久し振り
その頃。
黒いワンピースの少女は、南の大陸へと渡っていた。長い船旅を終えた船が港へと入る。
ゆっくりと速度を落とした船は港の船着き場へと横付けされ、やがて大きな音を立てながら係留された。
船員たちが慌ただしく動き始める。荷物を運び出す者、乗客を誘導する者、これから船へ乗り込もうとする者。港は人の声と足音、そして潮の香りで満ちていた。
「……やっと着いたわね」
少女は船のタラップを降りる。
黒いワンピースと紫色の長い髪を靡かせ、少女は最後の段を降りると、ゆっくりと桟橋へ足をつけた。
「さて……彼はどこにいるのかしら?」
少女は首を傾げながら、港を見回す。しかし、当然ながら目当ての人物は簡単には見つからない。
港には何人もの人々が行き交っている。船から降りてきた旅人。これから別の大陸へ向かう者。大きな荷物を抱えた商人。忙しそうに走り回る船員。
少女はしばらくその光景を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……ここはやっぱり、ギルドかしらね」
そう判断した少女は、迷うことなく港を歩き始める。人探しをするなら、情報が集まりやすい場所へ行くのが一番だ。
目的地は、この町の冒険者ギルド。少女の足取りに迷いはなかった。
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しばらく歩いた後、少女は大きな建物の前に立つ。
剣と盾を象った看板。その下には、この港町の冒険者ギルドであることを示す文字が刻まれている。
「ここね」
少女は扉へ手を伸ばした。
ギィ…と、扉を開いて中へ入ると、そこには多くの冒険者たちがいた。
酒を飲みながら談笑している者や掲示板の依頼書を眺めている者。仲間同士で次の仕事について話し合っている者。
少女が入ってきたことに気づき、何人かがちらりと視線を向けた。だが、少女は周囲の視線など気にする様子もなく、まっすぐカウンターへ向かう。
そこには一人の男性受付係が座っていた。少女の姿を見ると、男性は営業用の笑顔を浮かべる。
「いらっしゃい」
少女はカウンターの前で足を止めた。
「少しいいかしら。人を捜しているのだけど」
「……ご依頼ですか?」
「いえ。依頼というわけではないわ」
少女は少しだけ間を置く。
「……今、ここにジェイクという名前の男性はいないかしら?」
「ジェイクさん、ですか?」
聞かれ、受付係は考えるように首を傾げる。
「ええと……」
そして少女から視線を外し、ギルド内を見渡した。部屋の奥に視線を止め、指を伸ばす。
「あ、いました。あそこです」
少女もその方向へ顔を向けた。
部屋の奥。そこでは、一人の男が樽型のジョッキを片手に酒を飲んでいる。
青い髪。鍛えられた大柄な体格。周囲の冒険者たちと比べても、一際目立つ姿だった。
少女は男をじっと見つめる。
「……間違いないわね」
「お知り合いですか?」
「ええ。ありがとう」
少女は受付係に礼を言うと、男のもとへ歩き出した。
コツコツと靴音がギルド内に響く。そして、男の前で立ち止まると少女は小さく咳払いして口を開いた。
「ジェイク、お久しぶりね」
「あ?」
声を聞いて、酒を飲んでいた男…ジェイクは手を止める。
顔を向けた彼は驚きの声を上げることはなかったが、ただ、その目が大きく見開かれた。
「は?ルーン?」
「相変わらずのようで安心したわ」
「え、あー…。いやいやいや…。お前、どうしてここに?」
ジェイクは目の前の少女を見つめる。少しだけ混乱しているようだ。
「貴方に依頼を持ってきたの」
「依頼?」
眉をひそめる。
「……シオンたちも来てるのか?」
「いいえ。ここへは私ひとりで来たわ」
「ひとりで?」
「ええ。…あ、安心して。シオンたちには言ってきてあるから」
その返事を聞いたジェイクは表情を変えた。警戒し、眉間に皺が寄る。
妙だった。何故彼女はわざわざ一人で南の大陸まで来たのか。依頼なら近場にいるシオンかフィルに出せばいい。彼らには言えない秘密の依頼ならば話は別だが。
「…………」
ジェイクは手元の酒を飲み干し、ジョッキをテーブルへ置く。
「ブルーテイルは?」
「フィルに預けてきた」
「そうか……」
「……なに?私がここにいるのが、そんなにおかしいかしら?」
「いや。別にそういうわけじゃねぇが…。…まぁ、いいや。んで、依頼ってのは何だ?」
警戒は解けないが、ジェイクは諦めたように肩をすくめる。
