リースレッドに注意
それから数十分後。
玄関の扉が開く音が響いた。
「!」
テーブルの上に置かれたバスケットへ伸ばしていた手を止め、ターナは頬を膨らませたまま玄関へ顔を向ける。
同じくテーブルの上にいたコロタマが、ピピッと電子音を鳴らした。次の瞬間、コロコロと勢いよく転がり、小さな体を弾ませながら玄関へ向かう。
「カケラ!おかえり!おかえり!」
「ただいま」
扉を開けたのはカケラだった。
帰ってきた彼は、いつもと変わらない穏やかな声で足元へ転がってきたコロタマを見下ろし、わずかに目を細める。
「おかえり!おかえり!」
「はいはい。わかったから」
カケラはコロタマを宥めながら家の中へ入り、リビングへ視線を向けた。そこでターナの姿に気づく。
ターナもまた、スコーンを口いっぱいに頬張ったまま、じっと彼を見返していた。
「……来ていたのか」
「帰ってくるのが遅いぞ!こんな朝っぱらから出掛けるなんて、意味がわからん!」
そう言いながらも、ターナは手を休めない。
カケラはターナの前まで歩み寄り、そこでテーブルの上へ目を落とした。そこには昨日の夜に自分が作ったスコーンが。
出掛ける前には山のように入っていたはずのそれは、今では数えるほどしか残っていない。
「……これ、何処で見つけた?」
「私じゃないぞ。コロタマが持ってきたんだ」
「コロタマ…」
「死神さん、スコーン好き!カケラが作ったスコーン、もっと好き!」
カケラが目を向けると、コロタマは誇らしげに体を揺らした。
ドンッ。と勢いよくテーブルへ飛び乗り、その場で嬉しそうに揺れ始める。
「……おい。何度言えばわかる。テーブルに乗るな」
そこに呆れた声が飛んできた。リースレッドだ。彼は眉間に皺を寄せてテーブルへ近づき、コロタマをひょいと持ち上げる。
「リースレッド!」
「降りろ」
「ぴゃっ」
コロタマが振り返ると、そのまま椅子の上へ移された。コロタマは不満を示すように椅子の上で何度も跳ねる。
「リースレッドもスコーン食べる?」
「いるか、そんなもの」
リースレッドはますます顔をしかめた。
ターナは変わらずスコーンを食べ続けている。
「私の分も残しておいてくれよ」
カケラが控えめに頼むと、ターナは手にしたスコーンを一口かじり、挑むような目を向けた。
「駄目だ。すべて私のだ。今決めた。これは私を待たせた罰だ」
「理不尽……!」
コロタマが叫ぶ。
しかしターナは意に介さず、残ったスコーンを次々と口へ運んだ。最後の一つまで平らげると、空になったバスケットだけがテーブルに残される。
「……まあ。スコーンなら、また作ればいいか」
それを見つめたカケラは諦めたように呟き、眉尻を下げて空になったバスケットを手に取る。
そのままキッチンへと向かい、リースレッドも何も言わず、自室へ続く廊下へ歩いていった。やがて、その背中は奥へ消えていく。
「……それで、君がここに来た理由は何だ?」
キッチンに辿り着き、カケラはバスケットに敷かれていた紙を取り出した。丁寧に丸めてゴミ箱へ捨て、振り返りざまにターナに声を掛ける。
顔をあげたターナは、手にしていた最後のスコーンを飲み込むところだった。喉を動かし、口元を拭ってからカケラを見る。
「私がここに来たのは、お前に話しておかなければならないことがあるからだ」
「ん?」
カケラはバスケットを棚へ仕舞いながら、首を傾げた。
ターナは短く息を吐き、視線をリースレッドが消えた廊下へ向ける。誰もいないことを確かめるように見つめたあと、腕を組んだ。
「…………」
ルーンの父親が残した日記の内容を、ターナ自身は知らない。だが昨夜、シオンから聞いた話で事情の大半は察せられた。
ルーンの父親は、子供たちを守るために呪念石を精霊の森へ隠した。
呪念石は触れただけで人の心を操り、支配してしまう危険な石。その石を巡って子供たちは争った。争ったということは、すでに彼らは呪念石によって心を侵されかけていたのだろう。
そのうちの一人がルーン。
ならば、もう一人は誰なのか。
考えるまでもなかった。
「お前、呪念石は知ってるよな?」
「…………」
ターナが低く呼びかけると、カケラの手が止まった。だが、すぐに棚へ手を伸ばす。
「……それがどうかしたのか?」
