モヤモヤモヤモヤ
それからしばらくして。
デメテラの家のテーブルには、簡単な地図といくつかの荷物が広げられていた。
「王都までなら、この街道を北東に抜けるのが一番早いわ」
デメテラは慣れた手つきで地図をなぞる。彼女は、王都の城に勤めていた両親の影響もあり、地理に明るかった。
「へえ、詳しいじゃねえか」
ジェイクが腕を組む。
「昔から、何度か行き来してるからね」
さらりと答え、デメテラは顔を上げる。
「出発は明日の朝でいい?」
自然に“自分も行く側”として話を進めている。
フィルは一瞬だけ眉を寄せたが――結局、何も言わなかった。
「……構わない」
シオンが短く了承。
デメテラの表情がぱっと明るくなる。
「よかった。じゃあ今夜のうちに準備しちゃうわね」
立ち上がり、てきぱきと動き始める。
フィルはその背中を見て、小さく息を吐いた。
諦めと、わずかな苦笑が混じったような吐息。
「……………」
――それを。
ルーンは静かに見ていた。
胸の奥のざわつきは、まだ完全には消えていない。
「(……どうして)」
自分でも、うまく説明できない。
デメテラが加わること自体に、不満があるわけではない。
頼れる同行者が増えるのは良いことだ。
――それなのに。
「…………」
視線が、無意識にフィルの方へ向く。
彼は、いつもの表情に戻っていた。
先程、デメテラと話していた時に見せた、あのわずかな表情の緩みが――なぜか、頭から離れない。
「ルーン?」
不意に名前を呼ばれ、ルーンははっとする。
顔を向けると、フィラーラがこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「……何でもない」
反射的にそう返して、視線を外す。
フィラーラは一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
「今日は休もう」
シオンが低く告げる。
「……ええ」
その言葉に短く頷くも、ルーンは胸の奥に残る小さな違和感をまだうまく飲み込めずにいた。
+
翌朝。
港町の空気は、前日よりさらに冷え込んでいた。
ルーンたちはそれぞれ事前に用意していた防寒着に身を包み、町の北門をくぐる。吐く息は白く、踏みしめる雪はきゅっ、きゅっと乾いた音を立てた。
先頭を歩くのは、シオン。
その少し後ろに、フィルとデメテラが並んでいる。
ジェイクとフィラーラを挟み、
そして――
一行の最後尾を、ルーンが静かに歩いていた。
雪原を渡る風が、フードの縁を揺らす。
足跡が一本の列になって続いていくのを、ルーンはぼんやりと眺めた。
前方から、楽しげな声が風に乗って届く。
「そういえばあの時、フィルってば一人で突っ走って――」
「無茶はしてないし」
「してたわよ。きっと今も、昔と変わらずなんでしょ」
くすくすと笑うデメテラ。
フィルは呆れたように息を吐いているが、完全に嫌がっている様子ではない。
むしろ――
ほんの少しだけ、声の調子が柔らいでいた。
ルーンの歩調が、わずかに鈍る。
胸の奥が、またざわつく。
「(……楽しそうだな)」
ぽつりと浮かんだ感想に、自分で小さく眉を寄せる。
前を行く二人の間には、自然に言葉が行き交っている。
昔から積み重ねてきた時間が、そのまま形になっているような距離感。
自分たちといる時のフィルとは、少しだけ違う顔。
ルーンは無意識のうちに、視線を細めていた。
足元の雪を、少し強く踏みしめる。
きゅっ、と音が鋭く鳴った。
その時。
前を歩いていたフィラーラが、ふと振り返る。
「ルーン、足元大丈夫?」
はっとして、ルーンは顔を上げた。
「油断してると転ぶからな。気を付けろよ」
「……ええ」
ジェイクが言い、短く答える。
返事を聞いた二人は一瞬だけルーンの表情を確かめるように見て――それ以上は何も言わず、前に向き直った。
再び、前方からデメテラの笑い声が届く。
ルーンは視線を落とし、マフラーに口元を半分埋めた。
「(……なんか、嫌だ)」
胸の奥の小さなモヤは、雪道を進むごとに、わずかに輪郭を増していく。
その正体を、まだ彼女自身は知らない。




