蔵の中にいたもの
夏の朝は早い。夕べからの雷雨も今朝には収まり、惣右介は相変わらず、おねずを背負って御狩場検分に出張っていた。
おねずと言えば、この頃は鶴賀谷村の五作たちとも仲良くなり、惣右介が御狩場で一休みしている最中に一緒に遊んでいる。ただやはり、一番年下の「さち」とだけは、まだまだ打ち解けない様子だった。お互いに惣右介を挟んで睨みあうことがしばしばあり、両手を塞がれた惣右介は苦笑いするばかりだった。
「きょうも、みんなくるかな」
惣右介の背中で、おねずが言った。松野森の見晴らし台に二人は着いていた。
「どうだろうなあ…おねずは来た方がいいのか?」
「いい」
「そうか。じゃあ、おねずのほうが遠くまで見えるだろうから、よく目を凝らして、五作たちを見つけるんだぞ」
「わかった」
おねずが緊張した様子が背中越しに伝わってくる。小さいからなのか、それともねずみだからなのか、何をするのにも一途になるおねずを目の当たりにすると、惣右介は不思議な気持ちになる。
「ちょうちゅけどん、とおくの、あっち、だれかくる」
「え?」
と惣右介もその方向に目を凝らす。
ザワザワと青草をかき分ける音とともに、
「そうすけど~ん!」という声がした。
「あれは…」
「おちゃちちゃんでちゅ」
かなり不機嫌な様子でおねずは言った。惣右介は
(ははあ、さっそくご機嫌斜めになったな)
と可笑しくなったが、
「さち、こっちだ!」
さちを大声で呼んだ。背中でおねずが膨れているのが、目に見えるようだ。その証拠に惣右介の首にまわした手の力が強くなった。
「そうすけどん!」
青草の中から現れたさちは泣きべそ顔だった。
「どうした、さち、泣いているのか?」
「そうすけどん、たすけて!にいちゃんたちが」
「五作たちが、どうした?」
そういえば、五作たちがいない。さちは顔をしわくちゃにして泣いている。
「にいちゃんたちが、こねずみをつかまえたの!」
背中のおねずが反応した。惣右介は一瞬、首を絞められ息が詰まったが
「こねずみを捕まえた?で、なんで、さちは泣いてるんだ?」
「川に沈めるって!まだ小さいのに!そうすけどん、助けて!」
(こりゃまずい!)
惣右介が思ったのと同時に、おねずが息を吞んだのがわかった。
「よし、さち、五作たちのところに案内しろ」
「波奈北川に行くって」
泣きながら、さちは惣右介の右手を取って、青草の中を走りだす。惣右介は右手でさち、左手で背中のおねずを支えて、松野森の丘の斜面をすべるように降りる。
「あっちも、はちる!」
するするとおねずは惣右介の背中から降りて、惣右介の左手を握って走り出した。
「ちょうちゅけどん、はやく!こねじゅみをたちゅけるんだ!」
うんうんとうなずきながら、さちも
「早く!早く!」
と惣右介の右手を引っ張って走る。いつのまにか、さちとおねずは息を合わせて、惣右介を引っ張っていた。肝心の惣右介は二人の少女とは身長差がありすぎて、逆に転ばないように気をつけながら、前のめりになりつつ鶴賀谷の谷底へと降りて行った。
(なんとか間に合ってくれればいいが)
祈るような気持ちで、惣右介は波奈北川に向かっていた。今、おねずの前でこねずみが沈められるのだけは避けなければならない。
河原に続く道に出た。未だ五作達の姿は見えなかったが、惣右介は
「五作、太郎!」
と年長の二人の名前を呼んだ。
「ごちゃく、たろう!」とおねずも叫び、「にいちゃん!」負けじとさちも叫ぶ。
河岸に子供の人影が見え始め、そしてこちらに振り向くのが見えた。
「五作、太郎、ちょっと待ってくれ!」
「にいちゃん、にいちゃん!」
さちが泣きながら、五作に走っていく。おねずも「だめえ!だめえ!」と後を追う。
「五作、ちょっと待ってくれ!」
惣右介は五作たちのもとに辿り着くと、
「こねずみを沈めるのは、ちょっと待ってくれ!」
と、肩で息をしているのを整えながら、なんとか言った。
「そうすけどん」
