少女たちを追って
朝の食事を終え、皿を洗ったエーは濡れた手を布で拭きながらヴィーの部屋へ戻ろうと歩いていた。
「にゃあ。にゃあ」
「……?」
廊下の先から聞こえてきた鳴き声に彼女は足を止める。視線を向けると、そこには一匹の小さな猫がいた。
「え、…え!?なんでルミー、外に出てるの!?」
驚き、エーは目を見開く。
ルミーはエーの部屋の扉の前に座り込み、前足で扉をカリカリと引っ掻いていた。
「にゃあ。にゃあ」
「ルミー!」
エーは慌てて駆け寄ると、ルミーを抱き上げる。腕の中に収まったルミーは、それでも扉のほうを気にしていた。
「にゃあっ」
「どうしてここに…。自分で出ちゃった……って、そんなわけないよね?」
エーはルミーの顔をじっと見つめ、頭の上に大きな疑問符を浮かべるように首を傾げる。
ルミーは先ほどまでジェイクたちがいる部屋の中にいたはずだ。それなのに、なぜ外にいるの?
「…………」
エーは部屋の扉を見る。
中を確かめたいが、この向こうにはあの少女がいる。強い呪いを纏った黒いワンピースの少女。
彼女の体に宿る呪いの力が強すぎるせいで、エー自身は部屋の中へ入ることができない。もし入れば、体が呪いに蝕まれてまた倒れてしまう可能性がある。
ヴィーがいれば、代わりに中を見てきてもらえるのだけど。
「……ヴィーは今いないし……」
しかし、生憎とヴィーは小屋を出ている。
つまり、今のエーには部屋の中を確認する手段がなかった。
「にゃあ。にゃあ」
鳴き声をあげ、ルミーがエーの顔を見上げてじっと目を合わせてくる。その瞳は"扉を開けて"と訴えているようだった。
「にゃあ」
エーは眉尻を下げる。
「……仕方ない、か」
しばらく迷ったあと、エーは扉へ向き直る。
ほんの少しくらいなら大丈夫。何か異変があったとしても、すぐに離れれば問題ない。
そう自分に言い聞かせながら、恐る恐る取っ手へ手を伸ばした。
「ジェ、ジェイクさーん。入りますよー」
返事はない。
「…………」
エーは息を呑み、ゆっくりと扉を開いた。
「にゃあ」
腕の中にいたルミーがぴょんと飛び降り、そのまま部屋の中へ駆け込んでいった。
「…………え?」
扉が完全に開かれる。
部屋の中には誰もいなかった。
「…………」
エーは目を見開く。
ジェイクも黒いワンピースの少女もいない。部屋はもぬけの殻だった。開いた窓から朝の風が吹き込み、カーテンを揺らす。
「どうして……どこへ行ったの?」
エーは呆然と呟き、慌てて窓へ駆け寄った。身を乗り出して外を確認する。
小屋の周囲には、ヴィーが張った結界がある。しかし、破られた跡はない。結界そのものに大きな異常は見られなかった。
エーは眉をひそめる。
「結界が……上手く機能しなかったのかな?」
いや、そんなはずはない。
ヴィーが張った結界は強力だ。
あの少女が、普通にそこを抜けられるとは思えない。
「絶対に……この部屋からは出られないはずなのに……」
エーは窓から離れた。
その足元へ、ルミーが戻ってくる。
「ルミー、ついてきて!」
「にゃあ」
すぐにエーは小屋を飛び出した。
外へ出ると、魔法陣を展開する。
「光の妖精よ。私に力を貸して」
呪文を唱えると、淡い光が森の中へ広がった。その光に誘われるように無数の小さな妖精たちがエーの周囲へ集まってくる。
一匹の妖精がエーの頭上を旋回したあと、空高く舞い上がった。続いて、ほかの妖精たちも森の四方へ散っていく。
「…………」
エーは深く息を吐いて、静かに目を閉じた。
意識を集中させる。すると、頭の中へ次々と映像が流れ込んできた。
森。木々。朝の光。妖精たちの目を通して見える、広大な森の景色。
「一体、どこに……」
エーは必死に視界を追った。
北。南。東。西。けれど、どこにもいない。
「まだ、そんなに遠くへは行っていないはず……」
自分に言い聞かせる。
大丈夫。きっと、すぐに見つかる。
「にゃあ」
足元からルミーの鳴き声が聞こえた。
「……!」
その直後、妖精の一匹が見ている景色に何かが映る。
森の木々の間。遠くに、誰かの背中が見えた。
小さくて、はっきりとは分からない。けれど、エーにはその背中に見覚えがあった。
「…………」
目を凝らす。間違いない。
あれはジェイクだ。
「……いた!」
エーは目を開き、すぐさま魔法陣を解く。
戻ってきた妖精たちへ口元を緩ませて礼を言い、エーはルミーを抱き上げた。
「ルミー、お願いがあるの」
「にゃあ?」
エーは懐から小さなメモ帳とペンを取り出した。そして、紙に勢いよく文字を書き始める。
時間がない。ペン先を走らせ、書き終えると一枚を破り取った。
「これを、ヴィーが戻ってきたら渡してくれる?」
「にゃあ」
エーは紙をルミーに持たせる。
「お願いね」
「にゃあ」
ルミーは紙を咥えた。
「……急がないと」
そしてエーは森の奥へ目を向け、その場から走り出す。
小屋から遠ざかっていくエーの背中を、ルミーはしばらく見つめていた。
+
それから数分後。森の中から、ヴィーが戻ってきた。彼が小屋へ近づいたその時、ルミーが駆け寄る。
「にゃあ!」
「ん?」
ヴィーはきょとんとした。
ルミーは彼の足元で立ち止まると、口に咥えていた紙を見せるように顔を上げる。
「ルミー?どうした?」
「にゃあ。にゃあ」
「…………?」
ヴィーはしゃがみ込み、ルミーの口から紙を取った。
広げてみると、そこには急いで書いたらしい殴り書きの文章が並んでいた。
少し癖のある文字。ヴィーには、それを書いた人物がすぐに分かった。
「これ、エーの字じゃねぇか」
ヴィーは紙へ視線を落とす。
そして。
「…………ん!?」
文章を読み、目を見開いた。
書かれていた内容を読み進めるにつれ、ヴィーの表情が険しくなっていく。
「…………」
最後まで読み終えると、ヴィーは紙をくしゃりと握りしめた。
「……ったく、あいつら……っ!!」
慌てて小屋の中へ駆け込む。
そのままエーの部屋へ向かい、扉を開けた。
「…………」
誰もいない。
ジェイクも。あの少女も。
部屋には、静かな空気だけが残されていた。開いた窓から風が入り込んでいる。
「……くそっ!」
ヴィーは踵を返した。
小屋の外へ飛び出し、周囲を見渡す。
目的はひとつ。呪念石。ジェイクたちが探していたもの。
ヴィーは地面を蹴り、森の奥へ向かって走り出す。その後ろをルミーも懸命に追いかけた。
「にゃあ!」
朝の静かな森に、ヴィーの足音とルミーの鳴き声が響き渡る。
目的地は呪念石のある場所。エイルの小屋だ。




