そんな事しなくても
その日の夜中。
部屋を満たしていた静寂を破るように、少女はゆっくりと目を覚ました。ぼんやりとした暗闇の中で、少女は何度か瞬きをする。
まだ頭がうまく働かない。
ここは――どこだっただろう。
そう思いながら、少女は横になったまま周囲へ視線を巡らせた。
「………ぁ」
すぐ近くにはジェイクがいた。
扉のそばに背を預けるようにして座り、そのまま眠っている。大きな体を丸めることもなく、無防備に目を閉じていた。
そして、少女のそばでは子猫のルミーが体を丸くして眠っている。小さな胸が規則正しく上下し、ときおり、ひげがぴくりと動いた。
「…………」
少女はしばらくルミーを眺めていたが、やがて自分の喉へ手を当てる。
「……のど、かわいた」
ぽつりと呟いた。
少女は布団を押しのけ、ベッドから降りる。
裸足の小さな足が床につく。
冷たい。少女は少しだけ身を縮めながら、部屋の扉へ向かった。
外へ出れば、水があるかもしれない。そう考えて、扉の前まで歩いていく。
取っ手へ手を伸ばした。指先が触れる。その瞬間。
――バチッ。
「っ!」
青白い光が一瞬だけ走った。
静電気に似た小さな衝撃が指先を弾き、少女は驚いて反射的に手を引く。
思わず目を見開いた。今のは、何。少女は自分の指先を見つめている。
「……ん、どした?」
するとそこで、眠たげな声が聞こえた。
扉のそばで眠っていたジェイクが、片目を開けている。
「……」
少女は何も言わず、ジェイクを見た。それから、もう一度扉へ視線を向ける。
「………ああ」
その様子だけで何となく察し、ジェイクは重そうに体を起こした。
まだ眠気が残っているのか目元を手の甲で擦り、少女の横まで歩いてくると彼女の代わりに扉の取っ手へ手を伸ばす。
彼の手も弾かれるのかと思ったが、ガチャリと何事もなく扉が開いて少女は目を丸くした。
「何か欲しいもんでもあんのか?」
「………え」
ふいに聞かれて、少女は肩を震わせる。そして少し考えた。けれど、どう言えばいいのか分からない。
眉尻を下げたまま、俯く。
「………えと」
「ん?」
「……み、みず」
発した声は、自分でも驚くくらいに消え入りそうな声だった。
ジェイクは一瞬だけ少女を見つめ、それから、
「水か。待ってな」
そう言って、部屋の外へ出ていく。
少女はその背中を見送った。
扉が閉まり、静かになった部屋の中でルミーが小さく身じろぎをする。
少女はベッドに戻り、端に座って眠っている子猫の頭をそっと撫でた。柔らかな毛が指先をくすぐる。今回は、触れても嫌な感じはしなかった。
そして、しばらくすると廊下から足音が聞こえてくる。
「ほら。水」
戻ってきたジェイクが少女へコップを差し出し、少女はそれを両手で受け取った。
「………ありがとう」
「おう」
少女がコップを口元へ運ぶのを確認すると、ジェイクは再び扉の近くへ戻り、壁に背を預けて座る。
どうやらまた眠るつもりらしく、少女はそんなジェイクを見ながら、水を少しずつ飲んだ。乾いていた喉が潤っていく。
やがてコップから口を離し、少女は扉へ目を向けた。そして、もう一度扉へ近づき取っ手へ手を伸ばす。指先が触れた瞬間、またも大きな音と共に弾かれた。
「………」
少女は手を引き、扉をじっと見つめる。
「………結界?」
小さく呟く。それ以外考えられない。どうして。誰かが張ったのだろうか。
少女はしばらく考えたが、答えは出ない。ベッドへ戻り、コップに残った水を飲む。
半分以上飲み終えたところで、少女はふと自分の体を見下ろした。
小さな手。小さな足。
今の自分は、幼い少女の姿をしている。
「……わたし、もどってる」
少女は小さく息を吐く。
もう一度、ルーンの姿に戻れないだろうか。そうすれば結界を破れるかもしれない。
そう思い、ベッドの上に小さな魔法陣を展開した。淡い光が少女の周囲に浮かび上がる。
「……あ…」
けれど光は弱々しく揺れたあと、消えてしまった。
少女は眉をひそめる。
もう一度試す。しかし、結果は同じだった。
「……んー」
少女は自分の手を見つめる。
魔力が足りない。どうやら今の自分にはルーンの姿へ戻るだけの力が残っていないらしい。
「…………」
そんな少女の姿を、ジェイクは薄く目を開けてじっと見ていた。
この部屋に張られている結界。それを張ったのはヴィーだ。この結界は少女を部屋の外へ出さないためのもの。
ジェイクがここにいるのは、少女を監視するよう頼まれているからだった。
何かしようとしていれば声をかける。何か欲しそうにしていれば聞く。危険なことをしないように見ている。
