調査
真ん中の大陸。
その一角に広がる、精霊の森。
鬱蒼と生い茂る木々の前にジェイクとダリアンは居た。
二人の目の前には、森の入口を塞ぐように結界が張られている。
透明な壁のようなそれは、一見すると何の変哲もない空間にしか見えない。だが試しに手を伸ばしてみれば、たちまち青白い火花が弾け、電流にも似た衝撃が走った。
「っ……!」
ジェイクは反射的に手を引っ込め、顔をしかめる。何度試しても結果は同じだった。
結界突破薬を使っても、びくともしない。ダリアンが持参した薬ですら、この結界には通用しなかった。
彼らの力では、結界を正面から突破することは不可能らしい。
「くそっ、もっかい入るにはどうすりゃいいんだよ」
ジェイクは舌打ちをして苛立たしげに眉をひそめる。
ルーンに頼まれ、せっかくここまで来たというのに入口で足止めを食らうとは。これでは調査どころではない。
一方、ダリアンは顎に手を添え、結界をじっと見つめていた。
「うーん。やはり正面からは無理ですか……。しかもこの結界、前のよりも強化されている感じがします」
「…どうする?」
「やはり、ここは側面から攻める他にないでしょう。それか、地下があれば……」
「地下。……それ、本気で言ってんのか?」
ジェイクは腕を組み、隣に立つダリアンへ顔を向けた。
森の地下を通って中へ入る。言うのは簡単だが、実際にそんな道があるかどうかも分からない。そもそも、地下へ続く入口を見つけるだけでも一苦労だろう。
冗談で言っているのなら、今すぐやめてほしいところだった。しかしダリアンの表情は変わらず、真剣そのものだ。どうやら、本気で地下からの侵入を考えているらしい。
「…………」
ジェイクはしばらくダリアンを見つめ、深いため息をついた。
「……はぁ。仕方ねぇ。この森がどんくらいデカいのか分からんが、調べるしかねぇな」
顔を上げて周囲を見渡す。
見える範囲は、どこもかしこも木々ばかり。森の端がどこにあるのか見当もつかない。
それでも、ここで立ち尽くしていては何も始まらない。ジェイクは腰に手を当て、もう一度ため息をついた。
「よし。とっとと行こうぜ。日が暮れる頃には、きっと何か手がかりが見つかってんだろ」
「そうですね。では、まずは森の外周を確認しましょう」
二人は顔を見合わせて頷き、さっそく歩き始めた。
+
森は続く。
どこまでも、どこまでも。
木々の間を抜けても、目の前に広がるのは緑。少し進んで振り返っても、そこにあるのは、さっきまで見ていた景色とよく似た緑だった。
頭上には枝葉が幾重にも重なり、木漏れ日が地面にまだらな影を落としている。鳥のさえずりが聞こえることもあれば、風に揺れた葉がざわざわと音を立てることもあった。
自然に満ちた、穏やかな森。
普通なら、そう感じるのかもしれない。
「……………」
だが、延々と同じ景色を見せられているジェイクにとっては、もはやそれは退屈を通り越して苦行だった。
「なぁ。どんだけ歩きゃあいいんだよ!」
肩をだらりと下げ、少し前を歩くダリアンの背中に声をかける。
ダリアンは振り返らなかった。
彼の言葉が聞こえていないのか、それとも聞こえていて無視しているのか。ダリアンは周囲を注意深く観察しながら淡々と歩き続けている。
「…………」
ジェイクは恨めしそうにその背中を見つめた。少しくらい返事をしてくれてもいいだろうに。
「はぁ……」
大きなため息がこぼれる。
疲労度を数字で表すとするなら、今のジェイクは十段階中の八といったところだった。
足は重い。肩も凝ってきた。何より、いつまで歩いても景色が変わらないせいで気力まで削られていく。
もういっそのこと、そこら辺に寝転がってしまいたい。木陰を見つけて横になって目を閉じ、できればそのまま夕方まで眠っていたい。
