フィラーラの役割を考える
黒い煙を吸い込み終えた小さな箱は、満足したように小さく震えると静かに動きを止める。
辺りには束の間の静寂が訪れた。
「…シオン、…なんだそれは……?」
グリーンがぽつりと呟く。
その声には、驚きと戸惑いが入り混じっていた。
シオンは何も答えない。
箱を荷物袋へしまい込むと、ゆっくりと彼はフィラーラへ向き直った。
「フィラーラ」
名前を呼ばれ、彼女は涙で濡れた顔を上げる。
「お前は何もするな」
「……え?」
その一言に、フィラーラの表情が固まった。
「お前は何もせず、俺たちを見ていればいい」
シオンの瞳はどこまでも冷静で、感情を感じさせない声が続く。
「元々、人魚は非力な種族だ。そんな奴が戦いに出たところですぐにやられる。無駄死にするくらいなら、そこで大人しくしていろ」
容赦なく言葉は重ねられる。
フィラーラは唇を震わせた。
「前線に出られたら邪魔だ」
その一言が胸へ深く突き刺さる。
フィラーラは息を詰まらせ、何も返せない。
シオンはそれ以上何も言わず、再び剣を抜くと彼女へ背を向けた。迷いのない足取りで戦場へ戻っていく。
その背中を見送りながら、グリーンは大きく息を吐いた。
「あやつ……こういう時くらい言葉を選ばぬか」
呆れ半分、苦笑半分の声。
そして彼もゆっくりとフィラーラへ向き直る。
肩を震わせ、小さく嗚咽を漏らしながら彼女は涙を流していた。
「フィラーラよ」
優しい声がかけられる。
「ああは言っているが、シオンはおぬしを心配しておるのだよ」
「ひっく……」
「おぬしの気持ちは、我にもよく分かる」
グリーンは静かに目を細めた。
「だが、我もあやつと同じだ。おぬしには戦ってほしくはない」
フィラーラは涙を拭うこともせず、小さく頷く。
「……わかってる」
震える声だった。
「シオンは優しいっ。でもっ…わたしも何かしたい……っ」
言葉が詰まる。
また涙が溢れた。
「みんなの……シオンの役に立ちたいっ」
その想いは、嘘偽りのない本心だった。グリーンはしばらく黙って彼女を見つめる。
やがて身体を動かし、彼女の前へちょこんと座った。
「ならば」
ゆっくりと口を開く。
「"歌う"ことだ」
「……え?」
フィラーラは目を瞬かせた。
「人魚の歌には力が備わっている」
グリーンは穏やかに続ける。
「それは人を癒やす程度の微量なるもの。あやつらが戦いで傷ついた時、その歌で癒やしてやると良い」
「……人を、癒やす?」
「うむ」
グリーンは静かに頷く。
「おぬしの歌は、ものを作り、動かすためだけのものではない。人を支えることもできるのだ」
優しく微笑む。
その言葉に、フィラーラは涙を流したまま目を丸くした。
+
「はい、終わり!」
軽い調子で言いながら、ヴィーは最後の一人となった生徒の首筋へ刀の腹を当てる。
鈍い衝撃とともに生徒は気を失い、その体へまとわりついていた黒いスライムだけを剥がし落とした。
地面でもぞもぞと蠢くそれへ魔法を放つと、黒い塊は一瞬で灰となり消え去っていく。
「これで最後か?」
刀を一振りし、ヴィーは聞く。
「ああ。問題はなさそうだ」
ホワイトが周囲を見渡しながら答えた。
「はぁ……ったく、手間取らせやがって」
ヴィーは肩を回す。
手に持った刀が小さく震えた。
「…普段の戦い方と違ったが、助かったよ。さんきゅな」
礼を言うと、刀は満足そうに震えを止める。ヴィーはそれを肩へ担ぎ、息を吐いた。
「助かったぞ、シオン」
ターナがシオンへ歩み寄る。
シオンは首を横に振り、剣を鞘へ納めながら答えた。
「カフルエルを追っていたら、お前たちの姿を見つけてな。優先順位が変わった」
「っ、カフルエルがここにいるのか!?」
短く息をつくと、ヴィーが目を見開く。
「ああ。……ルーンと共にいるのを見つけ、先手を取ったが逃げられた」
「ルーンと?」
シオンは静かに頷く。
その名に、ホワイトの表情が険しくなった。
「現在、私のルーンは『呪いの花』というものに侵されている状態だ。早く見つけて対応策を考えねばならん」
その声には焦りが滲んでいた。
そう言うと、ホワイトは踵を返し昇降口へ向かう。
グリーンとフィラーラの間を通り抜けて扉の前へ立つと、取っ手へ手を掛けた。
ガチャリ。
乾いた音とともに扉が開く。
「ん、開いている?」
まさか開くとは思わず、ホワイトは首を傾げた。
「は?なんで?さっきは閉まってたんだぞ?」
ヴィーが駆け寄る。
開いた扉を覗き込みながら、ホワイトは顎へ手を添えた。
「あの黒き者たちがいなくなったから鍵が開いたのか?」
「あいつらが鍵代わりだったってことか?あいつらどんだけだよ!」
ヴィーは頭を搔き、思わず叫ぶ。
「しかし、これで中に入れる」
ホワイトは静かに校舎の奥を見据えた。
「一刻も早く私のルーンたちと合流しなければ」
「………そうだな」
その言葉に全員が頷く。
そしてヴィーたちは開いた扉をくぐり、校舎の中へ足を踏み入れた。
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校舎内に入ると、外とは比べものにならないほど濃密な瘴気が一斉に襲いかかる。
「っ……!」
誰もが思わず足を止めた。
息が詰まる。肺へ重い空気が流れ込み、体の奥まで圧し潰されるような感覚が走る。
「なんだよ、この気配っ……」
ヴィーが顔をしかめた。
廊下のあちこちには、不気味な黒い花が咲き乱れている。
「……廊下の至るところに、不思議な花が咲いているな」
グリーンが静かに呟く。
シオンがその花へ視線を向けた。
「あれが、呪いを生み出す花だ」
花の中心からは黒い煙が絶えず立ち上っている。
「あの煙を一定量吸い込み続けると、もれなく呪われる」
「わ、わたしたちは大丈夫?」
「安心しろ。結界を張っておけば問題はない」
フィラーラが不安そうに尋ねると、シオンは頷く。グリーンが魔法陣を展開し、透明な結界が仲間たちを包み込んだ。
漂っていた煙は弾かれ、周囲の空気が少しだけ軽くなる。
「(ここにずっといたんじゃ、きっとぶっ倒れてるだろうな……)」
ヴィーは廊下の奥を見据える。そう思いながら、脳裏に浮かべたのはエーの姿。
彼女は人一倍、呪いに弱い。その身に宿る羽根の力ゆえに呪われることはなくとも、その代償として呪いの気配そのものに強く蝕まれてしまう。
「(それか、この空気に耐えられなくてゲロってるかもな……)」
冗談めいた考えが浮かぶ。
だが、その表情は笑っていなかった。
「(……さっさと見つけてやらねぇと)」
拳を強く握り締める。
そしてヴィーは先に歩き出した仲間たちとともに、重苦しい静寂が支配する校舎の奥へ向かって足を動かした。




