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ブルーテイル・ハピリス‐世界に嫌われているダークエルフが世界を救っては駄目ですか?‐  作者: aki.
4、わたしのくろいほうせき

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幻と気配





 真ん中の大陸。


 その深い森の中には、人の手がほとんど入らない場所がいくつも存在していた。

 木々は高く、枝葉を重ねるようにして空を覆っている。昼間であっても森の奥まで陽の光が届くことは少なく、風が吹けば葉と葉が擦れ合い、さざめくような音を響かせていた。


 そこは、精霊の森。

 数多の精霊と妖精が暮らすこの森のさらに奥地に、一つの小さな湖があった。周囲を木々に囲まれた、静かな湖。

 その水は驚くほど澄んでいて、底に沈む小石の一つ一つまで見ることができる。


 エーは、その湖の中にいた。

 腰ほどまで水に浸かり、両手で掬った水を顔へとかける。


「……」


 冷たい。けれど、不思議と嫌な冷たさではなかった。火照った体を静かに冷ましていくような感覚。

 濡れた髪に指を通す。髪先から落ちた雫が、ぽたりぽたりと湖へ落ちた。小さな波紋が広がり、静かな水面を揺らしていく。


「にゃあ」


 背後から聞こえた声に、エーは振り返った。湖のほとりにある岩場。そこでは小さな猫が岩を登っていた。エーの飼い猫である子猫のルミーだ。


「にゃっ」


 小さな体を懸命に動かして岩を一つ登る。そして、少しだけ足を滑らせながらもまた次の岩へ。


「ふふ……」


 その姿を見つめ、エーの口元が緩む。

 ぴょんと跳ねるルミー。

 それを追うようにエーの視線も動く。

 胸の奥が、とくりと小さく音を立てた。

 穏やかな時間だった。

 風が吹き抜ける。頬を撫でる柔らかな風に、エーは目を細めた。

 そして、彼女はルミーから視線を外す。


「…………」


 湖の向こうに視線を持っていく。

 見ると、木々の間には一人の男性が立っていた。

 銀色の髪。こちらを見つめる瞳。そして、優しく微笑む顔。


「………」


 エーは黙って、その姿を見つめた。ここへ来ると必ず彼が現れる。

 初めてこの湖を訪れた時は本物なのかと思った。けれど、すぐに気づいた。違う。これは、この湖が見せている幻なのだ。


「…………」


 この湖には不思議な力がある。

 訪れた者の記憶の一部を視界に映し出す。

 その人にとって、一番大切な記憶。一番大切な人。湖はそれを形にする。

 だから。エーの前に彼が現れている。


「……どうして、貴方はいつも現れるの?」


 小さな声で問いかける。

 当然、返事はない。

 彼はただ、いつものように微笑んでいる。


「………」


 エーは湖の中を歩き出した。

 足を動かすたび、水面が静かに揺れる。

 一歩。また一歩。少しずつ彼との距離を縮めていく。やがて目の前まで辿り着き、エーはゆっくりと手を伸ばした。指先が彼の体に触れる。


「……」


 幻覚なのに。触れられる。

 そのまま腕を回して抱きつくと、彼もまたエーを抱きしめる。

 まるで本当にそこにいるようだった。


「(でも……)」


 けれど。体温はない。

 胸の鼓動もない。


 それでも。


「………」


 エーは目を閉じた。

 耳元で、微かな息遣いが聞こえる。

 それは記憶の中に残るものなのか。それとも湖が生み出しているのなのか。エーには分からない。

 ただ、その腕の中にいる間だけは何も考えずにいられた。


 胸元で、金色の指輪がきらりと光る。

 水面から差し込んだ光を受けて、一瞬だけ眩しく輝いた。


「…………」


 エーはしばらく動かなかった。

 ただ静かに、満足するまで彼を抱きしめていた。




+



 湖を離れたのは、それから一時間ほど経った頃だった。

 森の中にある小屋へ戻ってきたエーは、扉を開ける。


「ただいまー」

「にゃっ」


 扉が開くと同時に足元にいたルミーが先に小屋の中へ駆け込んでいく。その直後。「おかえり」と、中から声が返ってきた。

 顔を上げると、そこには椅子に座ってオムライスを食べているヴィーがいた。


「ヴィー、それ私の……」

