機嫌が悪い彼女
東の大陸。サクラ村。
撮影会は夜まで続いた。
東の空が濃い藍色に染まり、教会の庭に夜の帳が下り始めた頃、ようやく撮影を終えたルーンとフィルはマキノたちに別れを告げて帰路につく。
二人の肩にはウェディングドレスとタキシードの入った紙袋が担がれていた。
「…………」
フィルはルーンの隣を歩きながら、ふと空を見上げる。頭上には、ぽつぽつと星が瞬き始めていた。
ルーンの腕の中ではブルーテイルが気持ちよさそうに眠っている。撮影会の間ずっと付き合わされていたせいか、疲れてしまったのだろう。
「すっかり夜になっちまったな」
「………」
「まさか、こんな時間になるまで撮影が終わらないとは思わなかったよ」
声を掛けるが、返事はない。
フィルは隣を歩くルーンへ視線を向けた。
「マキノたち、張り切ってたな。写真、何枚撮ったんだろう」
「さあね」
返ってきてもその言葉は素っ気ない。声にも表情にも温かみは感じられなくて、フィルは眉尻を下げた。
隣を歩くルーンは相変わらず無表情で、その顔を見ていると少しだけ怖くなる。
「そ、それにしても、体中がバキバキだ。……明日も学び舎が休みで良かったな」
「……ええ」
「…………」
会話が続かない。
どうしたものかと考えながら、フィルは首を傾げた。
「あ、そ、そうだ。これから温泉小屋に行かないか?疲れた体を癒やしに」
「いいえ。遠慮しておくわ。行きたいのなら、ひとりで行ってらっしゃい」
提案するも、あっさりと断られてしまった。
「え、ええと……」
フィルは首に手を当て、ルーンから視線を外す。何か話さなければと考えるけれど、次に何を話せばいいのかまるで思いつかない。どうしたら彼女の機嫌を直せるのだろう。そんな考えが頭の中をぐるぐると回っていた。
マキノやショウコの前では、そこまで機嫌が悪そうな態度を取っていなかった。だから、てっきりもう機嫌は直ったものとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
それどころか、むしろその時よりもさらに悪くなっている印象があった。
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それからしばらくの間、二人は無言のまま歩き続ける。夜風がそっと頬を撫で、遠くから虫の鳴き声が聞こえてきた。
「…………」
ルーンは隣を歩くフィルをちらりと見上げる。彼は眉をひそめ、顎に手を添えながら何か考え込んでいるようだった。時折、小さく唸っている。
かすかに声が聞こえるものの、何を言っているのかまでは分からなかった。
「………、」
ルーンは視線を戻す。
彼女は少し後悔していた。
どうして、あんな態度を取ってしまったのだろうか。
今日一日、ずっと機嫌が悪かったのは確かだ。フィルの言葉に苛立たされたこともあった。けれど、それだけが理由ではない。
慣れないドレスに長時間の撮影。思うように休めないこともあって、気持ちに余裕がなくなっていた。
だからといって、すべての苛立ちをフィルにぶつけていいわけではない。100%彼が悪いわけではないのだから。
「……はぁ」
ルーンは小さく息を吐く。
謝らないと。そう思い、足を止めた。
「フィル」
隣の彼を呼ぶ。しかしフィルは気づく様子もなく、そのまま歩き続けた。
「……フィル!」
今度は少し声を張る。
「……っ!」
するとフィルはハッとした様子で立ち止まり、慌てて振り返った。どうやらルーンが足を止めたことに気づいていなかったらしい。
「ルーン?どうした?」
不思議そうに首を傾げる。
きょとんとした表情で尋ねられ、ルーンはまた小さく息を吐いた。
次の言葉を口にしようとする。けれど、いざ謝ろうとすると、どうしても口が重い。
「…………」
「……?」
ルーンは眉をひそめて黙り込む。
フィルは心配し、踵を返して近づいてきた。
「どうした?」
もう一度聞かれる。
口を開きかけては閉じ、何度か言葉を探す。ちょっと焦るが、彼は催促せずに待ってくれていた。そして、ようやくルーンは口を開く。
「…………ごめんなさい」
とても小さな声だった。
「ん?」
フィルは首を傾げる。聞き取れなかったのか、それとも意味が分からなかったのか。
ルーンは視線を落とし、言葉を続ける。
「私、……感じ悪かった…わよね。今日」
「え?」
「自分でも分かってるの。ずっと貴方に酷い態度を取ってたなって。……その、さっきだって……あまり良くない態度をしてて……だから……ごめんなさい」
そこまで言って頭を下げる。フィルはすぐには返事をしなかった。彼が何か言わない限り、頭を上げられない。
自分でも今日の態度が良くなかったことは分かっている。呆れられたり、怒られたりしても仕方がない。
「……謝らなくてもいいよ。気にしてないから」
だけどフィルは予想とは違う反応をした。
「え?」
「誰だって、そういう日はある」
思いがけない言葉にルーンは顔を上げる。見ると、フィルは肩をすくめて困ったように笑っていた。
ルーンは目を丸くして彼を見つめる。腕の中でブルーテイルが目を覚まし、眠たげな瞳で二人を見上げて小さく鳴いた。
「きゅう?」
ルーンはブルーテイルの頭をそっと撫で、フィルへ視線を戻す。
「でも、…えと、嫌な思いしたでしょ?」
「ん?うーん……。確かに、ちょっと困った部分はあったけど……嫌とは思わなかったかな」
フィルは少し考えるように唸り、眉尻を下げながら言う。
その表情を見た瞬間、ルーンの胸の中で、引っかかっていた何かがすっと取れたような気がした。重たく感じていた気持ちが少しだけ軽くなっていき、ルーンはそっと口元を緩める。
「……貴方は優しすぎるわ」
「え?」
ぽつりと呟く。
聞こえなかったか、フィルは目を瞬かせた。
ルーンは彼の横を通り過ぎ、少し進んだところで振り返る。
「やっぱり私も行くわ、温泉小屋。今日はだいぶ疲れてしまったから、長湯確定ね」
そして柔らかな表情を浮かべてそう告げると、そのままルーンはフィルに背を向けて歩いていった。
そんな彼女の背中を、フィルはぽかんとしたまま見つめる。
「…えと…機嫌、直った…のか?」
疑問符を浮かべて頬を掻く。
先ほどまでの冷たい態度が嘘のような表情だった。
「フィル、何してるの?早く行くわよ!」
少し離れた場所から、ルーンの声が響く。その声には、やはり先ほどまでの機嫌の悪さは感じられなかった。
あれを見る限り、機嫌が直ったと、…そう思ってもよさそうだ。けど、急に直ると吃驚する。
「…あ、ああ。…今行く!」
フィルは慌てて返事をし、足を動かす。
ルーンの隣まで辿り着くとブルーテイルもすっかり目が覚めた様子で「きゅうっ」と、元気よく鳴いた。




