声の正体を知りたい
翌朝。
本日も学び舎は休みだった。
朝の光が障子の隙間から差し込む部屋で、フィルは布団の上に座っていた。昨夜、自室へ戻ってからも、あの声が頭から離れなかった。
子供の泣き声は確かに聞こえた。ルーンには「気の所為だ」と言ったが、絶対にそうとは思えない。あの声はどこから聞こえたのか。なぜ自分の刻印はその声に反応したのか。危険だと判断したからなのか。考えても答えは出ないが、考えずにはいられなかった。
「んー……」
「……きゅう?」
その時、布団の上で小さな声と共にブルーテイルが目を覚ます。大きく欠伸をし、前足を伸ばして体を伸ばした。
「ブルーテイル、おはよう」
「きゅうっ」
起きたブルーテイルに笑いかけ、フィルは立ち上がって窓へ向かう。
窓を開けると朝の風が部屋を巡り、夜の間に籠もっていた空気を外へ運んでいった。
「……んーっ。風が気持ちいいな」
ブルーテイルと同じように体を伸ばし、フィルは布団を畳む。その間にブルーテイルは窓辺の棚へ飛び乗り、そこに置いてある一枚の写真に近づいて座り込んだ。
昨夜は暗くて気づかなかったが、そこにはフィルとルーン、マキノとショウコの四人が寄り添って写っていた。中央のルーンは柔らかな笑顔を浮かべている。この時、機嫌が悪かったとは思えないほどの笑みだった。布団を片付けながらそれを見て、思わずフィルは口元を緩ませる。
「フィルさーん。起きてるー?」
そこで、トントンと軽く襖を叩く音がした。同時に桃華の声も聞こえてきて、布団を部屋の隅に寄せてから襖を開けると彼女はフィルの顔を見て笑う。
「あ、起きてた。おはようフィルさん」
「おはよう桃華。桃華が起こしに来るなんて初めてだな」
「うん……」
挨拶を返す。
その後すぐに桃華の笑顔がわずかに曇り、フィルは首を傾げた。
「どうした?」
「えと、ちょっとフィルさんに聞きたいことがあって……」
「聞きたいこと?」
「中、入っても?」
「…ああ、どうぞ」
聞きたいこととは何だろう。頷いて、フィルは桃華を招き入れる。
彼女が部屋へ入り、二人は向かい合って座った。ブルーテイルも棚から降り、フィルのそばへ寄る。
「えと、…その……」
桃華は少しためらい、やがて口を開いた。
「昨日の夜……深夜くらいかな。その……子供の声が聞こえて」
「……!」
桃華は言う。
フィルは目を見開いたが、口を挟まずに続きを待った。
「気の所為かなって思って、気にしないようにしてたんだけど……そのあと、刻印がね。ちょっとだけ痛み出して……」
桃華は左手を持ち上げ、手の甲の赤黒い刻印に触れる。その言葉を聞いてフィルの表情が変わった。
昨夜聞いた子供の泣き声。そして痛みを訴えた刻印。自分と同じことがあの時桃華にも起きていた。
「刻印が反応したなら、フィルさんの刻印もそうだったのかなって思って。それで、聞きに来たの」
フィルは右手を見る。今は何の反応もない。
桃華にも同じことが起きたなら、やっぱりあれは気の所為なんかじゃない。
「……その声なら、オレも聞いたよ」
「え?」
「刻印も反応した」
右手を見せると、桃華の目が大きくなる。
「本当に……?」
「ああ」
「気の所為なんかじゃない。あの声は確かに聞こえてきた。君の話を聞いて確信したよ」
「……そっか。私だけじゃなかったんだ。よかった」
フィルの言葉を聞いて、桃華はホッと小さく息を吐く。しかし安堵した彼女のその表情は、すぐに真剣なものへ戻った。
「……あの声、誰の声だったのかな?」
桃華は首を傾げる。フィルは黙り込んだ。
昨夜、ルーンの部屋の前で聞こえた子供の泣き声。ルーンは声を聞いていないと言っていたが、本当に聞いていないのだろうか。それとも、あの声は自分たち"刻印持ち"にしか聞こえない声だったのか。
疑問は尽きず、これは調べてみた方がいいかもしれないな。と、フィルは顔を上げた。
「……今夜も聞こえてくるかな」
「フィルさん?」
「いや。あの声、調べてみた方がいいかなって思ってさ」
「調べる……?」
「刻印が、…オレと桃華の刻印が同時に痛み出したんだ。こいつは、よっぽどのことがない限り反応しない。だったら、あの子供の泣き声には何かあるってことだろ」
桃華は左手へ目を落とす。彼女の刻印は、今も小刻みに震えていた
「調べるって言っても、どうやって?」
「今夜またあの声が聞こえてきたら、声の出どころを探ろうかと思ってる。まぁ、だいたいは掴めてるんだけど……」
「きゅうっ!」
フィルは言う。
その時、突然ブルーテイルが声を上げた。
まるで"ボクも手伝う"と言っているかのような力強いその鳴き声にフィルは笑う。頭を撫でるとブルーテイルは気持ちよさそうに目を細めた。
「お前もやるか?」
「きゅうっ」
ブルーテイルは元気よく鳴き声をあげる。
それを見つめていた桃華も恐る恐る口を開いた。
「フィルさん、私も手伝う!」
「え?」
「私も、あの声のことが気になるの。…正直、少し怖いけど。同じ刻印持ちのフィルさんが一緒なら頑張れると思う」
桃華は言って、左手を握りしめる。その表情には確かな決意があった。怖くても知りたい。昨夜の声の正体を。なぜ刻印が反応したのかを。その気持ちはフィルにもよく分かった。
「……うん。分かった。一緒に調べよう」
「! …ありがとう、フィルさん!」
「きゅう!」
笑みを浮かべ、桃華は頷く。
ブルーテイルも、もう一度元気よく鳴き声をあげた。