まるで子供のお守りだ。
最初にそう思ったときは、正直面倒な役目を押しつけられたものだと思った。
「………おじちゃん」
「……ん?」
声を掛けられ、ジェイクは顔を上げる。
少女がこちらを見ていた。
手にしているコップの中身は、もうほとんど残っていない。
「……驚かないの?」
「何がだ?」
「わたしのこと……」
少女はそう言って、自分の体を見下ろす。
ルーンの姿から突然この幼い姿へ戻った。普通なら驚くだろう。警戒されるか、あるいは。そう思っていた。
「そんな驚いてもねぇよ。薄々は勘づいてたしな」
だが、ジェイクは拍子抜けするほどあっさりと答え、小さく肩をすくめる。
「…なぁ。お前は一体何なんだ?」
すると、今度はジェイクが問い掛けた。
「どうしてルーンの姿で、俺の前に現れた?」
静かな声で問われ、少女は手にしていたコップを見つめる。
中身はもう空。ベッドの脇に置かれていた小さな棚へ、それをそっと置く。
「……おじちゃんなら、協力してくれるって思ったから」
「……何で俺だったんだ?」
「お姉ちゃんと決めたの」
「お姉ちゃん?」
ジェイクは首を傾げる。
「わたしたちのことを知ってる人で……自由に動ける人って言ったら、おじちゃんしかいなかったから……」
「お姉ちゃんって誰だ?」
「………ルーン、お姉ちゃん」
「ル、……」
その名前を聞いた瞬間。
ジェイクの表情が固まった。
「……そうか。あいつもこの件に噛んでんだな。だからか……っ」
額へ手を当て、ジェイクは大きく息を吐いた。
少女はそんなジェイクの様子を見ながら、膝の上で両手を組む。
「……お前は、あいつの何なんだ?」
「わたしは……」
少女の声が小さくなる。
少し迷ってから、ぽつりと告げた。
「わたしは、……いもうと、です」
「妹?」
「うん……。おじちゃんにも、分かりやすく言うと……だけど」
「…………」
ジェイクは黙った。
その場で座り直し、あぐらを掻く。頬杖をつきながら、少女をじっと見つめた。
「なるほどな。やっと理解したぜ」
「……騙してて、ごめんなさい」
少女は俯く。小さな声。
「許さねぇ」
「っ……」
深く息を吐いてそう言うと、少女の肩が小さく跳ねた。顔を伏せたまま、ぎゅっと両手を握る。
「……とでも言ってほしいか?」
「……え?」
顔を上げる。
見ると、ジェイクは苦笑していた。
「んな、まどろっこしい事しなくてもよ。その姿のまんまで来て事情を話してくれりゃ、疑いもせず協力したぞ、俺は」
「…………」
少女の目が大きく見開かれる。
その瞳には、じわりと涙が浮かんでいた。
「その呪念石ってのがどんなもんなのか、まだはっきりとは分からねぇけどよ。仲間が手に入れたがってたら、協力するのは当たり前だろ。……まぁ、それが悪いもんだったらちょっと考えるがな」
ジェイクは続け、少しだけ考えるように顎へ手を添える。
少女は涙を堪えるように瞬きを繰り返した。
「その呪念石って、お前にとってどういうものなんだ?」
「………」
少女は、言おうか少しだけ迷った。
けれど……。
「あれは……もともと、わたしとお姉ちゃんのなの」
「そうなのか?」
「うん…。とっても大切なもので…どうしても取り戻したくて……」
「そっか」
ジェイクは顎に手を添えたまま考える。
呪念石がこの森にあることはすでに分かっている。あとは、森のどこにあるのか。
「だったら、探さねぇとな」
「……」
ジェイクは、いつものようにあっさりと言った。
「分かった。明日んなったら事情を話して、ヴィーたちに許可もらって探しに行こう」
「……このまま、一緒に探してくれるの?」
「ああ。依頼破棄はしない。最後まで付き合うさ」
「………」
即答だった。
ジェイクは立ち上がり、少女の体をベッドに横たわらせる。
「だから、もう寝ろ」
少女はされるがまま布団へ横になった。
ジェイクは布団を軽く整える。
「まだ何か話したかったり、欲しかったりしたら言え。そこにいるから」
「………うん」
少女は小さく頷いた。
そして、安心したように瞼を閉じる。
「ありがとう。…おやすみ、おじちゃん」
「ああ」
ほんの少しだけ間を置いて言い、返事を聞くと少女はすぐに眠りへ落ちていった。
小さな寝息が聞こえ、ジェイクはその寝顔を見つめる。
「……………」
やがて自分も元の場所へ戻り、扉のそばに座って腕を組んだ。
夜の静寂が、再び部屋を包み込む。
眠っている少女をじっと見つめ、しばらくするとジェイクもゆっくりと目を閉じた。




