不機嫌になる
「先生、見てください!自信作です!」
マキノは手にしていた写真をケインへ差し出す。
「ほう。どれどれ……」
ケインは写真を受け取り、じっくりと眺めた。そこに写っていたのはルーンとフィルの二人。橋の上で向かい合い、互いの顔を見合わせながら微笑み合っている。
背景には池の水面と教会の庭が広がり、柔らかな光が二人を包み込んでいた。まるで一枚の絵画のような幻想的な一枚だった。
「これもよく撮れていますね。素晴らしいですよ」
「へへっ。私、カメラマンの才能あるかもしれない!ねっ、ショウコちゃん!」
マキノは照れくさそうに笑いながら隣に立つショウコへ顔を向ける。
「それは言い過ぎ。先生から借りたカメラのおかげでしょ」
「えーっ!そんなことないって!」
「ふふ。ほかの写真も見せてくれますか?」
「はい!もちろん!」
ケインに褒められたマキノは、すっかり上機嫌だった。うきうきとした笑顔を浮かべながらショウコの持つ写真を次々と受け取り、ケインへ渡していく。ケインも一枚一枚を丁寧に眺め、時折感心したように頷いていた。
そんな三人の様子を眺めていたルーンは、そっと息を吐く。
「……」
楽しそうなのは何よりだ。けれど、あの輪の中に入る気にはなれなかった。ルーンはベンチへと歩いていく。
ベンチの上ではブルーテイルが写真の横で丸くなっていた。ルーンは腰を下ろし、眠っているブルーテイルを抱き上げる。それから、ベンチに置かれていた写真を手に取って自分の膝の上へ移した。
「きゅう……?」
腕の中でブルーテイルが小さく鳴く。目を覚ましたらしい。眠たげな瞳でルーンを見上げている。
「……起こしちゃった?」
「きゅう」
ルーンは口元を緩め、ブルーテイルの頭を優しく撫でた。ふわふわとした毛並みが指先に心地よい。
その感触を確かめるように何度か撫でてから、彼女は深く息を吐いた。
「……はぁ」
ようやく肩の力が抜ける。
ずっと立ちっぱなしで、笑顔を作り続けていたせいだろう。体のあちこちが重たく感じられた。
そんなルーンのもとに、足音が近づく。
「……疲れたか?」
フィルだった。
彼はルーンの隣に腰を下ろすと、彼女の腕の中にいるブルーテイルへ目を向ける。
「そりゃあね。ずっと立ちっぱなしで笑いっぱなしだったんだもの。疲れない方がおかしいわ」
「まあ、そうだよな。カメラで撮影してたから、あんなに『動かないで!』って言い続けてたんだな」
「おかげで体は痛いし、足ももう限界寸前よ」
ルーンはそう言いながら、足元へ目を落とす。履いていたヒールを脱いで、両足を伸ばした。
「……はぁ」
足首をくるくると回す。
固まっていた筋肉が少しずつほぐれていくような感覚に、ルーンは安堵の息を漏らした。
「……少しは楽になったか?」
「ええ。さっきよりはね」
ルーンは足を伸ばしたまま、膝の上に置かれた写真へ視線を落とす。
そこでは、純白のドレスを着た自分が微笑んでいた。隣には、タキシード姿のフィル。
こうして改めて見ると、なかなか不思議な光景だった。
「このあとも撮影は続くのかしら?」
「…どうだろう。あの様子だと、もうしばらくはあるのかもしれないな」
「…………」
ルーンの眉が、わずかにひそめられる。それを横目で見たフィルは胸の内で小さく息を吐いた。どうやらまだ彼女の機嫌は戻っていないらしい。
無理もない。慣れないドレスにヒール。そのうえ、ずっと笑顔を求められていたのだから。
「ルーン、」
「?」
フィルが何か言おうと口を開く。
「フィルさーん!」
しかしその時、遠くからマキノの声が響いた。顔を向けると、マキノがこちらへ向かって手を振っている。
「ちょっといいですかー?」
何か用があるらしい。
ルーンも、彼女の方に顔を向けていた。
「呼んでるわよ」
「……悪い。ちょっと行ってくる」
「ええ」
「すぐ戻るよ」
「……別に、ゆっくりでいいわよ」
短く返事をすると、フィルは立ち上がる。
その少し素っ気ない言葉に困ったように笑い、彼はそれからマキノたちのもとへ歩いていった。