五作たちはあっけにとられた表情で、惣右介たちを見ていた。五作は竹ひごで作った小さな檻を持っていて、中には小さな…とても小さな白いねずみがいた。そのねずみを見るなり、おねずの目にみるみるうちに涙が溢れ、ほろほろとこぼれた
「五作よ、こねずみを川に沈めるのは許してくれないか」
「さち、そうすけどんに言いつけに行ったな!」
太郎がさちを睨む。泣きべそ顔で、さちも睨み返した。
「小さいのに、可哀そうだ!」
「ちょうだ、ちょうだ!」
おねずも叫ぶ。昨日の敵は今日の味方だった。
今や、さちとおねずは手をつないで、五作たちに立ち向かっている。
「こいつは備えの蔵に入り込んで、米や麦を食い荒らした」
「ちょんなこと、ちない!」
おねずが叫んだ。
「このこは、だいこくちゃまのねじゅみだ!だいこくちゃまのねじゅみは、ひとのくらをあらちたり、ちない!」
「おねず、そのこねずみは大黒様のねずみなのか」
「ちょうだ!」
おねずは鼻を膨らまし、目には涙を滲ませて怒っている。
「ほら、おねずちゃんも言ってる!兄ちゃん、その子を助けて!」
さちはおねずの援護を受けて、さらに一歩前に踏み出す。
「五作、そのねずみは大黒ねずみだそうだ。なんとか、勘弁してやってくれないか」
「そうすけどんが言ったとしても、ねずみはねずみだ!」
五作はきっぱりと言った。
「ごちゃくのばかぁ!」
突然、おねずが大声で叫んだ。おねずがこんな大声を出すのを聞いたのは初めてだったので、皆一瞬、固まってしまった。
そして、おねずにつられるように、今度はさちが「ごさくのばかぁ!」と怒鳴った。
おねずとさちは声を限りに
「ごちゃくのばかぁ」
「たろうのばかぁ」
「じろうのばかぁ」
「とらきちのばかぁ」
と、繰り返し叫び続けた。惣右介は内心笑い出したかったが、ぐっと堪えて
「なあ、五作よ、俺の家…笹葉の家では大黒ねずみを大切にしなければならん。蓮臺のお殿様にとっても、大黒ねずみはお家のお守りのねずみで大切だ。どうか、助けてやってくれまいか。悪さはしないと言っている」
おねずがぶんぶんと首を縦に振る。それを見て、さちも同じようにぶんぶんと首を縦に振った。五作も、太郎も次郎も、寅吉も黙り込む。
「五作よ、そのこねずみを私に譲ってくれたら、お前達が前から行きたがっていた鷹仕の小屋につれて行ってやろう。埋木の鷹の細工はもちろん、今の次期だったら本物の鷹にも会えるぞ」
惣右介の申し出に太郎、次郎、寅吉は心が動いたようだった。
「五作、そうすけどんがああ言ってる」
「こねずみをそうすけどんにあげようよ」
「大きな鷹を見られるよ」
五作だけが振り上げた拳を下げられずにいる。
「五作、どうしてそんなにねずみを、それもそんなこねずみ如きを目の敵にする?今までそんなことは無かったろう?」
惣右介は落ち着いた声でゆっくりと聞いた。
「それは…みのやさちのために、父ちゃん、母ちゃんが一生懸命、取っておいた米や麦を、こいつらが荒らしちまったんだ」
「あたしや、姉ちゃんのため?」
きょとんとして、さちが聞き返した。
「そうだ、みのやおまえがお嫁に行く時のために、父ちゃんと母ちゃんは毎年、お米と麦を大切に少しずつ蓄えてる。少し貯まるといつも金子に換えに行くんだ」
五作はすこし落ち着いてきたのか、ゆっくりと話し出した。
「だけど、ここんとこ、それが荒らされているんだ。でも、父ちゃんと母ちゃんもそうすけどんと同じことを言うんだ、ねずみは蓮臺の守り神だから、大切にしなくちゃいけないって。それで父ちゃんと母ちゃんは、もっと働いてるんだよ。さち、わかるだろう?それで、みのは家のことを全部やるようになって、おまえと一緒に遊べなくなったんだ」
さちは黙った。そして、今にもまた泣きそうな顔をしている。
「そうだったのか」
惣右介はため息とともに言った。そうであれば、あながち五作の怒りも的外れでも無い。
どうしたものか、と惣右介は思った。
「ちょれは、だいこくねじゅみのやったことぢゃない!」
おねずがきっぱりと言った。
