黒く蠢くもの
フィラーラは思わず顔をしかめる。
「うぅ、気持ち悪い……」
その率直な一言は、この場にいる誰もの心境を代弁していた。
昇降口へ駆け寄ると、そこにも黒いスライムが何層にも重なり合うように張り付き、扉を完全に覆い隠していた。
「……駄目だ。開かない」
ヴィーが扉へ手を伸ばし、力任せに引く。しかし鍵が掛かっているのか、びくともしなかった。
「!」
近くで蠢いていた一匹のスライムが、ぴょん、と跳ねるようにヴィーの腕へ飛び移る。ひやりとした冷たい感触。
それが生き物のように腕を這い上がってくる不快な感覚に、ヴィーは反射的に腕を大きく振った。
スライムは地面へ叩き落とされ、べちゃりと潰れる。だが、それはすぐに形を取り戻すと、何事もなかったように元いた場所へ這って戻っていった。
「………チッ」
舌打ちをして、ヴィーは腕へ目を向ける。そこには赤黒い粘液がべっとりと付着していた。
「扉、開かない?」
心配そうにフィラーラが近づこうとするが、グリーンが静かに彼女の服を咥えて歩みを止める。
「無闇に近づかん方が良い」
「そこの獣の言う通りだ」
ヴィーは腕を力いっぱい振り、粘液を払い落とす。
「俺だからよかったものの。もし他の奴らがこれを付けられていたら終わってたぜ」
赤黒い液体はある程度落ちたが、完全には拭えなかった。残った粘液は腕の上でゆっくりと蠢いている。
不快ではあったが、今は気にしている暇はない。
ホワイトが校舎を見つめたまま静かに口を開く。
「不良の子。この気配の中では私のルーンたちが危険だ」
「ああ」
ヴィーは短く頷き、掌に魔法陣を展開する。淡い光とともに現れたのは一本の刀だった。
柄を握り、ゆっくりと刃を抜く。すると刀身が小刻みに震え始め、ヴィーはそれを見ると呆れたように息を吐いた。
「何言ってんのかさっぱりわからん。俺にわかる言葉で言え」
もちろん返事はない。
彼は刀を構え、切っ先を昇降口へ向けた。足元にも魔法陣が浮かび上がり、魔力が一気に高まっていく。
その瞬間、校舎を覆っていたスライムたちが一斉に動きを止めた。
無数の黒い塊がぴたりとヴィーたちへ向きを変え、一匹のスライムが飛び出したのを皮切りに無数のスライムが跳びかかってくる。
「!?」
黒い奔流が押し寄せ、ヴィーは咄嗟に腕で顔を庇った。
べちゃっ、べちゃっ、と湿った音が次々に響き、冷たい感触が全身へまとわりつく。
「くっ……!」
ヴィーは顔を歪める。
ホワイトとグリーンは即座に結界を展開し、フィラーラとターナを包み込んだ。透明な壁へスライムが次々とぶつかり、弾き返される。
やがて襲撃は止み、辺りは静けさを取り戻した。
「くそっ、なんなんだよ!」
ヴィーは目を開き、舌打ちしながら身体中のスライムを叩き落としていく。刀にも黒い塊がへばり付いており、それらは刃を一振りして払い落とした。
「攻撃しようとしたから襲ってきたのか?」
ターナは周囲を見回しながら呟く。
「だとしたらこれ防衛反応かよ。厄介すぎる」
ヴィーは顔をしかめる。
ホワイトは静かに頷いた。
「だが、これで中へ入ることが可能となった。扉を壊すのなら今だ」
「……だな」
ヴィーは再び刀を構える。
しかし、そのすぐあとフィラーラの悲鳴が響いた。
「きゃあっ!」
全員が振り返る。
そこには、いつの間にか学び舎の生徒たちが立っていた。校庭に倒れていたはずの生徒たち。
彼らの体には何匹もの黒いスライムがまとわり付き、糸を引くように身体へ絡みついていた。
腕をだらりと垂らし、虚ろな表情でこちらを見つめている。
「うぅ……うう……」
「たすけて……たすけて……」
苦しげな呻き声が風に混じる。
「な、何……?」
フィラーラは悲しげに眉を下げた。
ホワイトとグリーンが一歩前へ出る。二人は生徒たちから漂う禍々しい気配に眉をひそめた。
「どうやら、あの黒い奴らの防衛反応は本当に厄介らしいな」
グリーンが低く言う。
「あれも、呪いの類なのか」
「ああ」
ホワイトはターナへ視線を向ける。
ターナは魔法陣を展開し、一本の槍を召喚した。柄を握り締め、生徒たちへ穂先を向ける。
「だが、ああいうタイプは初めて見る」
「フィラーラは下がっていろ」
「ん……」
グリーンに促され、フィラーラは素直に後ろへ下がる。ヴィーも刀を構え直してホワイトの隣へ並び、その場には緊迫した空気が流れた。
そこへ突然、一陣の風が校庭を駆け抜ける。
轟音とともに鋭い風が生徒たちを薙ぎ払い、数人の身体が勢いよく吹き飛ばされた。
地面へ叩きつけられた衝撃で、彼らに張り付いていたスライムが剥がれ、べちゃりと地面へ落ちる。
「……!」
何が起きたのか分からず、ヴィーたちは目を見開いた。
再び風が吹き、また一人、さらにもう一人と風は正確に生徒たちだけを吹き飛ばし、その度にスライムを引き剥がしていく。
「……あれは」
周囲へ視線を巡らせていたターナは、風の発生源を見つけた。
彼女の視線の先。魔法陣を展開し、その力で生み出した烈風を剣へ纏わせながら、一人の青年が生徒たちの間を駆け抜ける。
風をまとった剣が一閃するたび、暴風が生徒たちを吹き飛ばし、黒いスライムだけを引き剥がしていった。
迷いのない足取りで一直線にこちらへ向かってくるその姿を見て、フィラーラの表情がぱっと明るくなる。
「シオン!」
その声に応えるように、風を従えたシオンはさらに速度を上げ、仲間たちのもとへと駆けてきた。




