贖捨の葉
おねずは衝撃でひっくり返った。
なんとか起き上がった時には辺りは雨の音だけだった。
惣右介も荒獅子も、星見屋の爺様までもがひっくり返っていたようだった。
みんな泥だらけだったからだ。
四人の真ん中、青竹の結界の中央には祭壇だけが残っており、ライも供物を入れた笊も無くなっていた。雷雲は跡形もなく消え、音を立てて降っていた雨は弱くなり、やがて静かにあがった。
「おお、虹が」
荒獅子が指さす。
「ちょうちゅけどん、にじってなんだ?」
おねずが惣右介に尋ねると、
「ライは無事に天に帰った。その印じゃ」
星見屋の爺様が答えるように言った。
「ちょうか、よかった」
おねずはその答えに満足したようであるが、惣右介は慌てて
「おねず、虹とは、雨が上がった後に、光の加減で七色の橋が天にかかるように見える。それを虹というのだ」
「ちょうか。てんのはち、なんだ。らいは、はちをわたっていったんだな」
「ほっほ。ねずみよ、お前は良い質だな」
星見屋の爺様が目を細めていう。
「わしも二十年ぶりだったので、首尾よくいくか不安じゃったが、お前さん方のおかげでうまく行った。感謝するぞ、ありがたい」
(二十年ぶり!)
荒獅子はその年数にハッとした。
「では宮司様、二十年前にもライは天に帰れなくなったと?」
「ま、そういうことになるか」
「さようでござるか」
荒獅子の役目は、荒獅子だけが知っている。つまり、二十年前にもお世継ぎの知らせがあり、ライはそれに絡んで天に帰れなくなったことがあるということだ。それは当代様こと実之助様のお誕生の時のことではないか。その時、何があったのか…既に記憶の奥底に沈んでしまっているが、単なる偶然とは思えなかった。
「それ、褒美代わりにお前たちの話を聞いてやる」
星見屋の爺様が言った。ぐるりと三人の顔を見まわし、
「そうじゃの、まずは荒獅子。お前様の話を聞こう」
突然、そう言われて荒獅子は慌てた。
「いや、宮司様、某は最後にお願い致す」
荒獅子は發子様の命がある為、宮司の答えによっては,非情の手段を取らねばならない。その為には、おねずと惣右介を先に帰らせなければならなかった。
星見屋の爺様はじっと荒獅子を見つめた後、頷き、
「そうか。では、惣右介、お前だ」
「俺はいい。おねずの話を聞いてやってくれ。おねずは、ずっと、あんたに会いたがっていたんだ。聞きたいことがあるそうだ」
惣右介は苦虫をつぶしたような顔をして答えた。
「ふむ。わしはお前に話があるんじゃが…まあ、良いじゃろう。では、こねずみよ。お前の話を聞こう。こちらへ参れ」
おねずは神妙な顔をして、後をついて行った。杉木立を横に抜けて、叢の中を歩いていくと、そこには今にも倒れんばかりの朽ち果てた御堂があった。
「ここはかみちゃまのおうち?」
おねずは聞いた。惣右介の家よりもボロボロで、お伽様の長屋よりも小さく見える。
「ははは、そうじゃ。ここはのう、外から見るのと中に入るのでは、全く違うのじゃ」
「やっぱり!」
おねずは声を上げた。
「ちょうだとおもった」
「そうか、こねずみよ、お前にはわかっていたか。お前は聡いのう」
「ちゃとい?」
「利口じゃ。賢いともいう。さあ、中に入ってみよ」
半分朽ちかけた扉を星見屋の爺様が開けると、中は真っ暗だった。爺様は先に入り、中の燭台に灯を点けた。おねずもあとについて入り、その後、扉は自然と閉まった。外の光が無くなると、堂内はぼんやりと明るくなり、灯心の明るさが強くなるにつけ、中が良く見えるようになった。
中には三叉の槍を持った知らない神様の像があり、それを背にして星見屋の爺様はこちらを向いて座った。
「さて。そもそも、何故あなた様はねずみになどなっていらっしゃる?」
おねずと完全に二人だけになり向き合うと、星見屋の爺様は言葉遣いを改めた。
(らいとおなぢことをいった?)
おねずは戸惑いながら、あっちはねずみだ…と、言おうとすると、すとんと目の前が真っ暗になった。
「みずからをおこしたもうな」
どこか暗闇の遠くで声が聞こえた。おねずの耳だけは生きていた。
(このこえはだれだ?これがくらやみにちゅまうもの?)
