つけてきた男
ころころと転がっていたコロタマが、前方を見ながら声を上げる。
『もうすぐ!もうすぐだよ!精霊の森!』
その言葉を聞いたシオンは足を止め、腰に手を伸ばした。鞘から剣を抜く音が静かな森道に響く。
「カケラ、コロタマ。先に行け」
そしてシオンは体を反転させ、前方を見据えたまま言った。
「……わかった」
『シオンは?』
「すぐに行く」
カケラは一瞬だけシオンを見つめ、彼に背を向けて歩いていく。コロタマも少し心配そうにシオンを見つめたあと、カケラの後を追った。
二人の姿が少しずつ遠ざかっていき、それを確認するとシオンはゆっくりと前へ向き直る。
「…………」
剣を握る手に力を込め、シオンは眉をひそめた。
「そこにいるのは分かっている。……いい加減、出てこい」
低い声が周囲へ響き、風が木々の葉を揺らす。
しばらく何も起こらなかったが、ガサガサと近くの茂みが揺れた。シオンは剣先をそちらへ向ける。
やがて、茂みの奥から一人の男が姿を現した。赤い髪が風に揺れ、男は両手を上げるでもなく、武器を抜くでもなく、ゆっくりとシオンの前まで歩いてくる。
「……誰だ」
シオンは剣を下ろさず男を見据える。
「はっ。警戒心マックスじゃねぇか。そんな身構えんなよ。顔怖いぞ」
男は腰へ手を当て、苦笑した。
シオンは微動だにせず、剣を構えたまま男を睨みつける。
「……誰だ」
二度目の問い。
「……俺はアラタ」
男は息を吐き、そう名乗ると肩をすくめる。
「お前のことはよく知ってるぜ、シオン。俺は、お前を捜してたんだ」
「……捜していた?」
「俺の記憶に関わる男。一体どんな奴かと思ったら、とんでもねぇな、お前」
アラタは顎へ手を添えた。
その視線が、シオンの構えた剣へ落ちる。
「……まさか、人間じゃねぇとはな」
「…………」
シオンは答えない。
ただ、アラタを観察していた。
男の周囲からは、先ほどから感じている濃い殺気が漂っている。町で感じたものと同じだ。だが、シオンは違和感を覚えていた。
「……(違う)」
アラタの姿を見るまでは、この殺気は目の前の男から発せられていると思っていた。
しかし、違う。この殺気はアラタ自身から感じるものではない。それは、周囲に漂っている。右。左。後方。シオンは視線を僅かに動かす。
……ここには、自分たちの他にも誰かがいる。そう考えた瞬間、全身の神経をさらに研ぎ澄ませた。
「……」
アラタはそんなシオンの様子に気づいているのか、いないのか。特に気にした様子もなく、言葉を続ける。
「一つ聞くが」
「何だ」
「お前、俺のこと知ってるか?」
「…………」
シオンは少しだけ考えた。
「……さあな。記憶にない」
そして、首を横に振る。
「そうか……。お前は俺の記憶に関係する奴だから、知ってると思ったんだけどな」
「……」
「んー……」
アラタは肩を落とした。
腕を組み、考え込む。
「先ほどから何を言っている」
シオンは片眉を上げた。
声には呆れが混じる。
「記憶とか何の話だ」
「……俺さ、名前以外の記憶がないんだよ」
「…………は?」
思わず、シオンの力が僅かに抜けた。
アラタは何でもないことのように話し始める。
「気づいたら浜辺で倒れててさ。起きたら頭は痛ぇし、体はだるいしで、どうしようもなくて」
「……………」
「とりあえずアテもなく歩いてたら、バーサンに会ったんだよ」
「……バーサン?」
「ああ。とんでもなく年老いたバーサン」
「…………」
何だこいつは。と、シオンは思った。
自分は剣を構え、明確に敵意を顕にしているのにもかかわらず奴は警戒する様子すらなく、腰の短剣へ手を伸ばすこともしない。
「そのバーサンがさ、言ったんだ」
アラタは続ける。
「記憶を取り戻したかったら、シオンっていう男を捜して会えって。そうすれば、いずれ思い出すだろうってさ」
「…………それを信じたのか?」
「信じるしかないだろ。他に手掛かりなんて何もなかったんだから」
あっさりと言い切る。
シオンは目を細め、しばらく黙った。
「……そのバーサンは、どこの誰だ」
「さあな。知らない。あれっきり会ってないから」
尋ねると、アラタは肩をすくめる。
「…………」
どう考えても怪しすぎる。
騙されてる感がハンパなく、シオンは深く息を吐いた。
周囲に漂う殺気の正体は依然として分からない。だが、少なくとも目の前のアラタから直接的な敵意は感じられなかった。
「もう一度言う。俺はお前を知らない」
シオンは剣を下ろし、鞘へ収めながら静かに告げる。
「記憶がどうとか言われても困る」
「…………」
アラタは何も言わない。
「……無駄足だったな。ここから先はお前のような奴は立ち入り禁止だ。帰れ」
シオンはアラタに背を向け、そしてそのまま歩き出す。もう用はない。そう言うような足取りだった。
「っ、待て!」
アラタは慌てて声をあげ、シオンを止める。
「…………何だ」
ゆっくりと振り返り、それを見たアラタは一瞬言葉に詰まった。
そして、困ったように眉を寄せる。
「待って、くれ」
「…………」
「……えと、…よく、わかんねぇんだけど。俺、このままお前から離れちゃいけない気がする」
「…………は?」
アラタは胸元へ手を当てる。
シオンの目が鋭くなる。
また突然、何を言い出すのか。
そんな疑問が、その表情から滲んでいた。
「このまま離れたら、絶対に後悔する。………感じるんだよ」
自分でも困惑しているようだった。
「理屈じゃ説明できねぇけど……」
拳を胸元で握り、一度、言葉を切る。
そして、まっすぐシオンを見る。
「胸の奥で感じる。俺は、お前から離れちゃいけないんだ」
風が二人の間を通り抜けた。
赤い髪が揺れる。シオンは黙ったまま、アラタを見つめた。
アラタの眉が僅かに寄る。
「……"もう二度と"」
その言葉が、森へ続く静かな道に落ちた。
シオンの表情が変わる。胸の奥で何かが疼いた。…ような気がした。
"もう二度と"。
まるで、以前にも同じことがあったかのような言葉。
記憶を失っているという男が、なぜそんな言葉を口にするのか。
シオンには分からなかった。




