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ブルーテイル・ハピリス  作者: aki.
4、わたしのくろいほうせき
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治癒歌





 翌朝。客室には穏やかな朝の陽射しが差し込む。

 食事を終えたフィラーラと依千蔵は、テーブルを挟んで向かい合って座っていた。


「やった!依千蔵!ちょっと治ったよ!」

「んー、半分くらいは回復ってところか?」


 弾むような声が部屋に響き、依千蔵は自分の腕を眺めながら苦笑する。

 そこへ、台所から戻ってきたルーンが客室へ姿を現した。肩にはブルーテイルが乗っており、小さな体を揺らしながら辺りを見回している。


「二人とも、何をしてるの?」


 声を掛けると、二人は同時に振り返った。


「ルーン!見てみて!傷ちょっと治ったよ!」


 嬉しそうに言いながら、フィラーラは依千蔵の腕を両手で持ち上げる。

 そこには小さな切り傷がいくつかあり、そのうちの一つは確かに薄くなっていた。


「治ったって、何?」

「わたしね、今、治癒歌の練習してるの」

「ちゆうた?」

「きゅう?」


 ブルーテイルも首を傾げて鳴く。


「人魚族だけが使える治癒魔法のひとつなんだってさ。桃華姉ちゃんに聞いたらそう言ってた」


 依千蔵が説明すると、ルーンは小さく頷いた。


「そう。……で、依千蔵はその実験台?」

「うんっ。実験台!」

「実験台って言うな!協力者と言え!」


 真顔で答えるフィラーラに、依千蔵がすかさず突っ込む。

 依千蔵の腕には薄く残る細かな傷跡が何本も刻まれていた。それだけの傷があるということは、何度も歌を歌い、何度も試してきたという証なのだろう。


「ったく……。まぁでも、ずっとやってた甲斐はあったよ」


 依千蔵は腕を軽くさすりながら言う。


「やるたびに上達してるし、この調子なら近いうちに実戦でも使えるんじゃね?」

「本当!?」


 そう言うとフィラーラは瞳を輝かせ、嬉しさのあまり依千蔵の腕をぶんぶんと振った。


「振るな!」


 慌てて腕を引き抜き、依千蔵は大きくため息をついた。


「じゃあ、俺はもう家を出るから。……俺が帰ってくるまで、歌の練習しとけ」

「わかった!練習頑張ってる!」


 元気よく返事をすると、依千蔵は近くに置いてあった学び舎の鞄を肩へ掛ける。


「じゃ、いってくる」


 そしてフィラーラとルーンに背を向け、そのまま玄関へ向かった。

 数秒後、「いってきまーす!」という声が家の外から聞こえ、扉の閉まる音が静かに響く。


「……………」


 ルーンは客室の壁に掛けられた時計へ目を向けた。

 時刻は八時前。本来ならば彼女も学び舎へ向かう時間だ。しかし体調を考慮し、今日は休むことになっている。

 ケインには既に連絡済みだ。


「…………、」


 これから何をして過ごそうか。

 そんなことを考えながら立ち尽くしていると、


「ルーン!ルーン!」


 フィラーラが嬉しそうに手を振って彼女を呼んだ。


「何?」


 ルーンは歩み寄り、隣へ腰を下ろす。

 ブルーテイルも肩から膝の上へ移り、ちょこんと座った。


「ルーン。わたしの歌、聴いてて」

「ん?」


 フィラーラはにこりと笑い、静かに深呼吸をする。

 やがて目を閉じ、小さく息を吸い込むと、透き通るような歌声が客室いっぱいに広がった。


「!」


 それは、ルーンの知らない旋律だった。

 澄みきった泉に流れる水のように優しく、柔らかな歌。その一音一音が空気へ溶け込み、部屋全体を穏やかな空気で満たしていく。


「…………」


 自然とルーンは目を閉じた。

 耳を澄ませる。歌を聴いているうちに、不思議な感覚が全身を包み始めた。

 温かくも冷たくもなく、まるで穏やかな水の中へ身を委ねているような心地よさ。疲れも、不安も、ゆっくりと溶けていく。


 このままずっと聴いていたい。


 そんな思いが胸に芽生えた、その時──。


「……──、……あ、……あぅ。」


 突然、歌声が止まる。

 ルーンは静かに目を開けた。


「どうしたの?」

「きゅう?」


 ブルーテイルも心配そうに鳴く。

 フィラーラは眉を下げ、申し訳なさそうに俯いていた。


「ここから……メロディがよく掴めない……」

「メロディ?」

「うん……。治癒歌は難しくて、大人でも使える人は少ないんだって、ももか言ってた」


 彼女は小さく頷いて、膝の上で両手を握りしめる。


「治癒歌のこと、グリーンが教えてくれたの。それまでわたし、治癒歌の存在すら知らなかった。凄く難しい歌だから、ももかくらいの年齢にならないと教えてはくれないんだって」


 少しずつ言葉を紡ぎながら続け、そこで言葉が途切れた。


「……ももかなら、歌えるのかな」


 最後にぽつりと呟かれたその声はどこか寂しげだった。

 ブルーテイルも耳をしゅんと垂らし、慰めるようにフィラーラの膝へ移動する。


 ルーンはそんな一人と一匹を静かに見つめた。


「ねぇ、フィラーラ」

「なに?」

「フィラーラは、どうして治癒歌を覚えようとしているの?」

「うん……」


 その問いにフィラーラは顔を上げ、小さく頷く。少しだけ考え、胸の内をゆっくりと語り始めた。


「わたしね。ルーンたちの役に立ちたいの」

「私たちの?」

「うん」


 真っ直ぐな瞳。


「わたし……今まで何もしてなかった」


 その言葉には自分自身への悔しさが滲んでいた。


「ルーンたちが戦ってる時、ずっと後ろに下がって見てるだけだった。……今回も、わたし役に立てなくて、足手まといになっちゃって、シオンに迷惑かけた」


 唇をきゅっと結び、悔しさを押し殺すように俯く。


「わたし、いつまでもみんなの荷物になるの嫌だって思ったの」


 その声は震えていた。


「そしたら、グリーンが言ってくれたの。わたしの歌には、作る以外にも力があるって。その力でみんなを助けられるって」

「……なるほど。それが治癒歌ってわけなのね」

「うんっ」


 頷くと、フィラーラの笑顔が少しだけ戻る。

 その笑顔を見つめながら、ルーンは胸の奥で一つ決心した。


「わかったわ、フィラーラ。そういうことなら、私も協力する」

「え?」


 真っ直ぐ彼女を見据える。

 驚いたようにフィラーラが目を丸くした。


「貴女の『力になりたい』っていう想いは、凄くよくわかるの。私にも、そういう時期があったから」

「ルーンにも?」

「ええ」


 ルーンはどこか懐かしそうに微笑んだ。幼い頃を思い出すように目を細める。


「ものすごく幼い頃にね。それで結構、兄さんたちを困らせていたわ」


 少し照れたようにルーンは笑う。

 そして小さく首を傾げた。


「……駄目かしら?」

「そ、そんなことない!」


 その言葉にフィラーラは勢いよく首を横へ振り、ぱっと花が咲いたように表情が明るくなる。


「ルーンが協力してくれるの、凄く嬉しい!ありがとう!」


 その笑顔は朝日よりも眩しかった。

 それを見て、ルーンも自然と口元を緩める。

 客室には再び穏やかな空気が流れた。



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