑に落ちない表情をしていた鷹仕は、おねずをじっと見てから、
「今日はこれでお開きだ。惣右介、また改めてだ」
鷹仕はそう言うと、くるりと背を向けて自分の小屋に向かって歩いていってしまった。
余りの唐突さに惣右介達は、その後ろ姿をただ茫然と見ていた。
その日の夕方、惣右介とおねずが帰ると、募者町のあばら家…いや、仕事の早い今井堂により、惣右介の役宅には玄関が設えられ、屋根も壁もすべてがきれいに補修されていた。玄関には『笹葉』の表札もかかり、見違えるような佇まいになっている。中に入れば、新しい畳が敷かれ、夏の布団まで届けられていた。
「これは…今井堂か?」
「そうでございますよ、若様。今朝、若様たちが発った後、大工や左官、畳屋までやってきて、一斉にきれいにしていってくれて…」
「あまりにきれいすぎて、かえって落ち着かないもんだ」
惣右介は苦笑いする。今井堂は『命の恩人だ』とは言っていたが、こちらの身に余るお恩返しに思えてならない。
家はきれいになったが、相変わらず質素な夕飯を食べ終わって涼んでいると、
「惣右介、いるか?」
と外で鷹仕の声がした。惣右介は玄関まで出て行き
「なんだ、今日会ったばかりなのに珍しいな。お前が来るなんて」
「ああ…玄関、作ったんだな。いっちょまえになった」
「ははは…今井堂が再興の祝いだといって、設えてくれた」
「そうか。ちょっと、外に出ないか。これがある」
鷹仕は天光の名が入った徳利を持ちあげて見せた。
小滝に出かけてくることを告げ、惣右介は外に出た。
おねずはすっかり眠ってしまっていた。
二人は清瀬川の河原に腰を下ろした。既に日は落ちて、川の流れと虫の音が耳に心地よい。鷹仕が持ってきた酒を椀に注ぎ、惣右介は一口飲む。
「ああ、うまいな、いい酒は。…今日はありがとう、鷹仕。かえって、すまなかった」
「ああ。こっちこそすまん。そっちこそ、大丈夫か」
「お前も見た通り、かすり傷だ、大丈夫だ」
「いや、お前じゃなくて…あの娘だ」
「おねずか…ああ、大丈夫だ、眠っている。荒星はどうだ?」
「荒星は」
そして、一拍おいて鷹仕は続けた。
「そのことで、話をしに来た」
「なんだ、どうした?」
鷹仕はまた、一口酒を飲んだ。
「惣右介、あの娘はなんだ?」
鷹仕は川の流れを見ながら、惣右介を見ずに聞いた。
「あれは、おねずだ。遠縁の娘だ」
「ふうん」
鷹仕は黙ってしまった。もともと口数は多くないが、話すか話さないか迷いがある…そんな雰囲気だ。
「鷹仕、なんだ?」
「惣右介よ」
「おう」
「俺の真の友は鷹だけだ。鷹が好む者とは、俺も付き合う。だから、惣右介とも付き合う。荒星はお前を受け入れているからな」
「そりゃ、光栄だ」
「だが、荒星はあの娘を見ると落ち着かなくなる。近頃は遠出した時など、勝手にどこかに行ってしまう事もある。どうもあの娘を探しに行っているらしい。俺が荒星を見つけると、大概、お前たちがいる」
惣右介はぎくりとした。
「そうなのか?」
「ああ、そうだ。荒星だけでなく、他の鷹たちもそうだ。平常で無くなるのだ。あの娘の何かが鷹達の癇に障るらしい」
(それは、おねずがあのねずみだからだ…)
と、惣右介は暗い気持ちで思った。おねずは、荒星にとって一度は「自分の獲物」と思い定めたねずみだ。それを追いかけまわすのは無理もないのかもしれない。
「一羽が騒ぎ出すと、あの娘を見たことが無い奴まで、それが伝わり騒ぎだす。鷹が十羽いたら、十羽とも性格は違う。だが、すんけだかりなのだけは、変わらない。だから、俺達御鷹師は、鷹が安心して心穏やかにいられるよう心を砕く。それが一番の仕事だと言ってもいいくらいだ」
「なるほど」
今日の鷹仕はいつになく饒舌だ。上手い酒のせいなのか。この話が何処に行くのだろうと思いながら、惣右介は椀に口につけた。
「となると、俺のやる事は決まっている。俺は鷹のために害は取り除く」
「ああ、そうだろうな」
鷹仕はごくりと椀の中に残っていた酒を飲み干すと、
「つまり、俺と会う時にはあの娘を連れてくるな、ということだ。あの娘のためにも、だ。もし、あの娘を置いてくることが出来ないのであれば、俺には会いに来るな」
