今甚の宴
「只今、戻った」
惣右介が戸口で声をかけると、
「ちょうちゅけどん、おかえりい」
と、おねずが飛び出してきた。おねずが来て以来、こんなに長い時間離れていたのは初めてだ…と、惣右介は改めて思った。
「おお…ん?おねず、ずいぶんと、小ざっぱりしているな。風呂に入ったからか?」
「ちょうちゅけどんのおふろもよういちてある。こたきちゃまのおてちゅだいをちた!」
おねずは腰に手を当て言った。
「そうか、えらかったな、おねず」
「若様、お帰りなさいませ。まずはお湯をお使いください」
小滝も小ざっぱりしている。いや、小ざっぱりしている思ったのは、二人が麻の涼し気な着物を着ていたからだ。惣右介は見たことが無い夏物の着物だった。
「小滝、母上のつづらに麻の着物があったのか?よかったな」
と、暢気に惣右介が言うと、
「若様、それがまた、今井堂の御使いが持ってきてくれたのですよ。おねずの着物と私の分まで。若様の分もございます、夏のこと故、お召し換えに、と」
惣右介はびっくりした。やはり大店を構えるくらいになる人物は、気遣いが人並外れているのかもしれない。
「なんと、それは!全く、今井堂には頭が下がる」
「はい、今井堂はほんに細やかな気遣いをしてくれます。昨日、ご登城の御召し物は頂きましたが、他のものは先日、どなたさまか、ボロボロになさったばかりでしたので…」
小滝がチクリと言った。おねずが惣右介の方を見て口をぎゅっとしめ、惣右介もバツの悪そうな表情をおねずにして見せた。
「本当に今井堂のおかげで助かりました」
チクリとは言っても、小滝がにこにこしているのを見て惣右介は安心した。
「良かったな、小滝、おねず」
「さあさあ、若様もさっぱりなさってください。今までの垢をきれいさっぱりと!」
小滝もおねずも浮き浮きしているようであり、二人の様子を見ていると惣右介も恩赦を受けることが出来て良かったんだな…と思うことが出来た。
夕方になり、今井堂からの迎えの籠が募者町の家やってきた。
「このような贅沢なものを」
と小滝は初め恐縮していた。だが、恐るおそる乗り込むと、その後はご機嫌な表情を見せていた。惣右介はおねずの手を引いて歩き、おねずもやはりご機嫌で踊るように歩いている。
料亭・山百は蓮華の辻より、奥州道中を少し北にあがったところにあった。蓮臺のご城下でも一番大きい料亭である。山百は蓮臺よりもっと北の国の殿様方が、参勤交代の時に蓮臺のご城下を通る際、ご休憩を取られる処としても有名であった。
山百の玄関で籠を下り、出迎えてくれた女中が中へと案内してくれる。奥まった部屋に通されると、既に今井堂は来ていた。
「さあ、どうぞ、お座りください。今日は皆様方が御主賓でございます。朝早くからお勤めもあって、お疲れになられたことでしょう」
と惣右介達に上座を勧める。
惣右介、小滝、おねずは勧められるがままに席に着いた。
このような大きな料亭での宴席など、無刑を賜る前であっても惣右介は経験したことはなかった。噂では聞いていたが、あまりに豪勢でどうしていいかわからない。お城での生活はもちろん体験しているが、また、それとは違う趣がある。
襖には狩野派の竹藪と小鳥の絵が描かれ、欄間にも精巧な彫刻が施されている。畳は青く良い匂いがし、障子は開け放され、手入れが行き届いた庭には虫の音が響いていた。その向こうには沈んでいく夕日の影が見え、そこらじゅうが茜色に染まっている。
「惣右介様、この度は笹葉家ご再興、誠におめでとうございます」
今井堂は畳に手をついて低頭した。惣右介は慌ててしまい、
「今井堂、頭をあげてくれ。礼を言うのはこちらなのだ」
そういうのがやっとだった。
