魂と器
その後。
マキノたちと別れたルーンとフィルは夕暮れの街を歩き、家へと帰ってきた。
他愛のない会話を交わしながら玄関へと向かい、扉の取っ手へ手を伸ばして中へ入ろうとする。だがその時、ガラリとまだ触れてもいないのに扉がひとりでに少しだけ開いた。
「……?」
不思議に思う間もなく、小さな衝撃が足元へ伝わる。視線を落とすと、そこには黒くて丸い小さな生き物・クロコがいた。
勢いよく飛び出してきたらしく、苦しそうに体を震わせながらお腹をおさえている。
「クロコ?」
フィルもクロコに気付き、しゃがみ込んでその姿を見つめた。
クロコは二人の方へ顔を向けると、小さな両手を精一杯高く掲げる。ぴょんぴょんと何度も飛び跳ねて、何かを伝えたいようだった。
しかし、口も目も持たないクロコは言葉で伝えることができない。感情も意思も、身振り手振りだけが頼りだった。
「何してるのかしら?」
「なんか慌ててるみたいだけど……」
ルーンとフィルは顔を見合わせる。
クロコはますます必死になった。
小さな身体で自分自身をぎゅっと抱きしめ、次に両手で顔を覆い、泣いているような仕草を見せる。
それを何度も何度も繰り返し、再びぴょんぴょんと飛び跳ねた。だが、その意味は二人にはまったく伝わらない。
「何を言いたいの……?」
ルーンが困ったように呟く。
まったく意思疎通が出来ず、クロコは飛び跳ねるのをやめて、腕をだらりと下げた。
「……お前ら、何してんだ?」
その時、背後から聞き慣れた低い声が響く。振り返ると、そこにはヴィーが立っていた。
クロコはヴィーの姿を見つけるや否や、ルーンとフィルの足の間をてちてちと駆け抜ける。
「……クロコ?」
ヴィーはしゃがみ込み、クロコをそっと掌へ乗せた。
「……どうした?あいつは?」
問いかけられたクロコは、先ほどと同じ動きを始める。
自分を抱きしめる。泣く真似をする。抱きしめる。泣く真似をする。それを二度、三度と繰り返したあと、また両手を上げて飛び跳ねた。
ヴィーはしばらく真剣な表情で見つめていたが、やがて肩を落とす。
「…………悪い。全然わからん」
その言葉に、またもクロコは腕をだらりと下げた。
クロコは何か重大なことを伝えようとしている。それだけはヴィーもルーンたちも理解できた。しかし、その肝心の内容がわからない。
もどかしい空気が流れるが、その瞬間。ガタガタと家の扉が小さく揺れた。振り向くと、ゆっくりと扉が開き、そこからエーが姿を現す。
彼女は白くて丸い小さな姿ではなく、人間本来の姿へ戻っていた。数日ぶりに見るその姿にルーンとフィルは目を丸くする。
「エーさん……!」
「エー……人間の姿に戻れたのね。よかったわ」
「………ええ」
二人の言葉に小さく頷く。
それだけ言うと、エーゆっくりと歩き始めた。足取りはどこか頼りなく、ふらついているようにも見える。そのままヴィーの前まで来ると、彼女は静かに立ち止まった。
ヴィーの掌では、クロコがまた新しい身振りを始める。今度は先ほどとは違う動きだったが、それも意味は読み取れなかった。
「……エー。目が覚めたんだな」
「………ええ」
ヴィーのその言葉にもエーは機械的なほど淡々な返事をする。
その声を聞いた彼は、ふと眉をひそめて顔を覗き込んだ。
「………エー?」
その顔を見た瞬間、ヴィーは息を呑む。
エーの瞳には、生気がなかった。
焦点が定まらず、虚ろなまま揺れている。
「エー、どうしたの?」
ルーンとフィルも心配になり、近づいて声を掛けるが、エーは何も答えない。
ただ、その場でゆらりゆらりと体を揺らしているだけだった。
「まさか……」
ヴィーの表情が変わる。
何かに思い至ったように目を見開き、肩へクロコを乗せた。そして右手に淡い光と共に魔法陣を展開する。
そこから現れたのは、赤い表紙に可愛らしい装飾が施された一冊の手帳だった。
「……ちっ。クロコはこれを伝えたかったのか」
迷いなくページをめくっていき、何ページか確認したところでぴたりと手を止めて舌打ちをひとつ。クロコは何度も何度も頷くようにぴょんぴょん飛び跳ねた。
ヴィーは開いたページをそのままに、もう一度掌へ魔法陣を展開する。そしてその手をエーの胸元へ伸ばした。
「――――」
短く呪文を唱える。
瞬間。ビリッ。と、小さな雷が走るような感覚がエーの体を駆け抜けた。
「っ!」
体がびくりと震える。
それと同時に、虚ろだった瞳へ光が宿った。
まさに、一瞬の出来事。
「え……あれ?……ヴィー?」
戸惑ったように瞬きを繰り返し、エーは目の前のヴィーを見つめる。
その様子を確認すると、ヴィーはようやく息を吐き、手帳を閉じた。赤い手帳は魔法陣と共に静かに消えていく。
肩に乗っていたクロコは嬉しそうに跳び上がり、エーの顔へぺたりと張り付いた。
「エー、大丈夫?」
ルーンが心配そうに問いかける。
エーは声の方へ顔を向けるが、何を聞かれたのかわからないように首を傾げた。
「……え?」
困惑した表情のまま、小さく瞬きをする。
「ヴィーさん。彼女に何を?」
その姿を見て、フィルはヴィーへ視線を向けた。
「魂と器が完全にハマってなかったんだ」
「はま……?」
ヴィーは腰へ手を当てながら答える。
その言葉に、フィルは首を傾げた。
「ああ。この現象は前にもあったんだよ。呪いを浄化しすぎて限界を超えると、たまにああなるんだ。……面倒くさがらずに婆さんの言葉をメモっといてよかったぜ」
肩をすくめ、深く息を吐く。
見ると、エーはまだ状況が飲み込めていない様子だった。
どうして自分がここにいて、何故皆が心配そうな顔をして自分を見つめているのか、それすらわかっていない感じで、ただ不思議そうにルーンたちを見つめ返していた。




