なんとか助かる
「ジェイクさん、ジェイクさん!」
「………ん、」
誰かが自分を呼んでいる。
耳元に響く声にジェイクはかすかに眉を動かした。体がひどく重い。瞼を開けようとしても、なかなか思うようにいかなかった。
「ジェイクさん、起きてください!」
「……んだよ。うるせぇな…」
ようやく声を絞り出し、ジェイクはゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした視界に見慣れた顔が映った。
「あ、ようやく起きましたね。おはようございます」
「……おはよう、じゃねぇよ……」
ジェイクは顔をしかめる。
起きて最初に目に映るのが自分が苦手としている相手の顔なんて、凄く寝覚めが悪い。
「………?」
ふと、風が頬を撫でる。
ここはどこなのか。考えようとするも頭の中に霧がかかったようで、考えがまとまらない。
潮の匂いがする。
髪を揺らす風は心地よく、洞窟の中で感じていた重苦しい空気とはまるで違っていた。
ジェイクはゆっくりと顔を動かす。視界の先には青い空が広がっていた。
「……あ?」
思わず目を瞬かせる。
空。そこには空があった。
洞窟の天井でも岩肌でもない。頭上に広がるのは、どこまでも続く青空だった。
どうやら、自分たちは洞窟の外にいるらしい。
「ジェイクさん、大丈夫ですか?僕がわかりますか?……これ、何本に見えますか?」
ダリアンはそう言うと、ジェイクの目の前に二本の指を立てた。
ジェイクはしばらくその指を見つめたあと、深々と息を吐く。
「お前はダリアン。そんで、これは二本だ」
ジェイクは鬱陶しそうにダリアンの手をどかし、上半身を起こす。体のあちこちが痛み、動くたびに鈍い痛みが走った。
周囲を見渡すと、すぐそばに洞窟の入口。その近くに自分とダリアン以外の人影は見当たらない。
「……俺たち、出てこられたのか?」
「そのようです」
「……どうやって?」
「さあ?僕も先程起きましたので。気がついたら、すでにここに寝かされていたんですよ」
ダリアンはそう言って、自分の体を見下ろす。衣服は破れ、あちこちに傷が残っている。
あの洞窟で何が起きたのか、断片的な記憶はあった。しかし最後に何があったのかは、どうにも思い出せない。ジェイクとダリアン、二人ともだった。
洞窟の中を走り回っていたことは覚えている。背後から響く警告音も、迫りくるKBの足音も。だが、その先の記憶は曖昧だった。
気がつけば、二人そろって洞窟の外にいる。
誰かが運んでくれたのだろうか。
考えても答えは出なかった。
「…あとこれ、貴方のそばに置かれていましたよ」
「ん?」
ダリアンに声をかけられ、ジェイクは顔を向ける。
差し出されたのは、一本の瓶だった。透明な瓶の中には色のついた液体が入っており、側面には小さな紙片が貼り付けられている。
ジェイクは瓶を受け取り、眉をひそめて紙片に目を落とした。そこには、丁寧な文字でこう書かれていた。
『突然攻撃してごめんなさい。これを飲めば傷が治ります』
「………」
ジェイクは無言で文章を見つめた。その下には、液体を飲む際の注意事項も書かれている。飲み方や使用量について、分かりやすく説明されていた。
ダリアンの手元にも、同じような瓶がある。
「どうやら僕たちは、この瓶をくれた人物に助けられたみたいですね」
ダリアンはそう言って、ジェイクの隣に腰を下ろした。
「……助けられた、ねぇ」
ジェイクは瓶を持ち上げる。
誰が置いていったのかは分からない。あの洞窟にいた者たちの誰かか、それとも別の誰かが通りかかったのか。
どちらにせよ傷を治す薬を残してくれたのなら、ありがたい話ではある。中身に問題がなければ。
「……これ、飲んで大丈夫なのか?」
「今のところ体に害はありませんので、おそらく大丈夫かと」
「お前、もう飲んだのか?」
「ええ」
ダリアンは瓶の蓋を開け、鼻先へ近づけた。
ふわりと甘い匂いが漂い、彼は躊躇うことなく瓶を口元へ運んで液体を喉へ流し込む。
「…………」
その様子を横目で見ながら、ジェイクはダリアンの体を観察した。
洞窟で負った傷は、まだ残っている。破れた衣服の隙間から見える肌には、いくつもの傷跡があった。しかし出血は止まっているよう。
それは液体の力なのか、それともただの自然治癒なのか。
「…………」
ジェイクは手元の瓶に視線を戻す。飲めば傷が治る。少なくともダリアンの様子を見る限りでは嘘ではなさそうだ。
ジェイクは恐る恐る蓋を開け、瓶の口に鼻を近づける。かなり甘い匂いがした。そしてジェイクは意を決して瓶を傾け、ほんの少しだけ液体を口に含む。
だが、その瞬間。
「……っ!?」