おねずは先ほどから自分について交わされていた言葉を思い出していた。
「御戯れにも程がありますぞ」
星見屋の爺様の声が聞こえた。
「そういうなおまえにあうのでなければずっとしずんでいようとおもっていたにまさからいにまであうとは」
「私もライに言われなければ、あなた様に気づかなんだ。ライの目は誤魔化せませぬからの」
「だがそのらいはこたびもくらまされたらしいのみなちえがつきすぎたまことひとというものはてにあまるものとなったことよ」
「さようでございますな。あなた様はこれからどうなさるのでございますか?」
「そうよのうまたふかくしずむいちごはゆめみずからはうかぶつもりはない」
「さようでございますか。して、この大黒ねずみの娘はいかに?」
「ちいさきものじゃねがいをかなえてやってたもさあれば」
そして、また、おねずの前にすとん!と、ほの暗い堂内に座る星見屋の爺様が現れた。
「いまの、だれ?」
「お前、お姿は見たのか」
おねずはかぶりを振った。
「そうか、それは良かった。見ていたら、目がつぶれたぞ」
「え!」
おねずは大声を上げそうになったのを、辛うじて抑えた。
「今のお方のことは忘れよ、こねずみ。ただ、あのお方はお前の願いを聞いてやれと言ったぞ…よかったな」
星見屋の爺様が真面目な顔で言った。
「さて、小さなねずみよ。おまえの望みはなんだ?」
「あっちは…あっちは、ちょうちゅけどんのたまちいをうばいたい。たまちいをうばって、だいこくちゅまにちゃちゃげて、ねずみぢょうどにかえるんだ。だから、かみちゃまにたまちいのうばいかたをおちえてほちいんだ」
一気におねずは言うと、
「おねがいでごぢゃる」
と、頭をぺこりと下げた。これは今日知り合った荒獅子様の言い方を真似てみた。丁寧な感じがしたからだ。
「これは、なんと」
星見屋の爺様は開いた口が塞がらないというような顔をした。
「こねずみよ、お前は本気で言っておるのか?」
「ほんきでごぢゃる」
再度、おねずは頭をぺこりと下げた。
「こねずみよ、お前は今、幸せそうだ。惣右介の魂を奪うということは、今の幸せな生活も終わるということだが、それでよいのか?」
星見屋の爺様に尋ねられて、今度はおねずの目と口が(あ!)と、同時に開いた。
「ちょれは…」
「そして、魂を奪うということは、惣右介は死んでしまうということじゃぞ。惣右介が黄泉に渡ってしまえば、おまえがいくら根の国に住まうものだとしても、二度とは会えまい」
「ちょれは…」
惣右介と二度と会えない。おねずはそんな風には考えたことも無かった。ただひたすら、ねずみ浄土に帰ることを考えて、惣右介の魂を奪えば帰れるとだけ考えてきた。今、星見屋の爺様、おねずの神様に言われたことは、おねずにとって初めて考えることだった。
何よりも、
(今の生活が終わる)
(惣右介と二度と会えなくなる)
と言われたことに、おねずの心が奥底で(嫌だ!)と瞬時に反応した。おねずは戸惑い、どうしていいかわからなくなった。今まで考えてもみなかったことだからである。
「かみちゃま、ちょうちゅけどんのたまちいをうばったら、みんなおわりなんでちゅか?」
「そうだな。今の生活は惣右介がいてこその生活だからな」
「あっちのぶらぶらは?」
「なんだかよくわからぬが、まあ、終わりだな」
「こたきちゃまも?」
「ああ、惣右介の乳母殿だな。そうだな、あれもあまりの悲しみに頓死してしまうやもしれぬ」
「ちょんな…」
おねずは、そんなことは望んでいなかった。自分の願いは小滝をも死なせてしまうのか。
「こねずみ、よく考えよ。それに、お前は本当にねずみ浄土に帰りたいのか?」
「え、ちょれは…」
不意を突いた質問に、おねずは再び目を見開き、同時に口が開いた。
頭の中が真っ白になった。
「ふむ、まだわからんか。試しにお前の贖捨の葉を見てみるか」
「あがなちゅてのは?」
「さようじゃ、贖捨の葉じゃ。人の命が書いてある葉のことじゃ。持って生まれた命を知り、その背負うものを贖う(あがなう)為の道標である」
