精霊の森のエイル
シオンを残し、カケラとコロタマは先へ進む。しばらくすると二人の前に鬱蒼とした木々が姿を現した。
「……ここだ」
カケラは足を止める。
目の前には、何の変哲もない森が広がっていた。しかしカケラはそのまま中へ入ろうとはせず、周囲を一度見回すと右手をゆっくりと掲げる。淡い光が指先へ集まり、地面へと流れ落ちていった。
次の瞬間。地面に複雑な魔法陣が浮かび上がる。幾重にも重なった円と文字が淡く輝き、森の空気が僅かに揺れた。
「……開け」
ぽつりと呟く。
一瞬だけ視界が白く染まり、そして次の瞬間には、目の前の景色が一変した。
『わっ!』
コロタマが驚いたように跳ねる。
そこは、先ほどまでの森とは何もかもが違っていた。
木々の間を小さな光が飛び交い、その正体である妖精たちが楽しそうに笑い声を上げている。風が木々の葉を揺らし、その奥からは水の流れる澄んだ音が聞こえる。
淡い光が森全体を包み込み、色とりどりの草花が足元を彩っていた。
現実から切り離されたような、幻想的な世界。
コロタマの目が忙しなく動く。
『わぁ……!』
ころころころ。
興奮したように、コロタマは森の中を転がり始めた。
『精霊さん、精霊さん!』
「コロタマ。あれは精霊じゃなくて妖精だ」
カケラが歩きながら訂正する。
『ぬ』
その言葉を聞いてコロタマは止まり、くるりとその場で一回転した。
『妖精さん。妖精さん』
再び、ころころ。
カケラはそんなコロタマの後ろを歩きながら、静かに森の奥へ進んでいった。
しばらくすると、木々の向こうに大きく開けた空間が現れる。その中心には天を貫くように一本の巨大な樹木がそびえ立っていた。
世界樹。
その圧倒的な姿を見上げながら、カケラはその麓へ視線を落とす。
そこには一軒の木造小屋が建っていた。小屋の前まで歩き、カケラは扉を見つめる。
そして。コンコンと静かにノックする。
返事はない。もう一度。
コンコン。さらに数回。
コンコン、コンコン。
──しばらくして。
ガチャリ。扉が開いた。
「誰……?」
顔を覗かせたのは、一人の男。
藍色の髪。そして、見るからに眠そうな目。どうやら眠っていたみたいだ。まだ完全には目が覚めていない様子で目をしぱしぱさせている。
カケラは小さく息を吐き、フードを脱いだ。
「エイル、俺だ」
『エイル!エイル!』
コロタマも嬉しそうに跳ねる。
「……ん?」
エイルは眠そうな目でカケラの顔を見つめた。
少しずつその目が開いていく。
「……カケラ?」
『エイル!起きて!起きて!』
その瞬間、コロタマがぴょんぴょんと跳ね、どすん。と、軽い勢いでエイルの腹部へ突進する。
「っ……!」
エイルの顔が歪んだ。
『エイル!起きた?』
「……今ので目が覚めた……っ」
腹部を押さえながら、エイルは苦々しい表情を浮かべる。
「……久しぶりだな、エイル」
「ああ……」
エイルは腹部を押さえたまま頷き、扉へ寄りかかった。
「何ヶ月ぶりだ?」
そして、小さく欠伸を噛み殺す。
「世界樹さんは今日も元気で、助けは不要だぜ……ふぁ」
「いや。今回は世界樹に用があって来たんじゃない」
「ん?」
カケラは首を横に振ると、エイルはきょとんとした。
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小屋の中は質素だった。木製の家具がいくつか置かれ、壁には道具や鍵が整然と掛けられている。
エイルは棚から湯飲みを取り出すと、茶を淹れて二人の前へ置いた。
「はいよ。……粗茶だが」
「十分だ」
カケラは湯飲みを受け取る。
コロタマはテーブルの上へ乗って、ころころと転がっていた。
『お茶、美味しい?』
「ああ」
『主成分調べる?』
「必要ない」
カケラとコロタマの会話を聞きながらエイルはカケラの向かいへ腰を下ろす。湯飲みへ口を付け、一口飲んだ。
「……んで。世界樹に用がないんなら、ここには何しに来た?」
湯飲みを置く。
カケラも湯飲みを持ち上げ、喉へほんの少しだけ茶を流し込んだ。
そして、迷うことなく口を開く。
「まだるっこしいことは無しだ」
湯飲みを置く。
「……黒の宝石は何処にある?」
その言葉に、エイルの表情が変わった。
「……黒の宝石?何で急にそんな話をする?」
眉をひそめる。
その問いに答えるように、ピッとコロタマの目が光った。体の一部が開き、内部に保存されていたデータが空中へ投影される。
そこには、先ほど解析した日記の文章が映し出されていた。エイルは立ち上がらず、そのまま画面をじっと見つめる。
文字を一つずつ追っていき、そして、ある一文に目が止まった。
「…………これは」
小さく呟く。
「ここに書かれている黒の宝石と、お前が保管している黒の宝石が同じものか。それを確かめたい」
『データ表示、終了』
カケラは静かに説明する。
映し出されていた文章が消えた。
コロタマは再びころころとテーブルの上を転がる。
「……なるほど」
エイルはしばらく黙っていたが、小さく頷いた。
「そういうことなら」
椅子から立ち上がり、残っていた茶を一気に飲み干して扉の近くへ歩いていく。
壁にはいくつもの鍵が掛けられていて、エイルはその中から黒いキーホルダーが付いた鍵を一つ手に取った。
「宝石があるのは、ここからそう遠くない」
鍵を手の中で弄びながら振り返る。
「案内する」
「頼む」
頷き、カケラも湯飲みに残っていた茶を飲み干して立ち上がった。
エイルは扉を開け、外へ出ていく。その後を追おうとしたカケラだったが。
『カケラ。シオン、待たなくていいの?』
「…………」
コロタマの声がし、足を止めた。
「……そうだな」
カケラは小さく息を吐いた。
「念のため、伝言を残しておこう」
テーブルへ戻る。
右手を掲げると、淡い光が集まり、魔法陣がテーブルの表面へ展開された。幾何学的な紋様が一瞬だけ輝く。
「これでいい」
カケラは手を下ろす。
この術は、シオンがテーブルへ触れた時に発動する。カケラたちがここへ来た痕跡を自動的に辿り、進んだ方向を知らせるものだ。
だが、シオンがこの術に気づくかどうかは五分五分だった。
カケラはもう一度、息を吐く。
「……気づいてくれればいいが」
「おーい。行かないのか?」
扉の向こうからエイルの声がする。
『今行く!』
コロタマが元気よく答え、ぴょんとテーブルから飛び降りた。
『カケラ!早く!』
「……ああ」
カケラもテーブルから離れ、扉へ向かう。
小屋を出て歩き出した彼らの姿を世界樹の巨大な幹が静かに見下ろしていた。




