日記帳を戻す
放課後。校舎内に残っていた生徒も少なくなり、学び舎は昼間よりもはるかに静まり返っていた。
ルーンとフィルは約束通り図書室へ向かう。二人が足を止めたのはダークエルフに関する資料が保管されている部屋の前。
ルーンが鍵を取り出して扉を開ける。中へ入ると、フィルが日記帳を持ちながら周囲を見渡した。
「ルーン。これ、どこにあったんだ?」
「分からないわ。たぶん、落ちてきたの」
「落ちてきたということは、本棚の上にあったのか?」
フィルは本棚を見上げる。
その上には、ガラス製のケースに収められた書物が整然と並んでいた。
並んだケースの中に、一箇所だけ不自然な空白がある。
「……ああ。たぶん、そこにあったんだな」
呟くと、フィルは手を伸ばす。
だが、背伸びをしても指先は本棚の上に届かなかった。
「駄目だ。届かない」
「台を持ってくるわ」
「頼む」
頷き、ルーンは部屋を出る。
脚立のようなものはないかと周囲を見渡し、ほどなくして壁際に置かれた小さな脚立が目に入った。ルーンはそれを持ち上げ、部屋へ戻る。
フィルのもとへ運び、脚立を本棚の前に置いた。
「これなら届きそうだ」
フィルが脚立に足を掛ける。
一段、二段と上がり、最上段で本棚に片手を添えた。もう片方の手を伸ばす。
「……届いた」
今度は余裕だった。
空いていた場所へ、フィルは日記帳を戻す。
「やっぱり、ここだったみたいだな」
その位置から考えると、この日記帳も本来はガラスケースの中に保管されていたのだろう。
「これでよし」
フィルは脚立から降り、軽く息を吐く。
ルーンは本棚の上を見つめた。
「…………」
ぽつんと置かれた日記帳。
名残惜しそうな視線。
フィルはそれに気づいたが、何も言わず脚立を持ち上げた。
「んー……。少し不自然だけど、仕方ないか」
脚立を部屋の隅へ運びながら、本棚の上を見上げる。
ガラスケースとガラスケースの間に、ぽつんと置かれた一冊の日記帳。確かに違和感はあった。
しかし、今はそれを気にしても仕方がない。
「それじゃ、帰ろう」
「………ええ」
フィルは部屋を出ていく。
ルーンも続こうとしたが、もう一度だけ本棚の上を振り返った。
「…………」
日記帳。
あの中には、まだ解き明かせていない謎が残されている。
黒い宝石。兄と妹。
そして最後に記されていた「捨てる」という言葉。
「…………」
この部屋の鍵は持っている。
司書の目を避ければ、再びここに入ることもできるだろう。そうすれば、もう一度読める。そう思った。
「ルーン」
扉の方からフィルの声がする。
「今、行くわ」
ルーンは返事をし、ようやく部屋を後にした。扉を閉め、鍵を掛ける。カチャリと小さな音が響き、そして二人は学び舎を後にした。
夕暮れの道を歩きながら、ルーンは一度だけ背後を振り返る。すでに学び舎の姿は遠い。
頭の中には、未だあの日記帳が残る。
「……………」
──黒い宝石。
その正体を知りたい。
その思いを胸にルーンはフィルを追いかけ、家へと帰った。
+
「ん?」
学び舎から帰宅すると、門扉の近くに誰かが立っているのが見えた。
「……誰かいるわね」
ルーンが目を凝らす。
そこに立っていたのはシオンだった。その隣には、もう一人見知らぬ人物。しかし遠目では判別できない。
ルーンたちが近づくと、シオンがこちらに顔を向けた。
「帰ったか」
「シオン、おかえり。用事は済んだのか?」
フィルが声を掛ける。
「……ああ」
短く答えるシオン。
「その人は?」
ルーンは隣の人物へ視線を向ける。
赤い髪の活発そうな青年。彼はルーンとフィルを交互に見て、にこりと笑った。
「はじめまして。俺はアラタ。お前たちのことはシオンから聞いている。……これからよろしくな」
明るい声。
「…………」
「…………」
ルーンとフィルは顔を見合わせた。
「これからよろしく……?」
ルーンが首を傾げる。
「……アラタは新しい仲間だ」
「は?」
シオンは淡々と告げた。
フィルは目を丸くし、ルーンも驚いたようにシオンを見る。
「仲間?」
「ああ」
あまりにも当然のような口調だったため、二人はしばし言葉を失った。
「それより、日記帳はどうした?」
「あ、ああ。問題ない。元の場所に戻してきた」
「……それでいい」
答えると、シオンは頷く。
「……シオンが戻すように言ったの?」
「ああ。あの日記帳はカフルエルとは無関係だからな」
「カフルエルって?」
「カフルエルは、私たちが現在追っている敵の名だ」
疑問に思ったのかアラタは首を傾げた。
その問いに答えたのはシオンではなく、背後から聞こえた強い口調。
振り向くと、そこにはターナが立っていた。彼女は足音を響かせながらこちらに近づいてくる。
「……誰だ?」
ターナはアラタを見て眉をひそめた。
「新しく入った仲間だ」
「俺はアラタ。よろしく」
「…………そうか」
シオンが簡潔に答え、アラタが再び笑顔で名乗る。
ターナはしばらく彼を見つめが、それだけ言うと興味を失ったように軽く頷いた。
「ターナさん、どこかへ行っていたんですか?」
フィルが尋ねる。
「ああ。カフルエルが以前拠点としていた場所を突き止めたのでな。調査に行っていた」
「何か分かったか?」
「いいや。何も。痕跡すらなかった」
シオンが聞くと、ターナは腰に手を当てた。
「あそこにはエーとヴィーも入ったと聞いている。恐らく奴らが完全に消したのだろう。……ありがたいことだ」
舌打ちしてそう吐き捨てると、ターナは肩をすくめて息を吐く。
その後もぶつぶつと不満を漏らし、家の中へ向かって歩いていった。
「……あれがターナか。気の強そうな人だな」
その背中を見送り、アラタは呟く。
「私たちも行きましょう」
そしてルーンたちもターナの後に続き、家の中へと入った。
扉を開けた瞬間、奥からフィラーラの元気な声が響いた。