おねずは小首をかしげた。
「その昔、これを巡って篁のご家中でいざこざがあり、人が知るものでは無くなってしまった。だがの、これは神の御手のものじゃ。人の思惑など与り知らぬ。わしは今でも、星を読み、星を祭る。天と地とを繋ぐ役目も担っておる。そしてもちろん、贖捨の葉も存在しておる」
「かみちゃまだから、わかるの?」
「お前はわしを神様と呼ぶが、本当は少し違っておる。だが、呼び名などはどうでも良い。なんと呼ばれようと本質は変わらん。さて、こちらに来よ」
星見屋の爺様は立ち上がり、立像の台座の向こう側に向かった。途中、爺様は立像から槍を外して持った。立像の後ろに回り込むと、後ろも祭壇のように広くなっていたが、何も置かれていなかった。
爺様はおねずが自分の横に立ったのを確かめ、
「おまえは、ちと複雑なようじゃから、簡単に見つかるか、わからぬが…」
「おねがいちまちゅ!」
おねずは前のめりに言った。祭壇に対して、背が足らず、背伸びをして立っている。
「見つかっても、必ずしも、良いことが書いてあるとは限らぬ。そして、約束せよ。何を告げられても、最後は自分でよく考えるのだぞ」
「ぢぶんでかんがえるのでちゅか?」
「そうだ、それが肝心だ」
(かみちゃまも、おとぎちゃまとおなじことをいってる。でも、あっちはいくらかんがえてもわからないのに…)
おねずは悲しくなった。
「それでは開けるぞ」
星見屋の爺様は槍を逆手にして、「ソ!」の掛け声とともに祭壇の壇上を叩いた。
するとパン!という音がして、祭壇の上板が跳ね上がった。おねずは弾みでぐらついたが、辛うじて立ち続け、跳ね上がった祭壇の中を覗き込んだ。
「うわぁ!」
その中には暗闇が広がっていた。
いや、目が慣れてくると、正確には暗闇ではなかった。白や青、赤、黄色に光る夜空の星のようなものがたくさん瞬き、また、白く霧のようなものが幾通りも渦巻き流れている。遠く奥底の方では流れ星のようなものも見えた。底も壁も見えず、ただただ、広がりがあるだけに見えた。
「これは宇宙と言われるものじゃ」
爺様は静かに言った。
「うちゅう?」
そして、おねずは思い出した。これは、あれじゃないか?
「あっち、これ、ちってる。まえにみたことがある」
「ほう、これを知っているか。どこで見た?」
星見屋の爺様は興味深そうにおねずに尋ねた。
「ねずみぢょうどから、ちゃかをのぼってくるとき、ここをとおった」
「ここをとおったのか」
爺様は文字通り、目を丸くした。
「うん、かげのうちゅいおんなのひとが、おちえてくれた。これはうちゅうだって」
「かげのうちゅいおんなのひと…ああ、影の薄い女人ということか?」
「ちょうでごぢゃる」
「そして、ねずみ浄土から坂を上ってくるとき…とな?」
「あい」
「その坂はどんな坂だったか覚えているか?」
「ながくて、うちゅうのほかはなんにもないちゃかだった。とちゅう、いぎょうのものが、ちゃわぎながら、たくちゃんとおった」
その時の怖さをおねずは思い出した。
「異形の者か。それはなんだ?」
「わからない。かげのうちゅいおんなのひとも、ちらないっていった。ただ、めをちゅぶってはだめといわれた。ちゅぶったら、とりこまれるっていった」
「ほお、取り込まれるか。瞑らないとどうなる?」
「ちゅぶらなかったら、いぎょうのものはあっちのからだのなかを、みんなとおりちゅぎていった。いぎょうのものは、あっちにきがついてなかったみたいだ」
「ふうむ、興味深いものだ。他には何かみたか?」
「うーん」
(ばんとうのみはたべたけど…)
おねずはバントウの実を思い出したが、言おうか言うまいか、一瞬迷った。
そんなおねずの様子に気づかずに、星見屋の爺様は顎髭をしごきながら、
「お前はまことに興味深いのお。面白い話を聞かせてもらった。もそっと聞きたいが、まだ二人閊えて(つかえて)おるからのぅ」
おねず自身は早く自分の贖捨の葉を見つけてもらいたくて、うずうずしていた。