「今井堂に助けてもらわなければ、この年月、私たちは生きていけなかった。本当に感謝している」
今度は惣右介が頭を下げた。今井堂は惣右介の低頭を手で押しとどめ、
「いけません、惣右介様。立派なお武家様が町人に頭を下げるなんて、あってはならない事でございますよ。ささ、一献」
自らがにじり寄り、惣右介に酒を注ぐ。
「さ、小滝様も、いけるお口だとは伺っておりますので」
今度は小滝に勧める。
「本当に今までお前様のおかげで、何とかなってまいりました。感謝しています」
珍しく、小滝も酒を口にした。酒は天光のものだろうか。さっぱりとした、それでいて馥郁とした豊かな香りが喉元いっぱいに広がる。
そして、今井堂はおねずに向き直った。惣右介は「あ!」と思い、
「今井堂、その娘はおねずという。私の」
「とおいちんるいのむちゅめ、だ。おねじゅでごぢゃる」
おねずはまっすぐに今井堂を見て名乗った。
(このひと、だんべえしゃんににてる…)
おねずはそう思った。今井堂は四十代後半ぐらいなのか、少し白髪交じりである。團兵衛よりも年かさではあるが、今井堂も身体が大きくがっしりとしていて、顔の彫が深い。惣右介に比べると、團兵衛や今井堂は「骨太・頑丈」という言葉がぴったりだった。
今井堂の方もおねずの挨拶を受け、
「これはこれは、おねず様。手前どもの番頭、新左からは聞いておりましたが…この度はお越しくださいまして、ありがとうございます。手前が今井堂甚右衛門と申します」
「よろちくでごぢゃる」
おねずはぺこりと頭を下げた。今井堂も、ほう…と感心した表情になり
「おねず様は、芯がございますなあ。こんな美しいお嬢様が御親類にいらっしゃったとは、存じ上げませんでした。早くわかっておりましたなら、もっと、いろいろお届けしましたものを」
今井堂は満面に笑みを湛えて言った。
「おねず様にはお酒というわけには行きませぬので、桃の実を煮て砂糖の甘味汁に漬け、良く冷やしたものを用意させております。南蛮では『こんぽうと』というそうでございます。風味を増すために、少しだけ天光の甘酒を使っております」
「あまぢゃけ!」
おねずの顔が輝いた。
「おや、おねず様は甘酒がお好きでしたか。それはようございました。もちろん、惣右介様、小滝様にもご用意しております。おねず様の分は、すぐに運ばせましょう」
そうして襖の外に向こうにむかって
「こはぎ、そこにおるか?」
「はい、旦那様、ここに」
襖が開いて、小柄な女中がそこに控えていた。年は十七、八か、色の浅黒い利発そうな娘だった。
「女将に言って、始めてくれと言っておくれ。それと『こんぽうと』をひとつ、早くお持ちする様にも言っておくれ」
「かしこまりました」
こはぎという女中は頭を下げると、身のこなしも軽く、音もたてずに去っていった。
「おねず様、いまお持ちしますから、もう少しだけ、お待ちくださいませ」
それを聞いたおねずが、何とも言えない嬉しそうな顔をしたのを見て、惣右介は可笑しくなった。
ほどなくして、山百の女将が艶然とした微笑と共に現れた。
「本日はようこそ、お越しくださいました。山百の女将・茂登でございます。
笹葉様、この度はおめでとうございます。笹葉様の先代様、先先代様には、この地に私共の先代が小さな鯉屋を開いた時から、とてもご贔屓にして頂きました。
今宵は御祝の御席ということでございますので、私どもの板前が腕を振るって夏の御前をご用意させて頂きました。どうぞ、お楽しみくださいませ」
お茂登のお辞儀を合図に、仲居が四人、膳を掲げて入ってきた。客人それぞれの前に膳を置き、一礼して下がっていく。黒の漆塗りに波の絵が金で描かれた膳の中央に、黒い椀が置かれている。そして、おねずの膳には鴇色になった桃と煮汁の入った玻璃の小鉢も乗っていた。