「ちょれはくらをあらちゅやつを、おおきいだいこくねじゅみが、さがちにきたんだ。そのちいちゃいこは、ただいっちょについてきただけだ」
(あっちのように)と、心の中でおねずは続けた。
「大黒ねずみが探しに来た?そんなこと、有るわけ無い」
「ある。あるっていったら、あるんだ!だいこくねじゅみはくらをまもるねじゅみだ」
おねずが言うからには本当なんだろうとは思うが、おねずが大黒ねずみであるのは、惣右介だけが知っていることだ。全くもって説得力が無かった。
「うーん、五作よ、お前の言い分もわかった。だが、おねずもああ言っている。おねずの家は大昔からのねずみ遣いの家だ。ねずみのことなら、よく知っている。俺もおねずの言うことは信じられると思う」
惣右介は(我ながら苦しい話のつなぎ方だ)と心の中で苦笑した。
「とはいえ、それだけで信じろと言われても、おまえも不服だろう」
五作の目が「そうだ」と訴えていた。
「おまえは、そのこねずみが蔵を荒らしたところを見たのか」
惣右介は思い切って聞いた。すると五作は少し動揺したのか、一瞬、視線を泳がせて
「見てない。でも…でも、こいつは荒らされた蔵の中にいた!」
「そうか。それじゃ、このこねずみを連れて、その蔵に俺を連れて行ってくれないか、五作。何かこねずみが荒らした証拠が見つかるかもしれない」
惣右介は全くもってあてずっぽうであり、何かが見つかるとは思えなかったが、
(今は時間稼ぎだ)
と、腹を括って五作に言った。
「わかった、そうすけどんがそうまで言うなら。蔵に行こう。さちとおねずちゃんは、ここで待ってろ」
五作はそういうと、くるりと後ろを振り向き、歩き出した。
さちとおねずが追いかけようとすると、
「二人は、ここで待ってな」
惣右介がそう言って制し、
「大丈夫だから」
とにっこりと笑った。さちとおねずは、ぎゅっと手をつないだまま、同時に「うん」と頷いた。二人の返事を聞いて、惣右介は五作の後に続いた。太郎、次郎、寅吉も後についていった。河原にはさちとおねずだけになり、七月だというのに二人は手だけでなく身体もぎゅっと寄せ合い、じっとそこに立って五人が行くのを見送った。
惣右介と五作、太郎、次郎、寅吉は五作言うところの「蔵」の前に立った。蔵と言っても、木でできた物置小屋のようなものだった。蓮臺のご城下にある、今井堂の蔵のような漆喰づくりの頑丈なものでは無い。
「粗末な蔵だけど、でも、ここには、ねずみぐらいしか入れない」
と、不貞腐れたように五作は言った。
「中に入っていいか?五作」
「いいよ、そうすけどん」
惣右介がガタガタと音を立てて、木戸を開けると、突然入ってきた光に反応したのか、何かが動く気配がした。
「おい、なんか今、動いたぞ」
「え?」
と、五作達が中に入ろうとするのを、「待て」と惣右介が手で止めた。
「籠か深めの笊を持ってこい。静かに行くんだぞ」
黙ってうなずいて、太郎が探しに行った。
「五作、入り口はここだけか?」
「そうだ」
「わかった。寅吉と次郎は、音をたてないように左側からまわって、小屋に穴が開いてないか、変なところが無いかを見てみるんだ。何か見つけたら、騒がずに俺のところに来い」
惣右介がそう言うと、寅吉と次郎はうなずいた。
「俺は右側から回ってみる。五作は一番肝心な、この入り口で見張ってろ。何が来ても、外に出すな。太郎が籠か笊を持ってきたら、それを持って入り口で構えろ」
五作も黙ってうなずいた。こうして寅吉と次郎は左側にすすみ、惣右介は右側にまわった。
「蔵」と呼ばれる粗末な小屋の裏は、緩やかな谷の斜面に続く叢になっている。もともと小さな作りなので、あっという間に裏側についてしまったが、小屋の右側には何も異変はなかった。
(さっきの奴はどこから入ったのか)
惣右介は目を凝らして、小屋の裏手、叢と接する面との境を観察する。
すると、ほんのわずかに土が盛り上がって、小屋から叢の中に道のように続いているのを発見した。
(ヒミズか?)