鷹仕は川の流れを見つつ、一気に言った。
「そうか、わかった」
惣右介は静かに、でも暖かみのある口調で言った。
鷹仕は黙ってしまった。
虫の音が一段と高くなった気がした。
「鷹仕。すまない。お前にそこまで言わせることになるとは」
「謝るな、惣右介。お前が謝ることではない。それぞれの事情がある。それだけだ」
(ああ、やはり、鷹仕だ)
と、惣右介は思った。
鷹仕とは無刑になってからの付き合いだが、言動は一貫して変わらない。愛想も美辞麗句もなく、自分の本当の気持ちだけを言う。だから鷹仕の言うことは、これ以上でもこれ以下でもなく、それだけなのだ。あの時以来、屈託ばかりの己の心に愛想をつかしている惣右介は、鷹仕のそんなところが好ましく、「真に友とするに値する男」だと思っていた。
「そういえば、まだ、祝いの言葉を言って無かったな。おめでとう、でいいのか?」
鷹仕は聞いてきた。思わず、惣右介は噴き出して
「ああ、俺にもわからん。めでたいのか、めでたくないのか。小滝が喜んでいるから、まあ、いいか…という感じだ」
「そんなもんだろうな」
鷹仕は少し、笑った。
そしてまた、黙った。
ざあざあと川の流れる音が響いている。
又一口、二人は酒を飲んだ。
そして、鷹仕は徐に言った。
「なあ惣右介よ、ひとつ言っておく。御筆頭には油断するな」
「なんだ、突然」
と言いながら
(それは昔から知っている)
と、心の中で返事をした。そんなことは、改めて口にする事でも無い。
「…御野初の時の火事は、ご筆頭の指示だ」
「え!」
惣右介は、今度は腹から声が出るくらい驚いた。
「ご筆頭のご指示で俺がやった。野火を起こし、通信凧を挙げたのも俺だ」
惣右介は、自分の「ほでなす」加減にため息をついた。
言われてみれば明白であり、この二人以外に誰にできるというのか。
「だが、ご当主様をあそこまで連れ出したのは…」
「そんなものは、よく訓練された馬だったら容易いことだ」
「だが、何のためだ。あんなことにいったい何の意味がある?俺はともかく、危うく、ご当主様は死にかけたんだぞ!」
「さあな。俺にはわからん。ただ、そうせよと指示があった、だけだ」
鷹仕は淡々と言う。
「鷹仕、おまえは御筆頭の『素っぱ』なのか」
蓮臺では間者のことを『素っぱ』と呼んでいた。
「まさか」
鷹仕は不機嫌な声で
「俺は誰の手下にもならん」
「だが、御筆頭から指示があったと、さっき言ったじゃないか」
「ああ、御筆頭とは呉越同舟というヤツだ」
「呉越同舟?」
「そうだ。今だけだ」
鷹仕はきっぱりと言った。
「そのうちわかるさ、お前にも」
そう言って、徳利をふった。徳利の中の酒はいつの間にか無くなっていた。
「酒も無くなったな」
鷹仕は立ち上がった。そして、珍しく惣右介に正面から向き合うと、
「気を抜くなよ、惣右介。これからお前は御狩場に駆り出された鹿だ。古狸、大猪、藪の中の虎と周囲は野獣だらけだ。ご筆頭もそのうちのひとりだ。さしずめ、銀狐というところか。誰も信用するな」
「俺か?ご当主様ではなく?」
「ああ。ご当主殿は鹿にもならん。鷹に狙われる鼠のごとし、だとさ。俺も受け売りだ。だがな、先の例えも大切だ。ゆめゆめ忘れることなかれ、だ。お前はちょっと甘いからな」
「あはは、そうだな。わかった、忠告、覚えておくよ。お前以外には気を付ける」
「そら、そういうところだ。惣右介、例え、俺でも信用するな、ということだ」
「鷹仕、それはどういうことだ?」
「そのままの意味だ。お前には難しい事かもしれん。だから言った。もう言わん」
肩に徳利を担ぐと、
「じゃな。また、御狩場で会おう」
そう言って、鷹仕は鹿追橋に上がり、清瀬川沿いに続く殿橋への道に向かっていった。
惣右介は河原に残され、狐につままれた様な気分だった。
(御野初の火事は深山様と鷹仕が仕組んだことだというのはわかった。だが、その意図がわからぬ。それに…)
ゆっくりと立ち上った。
(あの黒脛巾という大黒ねずみが助けてくれたのも、御筆頭の指図というのだろうか)
惣右介は伸びをして月を見上げた。
(結局、わからないことだらけだ)
月は細くなりつつあり、新月にはあと数日だった。