「一品目は、『とうきみの冷たいすり流し』でございます」
蓋を開けると、とうもろこし色のすり流しが現れ、黒地にとても映えている。膳の波の絵に合わせて、まるで波間に映る満月のようだ。
皆が食べ始めたのをみて、おねずも一口、椀に口をつけた。
「おいちい!」
甘くて、美味しい香りがして、滑らかで…初めて口にする食べ物だった。さちから貰ったとうきみ団子はほんのりとした甘さで、あれも美味しかったが、このとうきみのすり流しはしっかりと甘く、その喉を流れていく冷たさは心地よい。夢中になって、おねずは一気に飲み干してしまった。いつものように口の回りを舐めたかったが、我慢した。
「これはおねず様、喜んで頂けたようで、ようございました。ささ、おねず様には『桃のこんぽうと』も来ております。お召し上がりください」
今井堂が笑顔でおねずに勧める。おねずはちらりと惣右介と小滝を見る。
「おねず、今井堂が勧めてくれている。遠慮せず、頂け」
惣右介はそう言い、小滝も笑顔で頷いた。おねずは『桃のこんぽうと』に匙をいれた。
(ももって、あのちゃかでたべたきのみのこと…?あれだったら、いいなあ)
と、期待に胸を膨らませて、桃の実を口に入れた。とたんに冷たく、甘く、柔らかい桃の実が、やはり甘い汁とともに口の中いっぱいになる。あまりの美味しさに、おねずは目を見開くので精いっぱいだった。
「おねす、そんなに美味しいか。良かったな」
惣右介は笑い、小滝も笑って
「慌てて食べてはいけませぬよ。ゆっくりと味わって食べるのです」
あのバントウの実とは違っていたが、この桃の実もとても美味しい。おねずが言葉もなく、『こんぽうと』に夢中になっているのを見て、女将も微笑んで
「お嬢様、お気に召しましたなら、お代わりをお持ちします。お好きなだけ、お召し上がりくださいませ。この『桃のこんぽうと』は今井堂様にお教えいただいた南蛮の甘味でございます。お客様にお出しするのは、今宵、このお席が初めてでございます」
「いやいや、これは私も長崎で頂いたもので、懐かしく思い、女将に頼んだのです。お口にあって、安心しました」
今井堂が嬉しそうに言うと、女将は次の膳を用意させるために下がった。
今井堂はまた、惣右介に酒を勧めながら
「惣右介様、それで、いつ評定橋の袂のお宅にお戻りなるので?」
と、当然のように聞いた。惣右介は苦笑いしつつ、
「いや、それが今回、笹葉家は再興されるが、私の職分は御狩場検分役のままのため、家格は完全には復活しないのだ。だから、あの家には戻らないのだ」
「それでは、どちらにお住まいになられるので?」
「うーん、あまり考えてはいなかったが…まあ、あのまま募者町でもいいかと…。お役目柄、御城に頻繁に上がるでもなし、今までと何にも変わらんので」
それを聞いて小滝は残念そうな表情になったが、惣右介の言葉に否を唱えることはなかった。今井堂は小滝にも酒を勧めながら、
「さようでございましたか。それでは、一つ、お願いございますが…私がお祝いも兼ねて、玄関を作らせていただきます。募者町のお宅はもともと隠居所、玄関も無く、お武家様がお住まいになるには、不都合がございましょう。来年のお正月のこともございます」
「いや、それは今井堂にそこまでやってもらっては、申し訳がなさすぎる」
惣右介は慌てたが、小滝の目は喜びに満ちた。
ちょうどそこへ、次の膳が運ばれてきた。膳の上には今度は三品、『瓜の水晶仕立て、翡翠餡かけ』、『茄子を蒸してごまと生姜のたれを合わせたもの』、『鮎の塩焼き』が並んでいる。おねずの膳には『こんぽうと』のお代わりが添えられていた。
今井堂は再び、惣右介に向き直り、
