呪念石
本を読み始めてから、一時間ほどが経った。窓から差し込む光は、いつの間にか少しずつ傾いている。
テーブルの上には何冊もの本が広げられ、三人はそれぞれ別のページをめくり続けていた。パラパラと、静かな部屋に紙の擦れる音だけが響く。
「…………」
ジェイクはテーブルに頬杖をつき、半ば眠そうな目で本を眺めていた。
宝石の名前。産地。性質。特徴。似たような説明が延々と続く。正直なところ、ジェイクにとっては退屈極まりない作業だった。
「ふぁ……」
大きな欠伸をこぼす。
「ねぇ、これ見て」
その時、少女が声を上げた。
「ん……?」
ジェイクは欠伸を噛み殺しながら、彼女の方へ顔を向ける。
少女は開いているページを指先で示し、ジェイクはそれを眠そうな目で見つめた。
「…………!」
すると、一瞬で目が覚めた。
そこに描かれていたもの。それは黒い宝石だった。
丸い形。光をほとんど反射しない、深い黒。その姿は、少女が懐から取り出した紙に描かれていた宝石と酷似していた。
「おい……これ!」
ジェイクが身を乗り出す。
「ええ。同じに見えるわ」
少女も絵を見つめて頷いた。
「見せてください」
ダリアンは少女から本を受け取る。そして、テーブルの上に置かれた紙と本の絵を交互に見比べた。
「…………」
しばらく黙って観察し、やがて顎へ手を添える。
「ふむ。確かに似ていますね……」
真剣な顔で頷き、ダリアンは本の絵へ指を添えた。
「この宝石の名前は……『呪念石』というそうです」
「じゅねんせき?」
説明文を読むと、ジェイクが聞き返す。
「はい。名前の通り。呪いの念を込めた石…と書きます」
「呪い…」
少女は呟く。
ダリアンはさらに文章を追った。
「これは、太古の昔から存在している石のようですね」
「どこにあるかは書かれてねぇのか?」
「ええと……」
ジェイクが尋ね、ダリアンはページをめくる。しかし、そこに記されていたのは呪念石の性質についてばかりだった。
「……残念ながら、それはありませんね」
「そうか…」
残念そうに眉をひそめるジェイクの横で少女はダリアンから本を受け取る。
改めて説明文へ目を通した。そこには、さらに細かな記述がある。
呪念石。その起源は不明。自然に形成されたものなのか、それとも何者かによって作られたものなのか。それすら分かっていない。
ただ、太古の時代から存在していたとされる。そして。世界に二つとない。幻の宝石。
「…………」
少女は眉をひそめた。
そして、紙に描かれた絵と本の絵を見比べる。
形。色。大きさ。描かれた特徴。どれも一致している。おそらく間違いない。彼女が探しているもの。それは、この呪念石だ。ようやく名前が分かった。
だが。何処にあるのか、場所は分からない。それでも、手掛かりが一つ増えたことは大きかった。
「……協力感謝するわ、ダリアン」
少女はパタンと本を閉じる。
広げた紙にも手を伸ばし、懐へしまった。
「あとは私たちで探すわ…。…行きましょう、ジェイク」
「……あ、ああ」
椅子から立ち上がった少女を見たジェイクも立ち上がり、二人はそのまま玄関へ向かう。
「待ってください」
しかし、ダリアンの声で二人の足が止まった。
振り返ると、彼も立ち上がっている。
「………何かしら」
「僕も行きますよ」
「は?」
予想外の言葉にジェイクが眉をひそめた。
ダリアンは胸に手を添え、いつもの笑顔を浮かべる。
「その呪念石、とても興味があります。是非、この目で実物を見てみたい」
彼はテーブルの上に残された本を見る。その目は輝いていた。
「…………」
少女はダリアンを見つめる。
彼の笑顔は穏やかだった。だが、その奥にある好奇心は隠しきれていない。
「悪いけど、お断りするわ。これは貴方には関係のないことよ。巻き込むつもりはないわ」
「それはそうですが…。僕の性格上、はいそうですか、さようなら……というわけにはいかないんです。僕の性格、ジェイクさんなら理解していますよね?」
「…………」
少女は首を振り、淡々と告げた。
ダリアンは困ったように笑い、ジェイクは黙って彼を見つめる。その表情には明らかな面倒くささが浮かんでいた。
ダリアンはにこにこと笑い続け、ジェイクはしばらく彼を見たあと、視線を逸らしす。
「……ちっ」
そして、小さく舌打ち。
「おい。こいつはもう駄目だ。こうなっちまったら、こいつはしつこいぞ。断っても、ずっとついてくる」
「…………」
ジェイクは少女へ声をかけた。
少女は目を閉じ、小さく息を吐く。
「それでも駄目よ。これは貴方のような人が首を突っ込んでいいものじゃないわ。諦めてちょうだい」
今度も、はっきりと告げた。
ダリアンの笑顔を真っ直ぐに見つめながら強い口調で言い、少女はそれ以上何も言わずにダリアンに背を向ける。扉へ向かい、そして振り向きもせずに外へ出ていった。
「……ま、そういうこったな。協力してくれたことには俺も礼を言うが、それまでだ」
肩をすくめ、ジェイクも少女のあとを追い、玄関へ。
「てめぇと一緒に行動するなんて願い下げなんだよ」
そして彼も扉へ手をかけ、ダリアンに「じゃあな」とそう言うと、足早に外へ出ていった。
+
「…………」
静かになった部屋。
ダリアンはしばらく、閉じられた扉を見つめていた。
「……断られてしまいましたね」
小さく息を吐き、苦笑する。
彼はテーブルの上の本を見つめた。そこには、まだ何冊かの本が広げられている。
「まぁ、想定内でしたのでいいですけど」
言いながらダリアンは一冊ずつ手に取ると、それを本棚へ戻していった。
棚に並べる。一冊。また一冊。もう一冊。次々と本を本棚へ戻し、やがてテーブルの上には一冊の本だけが残った。先ほど見つけた呪念石について書かれた本だ。
「…………」
ダリアンはそれを手に取らず、ただじっと見つめる。
黒い宝石。世界に二つとない、幻の宝石。その存在だけでも、宝石好きの彼にとっては十分すぎるほど興味深いものだった。
だが。それだけではない。
あの二人。ジェイクとルーン。
なぜ、彼らはあの宝石を探しているのか。
「…………」
ダリアンは、呪念石の絵を指先でそっとなぞる。
「ですが…、僕は諦めませんよ」
口元が僅かに緩み、誰もいない部屋で静かに呟いた。
「貴女たちがいくら嫌がっても、ついていきます」
指先が黒い宝石の絵の上で止まる。
穏やかな笑顔。その表情だけを見れば、いつものダリアンと何も変わらない。
「……たとえそれが、茨の道でもね」
しかしその瞳には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
知りたい。確かめたい。自分の目で見たい。その気持ちは、すでに単なる好奇心ではなくなりつつあった。
「……………」
ダリアンは再び、呪念石の絵を指先でなぞる。彼にはまだ何も分からない。だからこそ知りたかった。知りたくて仕方がなかった。
いつの間にか彼の心には、呪念石という一つの存在が深く刻み込まれていた。まるで、見えない鎖が静かに彼を縛り始めているかのように。
「………ふふっ」
ダリアンはそのことに気づかないまま。ただ、楽しそうに笑っていた。




