南の塔
南の塔へ到着した頃には、空はすでに夕暮れの色へと変わり始めていた。赤く染まった太陽が地平線へ沈みかけ、長く伸びた少女とジェイクの影が大地の上を這っている。
数時間。
二人はほとんど休むことなく歩き続けていた。
「着いたわ」
「はぁ……はぁ……」
少女は足を止める。
その隣でジェイクも足を止め、肩を上下させていた。
「……ひぃ……やっと……着いたか……」
両膝に手をつき、荒い息を吐く。
「…………」
少女は目の前にそびえる塔を見上げた。
遠くから見ても巨大だったが、こうして間近に立ってみると、その大きさは想像以上だった。
円柱状の塔が、まるで大地そのものから生えているかのように天へ伸びている。
上を見上げる。見上げても。見上げても。頂上が見えない。
「………大きいわね」
少女は眉をひそめた。
「大きいわね、じゃねぇよ……」
ジェイクもようやく顔を上げるが、疲労が溜まりすぎているのか声に覇気がない。
「大丈夫?」
「これが大丈夫に見えるか?ずっと休憩無しに歩かせやがって……」
少女の言葉に応え、ジェイクは大きく息を吐く。
「はぁ……。ちったぁ休ませろ……」
「……悪いけど、休んでいる暇なんてないわ」
少女は塔を見上げたまま言った。
「これからここを登るわよ」
「あ?」
ジェイクは目を丸くする。
「おい、登るって……」
少女はもう動き始めていた。
言い終わるより早く、彼女は自分とジェイクの足元へ魔法陣を展開する。
「ちょ、おい!」
淡い光が二人を包み込む。
少女が呪文を唱えると、ふわりと二人の体が地面から浮き上がった。
「…………!」
ジェイクの足が地面から離れる。
そのまま二人は上昇していき、あっという間に遥か上空へ。
「うおおおおおっ!?」
ジェイクの叫び声が響く。
物凄い速度で上昇する体に、彼は表情を強張らせた。
「おい、待て!急すぎんだろ!」
地面が遠ざかる。
塔の壁が横を流れていく。
見る見るうちに、先ほどまで立っていた場所が小さくなっていった。
「おい!何処まで行くんだこれ!?」
「…………」
少女は答えない。
ただ、ひたすら上を見ていた。
「俺ら、大丈夫なんだろうな!?」
「…………」
「おいって!!」
返事はない。
ジェイクは眉をひそめながら、恐る恐る下を見た。
「…………!」
そこには、遥か彼方に小さくなった地面が。
「…………っ」
胸がどくどくと鳴る。
ジェイクは慌てて視線を逸らした。
「……くそっ」
再び上を見る。しかし、塔の頂上はまだ見えない。
どれだけ上昇するのか。本当に頂上に着くのか。ジェイクにはもう分からなかった。
+
「……見えたわ」
少女は目を細める。
「……え?」
その言葉に、途中から魔法に身を任せていたジェイクも顔を上げた。
そして、二人の目の前に巨大な平面が現れる。塔の頂上。二人はついに、南の塔の最上部へと辿り着いた。
「はい。到着」
コツンと靴底が硬い床に触れる。
同時に魔法が解け、二人の体は完全に地面へ降り立った。
「はぁ…やっと着いた……。着いてよかったぁ」
四つん這いの状態で着地をしたジェイクは、大きく息を吐く。
「……………」
少女は、塔の頂上から見える景色を眺めた。風が吹き抜け、地上では見ることのできないほど広大な景色が彼女の前に広がっている。
遠くに山々。その向こうに広がる海。大地を横切る街道。小さく見える町々。夕暮れの光に照らされた世界が、どこまでも続いていた。
「凄いわね。ここからなら、世界全体が見渡せるわ」
「…………」
少女の言葉に、ジェイクは立ち上がり彼女と同様に周囲を見渡す。
「……マジかよ」
景色を見て、思わず声が漏れた。
普段、自分が歩いている大地が、まるで一枚の地図のように見える。
「こんな高いとこまで来ちまったってのか?」
「このくらいの高さなら見つけられそうね」
少女は頷き、前方へ視線を向ける。彼女の足元に再び魔法陣が浮かび上がった。
ゆっくりと手を伸ばす。
風が吹き抜ける。長い髪が風になびいた。ジェイクの青い髪も同じように揺れる。
「…………」
少女は目を閉じ、掌へ意識を集中させた。
「…………」
小さく呪文を唱え始め、周囲の魔力を探る。
この世界に存在するものは、どんなものであれ僅かな魔力を発している。それがどれほど微弱なものであろうと。
名前が分かっている。
そして、実際に触れたこともある。
その条件が揃っているものならば。彼女は、その存在を感じ取れるはずだった。
「…………」
意識を広げる。
地上。海。山。町。森。
様々な場所を感覚だけで探っていく。
「…………」
ジェイクは黙って彼女を見つめていた。
しばらくして、少女が目を開く。
「…………」
その表情には、僅かな困惑が浮かんでいた。
「……どうした?」
ジェイクが尋ねる。
腕を降ろし、少女は彼の方を見た。そして首を横に振る。
「駄目。見つからないわ」
「あん?」
それを聞いて、ジェイクは眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「気配を感じ取れないのよ。名前が分かっているもので、実際に触れているものなら……大抵は感じ取れるわ」
「…………」
「呪念石も、この世界に存在しているなら魔力を放っているはず。だから、見つけられるとおもったのに……」
少女は顎に手を添え、もう一度、遠くを見渡す。
おかしい。何かが引っかかる。
呪念石は存在している。それは間違いない。ならば、どうして感じ取れない?