だが、ヒミズは穀物を食べないと聞いている。と、向こう側に人の気配がして、寅吉と次郎が顔を出した。そして二人とも黙って、首を横に振った。惣右介も黙って頷き、左手の人差し指を立てて口の前に立て、右手で下の土の盛り上がりを指さした。寅吉と次郎がそれを見て、目を見開く。
惣右介、寅吉、次郎は小屋の前に戻った。
緊張した顔で、五作は立っている。
丁度向こうから、太郎が背負い籠を持って走ってくるのが見えた。
「ヒミズの道が後ろにあった。小屋の中に続いてた」
寅吉が言うと、すかさず五作が
「蔵、だ」
と言い返した。五作にとってはあくまで大切な「蔵」なのだ。
「でも、ヒミズは米や麦を食べない。生きてる奴を食べるもんだ」
五作は続けて言った。
「多分、ヒミズの道を通って、別の奴が入り込んでいるんだろう」
惣右介は暗闇の中で動いたものの大きさを思い出しながら言った。
「じゃあ、やっぱりねずみ!」
「いや、さっき中で動いた奴は、もっと大きかった気がする」
そこに太郎がやっと着いて、籠を背中から下した。
「よし、準備はできたな。この籠の中に追い込もう」
惣右介が言うと、四人は頷いた。
「最初に寅吉と次郎が後ろに回れ。俺が掛け声を掛けたら、小屋の後ろを叩いて騒げ。いいな?五作と太郎は入り口で籠を構えろ。俺は」
惣右介は来ていた着物を脱ぎ、
「これで、籠の上から逃げるのを止める、いいな」
「おう!」
それぞれが自分の持ち場についたのを見計らって、
「寅吉、次郎、叩け!」と、惣右介の号令を聞くやいなや、寅吉と次郎が盛大に小屋を叩き出した。その途端、小屋の中でドタバタと走り回る音が始まった。それを聞いた惣右介は、五作と太郎が構えているのを確かめ
「よし、開けるぞ」
と、籠より少し小さめに戸を開けた。
再び、ぱあっと光が差し込み、小屋の中に立ちあがっている土埃が光に煌めいた。その中で何かが走り回って暴れている。
「よし、寅吉はそのまま後ろを叩け!次郎は右に回って叩け!太郎も左に回って叩くんだ!五作はしっかりと籠を構えろ」
三方から叩かれまくり、粗末な木造りの小屋はこのまま壊れてしまうのではないかという勢いだ。その時、
「きーききき」という奇妙な鳴き声と共に、ドンと五作の身体が少し後ろに下がった。
「そうすけどん!」
五作は慌てて体勢を立て直して、籠の口を上に向ける。惣右介もすかさず、自分の着物で籠の口を覆い、しっかりと封をした。籠の中では奇妙な鳴き声の生き物がじたばたと騒いでいる。
「よし、捕まえたぞ!」
五作が叫ぶと、太郎、寅吉、次郎がバラバラと集まって来た。その生き物は、籠の中や封になっている着物をがりがりと引っ搔いている。
その時になって初めて惣右介は、
(あ、こりゃ、また小滝に怒られるな)
と気がついた。だが時は既に遅し、着物はもはやズタズタのドロドロになっているに違いない。
「五作、この籠は俺が抑えているから、おまえは中に入って確かめてこい」
「わかった」
五作はなおも緊張した面持ちで、「蔵」の中に入っていった。太郎、寅吉、次郎は、しゃがみこんで籠を抑えている惣右介を取り囲むように立ち、一様に「蔵」を見守っている。籠の中の生き物は、諦めたのか静かになっていた。
五作が「蔵」から出て来た。その表情は怒りとも諦めとも取れるものだった。
「また、やられてた。三日前に繕った袋が齧られてた…こねずみの大きさじゃなかった」
「そうか、良かったぁ」
と、ホッとした表情とともに太郎、寅吉、次郎は声に出して言った。
惣右介も
(これで、おねずとさちが安心するな)
