目を覚ますと
「…………」
静寂の中で、ルーンはゆっくりと瞼を開いた。最初に目に映ったのは、見慣れた自室の天井。
部屋の中は暗く、唯一の明かりは窓から差し込む淡い月光だけ。その青白い光が床を静かに照らし、夜の静けさをいっそう際立たせている。
「……んっ」
胸の奥が鋭く疼いた。
思わず胸元を押さえるが、その痛みは一瞬で消えていく。
「………」
小さく息を吐き、ゆっくりと上体を起こした。辺りを見回しても、部屋には誰もいない。
窓は半分ほど開いており、夜風がさらりと頬を撫でていく。その心地よさに目を細めながら、ルーンは小さく呟いた。
「私……どうして……」
確か、自分は保健室にいたはずだった。エーに連れられ、黒い花を取り除くための治療を受けていて。
そこまでは覚えている。
だが、それ以降の記憶が曖昧だった。
どうして自分は家に戻り、自室のベッドで眠っていたのだろう。
こめかみに手を添え、記憶を辿ろうとするも、しかし頭には薄い霧がかかったようでどうしても思い出せない。
諦めるように立ち上がると、窓際まで歩き、夜空を見上げた。月は高く昇り、星々が静かに瞬いている。
「今、何時くらいなんだろう……」
ぽつりと呟く。
「……ん?」
その時、部屋の奥からかすかな気配を感じた。
ルーンはゆっくりと振り返る。
棚の上には普段から置いてある小物が並んでいるが、その中に見慣れない影が二つ。
「……?」
目を凝らす。
暗闇に紛れてすぐには気づかなかったけど、それは小さな黒い丸い体の何かと、同じく小さくな白い丸い体の何かだった。その二つはぴったりと抱き合うように寄り添い、横たわっている。
ぬいぐるみかキーホルダーのようにも見えたが、黒い体が小刻みに動いていることから生き物なんだとわかった。
「…………何これ?」
気にはなったが、無闇に触ってもし起きたりしたら反応に困る。
ルーンはそれを見なかったことにして静かに部屋を後にした。
+
廊下へ出ると家の中は寝静まり、時計の針だけが時を刻んでいた。
どういうわけか、ひどく喉が渇いている。彼女は真っ直ぐに台所へ向かい、棚からコップを取り出した。
水を注ぎ、一気に口へ運ぶ。
冷たい水が喉を通り、身体の奥へ染み渡っていく。火照っていた胸の内まで冷やしてくれるようだった。
「………ふぅ」
飲み干したあと、静かに息を吐く。
コップを丁寧に洗い、元の場所へ戻した。
「……戻っても眠れる気がしないわね」
ぽつりと漏らす。
このまま布団へ戻っても、きっと眠れない。頭の中は妙に冴え、胸の奥には説明のできないざわめきがかすかに残っていた。
少し風に当たろう。
そう決めたルーンは、台所を出て客室へ向かう。
「………あ」
近づくと、客室へ続く襖が少しだけ開いていた。
誰か起きているのだろうか。
不思議に思いながら襖へ手を掛け、静かに横へ滑らせる。
襖を開けて最初に視界に映ったのは、月明かりに照らされた縁側だった。
そして、そこにいた縁側の柱へ背を預けたまま眠る、一人の少年。
「っ……」
胸がどくりと高鳴る。
それはフィルだった。
月明かりに照らされた金色の髪が、夜風に揺れている。規則正しい寝息を立て、その表情はどこか安心しきっていた。
どうして、こんな場所で眠っているのだろう。ルーンは足音を忍ばせながら近づき、彼の隣へ静かに腰を下ろす。
「……?」
その時、彼の手元にあるものが目に入った。フィルの手には、一冊の日記帳が開いたまま握られている。
それは図書室で見つけた、あの日記帳だった。ルーンは目を見開く。
どうやら読んでいる途中で、そのまま眠ってしまったらしい。
「…………」
そっと手を伸ばす。
日記帳へ指先が触れた、その瞬間。
「……ん」
「!」
フィルが小さく声を漏らした。
ルーンはびくりと肩を震わせ、思わず動きを止める。
息まで止めて様子を窺うが、彼が目を覚ます気配はなかった。
再び静かな寝息だけが聞こえ始める。
「……ふぅ」
小さく胸を撫で下ろし、今度は慎重に日記帳を彼の手から抜き取る。
膝の上へ置き、ゆっくりとページをめくった。
「これ……読めたのかしら?」
不思議そうに首を傾げる。
見覚えのない文字が並んでいたページには、いつの間にか別の文字で文章が書き添えられていた。翻訳されてるみたいだ。
図書室で見つけた時には、そんなものは存在しなかった。誰かが後から書き加えたのだろうか。
「…………」
ルーンは翻訳前の文章と、書き足された文章を交互に見比べながら、ゆっくりと読み進めていく。
そこにはダークエルフに関する記録だけではなく、この日記を書いた人物自身の日常や、その時々に感じた想いまで細かく綴られていた。




