告白
昼休みの終わりが近づくなか、マサトは目の前に立つ少女を見つめていた。
何度も深呼吸を繰り返し、どうにか落ち着こうとする。しかし、胸の鼓動は一向に静まる気配がなかった。
目の前にいるのは、ずっと気になっていた相手だ。普段は遠くから眺めることしかできなかった。話しかけようと思っても、いざ本人を前にすると緊張してしまい、結局何も言えずに終わってしまう。
そんなことを何度も繰り返してきた。けれど、今日こそは違う。
今朝、教室で見た一枚の写真。
純白のウェディングドレスを身に纏い、穏やかに微笑むルーンの姿が、どうしても頭から離れなかった。
綺麗だった。
ただ、それだけではない。
写真を見ているうちに、ずっと胸の奥にしまい込んでいた想いが、どうしようもなく膨らんでしまったのだ。
このまま何も伝えずにいたくない。そう思ったからこそ、彼は勇気を振り絞って彼女を呼び出したのである。
「そのっ、ル、ルーンはさ……今、す、好きな人とか……気になってる人とか、いるのか?」
ようやく口にした言葉は情けないほど上擦っていた。頬は真っ赤に染まり、体は小刻みに震えている。
それでも、マサトはどうにかルーンの顔を見つめていた。
「……何故?」
ルーンは不思議そうに首を傾げる。
「な、何故って……ええと……」
当然の疑問だった。
だが、いざ尋ね返されるとマサトは次の言葉に詰まってしまう。
何と言えばいいのだろう。
好きだから?気になっているから?君のことをもっと知りたいから?
伝えたい言葉はいくつも浮かんでくるのに、どれも口にすることができない。
「…………」
ルーンは急かすことなく彼の言葉を待っている。その静かな眼差しが、かえってマサトの胸を締めつけた。
好きな人が目の前にいる。
その人が自分の言葉を聞き、次の言葉を待ってくれている。
マサトにとって、それは夢のような時間だった。
できることなら、もう少し落ち着いて話したい。そうすれば、もっと彼女と話ができるのに。
もっと彼女のことを知ることができるのに。
けれど、現実は思うようにはいかなかった。
「…………」
マサトは改めてルーンの顔を見つめる。
きょとんとした表情で自分を見返している彼女。その瞳には彼の言葉を待つ静かな好奇心が浮かんでいた。
……綺麗だ。
思わず、そんな感想が頭をよぎる。
気を抜けば口元が緩んでしまいそうだったが、今はそんな場合ではない。
早く言葉を整理して、彼女に伝えなければ。
「ルーンってさ、その……初めて会ったときから、不思議なやつだなって思ってて……」
マサトはようやく、少しずつ言葉を紡ぎ始めた。
「まぁ、ダークエルフだからっていうのもあるんだろうけど……ダークエルフって、故郷の集落から絶対に出ないって話だし……」
そこで一度、言葉を切る。
ルーンの表情を窺いながら、彼はおずおずと続けた。
「……それなのに、ここにいるってことは……そういうことなのかなって……」
語尾が、次第に小さくなっていく。自分でも何を言っているのか、よく分からなくなってきた。
もっと上手く話すつもりだったのに。こんなはずではなかったのに。
マサトは内心で頭を抱えたくなった。
しかし、ルーンは彼を笑うことも呆れた様子を見せることもなく、ただ静かに彼を見つめていた。
「…………」
そして、ルーンはそっと視線を落とす。
好きな人。気になっている人。
そう尋ねられて、彼女の脳裏に浮かんだのは、たった一人の少年だった。
金色の髪。どこか不器用で、それでも優しい眼差し。ふとした瞬間に見せる表情や、何気ない言葉。
思い出すたび、胸の奥が温かくなる。
「っ……」
けれど同時に。
ずきり、と。心のどこかが痛んだ。
ルーンは小さく息を吐く。
その想いを口にすることが、今の自分にはひどく難しいことのように思えた。
それでも、尋ねられた以上、嘘をつくつもりはない。
「……そうね。いるわよ。好きな人」
「……っ!」
ルーンは顔を上げた。
マサトは息を呑む。
いたのか。
彼女には、好きな人が。
予想していなかったわけではなかった。
ルーンの周りには、いつも誰かがいる。彼女と親しげに話す者もいれば、遠くからその姿を眺めている者もいた。
それに、女子生徒たちの間では特待組に所属する金髪の少年のことが何かと噂になっていた。
名前はフィル。確か、ルーンとも親しい人物だったはずだ。
もしかして彼なのだろうか。
マサトの眉が、わずかに寄った。
胸の奥に鈍い痛みが広がる。
「それって……」
彼は、震える声で口を開いた。
それは誰なのか。どんな人なのか。聞いてしまっていいのだろうか。そんな迷いが頭の中を駆け巡る。
それでも、どうしても気になった。
だが。言葉を続けようとしたマサトは、ふとルーンの表情に目を留める。
「…………」
彼女の顔が、わずかに歪んでいた。
ほんの一瞬のことだった。
けれど、確かに苦しそうな表情。
好きな人がいると告げたとき、彼女はこんな顔をしただろうか。