「惣右介様、先日までは表立ってのお役に立てることが出来ず、私も苦渋を飲む思いをしてまいりました。私が志津様に受けたご恩に比べましたら、まだまだ恩返し出来てはおりません。私がお役に立ててきたとしても、全ては小さいことでございます」
「今井堂、前々から不思議に思っていたのだが、私の母からの恩…とはいったい、どういうことなのだ?良ければおしえてくれないか?」
惣右介は思い切って聞いた。以前から、ずっと不思議に思っていることであった。いくら表立ってではないとしても、無刑の惣右介を支援することは危ない橋を渡るようなものだったかと思う。それも長年に渡り、惣右介の気持ちを傷つけることなく、だ。特に、惣右介の家には誇り高い小滝がいる。生半可なものなら、小滝の逆鱗に触れていただろう。
そして、先日の星見屋の爺様の話だ。母・志津とはいったい何者だったのか。惣右介の中では、その疑問が大きくなってきつつあった。
「私は実は母のことを全く知らないと言っても良いのではないか…と、この頃思うのだ。振り返れば、募者町の家作のことも、今井堂から教えてもらうまで全く知らなかった。母が何故、あのようなものを所持していたのか…。確かに初代お館様の末娘ではあるが、私の知っている母は普通の武家の夫人だった。芯が強く、父や祖父に仕え、家内を堅実に取り仕切る…私と妹の田鶴には優しい母だった」
惣右介の話をじっと聞いていた今井堂は、
「さようでございます。志津様はその通りの方でございます…私は志津様に命を助けられたのでございます」
と静かに言った。これには小滝も初耳だったようで
「志津様が今井堂の命を?」
とびっくりした。
「いつ、志津様がそんなことを?」
小滝はもともと志津の乳母だ。志津が幼き時、蓮臺城にいる時から傍についている。その小滝が知らないとはどういうことだ。
「はい、まだ志津様がお城にいらした頃でございます…笹葉様への御輿入れが決まる前頃だったかと」
ますます、小滝は混乱していた。であれば、志津が十六、七の頃だ。そんな話は志津からついぞ聞いたことがない。
「私はある時、旅の途中で崖から落ち、動けなくなっておりました。明星山でのことでございます。その時、通りかかった志津様が私を見つけてくださいました」
「今井堂、志津様が明星山にいらしたというのか?」
あまりに意外だったのか、小滝が厳しく詰め寄る。明星山とは蓮臺のご城下の端、南西の方角にある山だった。小さな山とは言え、遠目にもはっきりと三角の形をしているのがわかる、周囲からは独立した山だ。
「そんな馬鹿な。どうやって…あんなお城からもご城下からも離れたところに…」
「志津様は馬とご一緒でした。私はてっきり遠乗りでいらしたと思っておりましたが。近くの日戸北村から助けを連れて戻られ、私をその村まで運ばれたのです。傷の手当てをして下さり、傷が治るまでその村で過ごせるように肝煎に話をして、折々に様子を見に来てくださいました」
「折々に様子を!」
信じられないという表情で、小滝が言う。
「はい。私は傷が治りました後、湯治の為、そのずっと奥の磊々(らいらい)温泉に参りましたが、丁度その頃、志津様は笹葉様への御輿入れがお決まりになったようでした。最後にお会いした時に、そのお話をされました。以来、私は御恩返しをする機会を探しておりましたが、志津様御本人にお返しすること叶わず、年月を過ごしておりました。そして、浩然事件が起こったのでございます」
今井堂は一息ついた。惣右介も小滝も、言葉も無いままだった。
