無事
「きゅう、きゅう」
小さな鳴き声が、白の静寂を揺らした。
フィルの意識が、ゆっくりと浮上する。
「………いき、てる」
重い体を押し上げ、痛みに顔をしかめながら身を起こした。
視界に映るのは、ただ白。
空も、地も、崩れた雪も――すべてが同じ色に染まっている。
「……助かった、のか?」
掠れた声。
「きゅうっ」
ブルーテイルが、彼の肩に飛び乗った。
その動きで気付く。
自分たちの周囲を、淡い光の膜が包んでいる。
半透明の結界。
吹き荒れる雪を、わずかに遮っている。
「……これは、ルーンの魔法か?」
そう思いかけて、首を振る。
違う。
この魔力の質は、彼女のものではない。
視線を落とす。
「まさか、お前が守ってくれたのか?」
ブルーテイルに問いかける。
「きゅう」
誇らしげに鳴くと、小さな体は地面へ降り、どこかへ駆け出した。
フィルはその後を追う。
数歩進んだ先で、彼の視界にそれは映った。
雪の上に横たわる、ルーンの姿。
「……っ」
息が止まる。
すぐに駆け寄り、膝をついた。
「ルーン!」
抱き起こすと、彼女の顔は苦痛に歪んでいた。
額には汗。
白い頬には、薄紫の斑点が浮かんでいる。
その色に、フィルの瞳が強張った。
「くそっ…」
雪山へ来る前の出来事を思い出す。
街道で戦った魔獣。
あの時、彼女の腕を掠めた爪。
あの爪には毒があるって知っていた。
だからずっと気に掛けていたのに。
フィルは迷わず、防寒着をめくる。
傷のあった場所。
そこには、頬よりも濃い紫の斑点が、広く浮かび上がっていた。
皮膚の下で、毒が回っている証。
「もうここまで…」
喉が、ひりつく。
あの毒に即効性はなく、全身にそれが巡った時に症状が現れる。
早く処置しなければ――最悪、命に関わる。
「きゅう……」
ブルーテイルが不安げに鳴き、ルーンの頬に鼻先を擦り寄せる。
フィルはルーンを慎重に寝かせ、震える指で荷物袋を探った。
取り出したのは、小さな小瓶。
緑色の液体が、冷たい光を宿している。
――用意しておく。
そう言った薬だ。
小瓶の蓋を開ける。
鼻を刺す、強烈な匂い。
これが効くことは分かっている。
だが。
問題は――
「……飲めるか、これ」
この薬は、とてつもなく苦い。
意識が朦朧としている状態で、素直に飲めるとは思えない。
無理に流し込めば、むせて吐き出す可能性もある。
「んっ、…」
「!」
時間はない。
ルーンが苦しげに息を乱す。
肩が震える。
迷っている暇はなかった。
フィルは目を閉じ、短く息を吐く。
「……ごめん。嫌だと思うけど、我慢して」
そう呟き、小瓶を口に当てる。
液体を含んだ瞬間、強烈な苦味が広がった。
思わず顔が歪む。
だが飲み込まず、堪える。
フィルはルーンを抱き起こし、慎重に顔を近づけた。
意識の薄い彼女へ、確実に薬を届けるために。
「きゅうっ!」
雪の世界で、二人の影が重なる。
ブルーテイルが、跳ねるように鳴いた。




