とある家族の話
とある人物の一人称視点。
誕生日に、妻からプレゼントを貰った。
「はい」
そう言って差し出されたのは、一冊の日記帳だった。
厚手の黒いカバーが掛かった、ずっしりとした日記帳。手に持つと新品特有の紙の匂いが鼻をくすぐる。
「……日記帳?」
思わず聞き返す。
「うん」
「どうして日記帳なんだ?」
すると、妻はきょとんとした顔で首を傾げた。
「他に思い付かなかったから」
そのあまりにも素直な答えに、私は思わず吹き出す。
「それはまた、正直だな」
「だって、本当にそうなんだもの」
困ったように笑う妻を見ていると、不思議と文句を言う気にもなれない。
「ありがとう。大事に使うよ」
そう言うと、妻はほっとしたように笑った。
「ぱぱ!」
その時、小さな体が勢いよく私に飛びついてくる。
4歳になったばかりの娘だ。
「おたんじょーび、おめでと!」
まだ舌足らずな言葉。
それだけなのに胸がいっぱいになる。
「ありがとう」
口元を緩ませ、娘の頭を撫でる。
娘は、くしゃっと顔を崩して笑った。
今度は息子へ目を向ける。
息子はテーブルで本を読んでいて、私の誕生日など興味がないと言わんばかりに、一度も顔を上げようとしなかった。
「何を読んでるんだ?」
声を掛けると、一瞬だけこちらを見るが、その視線はすぐに戻る。
「別に……」
それだけだった。
娘がとことこと駆け寄る。
「おにいちゃん。ぱぱに、たんじょーび、おめとうは?」
服の裾を引っ張る。
けれど息子は何も言わない。
まるで娘の声など聞こえていないかのようだった。
私は小さく息を吐いた。
反抗期、というやつなのだろうか。
+
今日から日記を書くことにした。
せっかく妻から貰ったのだ。使わないまま棚にしまっておくのは申し訳ない。
私は机に座り、ペンを持つ。
真っ白な一ページ目。……さて。何を書けばいいんだ?
「うーん……」
日記なんて人生で一度も書いたことがない。
誰かに教わったこともない。
しばらく悩んだ末、とりあえず書いてみた。
まずは日付だ。
今日は……何日だったか。
+
書き続けて数日。
やってみて思う。
私は驚くほど文章が下手だ。
その日にあった出来事を書いているだけなのに、妙に堅苦しい。
私の父は本が好きだった。
子どもの頃、「本を読め」と何度も言われていたが、当時の私は面倒くさがって読まずにいた。
あの時、もっと真面目に読んでいれば、もう少しまともな文章が書けたのだろうか。
そんなことを考えながら、私は今日も日記を書く。
「ふええぇぇん!!」
突然、娘の泣き声が聞こえた。
何事かと私は慌てて部屋を飛び出す。
リビングに行くと、娘が泣きじゃくっていた。その前には息子がいて、険しい顔で娘を睨みつけている。
今日は妻が外出しているから家には私しかいない。私はすぐ娘のもとへ駆け寄り、抱き寄せた。
「どうした?」
「お、おにいちゃんが……おにいちゃんがわたしのほうせき、とったぁ……!」
宝石?
私は息子を見る。
息子は何も言わない。
しかし、その右手には黒い石が握られていた。
拳ほどの大きさ。光を吸い込むような黒。
見ているだけで胸の奥がざわつく。
「…その宝石、どうしたんだ?」
返事はない。
「どこで見つけた?」
やはり何も言わない。
ただ、私と娘を見ている。
その目に感情はなかった。
冷たい。まるで精巧な人形のガラス玉のような目だった。
私はその視線に、理由もなく寒気を覚えた。
その日からだ。息子がおかしくなったのは。
元々口数の少ない子だった。
だから周りの人間は息子のその変化に何も気付かなかった。
だが私には分かる。妻も娘にも。
あの日を境に。
息子は何かに取り憑かれてしまったかのように変わってしまった。
+
「ふええぇぇん!!」
また泣き声が響く。
駆けつけると、娘が床に座り込んでいた。
腕には新しい痣。頬には赤い跡。
息子は何も言わず部屋を出ていく。
娘は震えながら私に抱きついた。
「いたい……、いたいよぉ……ぱぱぁ」
「大丈夫だ。……大丈夫…」
私はそれしか言えなかった。
病院へ連れて行き、薬を塗る。
私は息子に何度も言い聞かせる。
叱り、話を聞こうとする。
けれど息子は一切口を開かない。
黒い宝石を見つけた日から。
娘は何度も傷付くようになった。
痣だけではない。
擦り傷。切り傷。時には血が滲むこともある。
いつしか娘は息子を避けるようになった。
私も妻も、なるべく二人を近付けないようにした。
……どうすればいいのか、わからなかった。
+
今日も日記を書く。
机へ向かうと、娘が椅子に座っていた。
日記帳が開かれている。娘が勝手に開いたらしい。
ページいっぱいに落書きが描かれている。
「何を描いてるんだ?」
「わたしのほうせき!」
得意げに笑う。
描かれていたのは、あの黒い宝石だった。
私はぎょっとした。
だが、子供はよく宝石とかキラキラしたものをよく描く。これはきっと別の黒い宝石だ。たまたま似たものを描いてしまっただけだろう。
気にしないようにして、私はその絵をよく見てみる。
宝石の隣には小さな女の子がいた。
そして、その隣には少女と手を繋ぐ大人の男。
「……この人は誰?」
聞いてみると、娘は一瞬だけ笑顔を消した。
振り向いて、私を見上げる。
その目は酷く冷たく、私は背すじを凍らせた。
そして娘は笑顔を取り戻し、何でもないことのように言った。
「この人は、───だよ」
+
…………。
私は、思い違いをしていたのかもしれない。
ずっと、息子の方にばかり注視していて気が付かなかった。
いや。もしかしたら潜在では気付いていて、気付かぬふりをしていただけかもしれない。
おかしくなったのは、息子だけではなかった。
娘も、いつの間にかおかしくなっていたのだ。
息子と娘は、黒い宝石に魅入られてしまった。