三の膳が運ばれてきた。膳の上にやはり三品、『蒸し魚と夏芹の香り油を掛けたもの』、『けりの焼き鳥』、『鯉濃、山百好み』が並んでいる。『鯉濃』はこの店の昔からの名物である。そして、おねずの膳には、又もや『こんぽうと』のお代わりが添えられていた。惣右介は横目でちらりとそれを見て、(お腹を壊さなきゃいいが…)と思った。
仲居たちが去ると、今井堂は続きを始めた。
「浩然事件の時、すぐに志津様のところをお尋ねし、ご支援させていただきたい旨をお話ししたのです。ですが、志津様から『それは最低限にとどめ、表立っての支援はしないで欲しい。今井堂に迷惑がかかるやもしれぬし、いつか来る日の妨げになるやもしれぬ』とのお話がございました」
惣右介は腰を浮かしかけた。まるで、この日が来るのがわかっていたかのよう話だ。
「母は『いつか来る日』と申したのか」
「さようでございます。私には何のことかわかりませんでしたが、そう仰いました」
今井堂はしばし、黙った。
「あのようなことになってしまわれるなんて」
惣右介と小滝も黙ってしまった。
「このようなお話をお聞かせしてしまい、申し訳ございませぬ。ささ、お膳が冷めないうちに、お召し上がりください」
今井堂は再び、明るい声で惣右介達に促した。
「おねず様は、たくさん召し上がっていらっしゃいますか」
「あい!」
と、おねずは嬉しそうに言う。おねずの『こんぽうと』は三杯目だ。
「ようございました」
今井堂はにっこりとおねずに微笑んだ。
「されば、おねず様…おねず様には、姉上か妹君がいらっしゃいますか?」
突然、今井堂が切り出した。惣右介は(何のことだ?)と思ったが、
「あっちにはたくちゃん…」
と、おねずが話し出したので、慌ててそれを遮った。
「いや、今井堂、おねずはたくさんの親類はいるが…何故、姉や妹などと?」
「さようでございましたか。いえ、私の見間違いでございましょう。申し訳ございません。こんなにおきれいなお嬢様が、おいそれとそんなにたくさんいらっしゃるはずもありませんし。何よりも惣右介様の遠い御親類となれば…あんなところに」
(あんなところ?)
惣右介は引っかかった。
「以前、おねず様にとてもよく似た娘さんを見たことがあったもので、それでお聞きしました」
「おねずによく似た娘?」
「そのように思いましたが…ですが、私の見間違いでございましょう」
「そのおねずに似た娘は、どんなところにいたというのだ?」
「はい…たくさんのお嬢さんたちがいらっしゃる、踊りの修練場のようなところでございました。でも、その娘さんはこのように溌剌とした方ではなかったかと思います。全く、申し訳ございません。お忘れくださいませ」
今井堂は何事もなかったかのように、鷹揚に笑って言った。
そこへ、今度は四の膳が来た。四の膳は『蒲鉾』、『おくずがけ』、『しゃこめし』だった。季節の慣わしものが中心だ。おくずがけは盆の季節に食すものだが、ここでは七月の終わりから八月の半ばまでお膳に乗せている。
「本来、しゃこめしは六月半ばから七月半ばくらいまで、ひとつきのものですが、本日は良いしゃこが入りましたので…これが、今年最後のしゃこになるかと思います。どうか、お楽しみくださいませ」
と、女将は去り際に言った。
「本当にご馳走ばかりでございますね。このようなご馳走は、お城にいた頃のお正月以来でございます」
小滝は感慨深くいった。
「今井堂、身に余るご馳走だ。本当にありがとう」
「惣右介様、小滝様、私もそうそう滅多に山百に足を運べるわけではございません。ですので今宵は私も皆様にご相伴させていただき、良い思いをしております。ありがたいことでございます」
最後の膳が四つ運ばれてきた。もちろん『こんぽうと』である。おねずの膳にもやはり『こんぽうと』は載っていた。すぐさま、ちゅるちゅるとおねずは嬉しそうに食べている。それを横目で見て
