モヤモヤ
女性の家は、港町の外れにあるこぢんまりとした一軒家だった。
暖炉には火が入り、外の冷気が嘘のように室内は暖かい。
その近くでは、ブルーテイルとスノーが楽しそうにじゃれていた。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって…。恥ずかしいところ見られたわね。はい、どうぞ。冷えたでしょ?」
丸いテーブルの上に、人数分の紅茶が並べられる。
女性の名前はデメテラ。
デメテラは慣れた手つきでカップを置き、にこりと笑う。
彼女は、どこか面倒見のいい姉のような空気を自然にまとっていた。
フィルは一瞬だけ視線を落とし、それから小さく息をつく。
「……ありがと」
素っ気ない礼。
だが、声はわずかに柔らいでいた。
デメテラはその変化を見逃さず、嬉しそうに目を細める。
「貴方たちも遠慮しないで飲んでね。フィルのお友達なら大歓迎だから」
「んじゃ、遠慮なく」
「いただきます」
彼女の言葉を聞いて、シオンたちもカップを持ち、紅茶を飲み始めた。
「フィルが王都を追放されたって聞いた時、本当に驚いたんだから」
フィルの反対側の席に腰掛け、デメテラは言う。
明るい口調のままだったが、言葉の奥に心配の色が滲んでいた。
「ずっと気になってたのよ?無事かなとか、ちゃんとご飯食べてるかなとか」
矢継ぎ早の言葉に、フィルはわずかに視線を逸らした。
「……大げさだよ」
「大げさじゃないわよ」
ぴしゃりと言い返され、フィルは口をつぐむ。
デメテラはくすりと笑い、身を乗り出した。
「それで?今まで何してたの?どこにいたの?大きな怪我とか病気とかしなかった?」
問いかける声音は、昔と何も変わっていないように自然だった。
「…質問多いって。そんなにいっぺんに答えられないから」
「んー。じゃあ、ひとつだけ。今まで何してたの?」
質問を絞って、再び問いかける。
フィルは少しだけ考える素振りを見せてから、短く答えた。
「……いろいろ、かな」
ぶっきらぼうな返事。
それでもデメテラは満足そうに何度も頷いた。
「いろいろかぁ。……でも、元気そうでよかった。ほんとに」
「………」
その一言に、フィルの肩がほんのわずか揺れた。
その様子を、ルーンは紅茶のカップを両手で包みながら静かに見つめる。
「…………」
視線が、デメテラへ移る。
屈託なく笑う横顔。
次に、フィル。
どこか戸惑いながらも、完全には隠しきれていない柔らかな表情。
胸の奥が、ざわりと波打った。
「(……なにこれ)」
理由はわからない。
けれど、落ち着かない。
気付けば、ルーンの視線はフィルへ向いていた。
「…………」
わずかに細められたその目は、傍から見れば――睨みつけているようにも見える。
だがルーン自身は、自分の表情の変化に気付いていなかった。
「ねぇ、フィル」
「?」
「フィルは、これから王都に行くの?」
カップに口をつけて、デメテラは聞く。
「…近くまでは行くよ。事情があるから」
「な、なら…さ。私も、一緒に行っていい?」
空気が、ぴたりと止まった。
フィルの眉が深く寄る。
「……は?」
「だって心配だもの。それに、王都までの道は複雑だから案内、必要でしょ?」
あっけらかんと笑うデメテラ。
フィルの表情が、はっきりと険しくなった。
「……来なくていい」
低く、硬い声だった。
ルーンの指先に、わずかに力がこもる。
デメテラは一瞬きょとんとして――すぐに苦笑した。
「なによ、その言い方」
「案内なんてなくても、王都までの道は知ってるし」
フィルは視線を逸らさないまま続けた。
「それに、……君は戦えないだろ」
「あら。これでも昔よりは戦えるようになってるのよ?…少しだけだけど」
間髪入れず返される。
「少しだけって、…それ戦えないのと一緒だから」
「足手まといにはならないわ。だから」
「駄目だ。……君は巻き込めない」
フィルは言う。
最後の言葉は小さかったけれど、デメテラには聞こえていた。
彼女は、どこか困ったように優しく笑う。
「相変わらず優しいね、フィルは」
――その一言に。
フィルの表情がわずかに揺れた。
ルーンの胸の奥が、またざわつく。
二人の間に流れる空気は、自分たちがまだ踏み込めていない“昔”で出来ているように感じられた。
デメテラは椅子の背に軽くもたれ、柔らかな声で続ける。
「本当に大丈夫よ。別に"守ってくれ"って言ってるわけじゃないし。自分の身は自分で守れるから」
「問題はそこじゃ――」
言いかけて、フィルは言葉を切った。
デメテラの性格は、よく知っている。
彼女は、言い出したらなかなか此方の言葉を聞いてはくれない。
だから、フィルが何度同行を拒否しようとも懲りずに食い下がり続けてくるだろう。
「……はぁ」
短く息を吐く。
しばしの沈黙。
やがて――
「……もういいよ。好きにしろ」
観念したように、フィルが低く呟く。
デメテラの顔がぱっと明るくなった。
「ほんと?ありがとう、フィル!」
嬉しそうに笑う彼女の横で、ルーンは静かに紅茶へ口をつける。
「…………」
温かいはずのそれは、何故か少しだけ味を感じにくかった。