そんな考えが頭をよぎるほど、ジェイクはうんざりしていた。
「ふぁあ……」
大きな欠伸が出る。
「……マジで何もねぇ」
眠たげに目を細め、独り言をこぼし、周囲を見渡す。
相変わらず、見渡す限りの緑。
どこまで続いているのかも分からない。
日が暮れる頃には何か手がかりが見つかっている。そう言ったが、本当にこのまま一日中歩き続けたところで何か見つかるのだろうか。
そんな不安すら浮かび始めた頃──。
「あ。見てください、ジェイクさん」
「……んあ?」
不意に名前を呼ばれ、ジェイクは顔を上げた。見ると、前を歩いていたダリアンが足を止め、進行方向を指差している。
「何だ?何か見つけたのか?くだらんもんだったらぶん殴…」
文句を言いかけたジェイクだったが、指差された方へ視線を向けた途端、言葉が止まった。
木々の隙間。その向こうに青いものが見えた。
「……ん?」
目を細めて、もう一度見つめる。
緑の合間から覗いていたのは鮮やかな青色だった。
空の色ではない。光を受けてきらきらと輝く、広大な水面。
「……んー。ありゃ、海か?」
「そのようですね」
聞くと、ダリアンは頷いた。
枝を避け、草木を掻き分けながら二人は青い景色を目指す。
やがて、目の前を塞いでいた木々が途切れた。その瞬間。視界いっぱいに青が広がる。
「うっわ……」
ジェイクは思わず声を漏らした。
目の前には、果てしなく広がる海。陽光を受けた水面がきらきらと輝き、遠くの水平線まで続いている。潮風が頬を撫で、二人の髪をさらりとなびかせた。
森の中にこもっていた空気とは違う、潮の香りが鼻をくすぐる。思わず深呼吸したくなるような景色だった。
「……おいおい」
ジェイクは海から視線を下ろし、足元を見る。
二人が立っている場所は崖の上。少し先へ進めば足場は途切れている。うっかり踏み外せば真っ逆さまだ。
「いつの間にか大陸の端っこまで来ちまったのかよ……」
ジェイクは慎重に足を止め、崖の下を覗き込む。
眼下には、でこぼことした土壁がどこまでも続いていた。波打ち際まではかなりの距離があり、簡単に降りられそうな場所は見当たらない。
「おい。こっからどうすんだ?」
ジェイクは隣に立つダリアンへ顔を向けた。ダリアンはすぐには答えず、周囲を見渡す。
森の方へ視線を戻し、崖の縁を確かめ、さらに海へと目を向ける。やがて彼は近くの草木へと歩み寄った。
手を伸ばす。その瞬間。
バチッ!と、青白い火花が散った。
ダリアンはすぐに手を引っ込め、反応を確かめるように指先を見つめる。
「…………」
ここにも結界があった。
どうやら精霊の森を囲む結界は入口だけに張られているわけではなく、森の外周全体を覆うほどの規模で展開されているようだった。
「………ふむ」
ダリアンは顎に手を添え、考え込む。ジェイクは腕を組み、彼の横顔を見つめた。
「……そこにも結界があるみたいだな」
「ええ。この場所からも結界を突破するのは難しそうですね」
「はー。…めんどっ」
ジェイクは肩を落とした。
入口が駄目なら、側面から。
そう考えて森を回ってきたというのに、これでは振り出しに戻ったようなものだ。
もう進めそうな道がない。
「……どうすりゃいいんだよ」
ジェイクがぼやく横で、ダリアンは再び歩き始める。崖の縁から少し距離を取り、周囲を調べながらゆっくりと進んでいく。
森の中。崖下。そして、海。
あちらこちらへと視線を巡らせた。
そして、しばらくしてダリアンは足を止める。崖下へと視線を向け、じっと見つめたまま何かを考えた。
「…………」
その横顔を見て、ジェイクは腰に手を当てる。
「……おい。何か思いついたか?」
ダリアンは答える代わりに、ゆっくりとジェイクの方へ顔を向けた。
「……ジェイクさん。ここ、降りましょう」
