先生になった気分
「はい。それじゃあルーンちゃん。そこに座って」
エーに促され、ルーンは保健室の中へ足を踏み入れた。
校舎の騒ぎが少しずつ落ち着きを取り戻した今、保健室には静かな空気が流れている。
「(保健室なんて、初めて来たわ)」
ルーンは室内を見回した。
どこか薬品の香りが漂い、整然と並ぶ棚や白いカーテンが目に入る。
言われるまま移動式の丸椅子へ腰掛けると、向かいにエーが座った。
ルーンがここへ連れて来られた理由は一つ。体内に残る黒い花を浄化するためだった。
他の生徒たちは制服の上から魔法を施すだけで十分だったが、ルーンは違う。彼女の体内にある黒い花は彼女の体に深く根を張っており、直接肌へ触れて浄化しなければ取り除けないという。
そのため、人目のある場所では難しく、誰もいない保健室が選ばれたのだった。
「……なんだかこうしてると、先生になった気分ね」
ふふっと柔らかく笑うエー。
その言葉を聞きながらルーンは制服を脱ぎ、丁寧に膝の上へ畳んで置いた。
「へぇ。ルーンちゃんって、肌白くて綺麗ね。羨ましいわ」
「……羨ましがられるようなものじゃないわ」
ルーンは小さく首を振る。
肌を褒められることなんて、ほとんどない。むしろルーンにとってはエーやフィラーラたちみたいな肌の色こそ羨ましいと思っていた。
「そう?でも、私は好きよ。ルーンちゃんの肌」
エーは穏やかに微笑む。その声に偽りは感じられなかった。
ゆっくりと手を伸ばし、ルーンの胸元へそっと掌を重ねる。淡い水色の魔法陣が掌の下へ広がり、ひんやりとした感触が肌へ伝わった。
「すぐに終わるから、少し我慢してね」
「……本当にこの方法で、花が取り除けるの?」
不安そうに尋ねるルーンへ、エーは優しく頷く。
「もちろん。信じて」
目を閉じ、静かに詠唱を始める。
保健室へ小さな呪文の響きが満ちていった。
「…………っ」
最初は冷たいだけだった。
けれど次の瞬間。胸の奥へ鋭い痛みが走る。
「……っ、あっ……!」
息が詰まる。
心臓を掴まれたような苦しさ。
それだけではない。
身体の奥で何かが蠢き始めた。
まるで異物が必死に逃げようともがいているような感覚。
痛みは少しずつ強くなっていく。
「………何、これ」
ルーンは苦しげに顔を上げた。
見ると、エーの表情が変わっている。穏やかだった顔は険しく引き締まり、額には汗が浮かんでいた。
「どうか……したの?」
「っ……少し待って」
エーは息を整えながら答える。
「……これじゃ駄目かも。ごめんね、ルーンちゃん。ちょっと強くする」
「え?」
返事を待つ間もなく、魔法陣の光が一段と強く輝いた。
「……あぁっ!」
短い悲鳴が漏れる。
ルーンは慌てて片手で口を押さえた。
「っっっっ……!!」
わかる。胸の奥にある黒い花が暴れている。苦しそうに、必死に抵抗している。
それは、エーの浄化が確かに効いている証拠だった。だが、その代償はあまりにも大きい。
「んっ……んん……!んんんっ!!」
経験したことのない激痛が全身を駆け巡る。
涙が自然と溢れ、頬を伝って零れ落ちた。
「な……に……っ、ん、ああっ!?」
耐えられない。
もうやめてほしい。
震える手を伸ばし、ルーンは弱々しくエーの腕を掴んだ。その腕もまた、小刻みに震えている。
「っ、」
エーも苦しそうだった。
額から汗が流れ落ち、呼吸も荒くなっている。
「きゃあっ!!」
その瞬間だった。
パチンッ!と、鋭い破裂音が保健室へ響き渡る。
「っ!?」
何かに弾き飛ばされたようにエーの手が離れた。その勢いのまま二人とも椅子から転げ落ちる。
ガシャン、と倒れた椅子が床を滑る音が続いた。
「っ……は、……は……っ、あ……」
仰向けに倒れたルーンは胸を押さえ、必死に呼吸を繰り返す。
荒い息が喉を震わせる。
胸の奥では、なお黒い花が暴れ続けているのがはっきりと分かった。
苦しい。痛い。
胸元へ手を当てると、エーから託されたペンダントが淡く光を放っていた。
「ごほっ……」
エーはゆっくりと上体を起こし、小さく咳き込む。汗が額から滴り落ち、床へ小さな染みを作った。
だが、休むことなく立ち上がり、すぐにルーンの傍らへ膝をつく。
「ルーンちゃん……っ」
「は、……はぁ……っ。ごほっ……くるしっ……」
苦しげな声に、エーは唇を噛み締める。震える手を再びルーンの胸元へ添えた。
「カフルエル……一体、ルーンちゃんに何をしたの?」
その声には戸惑いと焦りが滲んでいた。
静かに呪文を紡ぐ。
今度は先ほどよりもさらに強い魔力が掌へ集まっていく。
眩い光が一気に広がり、二人の姿を包み込んだ。
次の瞬間。
保健室全体が、白い閃光に染め上げられた。




