幽霊……!?
「ルーン……!」
部屋の奥に立つ彼女の姿を見つけた瞬間、フィルは張りつめていた息をようやく吐き出した。
よかった。見つかった。
その事実だけで、胸を締めつけていた不安が少し和らぐ。
呼びかけられたルーンは、ぴくりと肩を震わせて振り返った。同時にブルーテイルが嬉しそう鳴にき声を上げる。
「きゅうっ!きゅうっ!」
小さな体で床を駆け抜けると、ルーンの足元へ飛びつくように近寄った。
「ブルーテイル……?」
ルーンは目を細める。
続いて近づいてきたフィルの姿を見て、さらに首を傾げた。
「フィルも。…貴方たち、どうしてここに……」
「……ここで何してるんだ?依千蔵が心配してたぞ?」
フィルはほっとした表情のまま尋ねる。
「ん?」
「水。頼んだって言ってたけど……」
「みず……?…あっ」
その一言にルーンはきょとんとする。
しかし数秒の沈黙の後、思い出したように声を上げて表情を固まらせた。
「そうだ、水。ごめんなさい、すぐに戻らなくちゃ……!」
目を見開き、慌てた様子で開いたままだった日記帳を閉じると、大切なものでも扱うようにそれを胸へ抱える。
その様子を見て、フィルは眉尻を下げた。
「忘れてたのか?」
「……別に、そういうわけではないけど……」
少しだけ視線を逸らして、居心地が悪そうに呟く。
「……あ、ねぇ」
「ん?」
「貴方、ここへ来るまでに女の子を見掛けなかったかしら?」
「女の子?」
「ええと……黒いワンピースを着た、十歳くらいの子なんだけど」
そこで、彼女はふと顔をあげてフィルに聞いた。
フィルは少し考え込むが、すぐに首を横へ振る。
「……? いや、見てないと思うけど?」
「……そう」
その答えを聞き、ルーンは残念そうに目を伏せた。
「さっきまでそこにいたんだけど、いつの間にかいなくなってしまっていて……」
「きゅう?」
顎に手を添えて呟くルーンにブルーテイルは不思議そうに首を傾げる。
「え……そ、それってまさか…ゆっ、幽霊じゃないよな?」
なんだか嫌な想像がフィルの背筋を通り抜け、少しずつ彼の表情が引きつった。
「幽霊ではないわ。ちゃんと足があったし」
ごくり、と唾を飲み込んで唇を震わせながら恐る恐る聞いてみるとルーンはあっさりと言い切る。
どこへ行ってしまったのだろう。
そんな様子で顎へ手を添えたまま、ルーンは周囲を見回した。
「…………」
"幽霊ではない"という彼女の言葉を聞いても恐怖心は消えず、フィルも思わず部屋中をものすごい速さで見回す。
「きゅう」
ブルーテイルはそんなフィルを見上げると、ぴょんと肩へ飛び乗った。
落ち着け、とでも言うように小さく鳴く。
「お前ら何して」
その時、部屋の入口から声が響いた。
「ぎゃあああああっ!?」
最後まで聞く間もなく、フィルの絶叫が部屋中へ響き渡る。
「きゅううっ!?」
肩のブルーテイルまで飛び上がって悲鳴を上げる。
扉の方を見ると、そこに立っていたのはターナだった。その後ろにはシオンの姿もある。
「……ターナ。それにシオンも」
ルーンが二人の名前を呼ぶと、フィルも恐る恐る振り返った。
「何だ、今の悲鳴は……?」
「たっ、ターナさん……!?吃驚した……はぁ……」
ターナは眉をひそめる。
視界に映ったのがターナだとわかり、フィルは胸へ手を当て、大きく息を吐いた。
「きゅう……」
ブルーテイルも耳をぺたりと伏せ、小さく鳴く。
フィルの悲鳴によほど驚いたようだ。
「ターナ。それにシオンも。どうしてここに?」
「あらかた校舎の様子は見て回ったからな。最後にここだけはもう一度調べようと思って来た」
ルーンが尋ねると、ターナは腕を組んで答えた。
「ここにはカフルエルの気配が色濃く残っている。完全に消える前に、調べられることは調べておきたい」
そう言って部屋を見回す。
その途中、彼女の視線がルーンの抱える日記帳へ止まった。
「何だ、それは?本か?」
「?」
聞かれて、ルーンは胸元の日記帳を見下ろす。
「ああ。違うわ。これは日記帳よ」
「日記帳?お前のか?」
「いいえ。さっきここで見つけたのよ。読んでみたんだけど、何て書いてあるんだかまったくわからなかったわ」
首を横に振り、肩をすくめる。
「そうだわ。貴女たちにも聞くけど、ここへ来るまでに女の子を見なかったかしら?」
「女の子だと?」
ルーンは顔を上げ、ターナたちにも聞いてみた。
眉をひそめ、ターナは隣のシオンと視線を交わす。
「いや、見ていないな」
シオンが静かに答える。
「そう……」
その答えにルーンは小さく肩を落とす。
フィルも。ターナも。シオンも。誰一人として、あの黒いワンピースの少女を見ていない。
あの子は一体、何者なのだろう。
「その女の子がどうかしたのか?」
ターナが問い返す。
「……さっきまでここにいたんだけど、消えてしまって」
「…なぁ。や、やっぱりそれ、ゆ、幽霊じゃないのか?」
「幽霊じゃないってば。足があったって言ったでしょ」
「足があっても幽霊の可能性はあるって……!現にルーンの前から消えてるわけだろ!?」
「そうだけど……」
フィルの言葉にルーンは困ったように眉を下げる。
「でも、あの子は幽霊なんかじゃないわ」
「何故、そう言い切れる?」
「それは……」
シオンの問い。
ルーンは胸に抱いた古びた日記帳へ視線を落とす。
あの子が幽霊ではないという理由が自分には説明ができない。幽霊ではないという証拠も何一つない。
それでも。あの少女は幽霊ではない。それはわかる。
そんな確信だけが、不思議なくらい心の奥底に残ったが、しかし、その確信を言葉にすることはできず、部屋には静かな沈黙だけが流れていった。
「…………」
結局、彼のその問いにルーンは答えられなかった。