ジェイクの顔が、くしゃりと歪んだ。
「……あっま!」
思わず叫ぶ。甘い。とにかく甘い。舌の上に広がる濃厚な甘さが、口いっぱいにまとわりつく。まるで砂糖をそのまま溶かして飲んでいるような味だった。
いや、砂糖を溶かしただけなら、まだマシか。これは何だ。薬というより、お菓子か何かではないのか。そう思えるほど、この液体は激甘だった。
「…………」
ジェイクは顔をしかめたまま、隣へ視線を向ける。
ダリアンは平然と液体を飲み続けていた。眉ひとつ動かさず。
「おま、よくこれ飲めるな……」
「甘くて美味しいですよ。こんな甘い薬は久しぶりに飲みました。ジェイクさんは苦手ですか?」
ダリアンは瓶から口を離し、ジェイクを見る。
「こんなん、ガキが飲むヤツじゃねーか」
ジェイクは怪訝な表情で瓶の中身を見つめた。どうして傷を治す薬が、こんなにも甘い必要があるのか。
もっとこう、薬らしい味を想像していた。苦いとか、渋いとか。本来なら薬とはそういう味だろう。少なくとも、飲んだ瞬間に顔が歪むような甘さである必要はない。
「ジェイクさん、人の親切心に文句で返してはいけませんよ」
ダリアンは言う。
それを聞いて、ジェイクは瓶に貼られた紙片を見た。
『突然攻撃してごめんなさい。これを飲めば傷が治ります』
丁寧な文字だった。
確かに、ダリアンの言う通りだ。
わざわざ薬を用意し、説明まで書き残してくれた相手だ。そんな人の親切に対して、味が気に入らないなどと文句を言うのは違う気がする。
人の親切心を文句で返してはいけない。
ダリアンの言葉を、ジェイクは心の中で自分に言い聞かせた。
もっとも、そう思ったところで口の中に残る甘さが消えるわけではないが。
「……くそっ」
小さく悪態をつきながら、ジェイクは瓶を握り直した。
「ごちそうさまでした」
ダリアンは最後の一滴まで液体を飲み干し、空になった瓶の蓋を閉めて荷物袋へしまう。
「ほら。ジェイクさん、早く飲んでください。いつまでもこんな所にいられません。ぐずぐずしていると、また追いかけられてしまうかもしれませんから」
立ち上がり、ダリアンはジェイクの方へ顔を向けた。
「……動けるようになったんなら、お前の治癒魔法で治してくれ」
「それは無理です。動けるようになったからといって、魔力まで同時に回復するわけではありませんから」
「………チッ」
ジェイクは舌打ちをし、顔を背ける。目の前には甘ったるい液体がたっぷりと残っていた。
飲まなければ、いつまで経っても傷が治らない。かといって、これを最後まで飲み干すのも気が進まなかった。もういっそ、自然治癒で治るのを待ちたい。
「…………」
ジェイクは瓶をじっと見つめた。
しばらくの間、無言で葛藤する。
やがて、彼は覚悟を決めたように顔を上げた。
「……はぁ。くそっ」
一気に喉へ流し込んむ。
「っ、」
ごくごくごく。甘ったるい味が口いっぱいに広がる。鼻に抜ける甘い香り。舌に残る濃厚な甘さ。
飲み込むたびに顔が引きつったが、ジェイクはどうにか最後まで飲み干した。
「うぇ……」
空になった瓶を見つめ、ジェイクは顔をしかめる。
もう二度と飲みたくない。心の底からそう思った。
「ちゃんと飲んで偉いですね、ジェイクさん」
「ガキ扱いすんな」
にこやかにダリアンが言う。
ジェイクは立ち上がり、苛立ちながら空の瓶を彼へ押しつけた。
そして再び舌打ちをし、腕を組んで周囲を見渡す。
青空。潮風。洞窟の入口。
ようやく外に出られた。それは喜ばしいことだ。だが結局、収穫という収穫は何もなかった。
「……んで、これからどうする?」
ジェイクは腕を組んだまま、ダリアンへ顔を向ける。
そうですね。と、ダリアンは考え、その後、洞窟の入口から離れた方向を指差した。
「来た道を戻ります。もうこの洞窟には用はありませんし。もう一度、中に入っていったところで、また追いかけっこでしょうしね」
「は?」
ジェイクの動きが止まる。
「また、あの道行くのかよ!?」
「ええ。それ以外に帰る方法はありませんから」
ダリアンは笑顔を浮かべ、ジェイクの肩を軽く叩いた。
「文句を言わずに、ほら。こういうのは苦労してなんぼですから」
そう言って、さっさと歩き出す。
確かに帰るには洞窟に辿り着くまでに歩いてきた道を戻る以外に方法はない。そんなことジェイクにも分かっていた。
予想はしていなかったわけではない。ただ、体のあちこちが痛む今、再びあの長い道のりを歩くのは気が重かった。
「ジェイクさん、早く行きますよ!」
「…………」
見ると、ダリアンはすでに帰路についている。
「………はあ」
ジェイクは深いため息を吐き、重たい足取りで先を行くダリアンの後を追った。