(少し、食べすぎだな)
と惣右介は思うが、反面、小滝がおねずを叱らないのも不思議な気がする。小滝はおねずには大甘なのだ。
「おねず、美味しいものを沢山いただいて、嬉しいか」
「うん、うれちい!きょうはいいひだ!」
おねずは、満面の笑みで答える。
「いまいどうちゃま、ごちちょうちゃまでごぢゃる」
おねずはぺこりと頭を下げた。
「ほんに今宵は美味しいものばかりでございました」
小滝も満足げな顔で言った。
「皆様にご満足いただけたなら、私も嬉しゅうございます。今度は汐ノ壺で浜遊びなど致しましょう、おねず様」
「はまあちょび?」
おねずはきょとんとした。
「ちょうちゅけどん、はまあちょびってなんだ?」
「海で遊ぶことだ」
「うみってなんだ?」
「国見の丘の上からご城下を見たときに、朝、お天道様が上がってくるのが東の方角だ。その東の方の遠くにお天道様に光っているのが海だ」
「え!あれがうみ?ちゅごいね!あれがうみ!」
おねずはご機嫌だった。
「ああ、おねずはまだ海を知らなかったな」
と、惣右介は気がついた。
「さようでございましたか。おねず様、この世の中は広くて、いろいろなきれいなものや、場所、美味しいものが、たんとございますよ」
と今井堂が受ける。
「ちょうなんだ…でも、あっちもきれいなもの、いちばんおいちいもの、ちってる!」
おねずが少しだけ鼻を膨らまし気味に言った。
今井堂は興味深そうに
「ほう、おねず様、それはどんなものでございますか?」
「あちゃ、のぼってくるおてんとうちゃまと、ゆうがた、ちぢゅんでいくおてんとうちゃまがきれいだ」
「ああ」
今井堂は深く頷いた。
「それは確かに美しいものでございますね…それに勝るものは無いかもしれません」
今井堂も目を細めて言った。それに気を良くしたのか、更におねずは
「ちょちて、いちばんおいちいものは、こたきちゃまがちゅくったものだ!こたきちゃまがたいたあぢゅきはいちばんだ!」
と、目を輝かしていった。それを聞いた小滝は慌てて、
「これ、おねず!そんなことを軽く言ってはなりませぬ!お前はまだ小さくて、ものを知らぬ!今井堂の心づくしを前になんと失礼な…今井堂、すまないのう」
「今井堂、すまぬ。躾が行き届いておらず、申し訳ない」
惣右介と小滝は今井堂に慌てて頭を下げた。当のおねずは、惣右介と小滝が何故頭を下げているかわからず,きょとんとしている。
「いえいえ、惣右介様、小滝様…おねず様が仰っていることに間違いはありませぬ」
今井堂は優しい口調で続け、
「私もお天道様が一番美しく、そして小滝様が手ずから作ってくださったものが一番美味しいのではないかと…小さい方たちは正直なものです。そして、私はそれが一番、世の中で好ましいものと存じておりまする」
今井堂はにっこりとおねずに微笑んだ。おねずも今井堂ににっこりとした。
「いまいどうちゃまも、こたきちゃまのあぢゅきをたべにきたらよいでごぢゃる」
「これは、お招きをありがとうございます。小滝様、よろしいので?」
「もちろんです、今井堂。煮小豆如きでよろしければ、いくらでも」
小滝は小滝で、まんざらでもないらしく、嬉しそうに請け負った。
「それでは、お言葉に甘えてお伺いさせていただきます。在蓮中の楽しみが出来ました」
「よかった!きっと、いまいどうちゃまも『びみなり!』って、いうでごぢゃる」
おねずの言葉に、今井堂も惣右介も声を立てて笑った。小滝は一瞬、
(また、この物言い…一体どこで?)
と思ったが、それもすぐ消えていき、やはり声を立てて笑った。おねずは相変わらず、自慢げに鼻を膨らましている。既に日はとっぷりと暮れており、涼しい風に虫の音が響く夏の宵となっていた。