棚からマグカップを二つ取り出し、作り置きしていたコーヒーをそれぞれへ注いだ。それを持って戻ってきて、片方をターナの前へ置く。
そして、もう一つのカップをそのままにカケラはターナの向かいへ腰を下ろした。湯気の立つコーヒーを一口飲む。
しばしの沈黙が二人の間に落ちる。その後、ターナは昨夜シオンから聞いたことを語り始めた。余計な言葉は挟まず、簡潔に話していく。その間、コロタマは二人の間を忙しなく行き来していた。
ターナが口を開くたびに言葉を聞くたびに目を丸くし、ときにはぴょんと跳ね、ときにはコロコロと転がる。小さな電子音が室内に響き、ターナがすべてを話し終えると再び静寂が戻った。
カケラは眉間に皺を寄せ、手の中のマグカップをゆっくりテーブルへ置く。
「……まさか」
かすかな声が漏れる。
ターナは腕を組んだまま、コーヒーを口へ運んだ。
「言っておくが、私は真実を話したぞ。嘘偽りなくな。これはシオンから聞いた話だ」
「…………」
カップを置き、まっすぐカケラを見据える。
カケラは顎に手を添え、深く考え込んだ。しばらくして、顔を上げる。
「コロタマ。リースレッドは今何をしている?」
聞くと、コロタマがぴょんと跳ねた。
「リースレッド?今は部屋にいるよ」
ピピッ。目が淡く光る。
「本を読んでるみたい」
「そうか」
カケラは小さく頷いた。
ターナは腕を組んだまま、険しい表情で彼を見つめる。
「しばらくの間は、奴の行動に注意しておけ。もしどこかで怪しい動きや様子を見せたら、容赦なく縛るか監禁しろ」
「わぁ。死神さん、過激」
言い放つとコロタマは目を丸くし、カケラも思わず眉をひそめた。
「縛るか監禁って……そこまでする必要があるか?」
「必要があるから言っているんだ。ここで優しさを見せていたら、いつか足をすくわれるぞ」
「……まあ、それはそうだが」
ターナの声は低く、冗談の余地を残していなかった。
カケラは視線を落とし、考え込む。カケラとコロタマ、二人の視線が重なった。
「……分かった。しばらくは目を離さないでおこう」
そしてカケラは頷く。しかしコロタマは目を垂れさせ渋っているようだった。
それを見たターナはコーヒーを一口飲み、もう一度同じ言葉を口にする。
「コロタマ、いいな。もし奴が怪しい動きや様子を見せたら容赦なく拘束しろ」
「でも、ボク…」
「いいな?」
「……うん。わかった。ボクも見てる。……じっと見てるよ」
コロタマは目を垂れさせたまま小さく呟く。ここまで一緒に暮らしてきたリースレッドを疑うようなマネはコロタマはしたくなかった。
だがターナの言葉にも反論はしたくなく、この時のコロタマの思考回路は完全に迷子になっていた。
「……よしっ。じゃあ、話も終わったところで朝飯だな」
「え?…あー、さっきスコーン食べたよな?」
「スコーンはスコーン。朝飯は朝飯だ。私は今、パンが食べたい」
「………。……分かった。私も今から朝食だから、ついでに君の分も作る」
小さく息を吐き、カケラは椅子から立ち上がる。
その言葉を聞いたターナは満足そうに頷き、カケラはコロタマの方へ視線を移した。
「コロタマ、手伝ってくれ」
「…………」
「コロタマ」
「……がってん」
コロタマはぴょんと跳ね、テーブルから降りる。コロコロと転がっていく姿はなんだか落ち込んでいるように見えた。
「少し待ってろ」
カケラは空になったマグカップを持ち、コロタマを追うようにキッチンへ。
ターナはその様子を眺めながら、椅子の背もたれへ深く身を預けた。
「………チッ」
小さく舌打ち。
胸の奥には、拭えない嫌な予感が湧き上がっていた。根拠のない嫌な予感で不安を駆り立てられている。まったくガラじゃない。
「…………」
ターナは眉をひそめてそれを振り払い、空になったマグカップへ目を落とす。
今は、何も考えず腹を満たそう。ターナは深く息を吐き、キッチンにいるカケラたちの方へ顔を向けた。
「カケラ。パンまだ?」
「今焼いてる」
「まだ?」
「まだだ」
「まだ?」
「まだだ」
「まだ?」
「……コロタマ。少し静かにしてくれ」
キッチンからは、カケラとコロタマの楽しげな声が聞こえてくる。
そんな二人の声を聞きながら、ターナは胸に宿る嫌な予感に苛立ち続け、もう一度舌打ちをした。




