私は何もしない方がいい
ルーンたちは、それぞれ手分けをして校舎内を駆け回っていた。
最初に向かったのは自分たちが在籍する教室。そこの無事を確認すると、今度は他の教室へ足を運び、一人でも多くの生徒を助けようと走り回る。
フィルと清龍、朱咲と百虎はフィルと桃華の教室がある階へ。ルーンと依千蔵、エー、ヴィー、玄武はルーンと依千蔵の教室がある階へ。そしてシオンとターナは、家庭科室や理科室などの実習室を担当していた。
「うぅ……」
「ひっく……ひっく……」
校舎内にはまだ恐怖の余韻が色濃く残っている。教室のあちこちで、生徒たちが震えながら身を寄せ合っていた。
「もう大丈夫よ。よく頑張ったわね」
優しく微笑みながら、エーは教室の隅でうずくまる女子生徒の前に膝をつく。そっと手を重ねると、淡い水色の魔法陣が浮かび上がった。
柔らかな光が少女の膝を包み込み、擦りむいて血が滲んでいた傷は瞬く間に塞がっていく。
「……治った!」
少女は膝に触れ、信じられないというように目を見開いて嬉しそうに笑った。
「ほら。これ飲んで落ち着け」
依千蔵は水筒を差し出し、生徒の背中を軽く叩く。
「んくっ……ひっく……」
震える手で水筒を受け取った男子生徒は、一口飲むと少しだけ呼吸を整えた。
「ゆっくりでいい。焦らなくていいからな」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、その声はどこか穏やかだった。
玄武は泣きじゃくる子供たちを小さな体で懸命に励まし、ヴィーは倒れた机を起こして安全な場所を作っていく。
誰もが、自分にできることを必死にこなしていた。
そして、それはルーンも同じだった。
「……大丈夫?」
怯える生徒へ静かに歩み寄り、治癒魔法を施そうと手を伸ばす。
だが。
「ひっ……ダークエルフ……!近づかないで……っ!」
少女は青ざめた顔で後ずさる。
その叫びに、近くにいた生徒たちも一斉にルーンを見た。
「嫌っ!来ないで……!」
拒絶の言葉が耳に突き刺さる。
ルーンは何も言わず、ただ静かに差し出しかけた手を下ろして一歩だけ後ろへ退いた。
その紫色の瞳には、悲しみも怒りも浮かんではいない。ただ、慣れきってしまった静けさだけがあった。
「おい」
その様子を見ていた依千蔵が声を掛ける。
彼は空になった水筒をルーンへ差し出した。
「何もすることがないんなら、水汲んできてくれないか?」
一瞬だけ依千蔵と視線が合う。
「……そうね」
ルーンは小さく頷いた。
水筒を受け取ると、そのまま教室を後にする。
扉が閉まりかけたその時、ぽつりと男子生徒の声が耳に届いた。
「ここがこうなったのはダークエルフのせいだろ」
「何で平然としてられんだよ……」
「…………」
別の生徒も小さく呟く。
ルーンは足を止めなかった。
振り返ることもなく、静かに廊下に出る。
しばらく歩き、水道のある場所へ辿り着くと水筒の蓋を外した。蛇口をひねり、勢いよく流れ出した水が金属製の水筒の中へ注がれていく。
ちゃぷん。ちゃぷん。
少しずつ重みが増していく感覚が腕へ伝わる。
やがて縁まで満たされたことを確認するとルーンは蛇口を閉め、蓋をしっかり締めた。
「…………」
手にした水筒を見つめ、小さく息を吐く。
気にしないようにするのは簡単だ。
怖がられることも。
避けられることも。
疑われることも。
全部、慣れている。
だけど。
「(この水筒を依千蔵に渡したら……私は廊下にいた方がいいかもしれないわね)」
自分が教室にいれば、生徒たちは安心できない。
この学び舎を襲ったのは自分と同じダークエルフだ。生徒たちがカフルエルの姿を見たのかはわからないけど、おそらく何人かは彼を見かけているだろう。
きっと、自分は仲間だと思われてるに違いない。実際は違うけれど、ダークエルフ=悪だと信じている人たちにはそう見えている。
「(………どうして、)」
水筒を強く握る。
その時──、
「…………どこ?」
どこからか微かな声。
風に溶けてしまいそうなほど小さな囁きだったが、ルーンはその声を確かに捉えた。
顔を向けると、廊下の先。そこには一人の少女が立っていた。
黒いワンピースを着た幼い少女。長く伸びた紫色の髪が顔を覆い、その表情はまったく見えない。
「……どこいったの?わたしのほうせき……」
少女は俯いたまま、小さく呟く。
その声には不思議な寂しさが滲んでいた。
次の瞬間、少女はくるりと背を向け、廊下の奥へ駆け出す。
「……っ!」
ずきりと胸が痛む。
ルーンの胸がざわつく。
理由は分からない。
けれど、あの少女を見失ってはいけない。そんな予感だけが強く胸を打った。
「待って!」
ルーンは反射的に走り出す。
握っていた水筒が手を離れ、床へ落ちた。
ガランッ、と乾いた金属音が静かな廊下に響く。しかしルーンは振り返らない。
転がる水筒にも目を向けず、ただ黒いワンピースの少女だけを見据えて駆けていく。静まり返った校舎の奥へ。
まるで何かに導かれるように、彼女は少女のその背中を追い続けた。