と、ホッとしたが同時に
(では、この中にいるのは何なんだろう)
とも思った。
「たぶん、それの仕業だ…でも、それは何だろう、そうすけどん?」
五作も同じことを聞いてきた。
「籠から出してみよう」
惣右介が言うと、皆は一斉に頷いた。
「狸や狐用の檻はあるか」
「じいちゃんのがある」
寅吉が走っていった。
寅吉が戻ってくる間、四人は黙って待っていた。籠の中の生き物も静かだった。双方、息を殺して、お互いの様子を窺っているかのようだった。
遠くの空が、一瞬、光ったのが見えた。
「近頃は雷が多いな」
太郎がぽつりと言った。
「こないだ、裏山に雷が落ちたし」
次郎が兄の言葉を引き継ぐ。惣右介は二人の言葉を聞きながら、遠くの空が暗くなってくるのを見ていた。五作は一文字に口を引き結んだまま、厳しい顔をしている。
「おーい、持ってきたぞぉ」
寅吉が檻をかざしながら、走ってきた。
五作は寅吉から檻を受け取ると檻の扉を開け、惣右介の前に置いた。惣右介はその口に向かって持っていた籠をひっくり返し、蓋にしていた着物を引き抜いた。中にいたそれは転がり落ち、ドサッと嵩の張る音を立てた。惣右介、五作、太郎、次郎、寅吉は恐るおそる、檻の中に入ったそれを覗き込んだ。
それは黒色の体毛を持ち、その黒毛の先が所々金色になっている獣だった。身体は二尺前後、しっぽが太く、長さは七寸くらいか。一見、狸のように見えたが、決定的な違いがあった。前足の爪がするどく鉤型になっており、突出して大きかった。その上、指は四本だった。
「なんだ、これ?」
太郎は言ったが、五作は当初は言葉も出ない様だった。そして、ため息をつくのと同時に
「そうすけどん、なんだろう?」
と聞いた。惣右介も初めて見る生き物だった。
「わからん。俺も初めて見た」
ただ常の獣と違うのは、それは目を見開いて、惣右介たちを凝視していた。狸や鼬なら目を伏せてうずくまるか、反対に歯を剥いて威嚇するかだが、それはどちらでもなかった。惣右介はこの正体がわからない生き物をどうしたものか…を考えていた。確かに「蔵」を荒らしたのはそれらしい。だが、生き物はみんな平等だ。こねずみを生かして、それを始末して良いという道理は無い。少なくとも惣右介には、だ。それに、この見た事も無い生き物を、正体もわからぬまま始末するなんて、野蛮の極みに思われた。
ぽつっ、ぽつっと、惣右介の頬に雨粒があたった。
「雨だ!」
寅吉が言った。途端に、ぼたぼたと大きな雨粒が落ちて来た。乾いていた地面に次々と大粒の痕が出来る。夏の乾いた土に浸み込んでいき、雨の匂いが漂い始めた。
「にいちゃん!」
いつのまにか、さちとおねずがそこにいた。二人は相変わらず、手を繋いでいた。
「さち、待ってろって言ったろ!」
五作は幼い妹にきつい口調で言った。
「ごちゃく、こねじゅみは?」
おねずが必死の形相で聞く。
「おねず、さち、安心しろ。ねずみじゃなかった。こいつ、だ」
惣右介は檻を抑えながら、顎でそれを指し示した。それは騒ぐ事も無く、じっとおねず達を見ている。
「よかったー!よかったー!」
と、さちとおねずは、二人で両手を繋いで輪になってぐるぐると回った。
ピカッと稲光が光り、続けてゴロゴロと近い場所で音がした。雨がさっきより強くなり始めた。
「これは雨が強くなるな。みんな、帰れ!俺たちも帰ろう、おねず」
惣右介は暗い空を見ながら言った。
「それはどうするんだ?」
五作がすかさず、聞いてきた。