マサトは戸惑った。どうして、そんな顔をするのだろう。好きな人がいるのなら、嬉しそうに話してもいいはずなのに。
「あの、ルーン……?」
何か、事情があるのだろうか。
彼は尋ねようとした。その時。
「なーにやってんの?」
「!」
あまりにも唐突な声が、二人の間に割り込んだ。
次の瞬間、ルーンの肩に、ぽん、と腕が回される。彼女が驚いて顔を向けると、そこには見知らぬ黒髪の少年が立っていた。
「あ、貴方……!どうしてここに……!」
ルーンは目を丸くする。
彼女にとっては見知らぬ相手ではなかった。
突然現れた少年は彼女の反応を気にする様子もなく、にっと笑う。
「俺だけじゃなくて、フィルもいるぜ」
「え?」
ルーンはきょとんとした。
そして、少年が指差した方向へ顔を向ける。
そこには、金色の髪の少年が立っていた。フィルだ。彼は何とも言えない表情を浮かべ、片手を首の後ろに当てている。
「フィル……!貴方まで、どうして……!」
「え、ええと……何て言いましょうか……」
フィルは困ったように眉尻を下げた。何か言おうとしては口を閉じ、視線を泳がせる。
どう説明すればいいのか、まったく思いつかないらしい。そもそも、後をつけてきたこと自体、堂々と話せるようなことではないのだ。
「俺たちは邪魔しに来たんだよ。……な、フィル?」
「なっ……!」
「……邪魔?」
そんな彼の様子を見て、黒髪の少年があっさりと口を開いた。ルーンは困惑した表情を浮かべる。
邪魔とは、いったい何のことだろう。マサトもまた、目の前の状況についていけず呆然としていた。
自分が勇気を振り絞ってルーンに話しかけていたところへ、突然知らない少年が現れた。
しかも、その少年は当然のようにルーンの肩に腕を回している。
いったい何者なのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、黒髪の少年がようやくマサトへ顔を向けた。
「えーと、お前か。『俺たちのルーン』に、勝手に告白しようとしてるって奴は?」
「…………!」
少年は、値踏みするようにマサトを眺めた。
マサトは目を見開く。
俺たちのルーン。
その言葉が頭の中で何度も繰り返される。
「俺たち……?」
ぽつりと呟いたのは、ルーンだった。
彼女は眉をひそめると、隣に立つ少年をじとっと見つめる。
「修介、何を言って…!」
「フィルは黙ってろ」
どうやら、黒髪の少年の名前は修介というらしい。
修介はルーンの肩から腕を離すと、マサトの方へ歩み寄った。そして、彼の目の前で足を止める。
「いいか。こいつはな、今まさに俺とあいつが取り合ってる最中なんだよ」
「…………は?」
その言葉に、マサトはぽかんと口を開けた。取り合っている。今、そう言ったのか。
修介はそんな彼の反応など気にも留めず、話を続ける。
「つまり、その中にお前が入り込む隙はないわけ」
「ちょ、ちょっと……!」
ルーンが声を上げるも、しかし修介は振り返りもしなかった。
「お前がどういうつもりでルーンに告白しようとしてんのか分かんねぇけど、つーか、分かりたくもねぇけど……諦めてくれたら嬉しいかな」
最後だけ妙に爽やかな笑顔だった。言っていることはまったく爽やかではなかったが。
「…………」
ルーンは眉をひそめたままフィルを見て、フィルも眉尻を下げたまま彼女を見返す。
二人とも修介の言動に頭を抱えているらしい。しかし、当の本人は至って平然としていた。
「……あ、諦めるって……」
マサトが、ようやく声を絞り出す。
「何でお前に、そんなこと言われないと……」
当然の反応だった。
自分が誰を好きになろうと、誰に想いを伝えようと、それは自分自身が決めることだ。それを、突然現れた少年に諦めろと言われても、納得できるはずがない。
マサトは修介を見つめ、言葉を続けようとした。
「ルーン」
だが。修介が不意に彼女の名前を呼ぶ。
「…………?」
マサトは口を閉じた。
修介は腕を組み、ルーンをまっすぐに見つめる。
「お前、こいつのことどう思ってる?」
「……どうって?」
「好きとか嫌いとか、いろいろあるだろ?」
「……!」
マサトの心臓が大きく跳ねた。
思いがけない質問だった。
修介が何者なのかはまだよく分からない。が、彼の言葉には妙な迫力があった。
自分のことをどう思っているのか。彼は、ルーン本人に直接尋ねた。マサトは息を詰め、ルーンの方へ顔を向ける。
「…………」
彼女の表情は変わらない。
静かな瞳で修介を見つめ、何かを考えているようだ。
その沈黙が、ひどく長く感じられる。
やがて、ルーンはそっと顎に手を添えた。
「そうね……」
ゆっくりと口を開く。
マサトは拳を握りしめた。
修介も、フィルも、彼女の言葉を待っている。
風が吹き抜け、ルーンの髪を揺らした。彼女はほんの少しだけ目を伏せ、それから再び顔を上げる。
そして。
「───」
その口から紡がれた言葉に、マサトは息を呑み、目を見開いた。