「は!?」
突然の提案。
ジェイクは目を見開き、思わず聞き返す。
「降りるって、…何をどう見ればそんな発想になんだよ!?」
ジェイクは声を荒らげた。
目の前の崖は、決して低くない。足場も悪そうだし、下手をすれば大怪我では済まない。
そんな場所へ、わざわざ降りていく理由が分からなかった。
しかし、ダリアンはジェイクの抗議を気にする様子もなく、準備を始める。
「光よ」
唱えると、掌の上に魔法陣が浮かび上がる。淡い光が円を描き、複雑な紋様がくるくると回転した。
やがて、魔法陣の中心から一本のロープが現れる。ダリアンはそれを手に取ると、近くに生えている丈夫そうな木へと歩み寄った。
ロープの端を幹に巻きつけ、何度も結び直す。それから結び目を引っ張り、緩まないことを入念に確認した。
どうやら、本当に降りるつもりらしい。
「…………」
ジェイクは引きつった顔で、その一連の作業を見つめていた。
やがて、ダリアンはロープのもう一方の端をジェイクへ差し出す。
「どうぞ、ジェイクさん。このロープを体に巻きつけてください」
「おい!勝手に進めてんじゃねぇ!こっから下に行くって、何考えてんだよ!?」
ジェイクはロープを受け取らず、両手を広げて抗議する。
ダリアンは平然とした顔で答えた。
「これも調査ですよ、ジェイクさん。ルーンさんと、ちびルーンさんのためです」
「…………っ」
その言葉に、ジェイクは口をつぐむ。
「せっかくここまで来たのに、収穫なしでは帰りたくないでしょう」
ダリアンはそう言いながら、自分の体にロープを巻きつけ始めた。
胴の周りにしっかりと巻き、結び目をきつく締める。さらに、緩みがないか確認してからロープを手に取った。
そして。
「では、行きますよ」
「いや。待て待て待て!」
ジェイクの制止もむなしく、ダリアンは崖の縁へと足を進める。慎重に足場を確かめながら、崖下へと体を下ろしていった。
ロープが張り、木の幹がわずかに軋む。ダリアンは足を崖の壁面に当て、少しずつ降りる。その動きには迷いはなかった。
「…………」
ジェイクはぽかんと口を開けたまま、彼の姿を見送る。
ダリアンの姿が少しずつ下へと遠ざかっていった。
「……まじかよ」
ジェイクはぽつりと呟く。
もちろん、こんな場所を降りるなんて正気の沙汰ではないと思う。
「…………」
だが──。
ジェイクは、崖下へと視線を向けた。
「………はぁ」
ルーンと、ちびルーン。
二人のために何か手がかりを持ち帰りたい。収穫なしでは帰りたくない。
それはジェイクも同じだった。
「…………くそっ」
ジェイクは眉間にしわを寄せ、手渡されたロープを見つめる。
それから崖下を見下ろし、もう一度ロープを見て、再び崖下を見た。
迷っている間にも、ダリアンの姿はどんどん小さくなっていく。
「…………」
ジェイクはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「………だー!もう!」
とうとう我慢の限界を迎えたジェイクは、頭をガリガリと掻きむしる。
「分かったよ!行きゃあいいんだろ、行きゃあ!」
誰に言い訳するでもなく叫び、ロープを身体に巻きつけた。
胴の周りに何度か巻き、結び目をぎゅっと締める。念のためもう一度強く引っ張り、緩まないことを確認すると、それからロープをしっかりと握った。
「……ったく。……これで何もなかったら、あいつぶん殴ってやる」
ぶつぶつと文句を言いながら、ジェイクは崖の縁へと近づく。
足元を見下ろす。はるか下には、でこぼことした土壁が続いていて、吹き上げてくる潮風が頬を撫でた。
「…………」
ジェイクは一度、深く息を吸う。
そして、覚悟を決めて足を踏み出し、ロープを握りしめて崖の壁面へと体を預けた。