その背中を見送り、彼女はまた小さく息を吐く。
「……はぁ」
どうしてこんなにも、ため息ばかり出るのだろう。
ルーンは顔を上げ、空を見上げた。今日は雲一つない快晴。昨日はあんなに雨が降っていたというのに、青く澄み渡った空からは暖かな日差しが降り注いでいる。
「…………」
どうせなら、今日も雨が降ってくれればよかったのに。そうすれば、この撮影会だって中止になったかもしれない。
「……はぁ」
ルーンはまた息を吐いた。
いや。たとえ雨が降ったとしても、教会の中で撮影すればいいだけの話だ。結局、中止にはならなかっただろう。
考えれば考えるほど、逃げ道がなくなっていく。ルーンは膝の上の写真へ目を落とした。そこにいる自分は柔らかな笑みを浮かべている。
「…………」
先ほどフィルに言われた言葉が、ふと頭をよぎる。
――花嫁がそんな顔しちゃ駄目だよ。
「…………」
確かに、そうなのかもしれない。
せっかくの晴れ舞台なのだから、自分だって笑顔でいたい。
マキノはあんなにも楽しそうにしている。ショウコだって、ケインだって。
みんなが楽しんでいるのだから、自分もこの時間を楽しめたらいい。そう思っている。けれど。
「……」
ルーンは小さく唇を結んだ。
どうにも気持ちが追いつかない。
「……きゅう」
腕の中から、ブルーテイルの寝息が聞こえてきた。
いつの間にかまた眠ってしまったらしく、ルーンはその体を撫でていた手を止める。そして、ゆっくりと自分の胸元へ手を当てた。
どくん。どくん。
掌に、心臓の鼓動が伝わってくる。
「…………」
ルーンは目を閉じた。
離れた場所からマキノたちの楽しそうな声が聞こえてくる。
ケインの穏やかな声。マキノとショウコの笑い声。そして、時折混じるフィルの声。
それらを聞きながら、ルーンは意識を集中させた。すると。彼女たちの声の向こう側から、別の音が聞こえてくる。
かすかで、遠い。
けれど、確かにそこにある何かの音。
「…………」
ルーンはその音に耳を澄ませた。
ゆっくりと目を開く。
目の前に、何かがゆらりと現れていた。
「……」
黒い影のようなもの。
それは空中を漂いながら、ルーンの目の前でゆっくりと揺れている。
ルーンは目を細め、そっと手を伸ばした。指先が触れる。その正体は、一枚の羽根だった。
真っ黒に染まった羽根。まるで夜の闇を切り取ったかのような、深い黒色をしている。
「…………」
ルーンはそれを手に取った。
しかし羽根は彼女の指先に触れた途端、黒い靄となって崩れ始める。
ふわり。と、風に溶けるように跡形もなく消えていく。
その瞬間、ルーンの瞳が鮮やかな赤に染まる。
「…………」
彼女は何も言わなかった。
ただ、消えていく黒い靄を追っていた。
「ルーンちゃーん!」
「!」
そこへ突然、マキノの声が響く。
ルーンははっとして顔を上げ、同時に瞳の色が元に戻った。
「きゅ?」
腕の中のブルーテイルも目を覚まし、不思議そうに鳴く。
「キツネくんも連れて、こっちに来てー!」
「あ、……え、ええ!」
ルーンは慌てて返事をした。
そして、ブルーテイルを抱きかかえて立ち上がる。
その拍子に、膝の上に置かれていた写真がひらりと地面へ落ちた。
「…………」
しかし、ルーンは気づかない。
マキノたちのもとへ向かうことだけを考え、足元を確かめながら歩き出した。
地面に落ちた写真は、そよ風に吹かれてゆっくりと滑り始める。やがて風に乗り、ふわりと宙へ舞い上がった。
それは教会の庭を横切り、そのまま入口の方へと流されてていく。
そして教会の入口付近まで飛んでいくと、写真は誰かの手によって受け止められた。その人物は、見やすい位置までそれを下ろす。
そこに写っていたのは、ルーンとフィル。互いに顔を見合わせ、幸せそうに微笑み合う二人の姿だった。
「…………」
写真を手にした人物は、しばらく黙ってそれを見つめる。
やがてその眉間に深い皺が刻まれ、ぎゅっと写真を握る手に力がこもった。
紙がくしゃりと音を立てて歪む。
その人物は、幸せそうに笑う二人の姿を無言のまま握りつぶした。




