遠くまで行くな
夕暮れの森を、エーは重い足取りで歩いていた。何度も立ち止まりながら、それでも小屋を目指して進む。
体はまだ本調子ではなく、胸の奥には鈍い違和感が残っていた。
「…………」
そして、ようやく木々の向こうに小屋が見える。
「あ……」
小屋の前には、一人の男性が立っていた。ヴィーだ。彼は扉の前を行ったり来たりしている。
腕を組んだかと思えば森の方を睨み、また数歩歩いては立ち止まる。何度も同じことを繰り返し、明らかに落ち着きを失っている人の動きをしていた。
「っ、……ヴィー!」
エーは歩く速度をあげて、彼に声を掛ける。
「!」
その声を聞き、ヴィーは勢いよく振り返った。エーの顔を見た瞬間、彼の目が見開かれる。
そしてヴィーは一目散にエーのもとまで駆け寄り、その両肩を強く掴んだ。
「おま……!何処まで行ってんだよ!俺は小屋の外にいろとは言ったが、遠くまで行けとまでは言ってねぇだろ!」
怒鳴る声。エーは思わず目を瞬いた。けれど、掴まれた肩から伝わる手の力が微かに震えている。
「……ごめん。すぐに戻ろうと思ったんだけど…私、倒れちゃったみたいでさ……さっき起きたんだ」
「は?倒れた?」
「うん。それで……私が起きるまで看病してくれた人がいたんだけど……」
エーは、先ほど起きたことを話した。
まず倒れたこと。目を覚ますまでダリアンという男性が付き添ってくれたこと。そしてそのダリアンという男性が、呪念石を探しているということ。
順番に話していく。
「…………」
話を聞き終えたヴィーは、しばらく黙った。やがて腰へ手を当て、大きく息を吐く。
「なるほど。そのダリアンって奴が、もう一人の呪念石捜索者か」
「でも、あの人……ただ呪念石を見たいだけって言ってた。だから、危険はないと思う」
「まぁ、見たいってだけなら問題ねぇのは確かだが……あれを見て、それで終わると思うか?」
「…………」
腕を組んで、ヴィーは言う。エーは黙った。
呪念石。その名前を聞いただけで、二人の表情が重くなる。
呪念石の恐ろしさは、二人とも知っていた。あれは単純に、触れた者へ害を与える石ではない。
触れなくても。ただ目にするだけでも。人の心の隙間へ入り込み、そして少しずつ思考を支配していく力を持っている。
「呪念石はヤベェ石だ。興味を持った時点で、支配は始まってるって考えた方がいい」
「…………」
「だから、そのダリアンって男も。あのガキも。…おっさんにも注意が必要だ」
ヴィーは低い声で言い、指を三本立てる。
「ジェイクさんも?」
「……ああ。あのおっさんも呪念石を探しに来たひとりだ。安全とは言えねぇだろ」
「……あまり、知ってる人を疑いたくないな……」
眉尻を下げて、エーはぽつりと呟く。
「ごほっ」
すると、小さく咳が出た。
その音を聞いた瞬間、ヴィーは表情を変え、エーへ手を伸ばす。
「……!」
ひやりとした指先。エーは少し驚いた。
「…………」
ヴィーは額へ触れたまま、じっとエーを見る。
その顔からは怒りは消えていた。
「……ちょっと熱いな」
「そう?」
「ああ。倒れたってのは本当みたいだな。……ったく。外に出たらお前いねぇからビビった」
「…………」
指先を離したヴィーは眉を寄せ、小さく息を吐く。
「…あんま、心配させんじゃねーよ」
ヴィーは視線を逸らす。
その言葉は酷く小さかった。
「ごめんね」
エーは黙って彼を見つめ、そして口を開く。
「謝るくらいなら、勝手に遠くまで行くな」
「……うん」
ヴィーはもう一度、エーの顔を見て彼女の頭に触れた。ポンと軽く叩き、それから、気を取り直すように話を少女の方へ戻す。
「…にしても、ほんのちょっとしかそばにいなかったはずなのにぶっ倒れるって、…あのガキ、どんくらいの量の呪い持ってんだよ」
「……あの子、今どうしてるの?」
「大人しく寝てる。おっさんもな」
「ジェイクさんも?」
「ああ」
エーは小屋を見た。
「私、戻っても大丈夫かな?」
「……んー。とりあえず、呪いが他の部屋に漏れ出ないように結界は張ったが、入ってみてどうなるかだな」
ヴィーは腕を組んで、同じく小屋を見る。
「もし小屋に入って、またぶっ倒れそうになるんだったら……仕方ねぇ、今夜は野宿だ」
「えっ」
少しだけ間を置いて言うと、エーの顔が分かりやすく引きつった。それは嫌だとはっきり告げると、ヴィーは肩をすくめて息を吐く。
そして二人は小屋へ向かった。ヴィーが扉を開け、エーは少しだけ身構える。入った瞬間では体に異変はない。
「…………」
そのまま中へ入って、しばらく待つ。
胸が苦しくなる様子はなく、吐き気もない。エーはゆっくりと息を吸った。
「……はぁ」
安堵の息が漏れる。
肩から力が抜けた。
「なんとか大丈夫そうだな」
ヴィーも小さく息を吐く。
その声にも、僅かに安堵が滲んでいた。
「うん」
エーは胸へ手を当てる。
まだ完全ではないが、ここにいること自体は問題はなさそうだった。
でも。と、エーは自分の部屋の方へ顔を向ける。
「…私の部屋は使えないんだよね」
「今日はな」
「なら、私どこで寝るの?リビング?」
「ここに寝られるとこなんかねぇよ。……普通に考えて、俺の部屋だろ」
「え」
ヴィーが答えると、エーの動きが止まった。
「なんだ。不服か?」
「別にそういうわけじゃないけど…。……うーん。まぁ、しょうがないか」
「なんかすげー嫌そうだな」
エーは少し考え、渋々頷く。
その反応にヴィーは眉をひそめた。
「野宿よりはマシだと思うが?」
「……それはそうだけど。ごほっ」
エーは小さく息を吐き、また咳をひとつ。
「…大丈夫か?」
「うん」
胸に手を当てる。
その手にはダリアンからもらったハンカチが握られ、未だにそれは濡れたままだった。




