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ブルーテイル・ハピリス‐世界に嫌われているダークエルフが世界を救っては駄目ですか?‐  作者: aki.
4、わたしのくろいほうせき

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危険云々より





「うえぇぇん!!」


 その日の深夜。

 静まり返った家の中に子供の泣き声が響き渡った。


「……っ!」


 フィルは布団から飛び起きる。

 聞き間違えるはずがない。この声は昨夜も耳にした、あの泣き声だった。

 右手の掌が痛みを発する。見下ろすと、刻印が小刻みに震えていた。


「ブルーテイル」

「……きゅう?」


 隣で眠っていたブルーテイルを優しく起こして、フィルは立ち上がる。

 部屋を出ると廊下は暗く、月明かりだけが床をぼんやりと照らしていた。


「うえぇぇぇぇん!」

「きゅう……」


 廊下の奥から泣き声が聞こえ、腕の中でブルーテイルが怯えたように震える。


「……大丈夫だ。オレがいるから」


 そう言い聞かせながら、フィルは壁に手を添えて歩き出した。

 正体の分からない泣き声が、暗い廊下に響き続ける。怖くないはずがない。しかし、引き返すわけにはいかなかった。


「……フィルさん」


 しばらく進んだところで、曲がり角の向こうから桃華の声が聞こえる。

 顔を向けると、彼女は半袖のシャツに短パンという寝間着姿だった。髪も乱れていることから急いで部屋を出てきたのだろう。


「……聞こえた?」

「ああ。桃華も?」

「うん……」


 二人は顔を見合わせる。


「うえぇぇん!!」

「ひゃっ……!」


 その瞬間、泣き声が突然大きくなり、桃華の肩が跳ねた。彼女は身を縮め、フィルへ寄る。


「きゅう……!」


 ブルーテイルも腕の中で丸くなった。怖がる二人を見て、フィルも喉を鳴らす。

 今すぐ部屋へ戻りたい。声の正体は本当に幽霊なのではないか。そんなわけはないと信じていても、一度浮かんだ考えはそう簡単には消えない。


「……い、行こう」


 フィルは、自分に言い聞かせるように呟く。


「う、うん……」


 桃華も声を震わせながらも頷いた。

 二人は再び歩き始める。

 声に近づくほど、刻印が強く反応していた。じんじんとした痛みが増し、フィルは右手を握りしめる。


「うえぇぇぇぇん!!」

「……っ、痛……」


 桃華が顔を歪める。

 彼女の左手の甲に浮かぶ刻印も熱を帯びて激しく反応していた。額に汗を浮かべながら、彼女は左手を胸元で握りしめている。


「桃華、大丈夫か?」

「う、うん……。大丈夫……」


 声に余裕はない。

 それでも二人は足を止めなかった。


「うえぇぇぇぇん!!」


 泣き声が、さらに大きくなる。

 フィルは足を止めた。

 声の先には、一枚の襖。

 桃華も立ち止まり、襖を見つめる。


「え?あれ、ここ……ルーンさんの部屋?」


 その瞬間、また泣き声が響く。


「うえぇぇぇん!!」


 間違いない。

 声は、ルーンの部屋から聞こえていた。


『フィル』

「!?」


 その時、頭の中に突然声が響く。

 フィルは体を跳ねさせ、右手の刻印を見つめた。刻印はこれまで以上に激しく震えていて、彼はじとっとそれを見つめる。


「……いきなり話しかけてくるなよ!」

『人間というのは、だいたい突然話しかけるだろう。文句を言うな』


 刻印は言う。

 学び舎での一件以来、刻印は時折こうしてフィルに話しかけてくるようになっていた。頭の中で何の前触れもなく声をかけられる。驚くなというのは無理すぎる。


『それより、この泣き声は何だ?凄く不愉快なんだが』

「オレにもよく分からない。だから、今から調べるんだよ」

『調べる?こんな夜に?怖がりなお前が?はっ。ご苦労なことだ』

「……うるさいな。…それより、お前は分からないのか?この泣き声が何なのか」

『さあな。私にもさっぱりだ。だが、この声は危険だ』

「危険……?」

『ああ。これ以上進むのはオススメしないレベルでな』

「フィルさん……さっきから誰と話してるの?」


 皮肉めいた口調だったが、その言葉には妙な重みがあった。この泣き声は危険。どういうことだろう。

 考えていると、桃華に声をかけられた。その声にフィルははっとして顔を向ける。刻印の声は彼の頭の中にしか聞こえない。不思議そうに首を傾げている桃華を見て、フィルは眉尻を下げた。