「これは、見た事も無い生き物だ。だから、念のため御城に持っていく。逃がしはしないから、安心しろ。その上で処分が決まるだろう」
惣右介の言葉を、五作は納得できない顔でいる。
「五作よ、明日、ねずみや狸にやられない蔵を作ってやる。だから、今日のところは勘弁してやってくれ、この通りだ」
惣右介は五作に頭を下げた。それを見ながら、おねずは心の中で(ねずみはやってないけど!)と思い、少し口を尖らせた。
「そうすけどん!」
子供たちは一様に慌てた。さすがの五作も、惣右介が頭を下げたことに驚いた。五作は目をぱちくりと瞬き、そして憑き物が取れたような表情になった。
「わかったよ、そうすけどん。頭をあげとくれ!」
「おう。五作、恩に着る。蔵造りは確かに請け負った、それと、そのこねずみも、俺に渡してくれまいか」
「いいよ、そうすけどん」
五作はこねずみの入った小さな檻を惣右介に渡した。そして
「ごめんよ、おねずちゃん、さち。心配させたな」
と二人に言った。
「じゃあ、みんな帰ろう!また、明日だ!」
そう五作が言うと、みんなバラバラと走って帰っていく。さちが
「そうすけどん、ありがとう!」
と、大きな声で言い、
「おねずちゃん、またね!」
と手をぶんぶん振っていた。それにこたえて、おねずも
「ちゃっちゃん、またね!」
と手をぶんぶん振った。
子供たちは去り、惣右介とおねずが残された。いや、正しくはこねずみとそれも残された。雨は普通に降っている。雷も近づいてきつつある。
「さてと、俺たちも帰ろう、おねず」
「ちょうちゅけどん、こねじゅみをかえちてやる」
「ああ、そうだったな」
「ここのこだから、ここにかえちゅ」
(なるほど)と惣右介は思った。
惣右介が竹ひごを小刀で解いてやると、こねずみは恐るおそる外に出て来た。
「ちゃ、ねずみぢょうどにかえんな。みんな、ちんぱいちてるよ」
おねずが優しく声をかけた。
惣右介は胸が詰まった。
こねずみはじっとおねずを見て、そして、くるりと後ろを向き、スルスルと流れるように河原の草むらに消えていった。こねずみが消えた叢の辺りをおねずは雨に打たれながら、しばらく見ていたが、こちらを振り向き、おかっぱ頭を下げ、
「ちょうちゅけどん、ありがとう」
と、言った。惣右介は、いつものおねずではないような気がした。
「あのこについていったら、おねずも一緒に帰れるんじゃないのか」
「あのこは、ねずみのみちがわかるんだ。あっちには、ねずみのみちがもうわからない。みえないんだ。みえないみちは、ないのといっちょだ」
惣右介はいたたまれない気持ちになった。
「おねず」
「いっちょには、かえれないんだ。…いいんだ、あっちはちょうちゅけどんのたまちいをうばって、だいこくちゃまにちゅをといてもらう。ちょいで、かえちてもらうから」
振り切ったように、おねずは一気にそう言って、ニカッと笑ってみせた。
惣右介は急におねずが大人になった気がした。
「そうだったな」
惣右介は優しい声で静かに言った。
おねずはじっと惣右介を見ていたが、徐に
「…ちょうちゅけどん、きのも(着物)、ぼろぼろだね」
おねずに言われて惣右介は苦笑いする。一応、着物を羽織ってみたものの、見事なくらい、生地がボロボロに裂けていた。その上、この雨だ。ボロボロの生地の端から、水がしたたり落ちている。
「そうだな。また小滝に怒られるな」
「だね」
おねずはちょっとだけすまなさそうな声で言った。
「じゃあ、ボロボロついでだ」
というと惣右介は着物を再び脱ぎ、おねずの頭の上から被せて、包む様に覆った。
