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ブルーテイル・ハピリス  作者: aki.
4、わたしのくろいほうせき
256/263

目が覚めたら





「…………」


 頬を撫でる夜風に、フィルはゆっくりと瞼を開いた。

 ぼんやりとした意識のまま体を動かすと、背中に鈍い痛みが走る。


「っ……」


 思わず眉をひそめる。

 どうやら柱にもたれかかったまま眠ってしまっていたらしい。

 じんわりと残る痛みに肩を回しながら、フィルは目をこすり、小さく欠伸を漏らした。


 ひんやりとした風が金色の髪を揺らし、頬を優しく撫でていく。

 重たい瞼を持ち上げ、何気なく前へ視線を向ける。そこに誰かが座っていた。


「…………?」


 まだ霞んでいた視界が、少しずつ鮮明になっていく。

 輪郭がはっきりし、月明かりに照らされたその姿が見えた瞬間、フィルは息を呑んだ。


「ルーン!?」


 思わず声が上がる。

 その声に気づいたルーンは、静かに顔を上げた。


「目が覚めたかしら」


 穏やかに口元を緩める。


「……こんなところで眠っていると、風邪を引くわよ」


 そう言うと再び視線を落とす。

 その膝の上には、一冊の日記帳が置かれていた。それは、さっきまで自分が読んでいたものだった。

 何故それを彼女が読んでいるのだとか、そんなことはあとでいい。

 それよりも、今は。


「ルーン……っ、起きた……んだな……」


 胸の奥から込み上げる安堵で、言葉が途切れ途切れになる。

 それを聞いて、ルーンは不思議そうに首を傾げた。


「? 何をそんなに驚いているの?……そりゃ、目を覚ませば起きるわ」


 少し考えたあと、小さく首をかしげる。

 当たり前でしょう。とでも言いたげな口調だった。

 

「驚くだろ!二日間も眠り続けてたんだぞ!?」


 その言葉に、フィルは思わず身を乗り出す。


「……二日間?」


 ルーンは目を瞬かせ、きょとんとした彼女にフィルはゆっくりと頷いた。


「ルーン、エーさんと一緒に保健室へ行っただろ?」

「……ええ」

「それからすぐに大きな音がして、様子を見に行ったら……君とエーさんが倒れてたんだ」


 あの時の光景が頭をよぎる。

 静まり返った保健室。気を失った二人。

 床に倒れたまま動かないルーンを見た時の胸が締め付けられるような感覚。


「それから今まで、君はずっと眠ったままだった」


 説明を聞いたルーンは静かに眉を寄せた。


 二日間。

 自分は、そんなに長く眠っていたのか。

 だから目が覚めた時、あれほど喉が渇いていたのか。


「………そう」


 納得したように、小さく息を吐く。


「でも、本当によかった。君が目を覚ましてくれて」


 フィルは心から安堵したように笑う。

 しかしその笑顔はすぐに少し曇った。


「これで、あとはエーさんが目を覚ませば……」

「? エーもここにいるの?」

「ああ。君の部屋にいたはずだけど……」


 ルーンが首を傾げる。

 そこでフィルは気づいた。


「あ、そっか。ルーンは小さくなったエーさんは知らないんだよな」

「小さく……?」

「えと、君の部屋の棚の上にいたんだけど」


 その言葉でルーンは思い出す。


「……そういえば、棚の上に見慣れないものがあったわ」


 黒くて丸い小さな生き物と、白くて丸い小さな生き物。


「もしかして、あれが?」

「…うん。あれが、エーさん。」

「!」


 フィルが静かに頷くと、ルーンは目を見開いた。


「……エーさんがああなったのは、ルーンの中にあった花を取り除いた影響なんだ。相当無理したんだろうって、ヴィーさんものすごく怒ってた」


 フィルの声は自然と小さくなる。


「あの姿になってから、この二日間で体の色は灰色まで戻ったんだけど…。見つけた時は、真っ黒だったんだ」

「真っ黒……?」

「オレも実際には見てないんだけど」


 ヴィーから聞いた話を思い返す。


「元々、小さくなったエーさんの体は真っ白なんだって。でも浄化の力を使うと、その人の呪いを消す代わりに、エーさんの中にある白い羽根が穢れてしまうらしい。そのせいで、体まで黒く染まっちゃうって」


 言葉を選びながら説明を終える。

 ルーンは静かに胸へ手を添えた。

 胸の痛みはもうないことから、あの黒い花は自分の中から消えている。

 自分の体内から黒い花を消した。

 でも、その代わりに。


「エーは、私の体から花を取り除くために頑張ってくれたのね。自分がそのあとどうなるか、わかった上で…」


 その声には、自責とも感謝ともつかない複雑な想いが滲んでいた。


「…………」


 フィルは何も言わなかった。

 静かな夜が二人を包む。

 虫の音だけが遠くで聞こえる。

 しばらく二人は黙っていたが、しかしその沈黙を破ったのは。


「……っくしゅ!」


 盛大なくしゃみだった。


「っ……」


 フィルは肩を震わせ、鼻をすする。

 その様子を見たルーンは、思わず小さく笑った。


「ほら。こんなところで寝てるからよ」

「……っくしゅ!」

「……大丈夫?」

「ん、平気だと思う……」


 少し赤くなった鼻を押さえながら答えるフィルに、ルーンは苦笑する。

 これ以上ここで話していては、本当に風邪を引いてしまう。そう思った二人は立ち上がり、客室をあとにして廊下へ出た。


「あ、そうだわ」

「ん?」


 しばらく並んで歩いていると、ルーンが足を止める。

 彼女は抱えていた日記帳をフィルへ差し出した。


「これ……返すわ。読んでいたのでしょう?」

「……返すって、それ、君が図書室で見つけたものだろ?」


 反射的に受け取ろうとしたフィルだが、思いとどまり、少し気まずそうに頭をかく。


「……っていうか、勝手に読んじゃってごめん」

「……どうして謝るの?」


 ルーンはきょとんとした顔で彼を見る。


「これは私のものではないわ。見つけたのが私だからといって、私の所有物になるわけじゃないもの」


 静かに首を横へ振る。


「それに、先に読んでいたのは貴方でしょう?だから、貴方に返すのが自然だと思うわ」


 ルーンは日記帳を少し持ち上げる。

 言われてみれば、その通りなのかもしれない。


「……………」


 そんなことを考えながら、フィルは日記帳を受け取った。

 そもそも彼がこの日記帳を読み始めたのは、シオンに言われたからだった。

 古い文字を翻訳したのもシオンであり「お前も読んでおいたほうがいい」と渡されたのだ。


「一通り読んだら、私にも読ませてね」


 ルーンが柔らかく微笑む。

 そう言い残すと、彼女は静かに自室へと歩いていった。

 月明かりに照らされた後ろ姿を見送りながら、フィルは胸の前で日記帳をそっと握りしめる。


 ルーンが目を覚ましてくれてよかった。

 日記帳云々よりも、今はそれが何よりも嬉しい。


「…………」


 そう思いながら口元を緩ませ、フィルはその表紙を軽く撫でた。



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