「大丈夫?」

「え、あ、いや……うん。大丈夫。ちょっと……怖さで幻聴が聞こえちゃって……」

「えっ」


 言うと、桃華が目を見開く。

 幻聴が聞こえている。という言葉が果たして適切だったのか。しかし咄嗟に出てしまった言葉の撤回は出来ず、フィルは困ったように笑うしかなかった。


「うえぇぇぇぇん!!!」


 そこで、また泣き声が聞こえる。

 二人の刻印に鋭い痛みが走った。


「っ……!」

「ぐっ……!」


 掌と手の甲が焼けるように熱くなり、フィルと桃華は耐えきれずしゃがみ込む。


「桃華……!」


 フィルは桃華の顔を覗き込んだ。


「大丈夫か…っ?」

「っ、痛……い……!」

「きゅう…」


 ブルーテイルがフィルの腕から桃華の肩へ飛び移り、小さな鼻先を彼女の頬へ寄せる。心配しているようだ。


『……この気配はマズイな』


 刻印の声から、軽薄さが消える。


『フィル。その女の刻印に私を重ねろ』

「……え?」

『早くしろ!』

「っ、あ……ああ…!」


 言われた通りフィルは桃華の左手を取り、その甲へ自分の掌を重ねた。刻印同士が触れ合う。

 次の瞬間、ビリッと周囲の空気が震えた。二つの刻印が激しく震え、耳鳴りのような音が頭の中へ突き刺さる。


「っ、あ……!」

「なん……だ……っ?」


 キィィィィンという高く鋭い響きに、二人は顔を歪めた。ブルーテイルも桃華の肩へしがみつく。

 音はしばらく続き、やがて小さくなって聞こえなくなった。


「…………」


 フィルは右手を見下ろす。

 刻印は静まり、痛みも熱も嘘のように消えていた。


「あれ…?」


 桃華も左手を見つめ、ゆっくりと顔を上げる。


「……フィルさん」

「桃華……大丈夫?」

「うん……。もう、痛くない」

「そっか。……よかった」


 フィルは息を吐いた。

 何が起きたのかは分からない。だが、今は桃華が無事であることに安堵した。


『一応、なんとかなったな』

「……何をしたんだ?」


 刻印に問いかける。

 しかし、刻印は答えなかった。

 代わりに一度だけ震える。


「うえぇぇぇぇん!」


 その時、泣き声が再び響いた。

 フィルは立ち上がり、目の前の襖を見つめる。声は、間違いなくその向こうから聞こえていた。

 フィルは息を呑み、恐る恐る襖の取手に手を伸ばす。


『これ以上進むのはオススメしないと言っただろう』


 刻印が再び告げた。


「……ああ。言われた」

『ならば、なぜ進む?』

「……気になるからだよ」

『ほう?』

「それに……」


 フィルは黙る。


『……危険云々よりも、女の心配が勝るか?』

「……!」


 刻印の言葉に、フィルは表情を強張らせた。


『この泣き声の主は、その女の“身内”のものかもしれんぞ?』

「……どういう意味だ?」


 首を傾げる。

 しかしそれもまた、刻印は答えてはくれなかった。


『……お前がその気なら止めはしない。それも、お前の選んだ道だ』

「…………」

『だが、よく思い出しておけ。お前の行く道は、お前の選ぶ道は、…常に“茨”なんだと』

「っ、」


 からかいも皮肉もない、ただ静かで重い声だった。フィルは再び息を呑む。

 このまま進めば、何かを知ることになる。その先には望まないものが待っているかもしれない。それでも。


「………」


 フィルは振り向く。

 背後では桃華が黙って彼の判断を待ち、腕の中のブルーテイルもじっとフィルを見上げていた。


「…………」


 フィルは襖へ向き直る。

 恐怖は消えていない。不安はむしろ大きくなっていた。それでも、ここで立ち止まることはできない。


 フィルは取手に手をかける。

 そして意を決し、彼は襖を勢いよく開け放った。



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