「…………」
少女は考える。
「…………!」
その瞬間、少女の目が見開かれた。
もしかしたら、感じ取れないのではなく自分の感覚が届いていないだけなのではないか。
だとしたら、呪念石がある場所は…。
「……そうか。そういうことね」
小さく呟く。
「どうした?」
ジェイクが尋ねる。
少女は僅かに口元を緩めた。
「呪念石がある場所が分かったわ」
「なに?」
ジェイクは目を丸くする。
「どこだ?」
「降りるわよ」
「は?」
答える代わりに、少女は再び魔法陣を展開した。
「ちょっ、おい!」
体が浮く。
「またかよぉぉぉぉっ!?」
そして再び、ジェイクの叫び声が夕暮れの空へ響き渡った。
+
地面に着地した頃には、すっかり日も落ちて夜になっていた。
このまま夜道を歩くのは危険だと少女とジェイクは相談し、塔の近くで野宿をすることにし、薪を集めて焚き火を作る。
「……んで」
小さな焚き火が、夜の草原を照らす。
火の粉が小さく弾け、ジェイクは火のそばに積んであった木の枝を一本拾い、焚き火へ放り込んだ。
「場所が分かったって、どこにあるんだ?」
ジェイクは向かいに座る少女を見る。
少女はジェイクから受け取った小さなパンをかじっていた。
「精霊の森よ」
「……精霊の森?どこだそこ?」
ジェイクはきょとんとする。
少女はパンをもう一口かじった。
「精霊の森というのは、貴方たちが『真ん中の大陸』と呼んでいる場所にある森の名前よ」
「はぁ……」
「神聖な場所とされていて、一部の人たちにしか、その存在を知らされていないわ」
「へぇ……」
ジェイクは焚き火を眺める。
「何でお前はそれを知ってんだ?」
「……。…調べたのよ。そうしたら、そういう森があるって書いてあったから」
聞くと、少女の手が一瞬だけ止まった。だがしかしすぐに何事もなく言葉を続ける。
「ほぉ……」
ジェイクは深く考えずに頷いた。
「精霊の森は、その存在を感知されないように結界を張っていると聞いたことがあるの」
「結界?」
「ええ」
少女はパンをかじり、焚き火を見つめる。
「森そのものだけじゃない。その中にあるものも含めて、外から存在を感知できないようにしているのよ」
「…………」
「だから。呪念石は、そこにあるんじゃないかと思ったの」
「…………なるほどね」
ジェイクは納得したように頷く。
つまり。呪念石の魔力を感じ取れなかったのは、呪念石が存在しないからではない。
精霊の森の結界によって、その存在そのものが隠されていたから。そう考えれば、辻褄が合う。
「じゃあ、明日はどうするんだ?」
「船に乗るわ」
「船?」
「ええ。真ん中の大陸に行くの」
少女はパンを食べ終えると、そう言って立ち上がった。そして、そのまま近くの場所へ移動して横になる。
「明日は早いわ。貴方も早めに眠りなさい」
「…………」
「おやすみ」
それだけ言うと、少女は静かに目を閉じた。
しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえ始める。
「…………」
ジェイクはそんな彼女をじっと見つめ、そして焚き火へ視線を戻した。




