和解
午前の授業が終わり、学び舎は昼休みの賑わいに包まれていた。教室のあちこちでは友人同士が昼食を広げ、談笑する声が飛び交っている。
そんな中、フィルは自分の席で日記帳を静かに読み続けていた。ページをめくるたびに、かすかな紙の音だけが耳に届く。
「フィル」
「?」
そこへ、不意に声が掛かった。
顔を上げると、目の前には修介が立っている。
「何読んでるんだ?」
そう尋ねながら、修介は前の席の椅子をくるりと回し、背もたれを前にして腰を下ろす。両腕を背もたれへ乗せ、頬杖をつきながら興味深そうに日記帳を見つめた。
フィルは軽く背もたれへ身を預ける。
「何かボロそうな本だな」
「本じゃないよ。これは日記」
「日記?……お前の?」
修介は首を傾げる。
「いや。誰の日記かはわからないんだ」
フィルは首を横へ振った。
その言葉を聞くなり、修介は「ふーん」と呟き、フィルの手から日記帳をひょいと抜き取る。
「あっ」
止める間もなく、修介はページをぱらぱらとめくり始めた。
「ふーん」
しばらく目を走らせたあと小さく息を吐き、もう一度同じ言葉を口にして日記を閉じる。
「……授業中も読んでたよな、これ」
「……見てたのか?」
「隣からパラパラ音が聞こえたら見たくもなるって。真剣な顔してたからどんな面白いもんかと思ったら……」
肩をすくめながら、ぱさり、と日記帳を机へ戻した。
「難しそうなの読んでんだな」
そのまま大きな欠伸を一つ。
背もたれへだらりと体重を預ける。
「…………」
そんな修介を見つめながら、フィルは昨日の放課後を思い返していた。
+
授業を終え、帰宅しようと校門へ向かっていた時だった。
「フィル」
後ろから呼び止められて振り返ると、そこには修介が立っていた。
「修介…」
また嫌味でも言われるのだろう。
そう思っていたフィルだったが、その予想は大きく裏切られる。
突然、修介は無言で頭を下げてきた。
そして、自分がこれまで取ってきた態度を謝罪したのだ。
「…………」
あまりに突然のことに、フィルは言葉を失った。
理由を尋ねると、修介はぽつりぽつりと語り始めた。
黒い花から溢れ出した煙に飲まれた時のことは、はっきりとは覚えていない。けれど、自分を助けようと必死になっていたフィルの姿だけは、ぼんやりと記憶に残っていた。
胸の奥に積もっていた嫉妬。
「一番にならなければならない」という重圧。
その弱さを煙につけ込まれ、自分は暴走した。
その思いは止まらず、フィルへと襲い掛かり、命まで奪おうとしてしまった。
それでもフィルは最後まで諦めず、自分を助けてくれた。
もしあの時フィルがいなければ、自分はあのまま戻って来られなかったかもしれない。
その想いが日に日に大きくなり、修介は謝らずにはいられなかったのだという。
「…………」
フィルも、まったく何も思わなかったわけではない。
修介の刺々しい言葉に、心が引っ掛かることもあった。
だが、それだけで彼を嫌いになったことはなかった。
だからこそ、フィルは彼のその謝罪を素直に受け入れた。
+
それ以来、修介は以前のような嫌味を口にしてはこなくなった。
今はこうして、ごく普通に話しかけてくる。
「……ってか」
すると、修介がふと思い出したように口を開いた。
「ルーンは今日も休みなのか?」
「? …ああ。今日は大事を取って休みだよ。修介と同じで、彼女も大変だったからさ」
「んー」
フィルは静かに答える。
修介は腕を組み、天井を見上げた。
「今日こそは会えると思ってたんだけどなぁ」
少し間を空けて、ちらりとフィルを見る。
「……本当は来てるけど、来てないって嘘吐いてるわけじゃないよな?」
その疑いの視線に、フィルは呆れたように息を吐く。
「そんなことしないよ。どうしてそんな嘘吐くんだ?」
「いや。こうして喋ってるけどさ、俺らって一応ライバルだし。彼女に会わせたくなくて、とか」
「……そんな理由で嘘は吐かない」
修介の言葉に答える。いつもより少し低い声だった。
フィルは日記帳を手に取り、鞄へしまう。
修介はその変化に気付かぬふりをして、それ以上は触れずに肩をすくめた。
「まぁ、会いたいとかそういうのは抜きにしてもさ」
そして、少し真面目な表情になる。
「彼女にも礼を言いたいんだよ」
「礼?」
「直接じゃなくても、フィルと同じで助けてくれたわけだし」
その言葉にフィルは少しだけ目を細め、いつかルーンが言っていた言葉を修介に投げかけた。
「"仲良くなるつもりはない"って言ってたけど?」
「え?……ははっ。めっちゃ嫌われてるな、俺」
修介は間の抜けた声を漏らし、頭を掻きながら苦笑する。
その言葉に落ち込む様子はなく、むしろどこか楽しそうだった。
「……でも。俺、そういう冷たい対応されんのスゲェ好きだから問題はない!」
満面の笑みで言い切る修介に、フィルは思わず目を丸くする。
以前、クラスメイトが言っていた言葉を思い出した。
『修介は普通に話せば良い奴』
その時は半信半疑だったが、今なら少しだけわかる気がした。




