わたしがいくよ!
その日の夜中。
静まり返った部屋の中。
ルーンが眠っている布団の上で、黒いワンピースの少女が足をばたばたと動かしていた。
「それならわたしが行くよ」
「…………」
ルーンは目を細める。
もはや当然のように、少女はそこにいた。
昨夜まで、この少女は夢なのか幻なのか疑っていたけれど今は違う。
この少女が自分自身の記憶と深く関わっていることを知ってからというもの、ルーンは彼女の存在を現実として受け入れつつあった。
「貴女、普通にいるのね」
「ん?うん」
少女は足を止めることなく答えた。
「だって、お姉ちゃんがわたしを認識したから」
にっこりと笑う。
「これからはわたし、ずっとお姉ちゃんと一緒にいるよ!」
「………そう」
ずっと一緒。
その言葉を聞いて、ルーンは小さく息を吐いた。
複雑な気持ちはあったが、不思議と嫌ではなかった。
「……それより。私が行くっていうのは、どういう意味かしら?」
ルーンは話を戻す。
少女は足を止めてごろんと体を転がし、ルーンの方へ寝そべった。
「そのままの意味だよ。わたしが南の大陸に行って、おじちゃんに頼んでみる」
少女は楽しそうに言う。
ルーンは呆れたように額に手を当てた。
「貴女…自分の姿、分かってる?」
「?」
「いくら貴女が私だと言っても、背も年齢も違うわ。それで彼に会いに行ったら、確実に怪しまれるのがオチよ」
「…………」
少女はきょとんとした。
そして、むくりと起き上がり自分の体を見る。それから目前にいるルーンを見る。
少女とルーン。二人の体を見比べる。
「…………」
確かに。並んでみれば明らかに違う。少女は幼く、ルーンとは頭ひとつどころか、それ以上に身長が違っていた。
「んー……」
少女はしばらく考え込んだ。
そして思い付く。
「じゃあ、変わる!」
「え?」
ルーンは首を傾げた。
「変わる?」
「うん!」
少女は布団の上に手をついた。
「よいしょ」
小さな体を起こして立ち上がる。
その瞬間、少女の足元に魔法陣が展開された。
「……!」
淡い紫色の光。
幾重にも重なった魔法陣が少女の体を包み込んでいく。
「ちょっと、貴女……」
ルーンは目を見開いた。
声をかける間もなく、光の中で少女の体が変化していく。
腕が伸び、脚が伸び。幼かった体が少しずつ大きくなっていく。
やがて魔法陣が大きく明滅し、パァンッ!と紫色の光が弾けた。
「っ…」
ルーンは息を呑む。
光の中に立っていた少女が、ゆっくりと目を開いた。
「どう?驚いた?」
「…………」
口元を緩ませる。
ルーンは言葉を失った。
そこに立っていたのは、自分と瓜二つの少女だった。
髪。瞳。顔立ち。体つき。何もかもが、自分と同じ。まるで鏡の中から、自分自身が抜け出してきたようだった。
「……………」
ルーンはゆっくりと立ち上がり、目の前の少女と向き合う。
「驚いた……も、何も……」
声が震えた。
「貴女……」
ルーンは手を伸ばす。
頬へ。そして、そのまま少女の腕へ触れた。
「…………」
温かい。人の肌と同じ温度が指先から伝わってくる。
当然のことなのかもしれない。
けれど。自分と同じ姿をした存在に触れていると思うと、どうにも妙な感覚だった。
「これで、おじちゃんに会いに行ってもお姉ちゃんだって分かるよ!」
少女は嬉しそうに言った。
姿は完全にルーンそのもの。
けれど口調だけは、相変わらず幼い少女のままだった。
「……私、そんな喋り方じゃないわ」
「あ」
指摘すると、少女は口を閉じた。
そして、こほんと小さく咳払いをする。
「……ごめんなさい。慣れていなくて」
「…………」
次の瞬間、今度は声まで変わった。
声質。話し方。表情。
何もかもが、今のルーンそのものになった。
「なんだか気持ちが悪いわね」
「仕方がないわ」
ルーンが眉をひそめると、少女は平然と答えた。
「これも、彼に協力してもらうためよ」
そう言って、少女はルーンに背を向けて窓際へ歩いていく。
窓を開けると冷たい夜風が部屋へ入り込み、少女の髪が風に揺れた。
「それじゃあ、行ってくるわね」
窓枠へ足を掛ける。
「貴女はこのまま学生生活を謳歌しながら、吉報を待っていて」
「…………」
その姿を見ているうちに、ルーンは妙な感覚に襲われた。
自分が。自分自身を。見送ろうとしている。そんな経験など、普通に生きていれば絶対にすることはない。
「……気をつけて」
思わず、そう声をかけた。
少女は振り返る。そこにある顔は、やはりルーン自身のものだった。
「ええ」
にこり。少女は笑う。
そして窓の外へと身を乗り出し、そのまま夜の闇へ消えていった。
ルーンは窓際へ歩み寄り、遠ざかっていく自分の背中を見つめる。
「…………」
やはり。何とも言えない。
「……やっぱり、何だか変な感じね」
小さく息を吐く。
自分を見送る。そんな奇妙な体験をする日が来るなど、少し前の自分なら想像すらしなかっただろう。
ルーンは窓を閉めた。カチャリと鍵を掛けると、部屋に静けさが戻る。
「………」
これでひとつ問題は解決した。
あとは。
「彼女が、どんな言葉で彼を協力させるか……ね」
ルーンは顎に手を添えた。
彼が素直に協力してくれる保証はない。事情を説明したところで、すべてを信じてもらえるとも限らない。
「…………」
考えれば考えるほど、不安になってくる。
しかし。
「……まぁ、大丈夫よね」
そう思うしかない。
今の自分にできることは何もないない。
あとは彼女の言っていた通り、吉報を待つだけだ。
「きっと……なんとかなるわ」
そう呟いて、ルーンは窓から離れて布団へ戻る。
掛け布団を引き寄せ、その中へ体を滑り込ませた。柔らかな布団に包まれると、ようやく体から力が抜ける。
目を閉じる。
やがてルーンの意識は、静かな夜の底へと沈んでいった。