「かみちゃま、はやく!」
「よしよし、わかった。それではいくぞ」
爺様は姿勢を直し、大きく息を吸うと、宇宙に向かって
「大黒ねずみの娘・おねずの贖捨の葉よ、そこにいるならば、上がってまいれ!ソ!」
と、持っていた槍を勢いよく宇宙の中に差し入れた。瞬く間に槍の回りには霧のようなものが白く渦巻いてまとわりついた。爺様はそのまま槍で白く渦巻くものをかき回し、
「よしよし。喜べ、こねずみ。これはかかったようじゃ」
と言いながら、槍を宇宙から引き出した。上がってきた槍の三叉の刃先には、朴の葉の様な大きな茶色の葉が刺さっていた。
「やったー、やったー」
おねずは喜びの余りぐるぐると回りだした。
「ぐるぐる回って、喜ぶのはまだ早い。はずれの時もあるし、何も書いてないときもある」
星見屋の爺様はそう言って、おねずを制した。おねずは(よろこべっていったのに)と少し恨めしい気持ちになった。が、すぐに気持ちを立て直して、
「かみちゃま、はやく、みてくだちゃい!」
爺様を急かした。
「こねずみよ、急かすでない。まずは、贖捨の葉に書いてある理史の言葉を読み解かねばならん」
「りちのことば?」
「そうじゃ、理史の言葉じゃ。これは古来より伝わる星読みの言葉じゃ。星宮に仕える者しか読めん。一子相伝なのでな」
おねずには爺様の言っていることは半分以上わからなかったが、自分には読めない言葉だということはわかった。
(あっちも、こたきちゃまに「いろは」をおちえてもらってるんだけどな)
ちょっとだけおねずは残念に思った。
燭台の傍に爺様は戻り、灯の下で贖捨の葉の読み解きを始めた。
「満志二年 正月あけて望月の夜
大黒ねずみの長、黒脛巾が娘 きたる
その娘、呪を得て、彼の国に災いをもたらす
生まれ出ずる国より放逐され、人の世界に降れり
常ならぬ身ではあるが、故ありて名を戴く者となる
そのかりそめの姿、傾国の美姫になぞらえられり
己の呪を解かんがため、呪敵に相伴す
其れゆえか、呪敵の命を意図なくも大きく動かさん
また呪敵に●●●●●●●●
そは人知を超え、天命に従うものなり
かの者、●●●●●●●●●●●●●、●●●●●●」
爺様は、最後は黙ってしまった。おねずは待ちきれず、
「ねえねえ、かみちゃま。なんてかいてあるの?」
「ふうむ。こねずみよ、ここで彗星が奔っていった時に、その尾が葉を掠めて、火花が散って焼けたらしく、燃えてしまっておる。あとは読めん。こんなことは滅多に無い…」
「ちょうなんだ…」
おねずは心底がっかりした。
爺様は今までより、いっそう神妙な顔つきになって
「こねずみよ、おまえは惣右介に名を付けられたと言っていたな」
「ちょうだ。ちょうちゅけどんが、あっちになをちゅけた」
「お前はねずみ浄土を追い出されたのか?何か、ねずみ浄土で問題が起きたのか?」
「ちょうだ。あっちがつおい ひとのきを、ねずみぢょうどにもちこんだから、たくちゃんのねずみがたおれたんだ…」
追放された時のことを思い出し、悲しそうにおねずは言った。
「ふうむ、なるほど。その上、お前は黒脛巾の娘であったか」
「かみちゃまは、おとちゃまをちってるの?」
「お前、大黒ねずみの黒脛布を知らぬ者はこの地ではおらぬであろうよ」
「ちょっかー」
おねずはちょっと嬉しくなって、鼻の穴が膨らんだ。
(みんなが、おとちゃまをちっている!)
「そのお前が笹葉の家にのう…これも命の内なのか」
「ちゃちゃばのいえ?」
「惣右介の家のことじゃ。あいつは本当は笹葉惣右介という。世が世なら…いや生まれる時が時であれば、惣右介は…」
ここまで言って、星見屋の爺様はじっとおねずを見た。
「だが、これからは違うかもしれぬな。お前が笹葉の家に来た…ということは偶然ではあるまい。やはり、天の采配というべきものか…」
爺様はひとり感慨にふけっているようだった。
「かみちゃま、ちょれで、あっちのおねがいはどうなるのでちょうか?」
「おお、そうであった、そうであった!