「おまえに風邪でもひかれたら、小滝の怒りは頂点に達するからな。少しはマシだろう」
惣右介とおねずが檻を持って歩き出すと、
「おねずちゃ〜ん!」
「そうすけど~ん!」
さちと五作だった。笠と笊を持って、雨の中を駆けてくる。
「どうした、五作」
「ふたりに笠と」
五作が笠を二つ差し出す。
「冷やした瓜を切ったのと、とうみぎ団子だよ」
ニコニコとさちが笊をおねずに見せる。
おねずのお腹がくぅっと鳴った。それを耳ざとく聞きつけたさちが
「さちの母ちゃんが作った!うまいよ」
さちは油紙から「とうみぎ団子」を取り出し、おねずの手に持たせる。おねずは恐るおそる、一口かじった。それはほんのりと甘く、黄色く粒だった団子だった。おねずは「とうみぎだんご」を初めて食べた。
「うまい!うまいねぇ!」
おねずはさちの真似をして言った。
「だろう!さちの母ちゃんのとうみぎ団子は天下一だ!」
さちが胸を反らして、自慢した。
滴る雨を気にせず、とうみぎ団子を夢中で頬張るおねずに惣右介は笠を被らせながら
「五作、さち、ありがとうな。こんな貴重なものを…。笠もありがたく借りていく」
「いいよ、そうすけどん!明日、蔵を作ってもらうお礼じゃ」
「そうか、それじゃ、より立派な蔵を作らんとな」
「頼むよ、そうすけどん。じゃ、俺たち行くよ!また明日!」
五作はさちの手を引っ張って、雨の中を走っていく。
「ちゃっちゃん、ありがと!ごちゃく、ありがと!」
おねずが雨に負けないように大きな声で言う。
「よかったな、おねず」
惣右介が声を掛けると、おねずは嬉しそうに
「うん」と答えた。と、その時、
「オイ、オマエ。オレニモ ソレヲ ヨコセ」
突然、聞いたことのない声がした。
惣右介とおねずはギョッとして辺りを見回し、耳を澄ます。
雨の音の他は遠くに雷鳴が聞こえるだけだ。
「オマエダ、オマエ。ダイコクネズミノ ムスメ」
(え?大黒ねずみの娘と言ったのか?)
惣右介とおねずは同時に目を見合わせた。
「オマエガ モッテイル クイカケデ イイカラ、オレニクレ」
惣右介が抱えていた檻の中から、それが手をおねずの方に伸ばしている。
「お前が言っていたのか?」
惣右介が問いかけたのを無視して、
「ダイコクネズミノ ムスメ、ソレハ トウモロコシ ダ。オレハ ソレヲ サガシテタンダ」
それは、なおも おねずに向かって手を伸ばす。
おねずはしばし黙ってそれを見つめた後、自分の食べかけをそれに渡した。
「オンニ キル」
それはおねずから「とうみぎ団子」を受け取ると貪り喰い、アッという間に平らげてしまった。そしてため息をひとつつくと
「コレデ ヤット ヒトゴゴチツイタ」
と言った。おねずと惣右介は呆気にとられて、それを見ていた。
「お前はなんだ?」
惣右介が再度聞いた。するとそれは惣右介に鼻先を一瞬むけ、一瞥すると
「オレハ ゲセンノモノトハ ハナサン」
と言ってプイっと顔を背けた。ピカっと稲光が走り、続けてゴロゴロと雷鳴が響く。思っていたよりも、雷は近くに来ているようだった。
それの様子を受けて今度はおねずが
「じゃあ、あっちと、はなせ。おまえはなんだ?」
「オレハ ライ ダ、ダイコクネズミノ ムスメ ヨ。クンシ ガ チジョウ ニ ウマレタトキニ テンテイ ニ ホウコク ヲ スル ヤクメ ダ」
自分で聞いたものの、おねずの頭は混乱してしまった。
何よりも、それが言っている言葉がわからない。
「お前はライと言うのか。君子が地上に生まれた時に天帝に報告する役目だそうだが、そんなおまえが何故、五作の蔵にいたんだ?」