その言葉を聞いた少女はジェイクの向かいにある椅子を引き、静かに腰を下ろした。
「簡単に言うわね。私と一緒に、とある宝石を探してほしいの」
「あ?」
ジェイクの片眉が上がる。
「宝石って、またカラーか?」
「いいえ。カラーとは別の宝石よ」
そう言うと、ルーンは服の懐へ手を入れた。取り出したのは、一枚の紙。それをテーブルの上へ広げる。
「……これを見て」
「なんだこりゃ?」
ジェイクは紙を覗き込んだ。
そこに描かれていたのは、一枚の絵。宝石。子供。そして男。どう見ても、それは子供が描いた絵だった。
「これが、その宝石よ」
「…………」
ジェイクは絵を手に取る。
描かれている宝石は大きく、黒く塗りつぶされていた。
その横には楽しそうに笑っている一人の子供。その隣に立つ男は無表情だった。
「この宝石を探してほしい。…報酬は、貴方の働き次第かしら」
「……ずいぶん曖昧だな」
ジェイクは絵から目を離さずに言った。
「この宝石、何かあるのか?」
「さぁ。わからないわ」
「わからないって……」
「私も、その宝石についてはよくわからないのよ」
「…………」
「ただ……」
少女は視線を落とし、胸に手を添える。
「何でか惹きつけられるの」
その声は静かだった。
「この宝石は、なんとしても手に入れなければ駄目だって。そう思ったのよね」
「…………」
ジェイクは黙り込む。
彼女の言葉には、どこか説明のつかないものがあった。
理屈ではない。ただ、本人の中に確かな確信がある。そんな言い方だった。
「……お前、よくそれで俺に依頼出せたな」
呆れたようにジェイクは言い、少女に紙を返す。
「それで、どうかしら?この依頼、受けてくれる?」
「…………」
受け取った紙を懐に戻し、少女は小さく首を傾げた。
ジェイクは眉間を押さえ、息を吐く。
「……もし断ったらどうなるんだ?」
「そうね……。もしそうなったら、貴方に酷いことをされたって、ギルド中に言いふらすかしら」
「っ……!」
少女は少し考え、そして淡々と告げた。
それを聞いたジェイクは目が大きく見開き、一瞬、言葉を失う。
「お、お前な……」
少女は何事もなかったかのように座っている。ジェイクは口元を引きつらせながらそんな彼女を見つめた。
長い付き合いだ。だからこそ、目の前の少女がどういう人間なのかを彼はよく知っている。
冗談だとしても笑えない。だが彼女なら本当にやりかねない。そう思わせるだけの説得力があった。
「…………はぁ」
ジェイクは深く息を吐く。
完全に降参したように肩を落とし、そしてカウンターの方へ顔を向けた。
「おーい!酒、おかわり!」
ジェイクは空になったジョッキを持ち上げる。
そして少女へ視線を戻した。
「わーったよ。やればいいんだろ。やれば」
「……貴方なら、そう言ってくれると信じていたわ」
「……ったく。んな脅し文句、どこで覚えたんだ?」
ジェイクは呆れたように頭を掻く。
「あら。脅すなんて、人聞きが悪いわね。そんなこと、私が貴方にするわけないでしょう?」
少女は不思議そうな顔をして答えた。
「……はっ。脅しは脅しでも、本人がそう思ってなきゃ脅しにならねぇってか」
「どういう意味かしら?」
「そのまんまだよ」
乾いた笑いを漏らし、ジェイクはクツクツと笑う。
その直後、受付係の男性が新しい酒を運んできた。二つ目の樽型のジョッキが、どん、とテーブルへ置かれる。ジェイクはそれを手に取った。
「……じゃあ、依頼成立ってことでいいんだな?」
「ええ」
「宝石の手がかりは、この絵だけか?」
「今のところはね」
「……難儀な仕事になりそうだな」
「そうね。でも、やらなきゃだわ」
少女は淡々と答える。
ジェイクは彼女を一瞥した。
一体何を考えているのか。なぜ、この宝石を探しているのか。なぜシオンたちを置いてまで、一人でここまで来たのか。
聞きたいことはいくつもあったが、今は聞いても何も答えてくれないだろう。
そう判断し、ジェイクはジョッキを口元へ運んだ。
「……まぁいい。んじゃ、久しぶりの大仕事。張り切ってやろうかね」
ジョッキを大きく傾け、酒を一気に流し込む。
「…………」
少女はそんなジェイクの姿を黙って眺めた。
彼女の胸元。服の内側には、先ほどの一枚の紙がしまわれている。
そこに描かれた黒い宝石。そして、笑う子供と無表情な男。
あの絵が示しているものを少女は知っている。けれど、それをジェイクに語るつもりはなかった。
今はまだ。必要な時が来るまでは。