あのお方からも言われているからには、聞かぬわけにはいかないが…何せ、お前は複雑な要素でできている。贖捨ての葉でさえも、肝心なところが読めぬようになっておった。
それはこねずみ、お前の命は動いてしまったということじゃ。今のお前はねずみならぬもの、人ならぬものである。もはや、何処に向かって転がっていくか、わしにもわからん。
そして、これが一番肝心なことであるが…おまえの命を動かしたのは、お前自身じゃ」
「あっち?」
「そうじゃ、お前自身じゃ。お前が選んで(えらんで)命を変えた。これは大事であるぞ、ねずみ。なかなか人であっても出来ぬことじゃ。それどころか、己が命を受け入れず、逃げ回るばかりのものがいるくらいじゃ。小さいながらもあっぱれと言えよう」
おねずはしばし考えて、
「かみちゃま、ちょれっていいこと?」
と爺様に聞いた。
「そうじゃ、良き事なり。特に惣右介には良き薬になるじゃろうて」
「くちゅり?」
おねずは、お腹が痛くなった時に小滝が煎じてくれた薬を思い出した。とても苦くて、まずかった味が口の中に蘇った。
(あんまち、よくない…)
苦い顔をしているおねずをよそに、星見屋の爺様は
「こねずみや、人には、いや、ねずみにも寿命というものがある。お前は惣右介の魂を奪いたいというが、お前に天命があれば、その時が来る。惣右介のそばに居れば、おのずからその機会は訪れよう。惣右介には惣右介の天命があるのでな」
「てんめい?」
「そうだ、天命だ。今、お前に魂の奪い方を教えてやることは容易い。だが、それは人の命を歪めることを教えることとなる。自分の命を変えることと、人の命を歪めることは、似ているようで全く非なるものじゃ。人の命を歪めることは、翻って自分に跳ね返り、自分の命が歪んでしまうのじゃ。わしはお前をそんな目に合わせとうない」
「あっちが…どうなるの?」
「粉々になって、大気の塵となるか、またはこの宇宙をひとりで永遠に流離う(さすらう)であろう」
(ちょれって、あのかげのうちゅいおんなのひとのこと?)
おねずはあの親切だった影の薄い女人のことを思った。
「とはいえ、お前は天の采配により生かされているようだ。お前には特別な命があるのであろう」
「でも、あっちには、おとぎちゃまとのやくちょくがあるんだ…」
「ほう、御伽様とは、あの大黒堂の御伽殿と約束しているのか。なるほど、それでそのナリというわけか」
爺様は改めておねずを見、一人で納得していた。
「あっちのぢかんは、ちゃんねん でごぢゃる」
「三年か…ふうむ。それは悩ましいことよのう」
星見屋の爺様は言った。
「御伽殿は、惣右介の魂を奪う他の方法は教えてくれなかったのか?」
「うーん」
おねずは眉根を寄せて、腕を組み、一生懸命考えた。
「うーんと。きれいなたまちいをてにいれて、だいこくちゃまにおねがいちて、ちょれといれかえてもらうこと?」
「ふうむ。やはり、魂を扱う契約じゃな。お前も厄介な契約を結んだもんだ」
「やっかい?」
「そうだ、厄介な契約だ。だがその契約は、失敗した時には御伽殿にも跳ね返りが来るくらい強力なものじゃ。それを押しても、契約するというからには何か大きな見返りがあるのだろうが…それが何なのか、覚えがあるか?」
「うーん…」
おねずは、全く覚えがなかった。
「わかんない」
「そうか、それではこの話は進まん。良いか、天命を信じよ。早計に非道に走るでないぞ。惣右介と小滝殿との生活が大切ならば、な」
「…あい」
諾の返事をしたものの、おねずはがっかりした。
(かみちゃまにあえたけど、もっと、わかんなくなった)
それに。
それに、何かとっても難しい問いかけをされた気がした。
それだけはわかった。
(あっちのあたまは、いまはぱんぱんだ)
「何を難しい顔をしている?そんなに悩む事ではないぞ。傍から見たら、答えは明白なのに、本人だけがわからないという典型じゃな」
「あっちにはむじゅかちちゅぎて、わかんないでごぢゃる」
「そうか、まあ胸に手を当てて、じっくりと己が心を感じてみるのだな」
おねずは素直に手を自分の胸に当ててみた。
「さあ、こねずみ、次の惣右介を呼んで来い。嫌だと言ったなら…」
爺様はおねずの顔をじっくりと見て、そして
「惣右介の母の話をしてやると言ってやれ」
「わかったでごぢゃる」
おねずは胸に手を当てたまま扉の前に進んだが、あっと声をあげ、くるりと振り向き、
「かみちゃま、ありがとうございまちた」
と、やはり胸に手を当てたまま、今度はゆっくりと丁寧に頭を下げた。
「よしよし、良い子じゃ」
星見屋の爺様は、扉を開けて飛び出していく、おねずの後ろ姿を複雑な思いで見送った。
(なんとか、願いを叶えてやりたいものだが…とうの本人が自分の本当の願いがわからぬうちは、何ともしてやれん…)




