わたしはなにもできない
黒いスライムを引き剥がされた生徒たちが次々と倒れていく。
だが、安堵する暇などなかった。
「こっちも来るぞ!」
グリーンの鋭い声が響く。
その声に全員がはっと顔を上げた。シオンが風をまとった剣で何人もの生徒を吹き飛ばしたとはいえ、校庭にはまだ大勢の生徒が残っている。
彼の剣技をかいくぐった者たちが、呻き声を漏らしながらヴィーたちへ迫ってきていた。
「っ、」
ヴィーが地面を蹴る。
同時にターナも駆け出した。
その背後では、ホワイトとグリーンが足元へ魔法陣を展開する。
ホワイトの静かな詠唱とともに、眩い光弾がいくつも宙へ浮かび上がり、生徒たちへ向かって一直線に放たれた。
グリーンも素早く敵陣へ飛び込み、生徒へまとわりつく黒いスライムだけを鋭い爪で引き剥がす。引き剥がされたスライムは地面へ叩きつけられ、身をよじらせながら蠢いた。
「はっ!」
ヴィーとターナの役目も同じだ。
狙うべきは生徒ではない。彼らへ取り憑いた黒いスライムだけ。
人を傷つけずに魔物だけを倒す。それは二人にとって決して得意な戦い方ではなかった。
それでも、やるしかない。
「うあああああッ!!」
狂ったような叫び声を上げ、生徒が飛びかかってきた。すれ違いざま、ヴィーは逆刃で首筋を軽く打つ。鈍い音とともに生徒の意識が途切れ、その場へ崩れ落ちた。
倒れる寸前、ヴィーは刀を返して黒いスライムだけを素早く削ぎ落とす。地面へ落ちたスライムは、そのまま魔法で焼き払われ、黒い煙となって消えていった。
「光を!」
ホワイトの号令とともに、新たな光弾が空を裂く。眩い閃光が生徒たちの動きを止め、その隙にグリーンが一匹ずつ確実にスライムを引き剥がしていく。
「…………」
その戦場の中で、ただ一人。
フィラーラは離れた位置で立ち尽くしていた。
震える指先を胸の前で握り締め、眉尻を下げながら仲間たちを見つめる。
「……っ」
何かしなければ。
そう思う。けれど、自分には何ができるのか分からない。
ヴィーやターナのように武器を振るえないし、ホワイトやグリーンのような強力な魔法も使えない。
「……わたしも……なにかっ」
声は震え、唇を強く噛み締める。
「……いつもそうだ」
それは、誰にも届かないほど小さな呟きだった。
「(わたしは、いつも見てるだけ……)」
その足元へ、誰にも気づかれぬよう黒い煙が這い寄る。煙は蛇のように絡みつき、ゆっくりと彼女の足首を包み込んだ。
フィラーラは気づかない。
「……あの時だって、役に立てなかった」
煙は少しずつ膝へ、腰へと這い上がっていく。
「あああああッ!!」
その時、一人の生徒がヴィーたちの死角を突き、一直線にフィラーラへ襲いかかった。
「フィラーラ!」
グリーンが叫ぶ。
ホワイトも振り向き、彼女のもとへ向かおうとするが距離が遠く、間に合わない。
生徒が腕を振り上げ、そのまま勢いよく振り下ろした。
鈍い衝撃音が響く。
しかしその攻撃はフィラーラに届くことはなかった。代わりに生徒の体が横へ吹き飛び、その場へ倒れる。
「…………」
フィラーラはゆっくりと顔を上げた。
目の前には、一人の背中。
風に揺れる紺色の髪。剣を握る右手。
それはシオンだった。
彼は剣を一閃させ、生徒へ張り付いていた黒いスライムだけを鮮やかに切り落とす。
「シオン……?」
「ボーッとするな」
振り返り、短く告げる。
その鋭い視線はフィラーラ自身ではなく、彼女の体へ絡みつく黒い煙を見据えていた。彼の眉がわずかに寄る。
「わ、わたしも……何かしないとって思って……」
声が震える。
「でも、何をしたらいいか分からなくて……」
ぽろり、と涙が零れ落ちる。
「わたし、みんなの……シオンの足手まといになるの嫌なの……っ。」
言葉はとめどなく溢れて止まらない。
「ずっと離れたところで見てるだけなの嫌なのっ! 守られるだけなのもヤなのっ!」
煙の影響か、涙も次々と溢れていた。
「わたしもっ、みんなといっしょがいいの!しおんとずっといっしょがいいのおっ!!」
悲痛な叫びは、いつしか幼い子どもが泣きじゃくるような声へ変わる。
その心の揺らぎに呼応するように、黒い煙はさらに勢いを増し、彼女の体を包み込み、肩へ、首へと絡みついていった。
「シオン!何があった!」
異変に気づいたグリーンが駆け寄る。
しかし、シオンは答えなかった。
ただ静かにフィラーラを見つめ続ける。その視線の先で、校舎の奥から伸びる黒い煙が彼女へ繋がっているのが見えた。
「……!」
グリーンもそれを見て、表情が変わる。
「フィラーラ!気を確かに!己を強く持て!このままでは取り込まれるぞ!」
「ううぅ……」
頭を抱え、フィラーラは首を振る。
「わたし、なにもないっ。なにもないっ」
煙はさらに濃くなる。
「これじゃ、このままじゃいつかまたひとりに……っ。ひとりぼっちになっちゃうっ!そんなのっ、そんなのやだあっ!」
泣き叫ぶその姿を見つめながら、シオンは静かに剣を鞘へ収めた。
腰の荷物袋へ手を伸ばす。取り出したのは、手のひらほどの小さな黒い箱だった。その箱は、まるで生きているかのようにカタカタと震えている。
「シオン?なんだそれは?」
グリーンが首を傾げる。
またも、シオンは何も答えない。
無言のまま箱をフィラーラへ向ける。すると箱はぶるぶると大きく震え始めた。
次の瞬間、ぱかりと蓋が割れるように開き、鋭い牙が並ぶ大きな口が現れる。
「え……?」
フィラーラが目を丸くする間もなく、その口は勢いよく黒い煙を吸い込み始めた。
ごう、と音を立てながら煙が渦を巻き、箱の中へ消えていく。体へ絡みついていた煙はみるみる薄れ、やがて跡形もなく吸い尽くされた。
「!」
力が抜けたように、フィラーラはその場へ座り込む。
そして箱は満足そうに口を閉じると、小さく一つ、げっぷをした。
「げふっ」
その何とも気の抜ける音を聞き、シオンは深いため息をついて静かに肩を落とした。