「ん?」


 ヴィーは口の中のものを飲み込むと、スプーンの先をエーへ向ける。


「食べかけを残したまま出掛けんじゃねぇよ。勿体ねぇだろうが」

「帰ってきたら食べるつもりだったの。勝手に食べないでよ」

「だったら食えよ。ほら」

「……もういいよ。ヴィーが食べて」


 エーは小さくため息を吐く。

 そのままキッチンへ向かい、コップに水を注いだ。ごくごく、と喉を鳴らして水を飲む。

 森の中を歩いてきた体に冷たい水が染み渡った。


「……また、あそこに行ってたのか?」


 背後からヴィーの声がする。

 移動してエーはテーブルの上にコップを置くと、彼の向かい側にある椅子へ腰を下ろした。


「ええ。……なんかちょっと、今日は体の調子が少し変だったから」


 少し間を置いてから続ける。

 そう言って、胸元へ手を添えた。


「……一時的に魂と器が合わさってなかったからな。まだしばらくは調子悪いだろうよ」

「…うん」


 エーは自分の手を見つめた。

 魂と器。普段なら意識することもないもの。

 けれど、ほんの少し噛み合わなくなるだけで体には妙な違和感が残る。

 エーは小さく息を吐いた。


「……オムライス美味しい?」

「不味かったら食わねぇ」


 カチカチ、とスプーンが皿に触れる音がする。ヴィーは最後の一口を頬張ると、しばらく咀嚼し、それを飲み込んだ。

 そして「ごちそうさん」と、両手を合わせる。


「そういえば、エイルさんには会いに行ったの?」


 エーは空になった皿を持ち、キッチンへ向かいながら尋ねた。


「ああ。でもなんか忙しそうだったから、さっさと用件済ませて帰ってきた」

「そう」


 シンクに皿を置く。

 蛇口を捻り、流れ落ちる水の音。

 カチャカチャと皿を洗う音。

 そんな、いつもと変わらない時間だった。

 ヴィーはテーブルの上に置かれたコップを手に取る。そして、水を一気に飲み干した。


「…………?」


 そこで、ふとヴィーの動きが止まった。何かを感じ取ったように窓の方へ顔を向ける。

 窓は開いていた。森の風がカーテンをゆっくり揺らしている。

 けれど。その向こうから感じる気配は、いつもの森のものではなかった。


「……エー」

「なに?」

「水を止めろ」

「え?」


 突然の言葉にエーは振り返る。

 見ると、ヴィーの表情は変わっていた。先ほどまでの気の抜けた様子はない。


「水を止めろ」

「……うん」


 再び言われ、エーは蛇口を閉めた。

 静寂が包み、ヴィーは椅子から立ち上がると窓へ近づいて目を細める。


「……どうしたの?」


 エーも彼のそばへ歩いていく。

 ヴィーはしばらく森の奥を見つめた。


「……誰かが、この森に入ってきた」

「え?」


 エーの表情が曇る。

 精霊の森は普通の人間が簡単に入り込める場所ではない。森の存在を知っている誰かが入ってきたのだろうか。

 しかしこの森の存在を知っているのはエーもヴィーも知っている人物だ。もし知っている誰かならば、ヴィーはこんなにも警戒はしないだろう。


「誰かな?」

「さあな。知らない気配だ」


 ヴィーは短く答え、周囲を見回す。

 掌に魔法陣を展開させ、刀を召喚した。


「……様子を見てくる。お前はここにいろ」

「うん。……気をつけてね」


 ヴィーは扉へ向かう。

 エーが頷くと、その足元から小さな影が飛び出した。


「にゃあ」


 ヴィーの足元を駆けると、そのまま彼の体をよじ登っていく。

 肩に乗ったのはルミーだった。


「…お前も来るのか?」

「にゃ」

「……用心棒にしちゃ心許ないが、いないよりマシか」


 そして、ルミーを乗せたままヴィーは小屋を出て、森の入口方面へと走り出す。

 木々の間を抜け、あっという間にその姿が遠ざかっていった。


「…………」


 エーはその場に立ったまま、彼の背中を見つめる。

 胸の奥に不安が残る。

 風が吹き、森の木々がざわざわと揺れた。


「……エイルさんに知らせないと」


 呟き、急いで小屋の中へと戻る。

 扉を閉めて、扉そばの棚に置いてあった端末を手に取ると、彼女は小屋の奥にある部屋まで走っていった。



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