船の上で
翌日。港町へ戻った少女とジェイクは、真ん中の大陸へ向かう船のチケットを購入した。
船は大きな汽笛を鳴らし、ゆっくりと港を離れていく。やがて町の景色が遠ざかり、視界いっぱいに青い海が広がった。
「…………」
少女は甲板の手すりに手をかけ、船の進行方向をまっすぐ見つめる。潮風が吹き抜け、長い髪が風に煽られ、後ろへ流れていく。
その隣では、ジェイクが手すりに背を預けて腕を組んでいた。
「…………」
しばらく二人とも口を開かなかった。聞こえてくるのは、船が波を切る音と風の音だけ。
やがて、ジェイクが海を眺めながら口を開いた。
「あの大陸に行くのも久し振りだな」
「ええ」
「精霊の森に行くとして……行き方は知ってんのか?」
「だいたいはね」
「……へぇ」
少女は短く答える。
ジェイクはそれ以上追及しなかった。
少女はまた海の向こうを見つめ続ける。
精霊の森への行き方。それは頭に入っている。だが。実際に、その森へ足を踏み入れたことはない。
「…………」
少女は静かに目を細めた。
そして、父親のことを思い出す。
父親は一度だけ、精霊の森へ行ったことがあった。それを知ったのは、つい最近のこと。
父親は森へ行ったことを家族の誰にも話していなかった。いや。母親には話していたのかもしれない。
少なくとも自分と兄には知らされていなかった。
「…………」
なぜ父親は、そこへ行ったのか。
その理由は今なら分かる。
あの人は。どうしても、自分と兄の手から黒い宝石を引き離したかったのだ。
呪念石。それは自分と兄、二人にとって決して手放すことのできないものだった。
けれど。だからこそ、父親はそれを二人から遠ざけた。
「(精霊の森…)」
そこには強力な結界が張られている。
森そのものだけではない。森の中に存在するものさえ、外部から感知されない。呪念石を隠すには、これ以上ない場所だった。
あそこなら。誰にも見つけられない。誰にも気づかれない。安全だ。父親はそう考えたのだろう。
「…………」
我が父親ながら、よく考えついたものだと少女は思う。
呪念石を隠した。そのおかげで。自分と兄、リースレッドの仲は戻った。離れていた家族の関係も、少しずつ元へ戻った。
また以前のように。仲睦まじい家族として暮らせるようになった。
だけど──。
「…………」
少女の表情から、僅かに笑みが消える。
そのおかげで。
──“わたし”は生まれた。
ルーンの中で。
ずっと眠っていた“わたし”は少しずつ成長し、そして、とうとうルーンの中から出てくることができた。
今、こうして自分の足で立ち、自分の目で世界を見ている。自分の声で話している。それができるようになったのは、ルーンの父親が呪念石を精霊の森へ隠してくれたからだった。
「…………」
だから、感謝しなければならない。
自分を生んでくれたこと。
ルーンと一緒に、自分を愛してくれたこと。
自分を精霊の森へ導いてくれる道を残してくれたこと。
「ふふっ」
少女の口元から、小さな笑みがこぼれる。
「…………」
ジェイクはその声を聞き、隣へ視線を向けた。
少女は海を見つめながら僅かに笑っている。
「…………」
何がそんなに可笑しいのか。
ジェイクには分からなかったが、それほど気にはならなかった。
それよりも。
「…………」
やはり。この少女は自分の知っているルーンではない。ジェイクはそう確信していた。
顔も。声も。姿も。間違いなくルーンだ。だが、何かが違う。
ルーンという少女を知っているからこそ、その違いが分かる。言葉遣い。仕草。物事に対する反応。何より、彼女から感じる言葉では説明できない違和感。
「…………」
最初に会った時から、ずっとそうだった。それでもジェイクは、そのことを本人へ告げるつもりはなかった。
もし「お前は本当にルーンなのか?」と、そう尋ねたら。警戒され、この少女は自分から離れていってしまうかもしれない。
それは避けたかった。
この少女を一人にしてはいけない。そんな予感が、ジェイクの中にはあったからだ。
だから。しばらくは黙っている。
それが今のジェイクにできることだった。
「…………」
しばらく海を眺めたあと、ジェイクは口を開く。
「……おい」
「何?」
少女が顔を向ける。
「……腹、減ってないか?」
「?」
一拍置いて聞いた。
少女は首を傾げる。
「平気よ」
そう答え、柔らかく笑う。
「気にしてくれてありがとう、ジェイク」
その笑顔を見て、ジェイクは黙り込んだ。
「…………」
何故、この少女はルーンの姿をしているのか。自分に近づいてきた理由は何なのか。
呪念石を手に入れて、いったい何をしようとしているのか。
分からない。何一つ。
「…………」
ジェイクは目を逸らさず、少女の姿を見つめ続ける。
「…………」
そして、心の中で考えた。
「(なんとかして、シオンたちと連絡が取れればいいんだがな…)」
自分一人では判断できないことが多すぎる。できれば、この少女について知っていることを話し、どうするべきか相談したい。
真ん中の大陸へ到着するまでには、まだ時間がある。それまでに何か考えておかなければ。
「……………」
ジェイクは眉をひそめる。
隣では、楽しそうに少女が海を眺めていた。




