精霊の森へ
真ん中の大陸。港町。
船着き場で船を降りた少女とジェイクは、その足で迷うことなく精霊の森へと向かった。
二人が辿り着いたのは、どこにでもありそうな森の入口。木々が並び、鳥の声が聞こえる。一見しただけなら、ただの森にしか見えない。
少女は森を前にして立ち止まった。そして、ゆっくりと片手を前へ伸ばして掌を森へ向ける。すると、空気が僅かに震えた。
何もないはずの空間に薄い光の膜が浮かび上がる。それは森全体を覆うように広がっていた。
「ここね。……貴方は下がっていて」
少女はそう言うと、指先を僅かに動かした。
次の瞬間。パキンと、ガラスが砕けるような音が響く。目の前にあった光の膜が細かな粒子となって崩れ、森の奥へと消えていった。
同時に。二人の目の前に広がる景色が僅かに変化する。
「…………」
ジェイクは目を細めた。
さっきまでと同じ森。木々も、草も、地面も変わっていない。
なのに。どこか違う。
二人はそのまま森へ足を踏み入れた。
「………ここが、精霊の森?」
ジェイクは周囲を見渡す。
「なんか、あんま変わってないように見えるが」
「そうでもないわ。よく見てみれば、違いがわかるはずよ」
少女は前を向いたまま答えた。
「…………」
ジェイクは言われた通り、周囲を注意深く観察する。
木々。草花。森の中を流れる風。
何もかも、一見すると普通だった。
けれど──
「……」
ジェイクは、ゆっくりと息を吸う。
空気が澄んでいた。先ほどまでいた森とは明らかに違う。肺の奥まで、冷たく綺麗な空気が入ってくる。
風が吹き、木々の葉が擦れ合う。
その音が、まるで誰かが楽しそうに笑っているように聞こえた。
「……妙な森だな」
ジェイクが呟いたその時、視界の端を何かが横切る。
「……!」
ジェイクの目が見開かれた。
それは蛍のように光り輝く、小さな何か。目で追っていくと、森の奥へ飛んでいき、木々の向こうへ消える。
「……何だ、今の?」
「妖精よ」
「妖精?」
「ええ。あちこちにいるわ。ほら」
「…………」
少女が指を差す。
ジェイクがそちらを見ると、木々の間で淡い光に包まれた何かがいくつも飛び回っていた。
それは群れを成していて、その光の中には小さな人の姿が見える。背中から羽根を生やした、人型の生き物。彼女たちは楽しそうに笑いながら、木々の間を飛び回っていた。
「あれが妖精なのか?」
「ええ。初めて見た?」
「……ああ」
ジェイクは光…妖精たちを見つめる。
「世界のどっかにいるってのは知ってたが……」
実際に見るのは初めてだった。
妖精たちはジェイクたちを気にする様子もなく、楽しそうに飛び回っている。
その光景を横目に、二人は森の奥へと進んだ。
歩く。ただひたすらに歩く。
特に立ち止まるようなものはない。妖精の姿を何度か見かけることはあったが、それ以外には目立ったものはなかった。
「…………」
少女は迷いのない足取りで進んでいき、ジェイクもその後ろを追う。
やがて二人は森の中腹部まで辿り着いた。
「…………」
ジェイクは辺りを見渡す。
木。木。また木。どこを見ても同じような景色が続いている。
「なんもねーな」
ぽつりと呟く。
その声に、少女が足を止めた。
「…………」
少女も周囲を見渡す。
そして少しだけ眉をひそめ、顎に手を添えた。
「…………」
ジェイクも足を止めて、少女を見つめる。険しい表情で悩んでいる様子の少女を見つめ、彼はなんとなく嫌な予感を覚えた。
「……おい。まさか迷ってないよな?」
恐る恐る尋ねる。
少女はジェイクの方を見て、首を横に振った。
「いいえ、大丈夫よ。迷ってはないわ。ちゃんと目的地に向かってる」
そこまで言って、少女は再び森へ視線を向ける。
「……だけど」
「だけど?」
「森全体が、私たちを警戒してる」
「なに?」
ジェイクの表情が険しくなる。
彼も周囲へ視線を巡らせた。
風。木々。草むら。さっきまでと何も変わっていない。
でも。確かに何かが違った。
ほんの僅かな違和感。
誰かに見られているような。
森そのものが、こちらを観察しているような。
「……私が『異物』だってわかっているのかしら」
ぽつりと少女が呟く。
ジェイクは彼女を横目で見つめた。
「…………」
と、不意にジェイクの表情が変わる。
何かを感じた。
「…………」
ゆっくりと顔を向ける。
右。誰もいない。
左。何もない。
木々の間。草むら。
やはり、誰もいない。
だが。
「……」
確かに何かがいる。
ジェイクは拳を握った。
「どうしたの?」
「……何かいる」
「!」
それを聞いて、少女も周囲へ目を向けた。
ジェイクは呼吸を整え、意識を研ぎ澄ます。
音。風。気配。全てを感じ取ろうとする。
そして。
「……!」
視界の端を、きらりと何かが通った。
ほんの一瞬だけ光ったように見え、ジェイクはそちらへ顔を向ける。
「……ジェイク」
「お前は下がってろ」
少女が何か言うより先に、ジェイクは片手を出して制した。
少女を自分の後ろへ置き、そして一歩。足を進める。拳は握ったまま。いつでも動けるように体を構える。
視線の先。木々の向こう。そこに何かがいる。それだけは確かだった。だが、姿が見えない。
「…………」
ジェイクは慎重に進む。
一歩。また一歩。
相手もこちらを警戒しているのだろう。こちらから仕掛ければ、相手も動く。相手から仕掛ければ、こちらも動く。
どちらが先に手を出すか。
それだけで、この先の展開は大きく変わる。
「…………」
ジェイクは息を殺した。
「っ!」
そして動いた。
先に仕掛けたのは、向こうだった。
木々の間から何かが飛び出す。
あまりにも速い。
「なっ……!」
ジェイクの目の前へ、一瞬で姿が現れる。
何かが振り下ろされた。
「っ!」
ジェイクは反射的に拳を振り上げ、迎え撃つ。
「……!」
だが、拳と、それがぶつかった。
重い。想像していた以上の衝撃が腕を伝う。
ジェイクは歯を食いしばる。しかし相手はびくともしなかった。
「……なっ」
拳を受け止められた。
いや、違う。こちらの拳が完全に止められている。
ジェイクは目を見開いた。
「!」
そこで初めて、彼は相手の顔を見る。
「………お前っ!」
赤と白の髪。
鋭い瞳。手には刀。
相手もまた、ジェイクの顔を見て目を見開いていた。
「てめぇは…」
二人の視線が交差する。
一瞬。森の音が遠ざかったように感じられた。
ジェイクはゆっくりと拳を下ろし、敵意を解く。
目の前に立っていた男。
ジェイクへ攻撃を仕掛けてきたその人物は、ヴィーだった。