惣右介の言葉で、おねずはやっとライの言っている意味が分かったが、肝心のライは惣右介を無視している。そして、雷はなおも近づいてきていた。
「なんで、らいは あちょこに いたんだ?」
「トウモロコシガ アッタカラダ。ホントウニ エライ メ ニ アッタ。ヒトナンテ イキモノハ ロクナコト ヲ セン」
「らいが、とうもろこちをとろうと ちた から ぢゃないの?」
ちょっと責めるような口調でおねずが言った。
「チガウ。ソノハナシジャナイ。モトモトノ ハナシダ」
「もともとのはなち?」
「ソウダ。トニカク、イマハ オレヲ ホシミヤ ニ ツレテ イッテ クレ。オレガ テンニ カエラナイト、コノカミナリハ オサマラン」
「星見屋?」
今度は惣右介が驚く番だった。そして、おねずの顔がパアッと輝いた。
「ほちみや!かみちゃまのところ!」
「ツネナラヌ ミチ デ、オレヲ テンニ カエスコトガ デキルノハ、ホシミヤノ グウジ ダケダ」
「ちょうちゅけどん、かみちゃまのところにいこう!らいがいってる!」
惣右介は気乗りしなかったが、おねずが走り出さんばかりになっている。それにこのライという生き物に帰るところがあるのであれば、帰してやった方が良いだろうとも思った。
「仕方ない。星見屋の傍までは連れて行ってやる」
そう言って、惣右介はライの檻を持ち上げた。おねずは星見屋に行けるとなって、うれしさの余り、雨の中にもかかわらず、ぴょこぴょこ跳ねている。惣右介は左手にライの檻、右手にさちの笊を持って歩きだした。一応、神様のお使い(らしい?)ということなので、惣右介はライの檻に自分の着物を被せ、ライが雨に濡れないようにしてやっていた。
「ナンダ、ボロヌノ ダナ」
とライは言った。
おねずは雨の中、惣右介達の先を、ご機嫌で踊るように歩いている。
雷はゴロゴロと言いながら、後をついてきた。
「ライは天の生き物なのか?」
「オレハ テンテイノ オツカイ ダ」
惣右介の気遣いに気を良くしたのか、ライは惣右介が尋ねる事にも答えるようになった。
「さっき、この雷は収まらないと言っていたが…」
「ソウダ、アレハ テンテイカラノ サイソク ダ。ホンライナラ サル ジュウゴニチ ノ ヨナカノ カミナリ デ テン ニ カエル ハズダッタ」
「はずだった…?」
「アア。ダガ ヒトガ バチアタリナ コザイクヲ ハカッタ。ウマレタ モノ ガ クンシ デ ナイバアイ、オレハ カミナリ ニハ ノレン。ホシミヤ ノ タスケ ガ イル」
「それは星見屋でなければ…ダメなのか?」
惣右介は試しに聞いてみた。出来れば、星見屋の爺様とは会いたくない。
「オマエ ハ バカ カ?」
ライが軽蔑しているのは、口調でわかった。惣右介は(まあな)と心の中で苦笑した。
「コンナ オオシゴト ガ デキルノハ、テンテイ ノ シンライ アツイ ホシミヤ ノ グウジ ダケダ。キタノ チハ、ホシノ スベル トコロ。ヒガシノ チハ ヒノ スベルトコロ。ニシノチハ ツキノ スベルトコロ」
俄然、惣右介は興味を持った。
「ほお、面白いな。して、南の地は?」
するとライは惣右介を下から一瞥して、
「オマエニハ オシエン。オマエノ シル コト デハ ナイ」
と言い、その後は黙り込んでしまった。惣右介は(南の地に何があるのだろうか)と、とても気になったが、惣右介の言葉を完全に無視しているライは口を閉ざしたままだった。結局、黙ったまま、雨の中を踊るように歩くおねずを先頭に松野森を越え、二人と一匹は星見屋に向かった。




