子供の泣き声が聞こえた
「ル、ルーン……」
二人の間に沈黙が落ちる。
沈黙を破ったのはフィルだった。
ルーンは眠そうな目で、立ち上がったフィルを見つめている。乱れた髪と半分閉じた瞼から寝起きなのが分かった。
その視線を受け、フィルは口元を引きつらせる。
「こんな夜中に人の部屋の前で何をしているの?ようやく眠りについたのだから、邪魔しないでくれる?」
「ご、ごめん…。……ブルーテイルを捜してて……」
「きゅう」
フィルは肩を縮めた。
足元のブルーテイルが鳴き、ルーンはフィルとブルーテイルを交互に見る。
「……ブルーテイルを捜していて、悲鳴をあげることある?」
「えっ。ひ、悲鳴?な、なんのことかな……。悲鳴なんてあげてないけど……はは」
フィルは首へ手を当て、引きつった笑みを浮かべた。
ルーンはその笑顔をじとっと見つめる。
「…………」
「…………」
フィルの笑顔がさらに固まる。
やがて、ルーンが小さく息を吐いた。
「きゅうっ」
その時、ブルーテイルが二人の間をすり抜けた。
ブルーテイルはそのままルーンの部屋へ入り、ステステと畳の上を歩いていく。
「ブルーテイル!」
フィルが慌てて名前を呼ぶ。
ブルーテイルは部屋の奥へ進み、押し入れの前で足を止めた。
「きゅう。きゅうっ」
前足を襖にかけ、カリカリと引っ掻く。
「…………?」
それを見てフィルは首を傾げた。押し入れに何かあるのだろうか。
ルーンはブルーテイルに近づいて優しく抱き上げる。
「そこには何もないわよ」
「きゅう。きゅう」
抱かれても、ブルーテイルは押し入れを見つめて鳴き続ける。その鳴き声には、何かを訴えかけるような響きがあった。
「…………」
ルーンは一瞬だけ押し入れへ視線を向ける。そしてすぐに踵を返し、ブルーテイルをフィルへ渡した。
「はい。もう部屋から勝手に出ちゃ駄目よ」
「きゅうっ、きゅうっ」
「それじゃあ、おやすみ」
フィルの腕の中でブルーテイルがじたばたする。
ルーンはその頭を撫でて、襖を閉めようと取手へ手を伸ばした。それを見たフィルは慌てて口を開く。
「あ……!ル、ルーン!」
「……何?」
「あ……えと」
ルーンの手が止まる。
フィルは一度口を閉じ、迷うように視線をさまよわせた。
「……ちょっと質問なんだけどさ」
「何かしら?」
「こ、この辺で……子供の泣き声を聞かなかったか?」
「子供の泣き声……?ブルーテイルのじゃなくて?」
「きゅうっ」
ルーンは首を傾げる。
ブルーテイルは"ボクじゃないよ"と抗議するように鳴いた。
「ブルーテイルのじゃなくて。……えと、子供の……小さな女の子の泣き声なんだけど」
「…………」
小さな女の子の泣き声。
その言葉を聞いて、ルーンの表情がわずかに変わった。
眉をひそめ、顎に手を添える。
「……さぁ。よく分からないわ」
「そうか……」
「ごめんなさい。役に立てなくて」
「いや。聞いてないんならいいんだ。……たぶん、オレの気の所為だな」
フィルは首を横に振って、眉尻を下げて苦笑する。
「こんな夜中に起こしてごめん。じゃあ……オレ、戻るから」
そう言うとフィルは踵を返し、ブルーテイルを抱えたまま暗い廊下を歩いていった。
足音が遠ざかり、やがて姿が闇に消える。
「…………」
それを確認してから、ルーンは静かに襖を閉めた。
パタン。と小さな音が響く。
「……ふぅ」
息を吐き、ルーンは押し入れへ向き直った。
近づき、ブルーテイルが引っ掻いていた襖の取手に手をかけ、そっと開ける。
中では、一人の少女が眠っていた。その傍らには体を小さく丸めたジェイクが座っている。
「……行ったのか?」
「ええ。もう出てきていいわよ」
ルーンは頷いた。
ジェイクは大きく息を吐き、少女を抱えて押し入れから這い出る。
「はー。狭かった」
「貴方の体格だと、押し入れはきつかったみたいね」
「ああ。もう少し続けてたら、腰が死んでたかもな」
ジェイクは苦笑し、押し入れの襖を閉めるルーンを見た。
「それにしても、俺まで隠れる必要あったのか?」
「必要だったわ。こんな深夜まで貴方がこの部屋にいたら怪しまれるでしょ。変な噂を立てられないための策よ」
言いながら、ルーンは肩をすくめる。
その時、少女が小さく身じろぎをした。ジェイクはすぐに少女を布団へ寝かせ、肩まで毛布をかける。
「……すぅ……」
少女は何事もなかったように眠り続けていた。
ジェイクは寝顔を確認し、ほっと息を吐く。
「しかし……ブルーテイルが近づいてきた時は、ビビったな」
「そうね。あの子の嗅覚を少し舐めていたわ。止めなかったら、襖を開けられていたかもしれない」
「そしたらフィルにもバレて、完全アウトだったな。危機一髪だった」
「…………」
ジェイクの言葉を聞きながら、ルーンは窓をそっと開ける。夜風が部屋へ流れ込み、カーテンと髪を揺らした。
「…………」
まさか、少女の泣き声をフィルも聞いているとは思わなかった。
彼女は、一度は泣き止んで眠ったのだが先ほど目を覚まし、また泣き出した。
ここへ戻ってくるまでに、よほど怖い目に遭ったのだろう。だから悪い夢を見て目を覚ましてしまい、泣き出してしまった。
「…………」
ルーンは窓の外へ目を向ける。
自分一人では、彼女を泣き止ませられなかった。ジェイクが残っていてくれてよかった。そうでなければフィルに少女の存在を気づかれていたかもしれない。
「……貴方、これからどうするの?」
「どうするって?」
ジェイクは顔を向ける。
風に揺れる髪を手でかき上げてルーンは振り向いた。
「私たちは、あの黒い宝石……呪念石を探し当てた。これで貴方への依頼は完了。貴方の仕事も終わったわ」
眠っている少女へ視線を向け、ルーンは再びジェイクを見る。
「だから、南の大陸に帰ったところで私は文句は言わないわよ」
「……、…そうだな。考えてなかった」
ジェイクは小さく息を吐き、少女へ視線を向けた。
「……こっから、どうすっかなぁ」
「…………」
悩むジェイク。
すぐには答えず、ルーンも何も言わなかった。
部屋には少女の静かな寝息と、開け放たれた窓から吹き込む夜風の音だけが残る。
「…………」
そして、しばしの沈黙の後、ジェイクは顔を上げた。




